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ドキュメント内 4章 考 (ページ 103-106)

図160 佐伯門周辺遺構図

 1:1000

45 

平城宮 内の平面構造

また周辺の遺構遺存状況 を考慮すれ ば宮 内東西通路 に関わる何 らかの形 跡が残 されていて しかるべ きである のに もかかわ らず、ない。佐伯 門内 の南半部 については発掘調査が行 わ れていないが、北半部でみる限 り、

門を入 って東 に

90mほ

どまでの範囲 に建物 な どのあった形跡 はみ とめ ら れていない。あるいは区画施設 を伴 わない通路的空間があった とい うこ とも考え られる。その南北 に設定 さ れた広大 な敷地 を占める左右馬寮の 果たすべ き機能 と関連す る状況であ るのか もしれない。つ ま り左馬斎の 場合 その南辺 を、右馬寮の場合、北 辺 を区画施設のない開放状態 に して おいた可能性 を指摘 してお く。

伊福部門(西面北門

)同

様 に、宮西 面北 門、伊福部門内の状況 も、すで にみた ように、想定 される門の中軸

第 4章 考 察

図162 建部門周辺の遺構変遷図

線上 に左 馬 寮 の北 辺 築 地塀

SA6475が

位 置 してお り、少 な くとも門の東

30m余

りの場所 まで この 東西築 地塀 が東 か ら続 い て い る こ とが確認 されてい る。

玉手 門 (西面南 門

)宮

西 面 南 門、玉 手 門SB1616につ いて は第15次調 査 で 門基壇 と南側 に と り つ く築 地塀 SA1600の堀 り

込み地業が確 認 され て い る。

ここで も門内 に宮 内東西 通 路 の存在 を明示 す る側 溝 な どの施設 は検 出 され て い な い。 門基壇 北端 の北 約 14.6

mの

位 置 に、おそ ら く宮西 面大垣 に と りつ く東 西掘 立 柱 塀

SA1692が

あ る。 か り に これが宮 内通路 の北 辺 を 画す る施設 で あ る とす る と、

門中軸線 で折 り返せ ば、 通 路 空 間 の 南 北 幅 は

29.2m

とな り、 ほ ぼ100小 尺 で あ った と推 定す る こ とが で き るが、 もっかの ところ確 証 はない。 だた し、 門の東側

25mほ

どの、 この 南 北 100 256

SB16000 B SD

再 籐 嚢 :運

SA 9370

̀ ol

S816160

図163 金子裕之による「平城宮の園林」

4‑5 平城宮内の平面構造 小尺幅の範囲には建物 な どの建造物の痕跡は残 されていない。

なお、玉手門の宮 内側東方30〜

40mに

は、旧秋篠川流路跡の地割が残 っている。この遺存地 害↓は宮南面西 門である若犬養門の北 まで続 くもので、金子裕之 によれば、F続日本紀』天平宝宇

6年 (762)な どにみ る「宮西南池亭」 と称 された苑池であった可能性が指摘 されている。

建部門 (東院南面門

)平

城宮東院地区の南面大垣 の中ほ どに開 く宮城 門が建部門であること は渡辺晃宏の論証 に詳 しいが、 この門SB160001ま 、第243次お よび301次 調査での所見 によると、

東院区画設定時 には掘立柱塀SA5010に開 く1間の棟 門

SB16000Aで

大垣が築地塀SA5505に改

I笏されるとともに正面

2間

の掘立柱門

SB16000Bに

作 り替 え られる。 さらに奈良時代の末期 に いたると、基壇上 を伴 う桁行5間の礎石建 ち門

SB16000Cが

同 じ位置で建造 される。

門内の状況 は確定 しがたい部分 も残 るが、二間門の時期のある限 られた期 間にだけ宮内通路 が設営 されていた と考 え られている。

2条

の南北溝 (東 :SD16040C・ 西

:SD16045C)に

挟 まれ た溝心心 間距離で約15。

5m幅

の通路遺構が、建部門か ら北へ

30mほ

ど続いている。しか し、奈 良時代 を通 じて他 の大半 に時期 は、おおむね南北30m、 東西30〜

50mの

範囲の広場的空間が設 定 されている。

若犬養門 (南面西 門

)官

南面西 門である若犬養 門SB120200については、第133次調査で位置、

規模が確認 されている。合 わせて7カ所の礎石据 え付 け穴の位置か ら、若犬養門は朱雀 門 と同 規模 の、つ ま り、 ほかの宮城 門よ りも大規模 な門であったことが判 明 している。調査では、門 の南側の二条大路の南北側溝を検出し、門の北側では北西に「池状遺構」SG10240の東南隅の池 尻部分を検出 した。ここには池の水量を調節する施設 SX10230や 池の排水を南の二条大路北側 溝に流す南北溝 SD10250な どがあ り、上記のように、遺存地割の状況 をもとにして、宮西南隅 一帯にあったと想定されていた、旧秋篠川流路を取 り込んだ園池 ―宮西南池亭 ―に関わる遺構 群 が確 認 され た。

幅 が

7mに

お よ ぶ 池 排 水 路

SD

10250は 若 犬 養 門 の 西 端 か ら

9m弱

の位置 にあ り、 そ れ よ り東側 つ ま り 門の前 には、奈 良 時代 に関 わ る遺構 は遺存 してい ない。 門の東端 か ら東

12.5mほ

どに小規 模 な掘 立柱 東西棟 建 物SB10215があ る が、SD10250か らそ こ まで の東 西 約

45m(南

北 は調 査範囲の中で約

16m)の

範 囲 は、建 造 物 の ない空 間で あ った こ とが知 られ

     I     I     I     I     I

図164 若犬養門周辺遺構図

 1:

る。

以上 に瞥見 して きた宮内通路の うち、宮城 門に関わる通路 は、すべ てが固有の特徴のある状 況 を示 している といえよう。 これを平安宮 について考証 されているあ りようと比較 してみると、

平安宮 にあっては、朱雀 門以外の11の宮城 門では、例外 な く10文、つ ま り100小尺幅の通路が整 然 と設定 されてお り、平城宮 と際だった相違 をみせ ている。あえて共通点 を見いだそ うとすれ ば、平城宮東面 中門である県犬養門か らの東西宮 内通路が官衛 区画I(導積官衛

)の

南側で90大 257

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