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今後の災害復旧・復興対策に活かすために(参考文献から得られた知見と教訓)

第1節 過去 の大 震災 の復 旧 ・復興 計画 から 学ぶ べ きこと

最終 章 、 今回 筆 者が執 筆に 当た て 参 考にし た文 献の 中 、 今後の 災害 復旧 ・復 興 対 策のあ 方 を考 え 上 、参 考と と思 わ た知 見や 教訓 を 紹介す とと した い そ ら の文 献の ほと 、 今回 の東 日本 大震 災を機 に初 めて 書 下 さ た の あ が、

お読 頂く とわ うに、 内容 多 岐に わ た て い の の、 総 て今 回の 東日 本大 震 災 を と 記録 に残 す 観点 ら書 てい のが 多く 、将 来の 大 震災に 活 すべ 教 訓 に 触 た の あ 読 者の皆 さ に対 す 重 要 情 報提 供に のと考 え、 その 中 ら い くつ を選 び以 下に ま とめて た

まず 本節 、過 去 の大震 災の 復旧 ・復 興 計画 ら学 ぶべ と に関し て、 情報 を拾 い 集 め て た 主 と し て 、 過 去 の 大 震 災 の 復 旧 ・ 復 興 計 画 を ま と め て い 越 澤[8]に従 い、同 書の 記述 を要 約 的に引 用し が ら、 過 去の復 旧・ 復興 計画 や その経 験 ら重 要と 思 わ

事 項を 4点 紹介 し たい

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第一 に同 書の 最 基 本的 指摘 事項 の一 つ と が、 氏 都 市 のシン ボル や市 民の 誇 と 街並 、 観光 名 所とし て有 名 場所 が 、実 、大 火復 興、 震 災復興 、戦 災復 興 災 害復興 の都 市計 画 誕 生した 例が 、少 く い 序章 と述 べ 、全 国各 都市 にお け 区 画整理 や道 路整 備の 現 状が、 基本 的に 過去 の 戦災・ 災害 等 らの 復 興過程 都 市計 画を 実 施 した 否 に依 存し て い とを 繰 返し 述 べてい そ に基 震災 後の 復興 計画 の あ 方に 関し て 、 震災 後に都 市イ ンフ ラ 、ま く 何を す べ ラ イフ ライ ン、鉄 道、幹 線道 路 、 早期の 現状 復旧 が必 要 あ た と 明白 あ 一方 、都 市計 画 ・ ま く につ いて 、復旧 ・復 興の 目標 単純 い 戦災 復 興 区画 整理 を実 施 済 都 市基 盤が し して い 地区 以下、 途中 略= 筆者 区画整 理・ 再開 発 不 必 要 あ 、 マン ショ ン を含め て個 別の 住宅 再 建をい に 進め が 課題と と の考 え を 述べて い 同 書第 4 章

の 第一 の関 連 、氏 阪神 ・淡 路大 震 災の復 興区 画整 理の 具 体例と して 、西 宮市 の 森 具地区 と神 戸市 のJ R 六甲道 駅北 地区 を取 上 、 いず 新し い ま に 生ま 変 わ た とを高 く評 価し てい また 、密 集市 街地 あ た 伊丹 市、 宝塚 市 につい て 、密 集住 宅 市 街地整 備 進事 業に て数 年間 復 興を 成 し遂 た とを 紹介 し てい 同 第4 章

第 に、 東日 本大 震 災の復 旧・ 復興 とし て 越澤自 身が 何を 必要 と 考えて い 、 ず 追

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お 以 下 に 取 上 た 項 目 や 記 述 内 容 、す べ て 筆 者 の 同 書 理 解 に 基 く 筆 者 の 記 述 あ 事 実 関 係 の 誤 認 と 、 論 点 の 矮 小 化 が あ た と す 、 す べ て 筆 者 の 責 に 帰 さ べ 斏 、 断 て お く

の 他 関 連 す 話 と し て 、 一 般 に く 知 ら た 事 実 と 思 う が 氏 東 京 、 大 阪 の 木 造 密 集 市 街 地 の 危 険 性 に 言 及 し 、 東 京 都 が 997 年 に 防 災 ま く 推 進 計 画 を 策 定 し 、 東 京 都 の 都 市 政 策 と し て 取 組 始 め た と 、 ま た 3年 に 政 府 都 市 再 生 本 部 を 設 置 し 、 都 市 再 生 に 取 組 始 め た と を 併 て 紹 介 し て い 同 書 第 1 章 首 都 圏 直 下 型 の 大 震 災 の 危 険 性 が 語 ら て い 中 、 の 問 題 大 変 重 要 課 題 あ

