第4章 ワイン産業と会計処理
第3節 ワインの会計処理
IFRS において、葡萄は、IAS41 号により、農産物として、収穫時に公正価値評価して 差額を純利益に計上するが、後述するように、ワインは、棚卸資産として公正価値評価さ れない。
IAS41号B9項および 10項でワインは、「農業活動の論理的かつ自然な延長線上にあり
発生する事象は生物学的変化と類似している(後略)… 長い年月の熟成プロセスは生物 学的変化と類似しており、また企業の業績評価にとって重要である。」と記述されている。
また、小田(2012)の中でも、ワインは極めて農産物的特徴を有する加工品20であるに もかかわらず、砂糖やデンプン等の工業的特徴を有する農産加工食品と同様に製造原価で 評価されるべきであると考えられている、と記述されおり、農産物的特徴を有する加工品 としてのワインの会計的評価は古くて新しい問題としている。
上記から、ワインは農産物に類似しており、かつIASBにおいても農業活動の延長線上 にあるとし、企業の業績評価にとって重要としながらもIAS41号で定義する農業活動に含 まれず、IAS2 号によって取得原価で測定されるため、その妥当性について考察していき たい。
第1項 IFRSにおけるワインの会計処理
ワインは、日本基準、IFRS共に、棚卸資産として認識、測定される。IAS2号において、
棚卸資産は、通常の事業の過程において、販売を目的として保有されるもので、その販売 を目的とする生産の過程にあるものや、生産過程の原材料や貯蔵品も含むとある(7 項)。
コモディティーのブローカー、トレーダーによって保有される棚卸資産、金融商品、農産
20 ワインは、IAS41号B10b項に、ワインの熟成プロセスは生物学的変化、つまり質的な変化 を生じさせる、変性プロセス(図表11参照)に類似しており、B9項においても農業活動の延 長線上にあると記載されている事から、農産物的な特徴を有していると考えられる。一方で、
砂糖等は、熟成(製造後保有)したとしても、生物学的変化は起こらないため、農産物的な特 徴を有しているとは考えにくい。
物には適用されない(3項)。棚卸資産は、原価と正味実現可能価額21とのいずれか低い額 で測定しなければならない(9項)。
ワインは日本基準、IFRS 共に、通常の販売目的で保有する棚卸資産にあたるため、取 得原価評価される。しかし、時間の経過に伴う価値の増加(熟成工程)という特徴をみた 時に、公正価値は変動する場合が多いと考えられる。その場合、ワインを公正価値評価せ ずに、現状のまま、取得原価評価することが妥当なのであろうか。
第2項 ワインに対するIAS2号「棚卸資産」の適用事例
前述した、フランス(ユーロネクスト上場)のワイン・スピリッツメーカーの Pernod
Ricard社の2016年6月期のアニュアルレポートを例に、ワインのIAS2号の適用事例を
みていきたい。
21 正味実現可能価額とは、通常の事業の過程における見積もり売価から、完成までに要する原 価の見積額および販売に要するコストの見積額を控除した額をいう(6項)。
(棚卸資産は、原価(間接的な製造間接費を含む取得原価と製造原価、)と正味実現可能価 額のいずれか低い方の額で測定される。 正味実現可能価額は、販売価格から棚卸資産の完 成および売却に係る見積費用を差し引いたものである。 ほとんどの棚卸資産は、加重平均 原価法を用いて評価されている。 長期在庫のコストは、蒸留コストと経年変化コストを含 む単一の方法を使用して計算される。これらの棚卸資産は流動資産に分類されているが、
特定のワインや酒類については、熟成プロセスを受けるために、かなりの部分が売却まで に1年以上在庫として残っている。)
第3項 ワインの公正価値情報の有用性
第3章第2節第2項みたように、仮にワインには、随時、時価で換金できる市場があり、
換金することに事業上の制約がない場合であれば、その投資の性質は金融投資であり、そ れ自体がキャッシュフローと同等であり、そのポジションに生じた時価の変動は、実際に 換金してもしなくてもキャッシュフローと基本的に同じ性質をもつとみられ、投資の成果 は時価が与えられれば、そこでリスクから解放されて利益は確定すると考えられる。
しかし、ワインは、図表9における投資の性質を考えた時に、ワインメーカーが投資に あたって事前に期待していることは、第3章第2節第2項で論じたように、ワインの製造、
販売による対価の獲得であるので、金融投資ではなく、事業投資にあたる。熟成行程中の ワインは、随時、時価で換金できる市場がなく、換金することに事業上の制約を受ける場 合があるので22、時価評価されたとしても、評価益が実現されたとはいえないため、その 利益情報が開示された場合、投資家が意思決定する際にミスリードを招くおそれがある。
