学 会 実 報
くさんの会員が集った︒
︹研究発表︺
講堂において午前十時から午前三時まで︑左記九氏の研究発
表が行われた︒反響が大きく盛りあがりのある充実した内容で
あっ
た︒
発表題目と発表者
1︑薩摩藩の封建制度と真宗禁制
ー疑心暗鬼の醸成
l
︵鹿
児島
県立
短大
﹀ 2︑ 親 鷺 の 聞 い
︵ 大 谷 大 学
︶ 3︑﹃正信念仏偽﹄の﹁己能﹂について
︵同
朋大
学︶
4︑親驚と海夫︵大阪府立今宮工業高校﹀5
︑ 信 の 研 究
︵ 仏 光 寺 派
︶
6︑
親 驚 父 系 の 研 究
︵ 高 田 学 会
︶
7︑﹁キヌ袈裟﹂と﹁織物袈裟﹂︵本願寺派﹀8
︑ 教 行 信 証 の 教 行 関 係 国
︵ 大 谷 派
﹀
9︑親驚と蓮如の信仰構造について
︵武蔵野女子大学︶山崎龍明氏
研究発表終了後︑引続いて講堂にて左記の記念講演を開催し
た︒なお桐渓順忍氏の講演は都合により総会の後で行われた︒
飯 星山 野
元貞氏
等氏
藤 西 畑 花 河 浜
谷 川 井 田 田
耕生氏光夫氏
性寛氏
龍英氏自
前一
氏
大円氏
東 関 流 寓 大 谷 大 学 名 誉 教 授
如来と等しについて本願寺派勧学寮頭
ー主として一益法門をめぐって
l
藤 島 達 朗 氏 桐 渓 順 忍 氏
一六
︹会員総会︺
引続いて講堂にて会員総会を開催した︒司会は長安理事で︑
次第は次の通りである︒
一︑開会の辞︵川瀬理事﹀
一︑理事長挨拶︵千葉理事長︶
一︑築地別院輪番挨拶
会場別院の代表として︑有馬清雄輪番が所用のため︑武
田智徳副輪番・東京教務所長から御挨拶を頂戴した︒
一︑来賓祝辞
高田派門主狼下より御来賓を代表しての祝辞を賜った︒
議 事
一︑座長推挙
推薦により参与石田充之氏︵寵谷大学名誉教授︶が座長
に推
挙さ
れた
︒
一︑昭和五十七年度会務・会計報告
山崎理事より昭和五十七年度の会務・会計について報告
があり︑会務の了承︑会計決算の承認がなされた︒
一︑昭和五十八年度予算案審議
山崎理事より昭和五十八年度予算案について説明があ
り︑審議の結果︑全会一致で原案通り承認された︒
一︑学会費改定の件
山崎理事より学会運営の現状および将来の見通しのうえ
から︑昭和五十九年度よりの学会費を現行の二千円から二
千五百円に改める発議がなされた︒しかし出席会員からむ
しろ三千円にするべしとの意見が出され満場一致で決議さ
れた
︒
一︑第十四回木辺門主奨学賞受賞者発表並びに授与式第十四回木辺門主奨学賞は︑前年度大会における研究発
表者中より規程に従って選考の結果︑大谷大学木場明士山氏に贈られる旨の発表があり︑千葉理事長より同氏に奨学金
五万
円が
伝達
授与
され
た︒
一︑理事長および役員一部交替の件
千葉理事長の穏谷大学長就任および理事長辞任に伴い︑信楽理事が理事長に選出された︒任期は千葉理事長の残り
分一年である︒また千葉前理事長は参与に推挙された︒
一︑次年度三十一回大会会場の件長安理事より次年度三十一回大会を仏光寺派本山にて︑
昭和五十九年五月中に開催する旨の報告があり︑続いて総
会列席中の仏光寺派総長殿より︑受け入れの御挨拶をいた
だい
た︒
一︑
閉会
の辞
︵川
瀬理
事︶
︹本
堂参
拝︺
記念講演︑総会の終了後︑本堂参拝を行った︵導師千葉理事
長︶︒引続いて本堂にて記念撮影を行い︑懇親会場へと向かっ
︹ た ︒ 懇 親 会
︺
午後六時より︑レストラン﹁エスカルゴ﹂︵中央区築地41
1︑東劇ビル泊四階﹀にて懇親会が関かれた︒高田派および輿正
学 会 委 報
派門主狼下をはじめ︑一二十九名が出席した︒北海道から九州に至る全国各地の会員が集い︑信楽理事の司会のもと︑なごやか
で楽しい会食であった︒午後七時半頃︑散会した︒
︿第二日﹀五月二十九日︿日﹀
︹聖
跡巡
拝︺
築地別院玄関前に参加者四十六名が集合し︑予定通り午前八
時半に貸切パスにて出発した︒あいにく小雨模様であったが︑次第に雨はあがった︒まず港区元麻布の善福寺を訪ずれ︑開基
了海坐像をはじめ︑石山合戦旗︑古文書等︑貴重な寺宝を拝見した︒御住職以下の懇切なおもてなしをうけ︑湯茶︑御菓子の
