資本蓄積率gは, (6)より,
を満たすように決められなければならない. (図5参照)
しかしながら,生産設備が私的排他的に所有きれている資本制経済では,個別 資本に対し資本蓄積率をこの望ましい水準に計画ないし誘導することは一般に困
図5 0<σくlのケース YIY
B.,D(g
,
)K〆D(go)K
な
φ(K)K
,
K最初.(Ko・go)のとき市場l:l:点Eで均衡 しているとする。 g,>goなる蓄積が行 なわれると.生産能力はK。からKdこ移
行し,潜在生産量Y*li点Aの高きとな る。他方.g,の蓄積によって勾配はD (go)くD(g,)となり,有効需要は点Bの 高きとなる。従って.市場はBAの分だ け超過需要状態となる。
難である.従って潜在生産量と有効需要の水準を事前的・計画的に一致させるこ とはできない.そして,個別資本が任意に資本蓄積率gおよびG(g)
>
0を実行す るとすれば,資本設備は(2)より, k(g)のテンポで,潜在生産量Y事は(14)より, σk (g)のテンポで増大してゆく.他方,有効需要の水準Dは(13)より, k(g) +εG(g)の テンポで増大する.従って,両者は, σ=1 +{εG(g)/k (g)}という特殊な場含を除けば一致する ことはない
0<σ< 1 +{εG(g) /k(g)}のケースでは常に, σk(g)<k(g) +εG(g),すな わち,
潜在生産量の増大テンポ<有効需要の増大テンポ
となり,稼働率は増大する.逆に, 1 +{εG (g) /k (g) } <σのケースでは,
潜在生産量の増大テンポ>有効需要の増大テンポ となって,稼働率は低下する.
もし, σが十分大なることが寡占経済の特徹を反映しているとするならば,潜在 生産量の増大テンポは有効需要の増大テンポを上回り,従って稼働率は下方への 累積運動が生じ易いと言える.すなわち,寡占経済は停滞的な構造的特質をもっ 可能性が高い.
きらに,資本制経済のもとでは,一旦発生したマクロ的不均衡は容易に調整さ れえない性質をもっている.例えば有効需要の増大テンポが潜在生産量の増大テ ンポを上回っているとしよう.均衡成長の状態に近づけるためには有効需要の削 減か生産能力の増強かのどちらか,または両方が必要である.しかし,有効需要 の削減のためにはgの削減が必要で、あり,他方,生産能力の増強のためにはgの増 大が必要である.そしてこの場合,個別資本の立場から見れば投資の削減は極め て困難である.なぜなら市場では品不足が生じており,設備投資の削減は一層の 品不足を引き起こす原因となることは明かである.また,個別資本聞のシェア争 いの存在は容易に適正水準以上の投資を強要するであろう.こうして資本蓄積の 矛盾した性格と個別資本による投資の私的決定,個別資本聞の生産シェアをめぐ
る競争関係の存在が,一旦生じた不均衡をますます拡大させてゆくのである.
ところで,資本蓄積の矛盾した性格は何故生じたのだろうか.それは資本制経
済においては,資本の蓄積が生産能力ばかりでなく,総需要の規定者となってい るからである.では,資本蓄積がいわゆる「乗数過程」を通じて総需要の規定者 となるのはどの様な根拠に基づいているのか.それはまずなによりも今期の生産 量を総需要が飲み込むためには,今期の消費需要だけでは決定的に不足している
ということによる.すなわち,もし 純売上高 py=人件費
wN
なる関係が成り立てば,
純売上高 pyニ労働者消費需要
wN
となり,仮に投資がゼロであっても,マクロ的不均衡は生じない.ところが,
純売上高 py=人件費
wN+
正の利潤 なる関係の中では,必ず,(
1
) 8
純売上高pY>
労働者消費需要wN
となって,労働者の社会的消費需要だけでは純生産物を実現することができない のである.これはマルクスによって「生産と消費の矛盾」と呼ばれたものであ
2 .
