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三、ワキの解釈をめぐって

ドキュメント内 野上豊一郎の能楽研究 (ページ 50-54)

前述のように、野上のシテ一人主義は、「木偶」のように座っている「見物人の代表者」と形容されるワキに注目が集まる嫌いがある。その証拠に、この論の発表後の諸氏の反応は、主にワキについてである。【本位】は学術雑誌に掲載されたものなので、能楽関係者の目に触れなかったためだろうか、これに対する批評は皆無である。しかし、『能  研究と発見』刊行後は、【主義】への批評が散見できる。例えば野村八良は「野上豊一郎君の新著「能」を讀んで」(『謡曲界』三二巻五号、一九三〇年五月)という稿で、「主役一人主義の論は、能の仕組は、大体に於てシテの独舞台で、ワキは対立者といふ程のポジションを持たず、寧ろ観衆側の一人であるやうな観があるといふ見解から成つてゐる」と、「能の主役一人主義」の論文がワキの定義が中心であるかのように要約している。野村は野上の主張に対して賛成も反対もしていないが、この論文に対して注目していたのがワキの解釈であるのは明らかである。そもそも野村は「ワキの論を本誌に寄せて、少々之を議論した事もあつた」と別稿に自身の考えを示しているように、ワキの存在に興味を持っていた。この別稿が「ワキに就いて」(『謡曲界』二十一巻五号、一九二七年十一月)であるが、野村はこの稿で「幽玄荘重な能楽の代表作では、ワキ役がほんの添役であること、而も演劇味の加つた作では、それとはかなり相違ある事」を指摘している。意見の前半はかなり佐成・野上説に接近しているが、後述するように後半は野上のそれとは異なる立場である。また同じ漱石門下である小宮豊隆は野上説に対して批判的な反応を示しているが(「 

の『」『号、、やはり注視しているのはワキの論なのである。小宮は「能はシテ一人だけを見ることを本體とする藝術である、ワキはいはゞ見物人の代表者のやうなものであるにすぎない、従つて能は戲曲ではないといふのが野上の説である」とまとめているように、「能は戯曲ではない」という野上論の結末を支えているのが、「ワキは見物人の代表」という解釈であると捉えている。小宮はそう解釈の上で、能がいかに戯曲的であるかという反論を展開しているわけだが、その手法はワキがシテと相並ぶ存在であり、ワキがいるからこそ能の物語が進行すること、能がそもそもシテワキ二元制度の上に成立している芸能であることを強調することであった。すなわち、小宮の反論もまたワキの解釈をめぐるものなのである。野上はキャッチコピー的な表現が上手な研究者であった。「木偶」「見物人の代表者」などの言葉は非常に鮮烈であり、刺激的であるため、どうしてもシテ一人主義の論はワキの解釈に目が向かいがちである。しかし、野上が強調したかったのはワキが不必要な存在であるということではなく、能は「シテ一人で演ずる」(【本位】)芸能だという点であったはずである。猿楽の能の源流である猿楽の代表的な芸が物まねであったこと、世阿弥はその物まねを大和猿楽の芸として重要視していたことを指摘し、能の演技が一人芸である物まねから発展したため、本来的に役同士の対立がほとんどないことを根拠としているのである。さらに、その物まねは決して写実的なものではなく、「心根」に基づく内向性に演技の特徴があり、加えてそれを見るだけではなく、聞くという点に能の特質があるということを主張しているのである。劇とは二者以上の対立からなると考える野上は、こうした考察を通して能は戯曲的でなく、シテ中心とした芸であるという結論に達する。「ワキが見物人の代表者」という見方は、あくまでもこの考察の過程に生まれた副産物的見解であり、ここだけを取り上げて【本位】【主義】を論じることは野上に対してフェアではないだろう。そしてより大切なのは、野上は「シテ中心の芸」という論理がすべての能に通貫していると考えていたことである。すなわち、シテ一人主義は「土偶」のように座っているワキ僧だけの問題ではないのである。その証拠に、

野上が注目したのは夢幻能のワキだけではない。例えば「景清」などにも注目し、「ワキ、ツレ、トモ等しく各自の存在を抛棄して、いつしか見物人となつて舞台の片隅に消滅してしまふのである」と、シテ

