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1 『考察』の問題意識の展開

第一次世界大戦という世界史の一大転換点はドイツにとっては、マンが『考察』で力 説していたように、まさに祖国の「危急存亡の時」であった。戦争が十九世紀の非政治的文 化を擁護するための必然的防衛行為であり、さらには文化の新しい創造のための跳躍台とな るよう、当時のドイツの知識人の大部分が期待していたことについては、先述しておいたと おりである。しかしながら、このドイツ特有のロマンティシズムは敗戦によって無残にも裏 切られ打ち砕かれてしまった。運命の女神モイラはドイツを「ヴァイマル時代」という混沌 の巷に、やがては「ナチズム時代」という前代未聞の破局に突き落とした。敗戦はドイツ史 上最大の悲劇の幕開けとなっていた。敗戦によって決定化したのは、文化の時代であった十 九世紀の全面的崩壊であった。したがって戦後は、マンの芸術と人生の新たな「危急存亡の 時」となっていた。マンは『考察』の著者として戦後という未知の危機の時代と対決しなけ ればならなかった。『考察』の問題意識は激動の新時代に密着しながらどのような屈折と展 開を示しはじめたであろうか、先ず重点的に観察していくことにしたい。

[本書の序論で指摘してきたところであるが、「詩人と思索家の国」ドイツは近世において

も旧態以前たる分裂状態にあり、様々な前近代的残滓を払拭しきっていなかった。ドイツほ ど文化と政治の足並が揃わぬ国はない。革命の国フランスを手本にしてこの「非同時性の古 典的な国」(ブロッホ)を解放し、近代的な統一国家を樹立しようとする、ドイツの諸々の 革命運動がつねに挫折に終わらねばならなかった事態については、贅言を要しまい。このド イツの悲劇の痛ましさは、ライン沿岸地方のドイツのジャコバン主義者の政治運動1をはじ め、「三月革命前」の文士たちの反体制運動等、いわゆる「下からの革命」の結末を見れば、

とりわけ明らかとなる。ハイネの詩集『ドイツ―冬物語』2 やカージミル・エートシュミッ トの長編小説『ゲオルク・ビューヒナー ドイツの革命』3 などの文学作品は、「三月革命 前」の時期の反体制の知識人の苦悩と運命が如何に深刻悲痛なものであったかを物語って余 すところがない。政治面、社会面で西欧諸国に著しく遅れていたこのドイツは、統一国家を 迅速に樹立するためには、西欧諸国の場合のように「下から」ではなく「上からの近代化」

に着手しなければならなかった]。デモクラシーは文化の国ドイツの精神風土には定着しが たい政治制度であった。この後進国ドイツにおいては官僚や軍人による統治が近代において も現状にもっとも適した行政形態となっていた。そして同時に、ドイツの文化の伝統を堅持 していくためには、『考察』においてマンが力説していたところであるが、文明と進歩の精 神、すなわちデモクラシーの精神に反する、権力国家という城壁を必要としていた。だから、

敗戦後ヴァイマル憲法の精神を遵守して西欧的な議会主義を軌道に乗せようとしても、その ための社会的基盤はきわめて脆弱であった。ヴェルサイユ講和条約によって課せられた巨額 の賠償によって、国民の経済生活はつねに危胎に瀕しており、[風俗は退廃しきっていた]。

深刻化の一路を辿っていた、当時の国内の政治的・精神的混迷はナチズムの温床となり、ヴ ァイマル時代は結果的にはナチス時代の前座となっていた。「共和国は敗戦の中で生まれ、

混乱の中で生き、そして悲惨な死を遂げた」4 (ピーター・ゲイ)。このヴァイマル時代は、

ドイツ市民社会の崩壊を最終的に決定づけた戦後の混乱期、財政上の復興と国際社会での威 信回復による相対的安定期、ナチスの台頭と支配権獲得による共和国の崩壊期、これら三つ の時期にいちおう区分けすることができよう。ヴァイマル共和国の最初の時期である戦後の 混乱期と言えば、1918年から1924年に至るおよそ6年間であろう。この間ドイツ本 国は、革命、皇帝の退位、共和国の誕生、共産党の結成、バイエルン・レーテ共和国の成立 と崩壊、カップの一揆等によって左右両極の激突の坩堝と化していた。芸術家はこの混迷状 況を打開しうるドイツ精神の新たな可能性を模索し、技法上の大胆な実験を行なわねばなら なかった。当時全盛を誇っていたのは、「新しい出発」(Der neue Anbruch)を告知する表現 主義の芸術であった。二十世紀のドイツ史のもっとも重要な転換点となっていた、この時期 のマンにかんしては、1977年に封印を解かれた『日記』によって、『考察』の初版がマ ンの手許に届いた日の15日前になる、1918年1918年9月11日から1921年1 2月1日に至る日々の生活ぶりをつぶさに知ることができる。ここに浮上してくるのは、「粛 然とさせる人文主義の雄弁術を身につけている、ドイツの記念碑的師匠」5 ではない。「ヒ ポコンデリーで、神経質で、過敏で、バイセクシュアルで、孤独な、自惚強く、見栄坊、ナ ルシストである(中略)一人の問題の多い人間」6である。生臭い人間関係、ナルシズムと して表出してくる感情の振幅の大きさ、男色という倒錯現象、好き嫌いの激しさ、金銭に対 する異様な執着等、今まで一般にはそれほど知られていなかった、この大作家の裸像が、読 者の、とりわけマン文学に親炙している読者の関心をそそってやまないだろう。就中、周囲 に二重三重に張りめぐらされていた壁が崩壊し、自己の権威が傷つけられ、否定されたとき に爆発する「ナルシストの怒り」は激しい。マンが自己の芸術の本領としていたイロニーや フモールは見られない。だから、この『日記』には記録としての価値はあっても文学的価値 はない、というのが一般的評価だろう。とは言うものの、ここで正視すべき本質的問題は、