また,次のように言うこともできる.もし労働生産物Yがすべて労働者のもの
9) I生産と消費の矛盾」とは, 7ルクスによれば次のように説明きれている.I全社会がただ産 業資本家と賃金労働者だけで構成されているものと考えてみよう.…そうすれば,恐慌は,た だ,いろいろな部門の生産の不均衡からのみ,また,資本家たち自身の消費と彼らの蓄積との あいだの不均衡からのみ,説明できるものであろう.しかし,実際には,生産に投下されてい る資本の補墳の大きな部分は,生産的で、ない諸階級の消費能力にかかっているのである.他 方,労働者の消費能力は,一方でいは労貨の諸法則によって制限きれており,また一方では,労 働者は資本家階級のために利潤をあげるように充用きれうるかぎりでしか充用きれないとい うことによって制限されている.すべての現実の恐慌の究極の原因は,やはり,資本主義的生 産の衝動に対比しての大衆の窮乏と消費制限なのであって,この衝動は,まるでただ社会の絶 対的消費能力だけが生産力の限界をなしているかのように生産力を発揮させようとするので あるJ(マルクス [61]第5分 冊p.618).I社会の消費力は…敵対的な分配関係を基礎とする消 費力によって規定されている….社会の消費カは,さらに蓄積への欲求によって,すなわち資 本の増大と拡大された規模での剰余価値生産とへの欲求によって,制限されている.…それだ から,市場は絶えず拡大されなければならないのであり,…内的な矛盾が生産の外的な場面の 拡大によって解決を求めるのである.ところが,生産力が発展すればするほど,ますますそれ は消費関係が立脚する狭い基礎と矛盾してくるJ(向上書第4分 冊p.307).
となり (Y=RN),彼らが自己の全所得を個人的消費と社会的投資に回すことが可 能ならば,常に生産と消費は一致し,マクロ的不均衡は生じない.実際,
l=sRN (sは労働者の実質所得からの貯蓄率) C= (l‑s)RN
ならば,
Y=C+I= (l‑s)RN +sRN=RN となり,マクロ的不均衡は生じない.
さらに,次のように言うこともできる.資本蓄積が総需要の規定者となるのは,
「乗数効果」が1より大であるからである. 1より大なる乗数効果が生じるため には
Y=RN +1= (R/lp)Y+1
より,乗数=1/( l‑R/lp)であるから,
(19) 0 <R<lp とならねばならない.
この条件(19)は, (18)と同一であり,結局,
r
利潤存在」と「労働者消費の狭陸性」と
r
1より大なる乗数効果の存在」とは同ーの内容を言い替えたものに過ぎない ことが分かる.結局,蓄積需要の総需要規定的性格は,実に資本制的生産関係の根幹に深〈根 ざしたものと言わなければならない. (図6参照)
最後に,次のことを指摘しておこう.既に見たように,不安定性の存在は資本 制経済に固有の構造的特質,特殊な生産関係に根
ざしたものであるが,そのことを理解しただけで はまだ不安定性の可能性を一般的・抽象的に理解 しただけに過ぎない,と言うことである.すなわ ち,不安定性が到るところで発生しうることを認 めたとしても,それが緩和きれたり,その発現を 遅らせたりすることが容易に可能で、あるならば,
資本制経済にとって不安定性は何等重大な問題で はなくなってしまうことは明かである.例えば,
図6
│資本制経済の不安定性│
ユ 工
投資の総需要規定的性格 仲 投 資 乗 数 >1
件 「生産と消費の矛盾J 持労働者の消費の狭隆性 特 利 潤 の 存 在
件 搾 取 関 係 の 存 在
地球が死滅することは大変困ったことであるとしても,それが50年後 1万年後,
50億年後に生じる場合には,それぞれの死滅のもつ意味はカゃラリと変わってしま うであろう.これと同様に,不安定性の問題にとっては,その可能性を一般的に 認識するに留まらず,どの様な,またどの程度の不安定性が,どの様にして生じ るか,そしてそれはどの程度に制御可能なのか…といった不安定性の現実的発現 過程ないし累積過程を実態に即して適切にモデル化し,その制御可能性を検討す ることの方がはるかに重要で、ある.そして経済の寡占化と国家の介入はこうした 不安定性の発現過程に新たな困難と可能性を共にもたらしていると考えられるの である.