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テ F製

ドキュメント内 4章 考 (ページ 87-91)

2,9

東西規模 南北規模 南 辺 東 辺 西 辺 北 辺

A 宮西辺官衝・北:「左馬寮」(第Ⅳ期) 270d(324s) 720d(864s) T H(T?) 宮大垣T T B 宮西辺官衛・南:「右馬寮」 270d(324s) 約225m:625d(750s) H? H 宮大垣T C 第一次大極殿 。「西宮」北側官衛:「大膳職」 720s:東330s

西区390s

T T

D 内裏北側官行:「内膳司」 600s I東360s 西区240s

T T T

E 内裏東北官行:「左兵衛府の詰所」 T T T T

F 内裏東北方官衡:「皇后宮関連官行」 T H SD P SD?

G 内裏東外郭官衡・南 T SC T T

H 内裏東外郭官衡・北 T SC T

I 内裏東方官衡 :蛹 積官衛 下層)180d(216s) 230d(276s) H T SC H

上層)216s(180d) T T T T

内裏東方官衛:「造酒司」 310d(372s) 350d(420s) T T T T

K 東区朝堂院南方官衛 :上 層「式部省」 250s T T T T

L 東区朝堂院南方官衝 :上 層「神祇官西院。東院」 西

250s T T T T

下層「式部省」 250s H H H

M 内裏東辺官衡:「内侍司」 240s 150s 内裏SC H SB/H

兵部省 252s 250s T T T T

*dは令大尺 。sは 令小尺・Tは築地塀・Hは掘立柱塀・SDは溝・SCは回廊

図144 平城宮内

 

官衝区画の規模

300000平方 小尺

図145  平城宮内

 

官衛区画の面積

時代の前半期の各官衛 区画造営の当初か らすでに区画施設は築地塀であ り、いっぼう、官行 区 画

Fや

官衛 区画A、

Bで

は、奈良時代後半にいたって もなお、区画施設の一部が掘立柱塀 であ

り続けた可能性が強い。

同様に、奈良時代前半期の官衛区画内の建物配置についても、計画的、有機的でないと評価

270

4‑5 平城宮内の平面構造 されるものの、官衛区画I「埠積官行」下層遺構で示 したように、建物配置自体は規格的な設計 の形跡が認め られ、また、近年の調査事例ではあるが、官衛区画

L下

層の「式部省」でも、特 徴的な建物群のあ りようが確認される。また長大な建物は奈良時代後半期に至っても、少な

くない官衛区画に存在するのであ り、決 して奈良時代前半期特有の状況ではない。区画内の建 物の粗密状態に関しては、導積官衛区画などの事例を除 くと、 とくに際だった変化を指摘で き るような事例は、むしろ無いと評価 してお くべ きと考える。奈良時代後半期に丼戸が設けられ るようになるとの指摘 も同様であ り、これを一般的傾向と判断できるほどの事例の蓄積は無い。

表23や図144、 145に示 したように、本節で検討 した

Aか

Mの

十数例の官衡区画について、

そのあ りようをみると、 きわめて多様であるといわなければならない。区画の規模では、最大 の官衛区画

Aと

最小クラスの区画

Fや Eと

の間では、面積 にすると

8倍

の格差がある。区画内 部の建物配置についても、むしろそれぞれの区画が特徴的な状況を呈 しているというべ きであ り、安易な概括や類型化を試みることが困難なほどである。おそらく、それぞれの官行の果た すべ き機能に応 じて柔軟かつ周到な配置計画が考慮 されていたのであろうと推測することがで

きる。

律令制度下にあって、太政官、神祇官の二官、人省をはじめとして、寮、司レベルの官行 を 入れると、70ほどの数になる。平安宮古図によると、人省院、豊楽院、内裏などを除 くと、や はり70近い官衛区画が表現されている。平城宮内でこれまでに発掘調査 された、明瞭な区画施 設を伴 う官行 は、上記のように十数例であ り、まだほんの一部にす ぎないことを知る。ここで は、それぞれについて改めて概観 したにとどまるが、今後、平城宮の官行の実態を解明し、時 代史の上に正 しく位置づけるためには、既調査地については、 より精緻な事実分析 をすすめ、