接待をも添くした︒ついで東北自動道を通り︑埼玉県蓮田市の真仏報恩塔へ参り︑さらに宗祖の=一部経千部読議の旧跡である佐貫の地を見︑群馬県板倉の宝福寺へ向かった︒宝福寺では性
信房坐像を拝見し︑同地の公民館で板倉町史編さん室長官田茂氏から関東における宗祖の足跡について拝聴した︒弁当の手配
が思うように出来ず︑一同空腹をこらえて︑ようやく佐野のサービスエリアで遅い昼食をすませ︑栃木市惣社の室ノ八島︑つ
いで下野国分寺と宗祖の伝絵に掲載される地を巡り︑さらに日本三戒壇の一である薬師寺︑かつて薬師寺に左遷された道鏡の
墓と伝えられる塚を訪れた︒午後五時︑予定通り東北新幹線小山駅で一同満足感にみちて解散した︒次に︑聖跡巡拝の解説を
担当
して
いた
だい
た平
松理
事の
解説
書を
恒向
ける
︒
善福寺港区元麻布一
l
六本願寺派寺伝によれば︑弘法大師が開基し︑鎌倉時代了海によって中
一六
学 会 実 報
二ハ
四 石山合戦所用旗
興されたという︒了海は左大臣信実の子などと伝えられる武
蔵国荒木門徒源海の門弟︒その門下に誓海があり︑明光・了
源と相承して︑仏光寺教団を形成することになる︒
当寺に安置する了海坐像は鎌倉末期の製作と見られる秀れ
た尚像彫刻で︑﹃大谷遺跡録﹄などによると︑江戸時代には
毎年十一月一二日にこの像を盤に入れて湯を以て洗い濯ぐと共
に︑参詣する人に︑湖沼をふるまい︑境内で相撲をとらせたと
いう︒当寺が本願寺教団に属することになった時期は明確で
ないが︑石山合戦には本願寺の一翼となって奮戦したよう
で︑当寺宝物にはそれにまつわるものが多い︒
石 山 合 戦 所 用 旗 一 流 本 願 寺 顕 如 書 状 一 通 同右添状︵下関頼龍書状︶一通 本 願 寺 教 如 書 状 一 二 通 北 条
︵ 小 田 原
︶ 氏 朱 印 状 一 通 豊 臣 秀 吉 朱 印 状 一 通
真仏報恩塔崎玉県蓮田市馬伏墓地内
真仏報恩塔
地上高約四m︑幅︵下部︶七九m︑厚さ一五mの緑泥片岩で作られた板碑︒上端を三角形に尖らせた下に二条の横線を
刻むなど︑形状はほぼ通規のもの︒中央に﹁南無阿弥陀仏﹂
と薬研彫りする名号の書体はやや特異で︑時宗の影響が見ら
れる
︒下
方に
﹁報
恩真
仏法
師︑
延慶
四耕
一一
一月
八日
峨︑
大発
主
釈唯際﹂︑背面に﹁銭己上約五十賞﹂の銘文を陰刻している︒真仏は高間専修寺第二世で︑性信と並んで︑聖人直弟中の最
右翼とされ︑正嘉二年︵一二五人︶ゴ一月八日に残した︒延慶四
年︵
一一
一一
一一
︶一
二月
八日
はそ
の五
四年
目の
命日
に相
当す
る︒
唯
願は﹁門侭交名牒﹂の中の真仏門下に﹁常降国唯願﹂と現われ
る人
物で
あろ
う︒
んr蹴群馬県邑楽郡明和村大宇佐貫
建保
二年
︵一
二一
四︶
聖人
四十
二歳
の時
︑一
一一
部経
の千
部読
諦
を思い立ったが︑きびしい内省の結果︑これを中止して常陸へ
向った地︒恵信尼消息第五通に︑﹁しんれんばうの四のとき︑
むさしのくにやらん︑かんづけのくにやらん︑さぬきと申ところにて︑よみはじめて四五日ばかりありて︑思かへして︑よま
せ給はで︑ひたちへはおはしまして候しなり﹂と記されている︒この地は︑当時は利根川中流の中洲に位置し︑交通上本要衝にあたっていた︑と思われる︒
安福寺群馬県邑楽郡板倉町大字板倉聖徳太子の草創と伝え︑新義真言直前豊山派に属する︒性信房
が当地に来て︑大蛇を退治し︑水害から救った︑との寺伝があ
性信坐像︵県文﹀は寄木造内割︑鎌倉時代の製作で︑胎内に る ︒
次の
墨書
銘が
ある
︒
︵膝
裏﹀
上野国佐貫庄板倉法福寺先師横曽ネ性信上人御影︑第一二度御
彩色
畢︑
一言
凪之
時口
口延
たと
れ一
一一
一月
十八
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為御
師口
口口
仏菩提
学 会 会 報
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