一吉林省の漢族と少数民族の場合一
はじめに
急速な経済成長は、経済・社会の急激な変化をもたらす。たとえば、経済成長と近代化 の速度が地域によって一様でないことから、地域間に経済格差が生じ、それが労働力の農 村から都市への移動と経済的後進地域から先進地域への地域間移動を発生させる。特に、
1990年代以降、経済発展に伴って、労働力移動を中心に中国の人口移動が活発となり、2005 年未までに総人口13億628万人のうち、移動人口は1億4,735万人、省間移動者は4,779 万人に達し、その規模は1億を超えた1。このうち、吉林省の人口移動は、人口流出が149.4 万人、人口流入が22,8万人に達し、労働力の送り出し地域となった2。吉林省の人口移動 は、同じ送り出し地域である四川、河南、安徽省などに比べて、国内移動の規模は大きく ない。しかし、その海外への移動の規模が令国に占める比率は、1990−2000年に1.2%から
10.7%へと大幅に増加し、令国の順位も10位から2位に上昇して、福建省に次いで海外へ の移動が活発な地域となった。プッシュープル理論によれば、人口移動あるいは労働力移 動は、送り出し地域と受け入れ地域の相互作用の結果である。歴史的にみると、1970年代 未まで、吉林省は人口移動の純愛け入れ地域であった。しかし、中国の経済体制改革以後 は、旧工業区にあった多様な問題が吉林省の労働力流出の重要な要因となった。特に、1990 年代の国有企業改革以後、吉林省の労働力流出は一層加速化した。一方、民族別人口増加 率をみると、1990−2000年に、全国の漢族の人口増加率は11%、少数民族は16%である。
しかし、吉林省の場合、漢族は12%と全国平均並みであるが、少数民族はマイナス2%とな り、全国の少数民族の人口増加率と比べて18ポイントも低い3。少数民族の中でも、朝鮮 族の人口減少問題が目立っている。
中国の労働市場における労働力移動を考える際には、他の国には見られない特殊な条件を 考慮する必要がある。1つには、中国は多くの地域からなっており、地域によって状況が 大きく異なる。したがって、中国の労働力移動の研究を行う場合には、単に中国全体をみ るだけではなく、地域に焦点を当てた研究が必要となる。もう1つには、多民族国家であ
るために、民族によって移動パターンが炎なり、民族ごとの経済・社会状況によって、移 動の決定要因も異なる可能性がある。したがって、地域労働力移動に焦点を当てるだけで はなく、多民族から構成されている中国の民族別の労働力移動に対しても、焦点を当てる 研究が必要である。1990年代から、中国の人口・労働力移動に関する研究が活発になって いるが、後者のように、民族に焦一点を当てた労働力移動に関する研究は稀有である。特に、
少数民族の労働力移動に関する詳細なデータを入手することは困難である。またアンケー ト調査に基づいたミクロデータによる民族別労働力移動に関する比較研究も、ほとんど見 られない。
本章の目的は、このような問題意識に基づき、アンケート調査のデータを使って、漢族と 少数民族の移動パターンを比較し、漢族と少数民族の労働力移動の決定票囚に関する計量 分析を通して、民族別の移動確率の推計のみならず、移動に影響を与える異なる要因から、
民族別の経済格差、ネットワークの存在、送金の状況などを明らかにすることである。そ のため、2009年2月に、吉林省の8地域20県市(少数民族集居地である延辺朝鮮族自治州と 伊通満族白治県を含む)の都市部住民1300人を対象にアンケート調査を行った。
本章の第1節では、本研究の問題意識を提起し、中国民族別労働力移動の全体像から、
民族による移動の特徴を明らかにする。第2節では、人口・労働力移動に関する経済理論 と地域問移動モデルに基づき、複数の仮説を示す。第3節では、データを説明する。第4 節では、漢族と朝鮮族、満州族(中国語での名称は「満族」)の移動パターンを比較して、
異なる傾向を明らかにする一方、都市部労働力移動の民族別決定要因をロシットモデルを 利用して計量的に分析する。
6■. 問題意識と今までの先行研究
人的資本理論の考えによれば、労働力移動は便益の最大化と費用の最小化を同時に求め る合理的な経済人が費用・便益の損得を勘定して移動した個々人の単なる集計である。そ れに伴って、労働力は賃金の低い地域あるいは部門から高い地域あるいは部門に移動する。
地域間に人的資本への報酬が異なるのであれば、人々は低い報酬率の場所から高い報酬率 の場所へと移動する。その結果、地域固の賃金格差が縮小していく。しかし、中国では、
その格差が一時縮小する傾向もあったが、全体的には拡大している。ハリスニトグロの人 口移動モデル(Todaro,1994)は、賃金格差以外に、移動先で雇用を得られる確率、失業
卒、移動者の属性、移動費用を考慮した移動モデルを提起した。しかし、このモデルは、
労働力移動が持続し拡大するメカニズムを説明するのに優れているが、移動者の属性に関 する具体的分析まで当たっていない。特に、多民族国である中国の労働力移動は複雑で、