そのため、ワインを公正価値評価し、それによって計上された利益情報には有用性はない と考えられる。
しかし、ワインを公正価値評価した資産(ストック面)としての会計情報の有用性はあ るように思われる。これは、長期熟成させることによってワインの商品価値が高まる場合 が多く、企業によっては、最適な商品提供(最適な熟成環境、熟成期間による)をなすた めに、10年程度熟成させてから商品を市場に出す場合があり、その場合に、販売までに長 期間を要するため、そこには本業用の資産が、現在どれだけの資産価値を有しているのか という情報ニーズは存在するように思えるためである。IAS41号B15項においても、林業 の生物資産(森林)を公正価値評価する理由として、販売までの期間が長期に渡るためと ある。
また、企業会計基準第 20 号「賃貸等不動産の時価等の開示に関する会計基準」におい て、市場価格がない場合でも、損益計算とは離れて金融商品の時価を開示することは、財 務諸表利用者に対して有用な情報提供となるという意見も多く、事業投資としての性格が ある貸付金等においても時価を注記していること(17 項)、そのような時価の注記対象の 拡大を踏まえ、事業投資と考えられる一定の不動産についても、時価の開示に意義がある と(18項)しているように、貸付金や賃貸等不動産のように、長期保有される場合がある
22 例えば、フランスのシャンパーニュメゾンのPOL ROGERのCUVEE SIR WINSTON CHURCHILLは、10年程度熟成させてから市場に出荷する(ワイナート編集部 [2009])。顧 客に最適な飲み頃を提案し、ブランドイメージを保つために行われている。その他にも、イタ リアワインのBRUNELLO DI MONTALCINO RISERVAは、ワイン法により、5年以上の熟 成が義務付けられている(林 [1996])。
事業投資資産の時価情報の開示もニーズが増え拡大していることが伺える。
上記より、前項でみたフランスのワイン・スピリッツメーカーのPernod Ricard社(ユ ーロネクスト上場)のように、保有が1年を超える高価格帯のワインや、ウィスキー、ブ ランデー等の長期熟成可能な棚卸資産を多く(約45億ユーロ)保有している企業の場合、
企業の将来キャッシュフローを稼ぐ本業用の資産(ワインのように熟成により商品価値が 上昇することが多い資産)が、現在どれくらいの価値を有しているのかを、公正価値情報 により得たいという情報のニーズがあることが考えられる。このような長期保有される事 業用資産を公正価値により情報を開示すれば 、キャッシュを稼ぎだす源泉である棚卸資産 の状況を財務諸表に反映させることができ、将来キャッシュフローを予測する際の一助と なり、投資家が意思決定する際の有用な情報となりえる。
しかし、熟成中の未販売のワインを公正価値で測定し、その評価差額を当期純利益とし て計上した場合、ワインが販売され、その対価を受領したわけではないので、その評価差 額は実現された(投資のリスクから解放された)損益ではない。投資家は事前に、自身で 見積もった利益情報を実際に企業が公表する投資のリスクから解放された利益と対応させ 確認(確認価値)し、それによって将来の利益予測を修正(予測価値)したりして企業価 値評価に役立てているため、ワインの評価益の情報に有用性はないと考える。ワインはそ の販売が実現するまで現行の IAS2 号や日本基準のように、取得原価で評価されるべきで あろう。
販売までに長期間を要する本業用の資産が、現在どれだけの資産価値を有しているのか という情報ニーズには、注記としてワインの公正価値を情報開示すればよく、この場合、
公正価値変動額は当期純利益に反映されず、第4章第2節第3項で論じたように、利益情 報に有用性を保持したまま、その情報ニーズに応えられ、投資家により有用な情報提供が できると考える。
ワインの貸借対照表価額を公正価値評価して、公正価値変動額を当期純利益に反映しな いように、差額はその他の包括利益(OCI)とする方法も考えられる。しかし、その公正 価値は、レベル3で測定されると考えられ、実質的に、企業が自ら資産の利用から得られ ると期待する将来キャッシュフローを見積った使用価値に近いものとなる23。それは、測
23 多くの企業で、一般市場でのワインの価格は、ワインの品質に対する主観的な判断によって 決定される(Eyler, Correia [2010])。さらに、ワイン評論家等の評価も加味しながら、主観的 に価格を決めていく。