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ドキュメント内 喋覇 (ページ 126-131)

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図97周辺調査地点遺構配霞図(1/600)

(4)検出遺構

溝15条、竪穴住居杜29基、掘立柱建物靴1基、ビット列1基、土坑9基、ピットを検出した(図 95.96)。

183

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2.国際先端医学研究拠点施投新営エリ#に伴う発掘調査(1223調森地点)

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1 肘 : 撹 乱 1 捌 刷 6 脳 : 蹄 灰 黄 色 土 ( H u c 2 、 5 Y 4 / 2 ) 2 0 0 ↓ j ・ 獅 圃 上 2 層 : 埋 土 I 紬 肘 7 筋 : 黄 灰 色 士 ( l { “ 2 . 5 Y ・ 1 / 1 ) 2 0 0 号 淋 騒 I : 3府:此灰色t(Ⅱuc2.5Y‘1/l)’11耕作l:川崎8用:褐灰色上(11“lOYR‘1/l)~肌侶色土(IIuclOYR3/l)Ⅱ肘上部 4筋:灰色土(Hue5Y‘1/l)200W脚刷士9胴:オリーブ胤色土(11“5Y3/l)~灰色土(IIue5Y‘1/1)11脳上部 5層:黄灰色上(Huc2、5Y‘1/l)200り・澗圃上10肘:熟褐色土(IIuc2,5Y3/l)~照褐色土(Ⅱ“2.5Y3/2)Ⅱ肘下部

本荘中地区の咽査

11脳:肌褐色土(Hue2、5Y3/l)210号竪穴住居杜騒土 12脳:M1褐色土(lIuc2,5Y3/1)210号堅穴住居吐圃土 13糊:鼎褐色土(Huc2、5Y3/l)

1.1ルウ:肌褐色土(Huc2、5Y3/2)~黄灰色土(11“2.5Y4/1)

15咽:略灰黄色士(11“2.5Y5/2)

0 2 m

図981223調査地点北壁1土層断面図(1/50)

LH=14.帥m Y Y

1

8肘:蹄褐色土(IIuc7,5YR3/3)‘1職脚梱土 9脳:略褐色土(Hue7、5YR3/3)49・源覆土 10肘:蹄褐色土(Hu・7.5YR3/3)4職母圃土 11隅:暗褐色上(I1uC7、5YR3/3).1号澗圃上 12脳:鯉褐色土(HuclOYR3/2)11咽上部 13肘:暗赤褐色上(IIue5YR3/2)

1.1吋:暗赤褐色土(Huc5YR3/2)139.潤嗣1名

15肘:肌褐色土(ⅡuclOYR2/3)Ⅱ届下部 16崎:M1褐色上(ⅡuclOYR3/2)73号竪穴住居カト画+之

17糊:オリーブ褐色土(H“2.5Y4/6)73号竪穴住居吐圃土 18肘:肌縄色土(lIuG2、5Y3/l)12号竪穴住居ht覆土 19肘:肌褐色土(11“2.5Y3/l)12号竪穴住居hト騒士 20増:肌褐色上(I{uclOYR3/3)12.1号竪穴住居吐騒土 21肘:蹄褐色上(Huc7、5YR3/3)12号竪穴住居雄圃f言 22咽:蹄褐色土(Ii“lOYR3/‘1)

0 2 m

l届:撹乱I馴脳 2用:暗褐色士(HuclOY3/3)

3脳:晴褐色土(IIulplOY3/3)

4肘:鼎褐色上(HuelOYR2/3)

5届:肌褐色土(Hu雌l0YR2/3)

6層:暗褐色土(HuclOYR3/3)

7崎:暗褐色土(HuclOYR3/3)

4W侭圃_t

・Iり・溝図上

・Iり・櫛風土

・Iり・澗圃上 ,1り・獅圃士

図991223調査地点北壁2土層断面図(1/50)

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l肘:撹乱】制胴

2肘:略褐色土(Ⅱ“lOYR3/3)旧耕作土Ib層 3肘:!M褐色土(11“lOYR3/2)Ⅱ届上部 4肘:Ml侶色土(IIuclOYR2/3)

5肘:胤悩色土(IluolOY3/I)