、 今 後 の 取 組 の 進 展 が 注 目 さ

-貸里-

て た 氏 同書 序 章 、

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年 の昭 和 陸津波 同 書 昭 和 陸 津浪 を念 頭に 置いて 、 当時 の内 務省 都 市計画 課が その 翌年 に 作成し た復 興計 画書 を 踏まえ が ら、 市街 地 移転 が無 理 あ と して現 地再 建の 道を 選 び、高 地に 移転 した 集 落 浜辺 の集 落跡 に 戻 た 、分 家住 宅 が た事 例 あ その う 地元 の苦 労 を踏ま え と、 今回 の 東 日本大 震災 の復 旧・ 復 興 、 単に 、被 災地 高 移 転す い 、 漁民 車 浜ま 通 勤 す

い、 エコ タウ ン を建設 す とい う単 純 復興 方針 、現 地 の生活 と雇 用の 再建 が さ ず が い と 、 明ら あ と 述 べてい そ して ま の 大震 災の 復 旧 ・ 復興計 画 主に 被災 し た市街 地の イン フラ 整 備と住 まい の再 建を 目 指 た し し 、 今回の 東日 本大 震災 、 陸地 方の 津波 被 災地の 再建 に 、地 域 を早期 に復 旧・ 維持 す ための 社会 政策 、雇 用 政策、 地場 産業 を効 率 的・効 果的 に支 援す 施策ま 踏 込 い く 必要が あ 新 た 課 題 あ と 述 べてい

以上の う 特に 後者 の 考え方 、 正に 現在 、 田政 権が 復興 計画 進めて い と に他 ら い の と 間 接的 がら 、政 府の 取 組 の あ 方に つい て 、氏が 現在 の政 府と ほ ぼ 同様に 考え てい と を示す 証 と け止 め と が の い

第 復興 対策 のス ー と いう 点に 関し て 、氏 阪神 ・淡 路大 震 災の復 興計 画策 定過 程 に関連 して 、 都 市復 興 の ジ ョン 中 略= 筆 者 の 公表 と説 明が 遅 た と述 べて い す わ 復興 計画 に 都市計 画と 住宅 に関 す 復興 ジ ョン 中略 =筆者 と 、 産 業・生 活 ・ 福祉・ 文化 を含 め たすべ ての 行政 計画 を 包含す 復 興計 画 中 略=筆 者 の つが 存 在 す 兵庫 県、 神戸 市 と に 、前 者単 独の 発 表を抑 えて 、後 者の 形 復興 計画 を公 表し た が、 災害 復興 に際 して 、まず 、都 市計 画と 住 宅に絞 て ジ ョン と 方針を 早急 に 、1 月 以内に 、 荒削 あ て 素案 の形 公 表し 、 そ と同 時に 、 建築 制限 を 行い 、 住 民の 理解 、 議 会 と 正 論 の 反 応 を 踏 ま え が ら 成 案 と す や 方 が 望 ま し た と 述 べ て い

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氏 序章 、阪 神・ 淡路 大 震災後 のい くつ の 自 治体の 復興 ま く の状況 につ いて 述べ た 上

、 の と ら 得ら 貴 重 教訓 中 略=筆 者 災 害発 生後 の厳し い時 期に 、復興 計 画をい 提 出し て 被災 した 地元 住民 の 理解と 納得 を得 と 容易 い、 とい う と あ と 述べ て い

以下 筆者 の推 測に 過 い が、 上記 第一 取 上 た 、区 画整 理 が実施 済 あ

う 確認 した 上 復 旧 ・ 復 興の 目標 が定 ま ていく 、 と す 氏の 考え 方を合 わ 考え と 、 大震災 の発 生直 後に 行 うべ 行政 対応 大 く 段 階に 分け べ あ 、第 一段 階 、 うい う範 囲 復興 計 画を立 てて 行く の 、 その ジョ ンを まず 決 定し、 公表 す と が 重

お 越 澤 自 身 、阪 神・淡 路 大 震 災 の 復 興 過 程 ら 得 ら 教 訓 と し て 、被 災 地 区 の 客 観 的 状 況 を 簡 潔 に 把 握 す 地 区 診 断 デ ー タ や 図 面 過 去 の 区 画 整 理 の 実 施 の 有 無 、生 活 道 路 の 幅 員 現 況 、公 園 広 場 の 有 無 等 を 揃 え 必 要 性 、 お び め 細 ま く を 進 め た め の マ ン ワ ー と 専 門 的 知 識 の 必 要 性 を 指 摘 し た 上 、 新 し い ー マ と し て 、高 齢 化 の 進 行 に 伴 う 独 居 老 人 と 高 齢 者 向 け 住 宅 対 策 の 問 題 を 挙 て い 同 書 第 4 章

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た し 、 く 指 摘 さ て い う に 、阪 神・淡 路 大 震 災 の 際 の 初 動 対 応 、今 回 の 東 日 本 大 震 災 対 策 と 比 べ と 数 段 早 た ま ず 予 備 費 対 応 し た 後 、 震 災 1 月 後 の 月 日 に 、 が 撤 去 の 復 旧 緊 急 事 業 を 盛 込 99 年 度 補 正 予 算 が 成 立 し 、9 年 度 補 正 予 算 約 4 月 後 の 5 月 9日 に 成 立 し た