理解を深めるとともに、平城宮各地区についての発掘調査 をいっそう進展させて、研究の深化 をはかることが求められる。

2孝

第 4章 考 察

4… 5…

平 城 宮 内 の 通 路

4‑5‑2‑1 

は じめ に

築地塀で四周 を囲まれた兵部省の正門は、壬生門と朝集殿院南門とをつ な ぐ南北通路

SF

14350に面 した人脚門である東門SB13730で あった。兵部省 とはこの通路を挟んで東側にあい対 する式部省の正門も、通路SF143501こ 面する西門であ り、こうした状況は、官衛区画 と宮内の 通路の密接な関連性を示 している。

平城宮内には、このほかにも、これまでの発掘調査を通 じて、構内道路 ともいうべ き通路が 各所で検出されている。これを仮に宮内通路 と呼ぶが、広狭 さまざまな宮内通路は、朝堂院、

内裏などの中枢宮殿区画、官行区画や苑地空間とともに、平城宮の空間を構成する重要な要素 であることはいうまでもない。宮内通路は、その通 じる場所により、大きく二つに区分するこ とができる。その一つは、上記SF14350の ように、宮内でも枢要な施設 一宮城門、朝堂院、大 極殿院などに直接関わる通路であ り、 もう一つは官衛区画の間に設定された通路である。以下、

平城宮内の通路遺構 を概観する。

4‑5‑2‑2 

朱雀 門 (宮南面中門

)内

の南北 通路

平城宮の宮城門のうち正門である南面中門、朱雀門を入ると、そこか ら約

248m(700大

尺=

840小尺

)北

の中央区朝堂院南門までは、奈良時代を通 じて、建造物のまったくない空間が広が る。奈良時代前半期にはその広場空間の東西を限る施設はなく、後半期に至って、朝堂院の東

図146 平城宮内通路遺構の調査地点 1:10000

2イ2

4‑5 平城宮内の平面構造 面築地塀 に接続 して南北築地塀が南 に延長 され、おそ らく西面側 も同様であった と考えられる ので、この東西600大尺 (=720小 尺)〔212.88m〕 の空間は東西両側 を築地塀 で、北側 は中央区朝 堂院の南面築地塀、南側 を朱雀 門お よび宮南面大垣 (築地塀)で囲郭 された閉鎖空間 となること が、 これ までの発掘調査 で明か にされている。

さて、平城宮 を造営す る直前 まで、平城宮の中軸線上 には

7世

紀初 めに開削 された と考 えら れている古代官道の一つである下 ツ道が通 じていた。平城京、平城宮 はこの下 ツ道の中軸線 を 基準 に して設定 されたのであるが、朱雀 門はこの下 ツ道の東西側溝 を埋 め立てた上 に造営 され たことが確認 されている。朱雀 門以南、つ まり官外では、朱雀大路の建設 にともない、下 ツ道 は埋 め立て られるが、宮 内では、下 ツ道側溝が一定の期 間、宮内通路の側濤 として利用 されて いる。ただ し、朱雀 門のす ぐ北側 では下 ツ道の側溝 を埋 めて、そのタト側の東西 に別の南北溝 を 設定 し、朱雀 門心の北

37mの

位置で中央寄 りに屈 曲させて旧下 ツ道側溝 に直角 に接続 させてい る。下 ツ道の規模 は、 ここ朱雀 門の近 くでは、すでに指摘 されているように、東西両側溝心心 間距離が

24.5m前

後あ り、70大尺であった とみ られる。

この問前の、2条の南北溝 (東

SD1790'西

側SD1890)に挟 まれた広場部分SH1850の東西幅

B           i A︲

7(第

  E     D

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