6糊:M(褐色士(HuGlOYR2/3)Ⅱ脳下部 7肘:M1褐色上(IIuclOYR3/2)10号照穴住勝祉騒上 8肘:川褐色士(ⅡuclOYR3/2)10号竪穴住居力t圃土 9肘:肌褐色上(ⅡuclOY2/2)10牙竪穴住居吐圃土 10肘:M1褐色t(ⅡuelOY2/2)10号竪穴住居地租上 11脳:暗褐色土(IIuelOY3/4)10号竪穴住居雄掘り方覆土 12肘:肌褐色土(Hue7、5Y3/l)10号竪穴住居雄掘り方殿士 13脳:蹄褐色土(IIuelO1'R3/‘1)

0 2 m

1

図1001223鯛査地点東壁土層断面図(1/50)セクションポイントの位置は図95に表示。

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Ⅳ 本 荘 中 地 区 の 調 査

<溝>

4号溝(図101)

調査区東側のD-2区、E-2.3区、F-3に存在した。幅約2.7~3.8mの溝が長さ約24.5mに

わたって検出された。北端および南端は調査区外に出ている。平面形は直線的で、主軸方位はN-50 -wである。南端で5号溝と交差するが、5号溝と覆土が類似し、新旧関係は明確にはとらえられな かった。9号溝や11号竪穴住居杜を切って構築されており、Ⅱ層上部より掘り込みが確認された。溝 上位は傾斜が緩く、途中(中場)から角度を強めて底面に至る。底面は平らで、断面形は逆台形状を

なす。確認面からの深さは最深で約1.4mを測る。底は砂層ないしは固化した砂層に切り込んでいた。

覆土は暗褐色土主体。覆土上位にはIb層類似土が存在し、遺構の東側ではIb層類似土が深く入り 込んでおり、後世の掘り返しの可能‘性が考えられた。また覆土中位で、ウマの四肢骨と判断される骨 が、レベル上のまとまりをもって出土した(図版173)。覆土下部は水の影響をうけたためか赤褐色化

し硬い部分が多かった。底面には長方形の凹みが存在した。出土遺物には古墳時代後期から平安時代 のものも含まれていたが、17世紀後半のものが多かった。Ⅱ層上部から掘り込んでいる点と、出土遺 物により、本溝は近世初期の所産と判断される。なお本溝の延長上に1106調査地点の2号溝がある。

5号溝(図101)

調査区東南隅のF-3.4区に存在した。最大幅約2.6mの溝が長さ約2.6mにわたって検出された。

北端は4号溝と交差しており、南端はIa層(撹乱)に切られ、その先は調査区外に出ている。平面 形は直線的で、主軸方位はN-25o-Eである。溝の深さは最深で約0.6mを測る◎本溝周辺は撹乱が

Ⅳ層まで深く入りこんでおり、溝の上部は消失していた。

当初は、砂や黄色土を多く含む暗褐色土(Ib層類似)および褐色土を覆土とする溝(5号溝)と、

その下位の黒褐色土・灰褐色土・褐色土を覆土とする溝(旧108号溝)を別々の遺構として認識した が、両者とも溝の方向が同じであり、覆土に砂をやや多く含む点で類似していたため同一溝(の覆土 の違い)と判断した。しかし覆土の違いが認識されたことから、溝の掘り返しがあった可能性も考え

られよう。図101土層断面図B-B'は旧108号満でとった断面である。溝は砂層(Ⅳ層)にまで達し

ていたが、溝の最深部は調査区外に出ており検出されなかった。覆土は4号溝の覆土に類似していた め、4号溝と近い時期、近世初期の所産と判断される。なお本溝は9511地点の30号溝、9801地点の3

号溝、1130地点の1号溝、1205地点の1号溝と連続する溝である。

51号溝(図101)

調査区東側のE-3区に存在した。平面形は長さ約2.0m、最大幅約0.2mの直線状をなし、主軸方 位はN-49o-Eである。4号溝とほぼ平行する。Ⅱ層下部の確認面からの深さは最大で約0.08mを 測る。覆土は黒褐色土からなる。出土遺物はなく、時期は不明である。

190号溝(図103)

調査区中央北側のC-2区に存在した。最大幅約0.27mの溝が長さ約6.4mにわたって検出された。

平面形は直線的で、主軸方位はN-46o-Eである。南西端は撹乱により壊されていた。確認面(Ⅱ 層上面)からの深さは最深で約0.15mを測る。覆土は暗褐色土(Ib層)からなっていた。同様のも のはD-2.3区に多数平行して存在しており(図99土層断面図2層)、畝のような耕作に関係する 遺構と判断される。覆土がIb層であることから、近世以降の所産と判断される。

200号溝(図102)