-貸重-

要と示 唆し てい う に思わ

最後 に第 四と して 、 氏 関 東大 震災 の際 の 、後藤 新 を中 心と し た復興 計画 の取 組 を 紹 介して い の関 連 点 に言 及し たい 第一 復興 計画 が恐 べ 早 さ 策定 さ 、 成 立した と あ 同 書 第 1章 に 、震災 発生

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年 月1日 直 後、山 本権 兵 衛・新内 第 次 =

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年 月 日~ 年1 月 日 の内 務大 臣に 任命さ た の 後 藤新 、 月4 ~5 日 に 帝 都復 興の 議 を まとめ 、 月 日 に 議に提 出し てい

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そして その 後、 事業 規 模 帝 都復 興審 議会 大幅に 縮小 さ 、議 会 の審 議過 程 さら に 削 減さ とに が 、 市 民の 窮状 を第 一に 考え、 政治 的 面子 考えず 、 復興 予算 の削 減 を け 入 越澤 て 、予算 案

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年 月に成 立し た

点 目 、同 書 第 1章 に 、区 画 整理が 地主 の反 対に 遭 い、帝 都復 興事 業が 不 可 能と い事 態 を想起 して 、区 画整 理 の主体 を国 ら 東京 市 に え 東京 市の 負 担 を増加 さ てい そ し て

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年 3月 、 区画 整 理の実 行段 階 実際 に 地元住 民の 間 反対 運 動が生 ず と 、 後 藤新 の 心 新・東 京市 長 あ た 永田 次 郎 、 区 画整 理に 就いて 市 民諸君 に告 と題 す 演説 を行 た とい う 同演 説 印 さ 、 配 さ た の 演 説 の中 た 々 ま を 国家 の 命 と して や たく い 中略 =筆 者 ま たく 々市 民の 自覚 に 々市 民の 諒解 に て を実 行し た い とい う下 が あ 筆者に 、 区画 整理 が 極めて 重要 政 策 あ 、い に 困難 あ うと 、そ を 推し 進 め

け 復 興 成 し いと の、 深く 検討 し 抜 た、 その 一方 羽詰 ま たと い え 認識に 立 て、 市長 が 市民の 心に 訴え 、窮 状 を市民 全体 一 緒に 乗 越え てい う とす 姿 勢が強 く注 目さ た

第2節 過去 の地 震・ 津波 の 教訓 活か さ たの か

今回 の巨 大津 波 、日頃 の地 震・ 津波 教 育が威 力を 発揮 した 報道 さ て 今 や く 知ら た と あ が、 群馬 大学 大 学院教 授の 爭田 敏孝 氏 8年 前 ら 石市 の 防 災・危 機管 理ア バ イ ーと して 、同 市内 の 小中学 校 児童 ・生 らに対 して 、主 体的 に 自 らの命 を との 大 さを 教え て ら た そう した 教育 の大 成果 と言 うべ あ が 、 同 市 内 の 小 中 学 生 、 ほ ぼ 全 員 が 津 波 の 被 害 ら の が た と 聞 い て い 日 頃 の 災 害 教育が 効果 を発 揮す とが 証明 さ た の あ 、ま た、 そう し た教育 の重 要性 を知 大 事 出 来事 と た

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た し 同 書 に 、 の 例 外 的 迅 速 さ に 、 そ を 可 能 に し た 特 別 理 由 が あ た 9 年 代 半 頃 、 東 京 の 人 口 世 界 一 と 言 わ ほ 急 速 に 増 加 す 一 方 、 東 京 市 の 都 市 計 画 と 近 代 化 大 幅 に 遅 て い 、 と の 認 識 に 立 て 、都 市 計 画 を 入 し う と の 機 運 が 一 部 の 政 治 家 、官 僚 の 間 に 高 ま 始 め た を け て

9 年 、 内 務 省 の 大 臣 官 に 都 市 計 画 課 が 設 置 さ 、 そ の 後 、 都 市 計 画 法 、 市 街 地 建 築 物 法 の 両 法 案 が 審 議 さ 、最 終 的 に 9 9年 に 都 市 計 画 法 が 制 定・公 さ 後 藤 新 の 過 程 に 寺 内 正 毅 内 9 6年 月 ~ 年 月 の 内 務 大 臣 と し て 深 く 関 与 し 、 ま た 9 年 月 、 東 京 市 長 に 選 出 さ て 以 後 東 京 市 の 都 市 計 画 を 推 し 進 め 、 東 京 市 政 要 を と ま と め し て お 、 後 藤 に 東 京 の 都 市 計 画 の 政 策 検 討 に 深 い 蓄 積 が あ た と し て い

田[ ]の 中 爭 田 氏 石 の 跡 の 立 役 者 と し て 瘡 場 し て い

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