• 検索結果がありません。

二 O

ドキュメント内 真宗研究26号全 (ページ 116-119)

次に

新出

の﹃

如光

目安

状﹄

︵仮

題︶

一通

につ

いて

触れ

てお

きた

い︒

如光は先きにみた如く寛正の法難において政治的手腕を発揮してきたが︑一方教学や安心面にも精通していたこと

は︑蓮如の文明十二年六月十八日付御文によってよく知られている︒しかし︑その傍証ともなるべき著述に関しては

これまで全く知られておらず︑わずかに上宮寺その他に伝えられてきた手択聖教や︑本願寺からの伝授聖教の存在が

知ら

れて

いた

にす

ぎな

い︒

ここ

に紹

介す

る﹃

如光

目安

状﹄

一通は昨年叡山文庫で発見したものである︒﹃十王讃歎﹄以下真宗聖教七部︑すな

﹃正

信念

仏偶

註﹄

︑﹃

持名

紗﹄

︑﹃

破邪

顕正

L

守安

心決

定紗

﹂︑

ヱ具

要集

﹄︑

﹃袈

裟功

徳要

文﹄

の全

文を

書写

した

後︑

わ ち

未題のまま一紙半の短文一通が収録されており︑この一通が︑

仮題

﹃如

光目

安状

であ

る︒

本書は表紙に

﹃十

王讃

歎﹄とのみあり︑最初の写本の書名のみであり︑表紙裏の目次の次に﹁天海蔵・山門蔵本﹂の墨印があり︑末尾余白

に﹁天海﹂の署名があり︑全文天海筆蹟としてよい︒表紙の易字分類﹁窪﹂と﹁十王讃歎﹂は天海の弟子公海の筆蹟

と考えられる︒というのは﹃法宝総目録﹄第三冊七七七頁以下に収録する﹁天海蔵﹂目録は師の没後十三回忌を前に

られ

る︒

して承応三年公海の編したものである﹁窪﹂字部中に﹁十王讃歎一冊﹂とあるものと本書の表紙が合致することで知

@ この宝光坊は三河出身で二代祐乗は本願寺

目次

の﹁

安心

決定

紗﹂

の頭

註に

﹁覚

如ノ

御作

宝光

坊ノ

云﹂

とあ

り︑

教如の葬儀大導師を勤めている︒先きの公蜘は花山院忠長の子で教如の孫に当る人物である︒

︵ 光

に﹁如幸ハ三川ノ人比ノ作﹂とある︒内容は︑最初に三因仏性を解し︑後に聖道諸宗の仏性論を論じ︑真宗の信心仏

﹁如

光目

安状

﹂の

最初

性を帰結とし︑最後に聖道諸宗の悟を方便として沙汰するを秘事法門と誤解されては困ることを訴えて結びとしてい

@ 

ることは︑蓮如の御文に云う三河の手作り法門に対応するものであり︑この一文は上宮寺如光作と伝えられていたと しても当然のことといえよう︒

お わ り に 以上初めに蓮如・如光連座像について一考察をなし︑後には新出の﹁如光目安状﹂を紹介してきたが紙数の制限に より︑充分その意を伝えることが出来なかったのが残念であり︑ことに後者については﹃同朋学園仏教文化研究紀要﹄

三号に恵山写本﹁目安状﹂として全文翻刻し︑解題を附しておいたので参照されたい︒

④ ③ ② ① 註

同誌所収﹃木宗寺﹄考付三五頁以下︒

同誌

所収

﹃本

宗寺

﹄考

付一

一一

六頁

真宗史料集成第二巻三九一頁︒

本福寺跡書真宗史料集成二

l

六 一 一 一

七 J

六三

八頁

︒ 本福寺由来記真宗史料集成二|六六六頁︒

注①参照 仮題﹁上宮寺縁起絵﹂と呼称してきたがその後︑同寺の調査をした時︑次の如き一紙が発見されたことから以

後﹁

太子

山絵

伝﹂

と呼

ぶこ

とと

する

﹁ 三 河 国 碧 海 郡 士 山 貴 之 庄 太子山絵伝第五再建之部

佐々木上宮寺什物

画工

慶女

三七

齢﹂

⑤ 

続・佐々木如光とその周辺

⑤ 

なお

画工

慶女

とあ

るが

その

伝は

全く

不明

であ

る︒

法水分流記真宗史料集成七八一八

1八

一九

頁︒

浜島覚成論文﹁浄土宗西山深草派三河十二本山を中心と

して

﹂研

究紀

要因

号︵

岡崎

地方

史研

究会

刊︶

安城

之御

影副

本一

一書

真宗

史料

集成

二|

コ一

九八

頁︑

陥八

五︒

本福寺由来記真宗史料集成二

1

六六

五頁

︒ 本福寺跡書真宗史料集成二

l六

三四

頁︒

﹁山

科御

坊事

並其

時代

事﹄

真宗

史料

集成

二|

五五

頁︒

﹁蓮

如上

人行

実﹄

一一

一五

頁|

五八

O条 ︒

藤島達朗博士論文﹁寛正法難後の蓮如上人の動向につい

て﹂

︵論

集﹃

日本

人の

生活

と信

仰﹄

二七

六頁

﹁岡

崎市

史矢

作史

料編

﹄ 宮崎円遵・岡田譲等共著﹃西本願寺

⑨ ③ ⑦  

⑮ 

⑫ ⑬  

その

美術

と歴

史﹄

続・佐々木如光とその周辺

JO

阿万弘文著﹁祈鰭寺﹄所収口絵参照︵昭和三十六年阿万

あるのか不明であり︑その意味で不親切といわざるを得 ない︒又︑北西弘著﹃一向一授の研究﹂七五

O

③竜善寺蔵版宝物目録︒

O

②﹃岡崎市史矢作史料編﹄図版日解説九

O頁 ︒

③真宗史料集成二|三八三頁比七O

MM

O

⑬ ⑫ ⑮ ⑮ ⑬ ⑬  

⑬ 

③ ② ⑧ @ ③ ③ ② ③ ③   真宗史料集成二|三八七頁随一四O

l

稿

J

M m

O 品柄真宗聖教現存目録﹄ぬ二七六︒

E

慶長十九年十月十一日条︵続真宗大系 十六巻一三四頁︶︑日下無倫論文﹁東本願寺草創時代の

文明九年一月御文冥宗史料集成二1

文明十一年十一月御文真宗史料集成二l

一 一 一 一

一 一 一 一

頁 ぬ

一 一 一

@ 

③ 

筑 後 真 宗 教 団 の 構 造

ーー

ー有

馬藩

の宗

教政

策と

の関

係を

中心

に|

草 ;

ドキュメント内 真宗研究26号全 (ページ 116-119)

関連したドキュメント