この時期は言うに及ばず、マンが毎日日記を几帳面に記していたという、事実そのものでは なかろうか。マンは『考察』のなかで「作品よりも自分の生活の方が大切だ」(12-10 5)と断言していた。マンにとっては、毎日日記を書くことは「自己弁明し、概括し、意識 化し、義務感をもって監視するという意味」(『日記』1934年2月11日)での作家の日々 の責務となっていた。したがって『日記』は、作家マンの精神史的、超個人的な部分である プロテスタント的・市民的な倫理の存在証明となっていた、と言うべきでではないか 7 。 ようやく公刊されたマンの『日記』を通読したときに先ず目を打つのは、真面目な市民のよ うに規則正しい生活態度でもって創作という自己の本職に打ち込んでいる、マンの在りし日 の姿である。マンの場合、創作のために生活を犠牲にすること自体が生活の再現となってい る。ヴァイマル時代初期のマンの『日記』も、動乱の只中においても「業績の倫理家」とし ての自己本来の生活様式を墨守してきた、マンの日々の努力を伝えて余すところがない。ク ルツケの表現を借りるならば、この「大家の内臓」8 を、就中、創作の可能性を暗中模索し て続けていたマンの腐心の足跡を、つまりマンの「産みの苦しみ」*をつぶさに知ることが

できるのは、『日記』のかけがえのない価値と言えよう。マン研究上今日必要となってきて いるのは、この『日記』を手がかりにして当時のマンの心の襞に食い入り、マンの生活と文 学の奥深い機微を読みとることではなかろうか。

この表題(Schwere Stunde)のマンの初期の短編は、シラーがゲーテにライヴァル意識を燃やして作品 を産みだすときの苦しみ、すなわち『陣痛のひととき』を素描したものである。

生活と芸術の統一を重んじる市民芸術家としての自覚に徹しようと決意するならば、マン はニーチェの「運命愛」の精神でもって激動の時代を歩みぬかなければならない。けれども、

時の推移はあまりにも目まぐるしかった。だからマンは日夜悩み続けていた。このような実 存的な意味において戦後は、マンが時代の現実にもっとも密着して生きていかなければなら ない時期となっていた。マンにとって戦後は『考察』時代に続く作家生活最大の受難と試練 の時期であった。時の政治的、社会的混沌状態は、マンが自己の芸術の究極のキーワードと していた、仲介による対立の宥和への道を閉ざそうとしていた。そのためにマンは極度の精 神不安定に悩まなければならなかった。帰趨に迷うマンの姿は痛々しい。しかしマンは、如 何に悲観的になったにせよ、作家としての自己の使命を放棄しはしなかった。自己の本性本 音で生きようと心に決めていた。自己存在の死活の危機に追い込まれていたマンが、模索と 検証を如何に執拗に続けてきたか、この保守的な作家の血のにじむような苦闘のプロセスが 日記にじかに記されている。マンという作家は、ゲオルゲ・クライスの詩人たちのように、

ドイツの精神的指導者であるという、遠大な自負を抱いてはいなかった。ボン大学文学部長 宛ての手紙のなかで告白しているように、マンは「必要に迫られて自己の生の救出と正当化 を考えているがために、人間の改善と改心について多少とも教えることのできると自惚れて いない、むしろ一人の夢想家であり懐疑家」*(11-352)にすぎなかった。マンは当 時「自己の生の救出と正当化」にそれこそ汲々としていた。だから、戦後の激変を実体験し ながらも、マンは、十九世紀の非政治的文化の最後の夕映えとなっていた、戦前のより良き 時代への郷愁と夢を捨てることができなかった。しかし同時にまた、自己の創作行為の活性 源となっていた、ドイツ市民文化の伝統の今日的可能性に対する以前からの疑念がますます 深まってくるのを否定できなかった。マンは思い切って前へ進む勇気がなかった。ディレン マの迷路から抜け出すことができなかった。しかし同時に反面、疑い迷う能力をもっていた ということは、問題を多面的かつ根底的に把握することのできる、作家としての卓越した能 力の証しと言えはしないか。過去の伝統に対する尽きせぬ追憶と共感、自己存在に対する異 様な懐疑と執着、精神の未知の世界を尋ねてやまぬ知的好奇心、これら相矛盾する心的状態 が微妙に交錯している、作家マンの生身の人間性が鮮烈に浮かび上がってくるところに、『日 記』の他にかけがえのない価値があると申したい。とりわけこの時代の日記の記述には、『フ ァウストゥス博士』のなかに取り入れられている、時局の動向と重要な問題意識が随所に点 在している。このことをここで思い起こすならば、自叙伝性こそはマンの芸術の根本特性だ ったことが、改めて確認されてきはしないか。事実マンは、詩作と体験の統一性というゲー

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