調査区西側のA-3、B-3.4,C-4.5区に存在した。Ⅱ層上面で確認され、深い部分は最 大幅約2.6m、深さ約0.8~1.0mの溝であった。南北両端が調査区外に出ているが、長さ約25.8mにわ

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2.国際先端医学研究拠点施設新倣工邪に伴う発掘調査(1223調査地点)

たって検出された。またこの深い溝の両脇に深さ約0.06~0.3m、幅約0.4~0.8mの浅い溝が1ないし

2条平行して存在していた。これら脇に付随する溝は深い部分の溝とは若干時期が異なる可能性はあ るが、溝の方向が同じであるため、同一番号の溝とした。平面形は直線的で、主軸方位はN-49o-

Wである。204.205号溝・210号竪穴住居杜を切り、201号溝に切られていた。溝の底面は地山の砂層

(Ⅳ層)に達し、底面は平坦で、断面形は逆台形状を呈する。覆土は大きく3層に分かれ、上層(図 102土層断面図1層)は灰色土、中層(同図2.3層)は黄灰色土・暗灰黄色土、下層(同図4層)

が黄灰色土からなっていた。B-4区の覆土中層では大形の獣骨が出土した。覆土にIb層類似土 (黄灰色土)を含んでいた点や、青磁や播鉢など中世ないし近世の遺物が含まれることから、中世又 は近世の所産と判断される。

201号溝(図102)

調査区西側のB-4,C-4.5区に存在した。4条の平行する溝からなる。各々幅0.3~、0.4m、

深さ約0.06~0.1mの溝で、主軸方位はN-45o-Eである。全て一連のものと考え、同一溝として扱っ

た。190号溝同様、畝のような耕作に関係する遺構と判断される。200号溝をほぼ直角に切って存在し ていた。Ⅱ層上面で確認され、覆土は灰色土(Ib層)であるため、近世以降の所産と判断される。

9号溝(図104)

調査区東側のE-2~4区に存在した。最大幅約2.1mの満を、長さ約11.9mにわたって検出した。

北端は調査区外に出ており、南端は撹乱により切られていた。平面形は直線的で、主軸方位はN-14 -Eである。北側では4号瀧に切られていた。4号溝との交差部以北は、撹乱されていたものの、Ⅱ 層中でプランを確認できた所があり、その部分では、溝の幅は2.2m、壁高は最深部で約1.1mあった。

溝の立ち上がりを見ると、溝の上位は傾斜が緩く、溝の中央部は幅狭で深くなっていた。4号溝との 交差部以南では、竪穴住居杜(123.142.74号竪穴住居吐)に切られていたため、幅は0.6~1.3m、

壁高は0.2~0.6mしかなかった。覆土は黒褐色土・暗褐色土などからなっていた。古墳時代後期に属 する74号堅穴住居祉に切られるものの、それ以前の遺物は出土していないので、古墳時代後期の所産

と判断される。9511調査地点の68号溝(6世紀末)とつながるものと推測される。

55号溝(図104)

調査区東側のD-3区に存在した。最大幅約1.1mの溝が長さ約3.7mにわたって検出された。平面 形は直線的で、主軸方位はN-20o-Eである。北端は1号掘立柱建物杜(9世紀末又は10世紀初め)

の柱穴に壊されており、南端は147号竪穴住居杜と切り合っていた。147号竪穴住居カヒとは覆土が類似 していたが、147号竪穴住居カヒより新しいと判断された。確認面からの深さは最深で約0.3mを測る。

覆土はⅡ層下部類似の黒褐色土からなっていた。古墳時代後期又は古代(9世紀末以前)の所産と判 断される。

13号溝(図105){3’

調査区中央のC-4.5,,-2~4区に存在した。最大幅約0.9mの溝が長さ約27.5mにわたって

検出された。北端は調査区外に出ており、南端は撹乱により切られていた。本溝は高い所ではⅡ層下 部上面で確認された。1号掘立柱建物杜の柱穴に切られ、202号溝・’2.120号竪穴住居杜を切ってい

た。深さは最深で約0.15mを測る。平面形は直線的で、主軸方位はN-6o-Eである。

覆土は灰色土をなしていた。北壁断面では2枚の土層(図99土層断面図13層・14層等)からなり、

二時期に及ぶ可能‘性がある。水の影響を受けたと判断される、鉄分が集積し暗赤褐色を呈する箇所 (図105土層断面図A-A’1.2層等)が多く認められた。

古墳時代後期の堅穴住居杜を切り、覆土中から9世紀末の土器が出土しているので、9世紀末頃の

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