主に期待賃金格差以外に民族性、すなわちエスニシティも労働力移動に大きな影響を与え ると考えられる。しかし、中国国内の研究では、民族性の影響について人口学、民族学、
社会学的アプローチからの分析が主流であり、経済学的アプローチからの分析あるいはミ クロデータによる計量分析は十分行われてこなかった。今までの民族別移動に関する研究 を二つのカテゴリーに分類することができる。
一つは、中国人口センサス資料などマクロデータによる研究である。代表的研究として、
張・曾(2005)の2000年人口センサス資料による研究が挙げられる。中国の民族別人口分 布をみると、漢族が主に東部沿海地域に、少数民族が西部辺境地域に分布している。多く の少数民族は、農業人口の割合が高く、都市化水準も低い。その中、朝鮮族、満州族など 数少ない少数民族の農業人口の割合は低く、都市化水準も漢族と他の少数民族より高い。
少数民族の人口移動率…は、増加傾向があるが、漢族と比べて、人口移動率と省間移動率が 低く、その分布も特定の地域に集中している。また、少数民族の中でも、その移動の特徴 が異なる。全体的にみると、朝鮮族、回族、モンゴル族、満州族の移動率が相対的に高く、
海外への移動の場合、朝鮮族、回族、苗族の移動率が高い4。最後に、少数民族の場合、
農村部と比べて、都市部の移動率が高く、漢族と比べて、祉会的要因が経済的要因より重 要である。また、同じ資料による研究では、少数民族地域の人口移動は、若年層の移動が 多く、移動が15〜35歳の年齢に集中し、女性の出稼ぎは少ないが、婚姻による移動の割合 が高く、教育水準が高いほど、移動する傾向が強く、社会地位が低い非正規労働者ほど、
移動する傾向が強い(曹、2007)。近年、少数民族の人口移動は大幅に増加している。し かし、歴史的、地理的、社会的など要因で、移動率は依然として漢族より低い。女性の場 合、漢族女性の省内、省問移動率は、それぞれ8.7%、2.8%であったが、少数民族の女性は それぞれ7.2%と1.8%で、全体として漢族女性のそれらより低い。しかし、少数民族の中、
都市化水準と教育水準が高い朝鮮族、モンゴル族、満州族の移動率は漢族より高い。移動 要因においても、漢族と少数民族との間に大きな相違が現れ、漢族の女性は就労と商売の
目的の移動が多く、少数民族の女性は婚姻による移動が多い(陸、2009)。
もう一つは、アンケート調査などミクロデータによる研究である。農村から都市への移 動の場合、漢族と比べて、少数民族の労働力移動率が低い。その中、苗族と壮族の移動率
は、漢族の平均より高く、擁族、満州族、回族、ウイグル族の移動率は、漢族のそれより 低く、 「固守家園」 (ずっと故郷にいる)の選好がある。また、漢族と比べ、平均地理条 件が悪く、平均教育水準も低い。したがって、相対的に閉塞した生活環境と低い教育水準 は、少数民族の移動にマイナスの影響を与える。農村部所得が高いほど、出稼ぎする傾向 が強くなく、所在省の都市部所得が高いほど、農村労働力がよく移動し、山地に比べ、平 原地区と丘陵地区で暮らす農村労働力がよく移動する(丁賛、2006)。西部地域の少数民 族の「農民工」は、漢族と比べて、就業機会が少なく、仕事が不安定で収入などが少ない。
チベット族の場合、教育水準が低く、それが漢族との所得格差の重要な要因となっている。
また、牧業に従事するモンゴル族の場合、同じ地域の漢族の農民と比べて、出稼ぎする傾 向が強い(馬、2009)。農村部のウイグル族の労働力移動の決定要因として、世帯数、低 所得および学生数が重要な影響を与えるが、教育水準、年齢、一人当たり耕地面積および 性別はあまり影響を与えない(楊等、2009)。そこで、ミクロデータによる研究は、農村 から都市への移動が中心になって、都市から都市への民族別移動の研究が十分ではない。
6−2. 仮説と実証モデル
中国都市部労働力移動の決定票囚を民族別に分析するため、過去の人口・労働力移動に 関する経済理論と中国における地域問移動の実証研究をもとに,以下の仮説を提起する。
仮説1:移動パターンは、民族の経済・祉会状況によって異なる傾向がある。漢族と満 州族は、一般的に国内を中心に移動するが、朝鮮族は「コリアン・ネットワーク」の形成、
海外送金などによって海外を中心に移動する。都市部の労働力が移動を行うか否かは、労 働者がもつ民族の属性によって、その決定要因も異なる。朝鮮族の場合、韓国系企業の中 国進出や国際結婚などを通じて先に移動した友人・親族のネットワークによって、移動先 で仕事が見つかる可能性が高いために、漢族と比べて、移動する可能性が高い。満州族の 場合、漢族と比べて、友人・親族のネットワークが形成されていないが6、移動経験と高 い教育水準によって、再び移動する可能性が高い。
仮説2:人的資本理論によれば、若年者、高学歴者、特殊な技能を持つ者であるほど、
移動しやすい。したがって、都市部の労働力が移動を行うか否かは、年齢、教育年数など の人的資本あるいは個人属性の影響を受けると考えられる。もちろん、性別、婚姻状況な ども移動に重要な影響を与えると考えられる。