ワキの対応だけではない多焦点の曲でも、能はすべてシテの演技のみが際立つ構造を持っていることを強調しているのである。そのことは『能  研究と発見』に所収されている「子方の舞台的効果」「能の戯曲的傾向」が、【主義】と一体であることからもわかる。前掲したように、【本位】から【主義】への改訂で最も大きく変化したのは、子方に関する論で、【本位】は論文末に「特殊」な子方に関する論も含むが、それは増補改訂されて「子方の舞台的効果」として『能  研究と発見』に所収されている。野上が『能  研究と発見』刊行に際してこのように【本位】を再構成したのは、子方の存在意義を論じることで、シテ一人主義の考えを補強しようとしたためだと推測される。野上は「特殊」な子方、すなわち成人役を子方が演ずる場合を論じ、「ワキも子方も、動作の精神に於いては主演者に対抗して働きかけて侵すものでないことは同様である」とし、最終的には「その役を省略することが理想」だと解釈している。「船弁慶」や「安宅」は、能の中では起伏に富む構成や役同士の深い対立関係をもつ曲と評価されることが多いが、野上はこれらもシテ一人主義の原則の上に立脚していると見ているのである。この見解は、少々極端であると思うが、野上はこの論によって、能のシテ一人主義が「安宅」「船弁慶」といった曲にさえも貫いていることを強調しようとしたのである。野上は「安宅」のような曲について、【本位】では「後の変遷を示すもので、決して能の本体ではない」と言い、【主義】では「現在物は厳正な字義での能ではない」とさえ言っている。しかし、それは【主義】を夢幻能形式の議論に絞るためであったようで、現在能を議論の外に追いやることはしなかった。むしろこうした曲を能の「本体」と積極的に結びつけようとしていた。「能の戯曲的傾向」は『は【主義】の考察から洩れた多人数が登場する能の分析であるが、これらのワキは「次第にシテに対立し、遂にシテを侵して、

自分で主演者の如く振舞ふまでに成長した」が、結局「主演者になりきれなかった」と、能の変遷と関わらせて解釈しているのである。野上が「能の戯曲的傾向」が【主義】と一体と考えていたことは、次の歴史学者・野々村戒三との遣り取りからも読み取れる。野々村は「脇方の発生と其の伝統」(『近畿能楽記』大岡山書店、一九三三年)の中で【主義】の一節を引き、「本質の問題としては、一応肯かれる議論である。然し舞台の上に演奏される形式としては、やはり対立的にものとして、之を観るのが常識であり、穏当ではあるまいか。」と述べていることに対して、野上は、「私は本質論をしたのであつて、ワキがシテに対立するまあひについては、次の「能の戲曲的傾向」において委しく論及している。それをついでに読んでもらへなかつたのは遺憾である。」(「」『 十月六日朝刊)と反論しているのである。このように、野上は能の特質を捉えようとするとき、いわゆる「普通の能」だけではなく、「安宅」「接待」のような曲も念頭に置いていた。能の知らない人にも理解できるように、夢幻能と「芝居」のような能を一つの線で繋げることを試みていたのである。『能  研究と発見』に所収されている各論をシテ一人主義研究と捉えるのであれば、野上がこれらの研究で明らかにしたかったのは、ワキが「観客の代表」であることを明らかにすることではなく、「安宅」のような曲も夢幻能形式と同じ能の論理が貫いていることであったと推測される。以上のことを踏まえると、野上と佐成の考えの相違点がはっきりする。佐成はシテ以外が活躍する現在能を能の発達したかたちと位置づけながら、夢幻能とは分別して捉えようといるところがある。そのため、夢幻能でのワキは「贅物」に過ぎないと見ているが、そこから「発達」したワキ能では、シテと対等な存在となっていると考えている。つまり、シテ一人主義の能が、徐々にワキにも焦点をあてるような表現の多様性をもつようになったと考えているのである。この考察には、シテ能とワキ能には歴史的分断が存在するように読み取れる。それに対して、野上はあらゆる能に「シテ一人主義」が存在していると考えおり、それは「安宅」のようなワキが活躍

ドキュメント内 野上豊一郎の能楽研究 (ページ 50-54)