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2-1 ビショップ博物館の誕生

2-1-1 博物館誕生に係る言説とイメージの問題

Bishop Museum was founded in 1889 by Charles Reed Bishop in honor of his late wife, Princess Bernice Pauahi Bishop the last direct descendant of the royal Kamehameha family. … Princess Pauahi was originally betrothed to Prince Lot but went against her family’s wishes and married her true love Charles Reed Bishop.

(Bishop Museum official brochure 2006)

プリンセス・バニース・パウアヒ・ビショップ博物館は、1889 年にチャー ルズ・リード・ビショップによって、カメハメハ王族最後の直系血族であっ た亡き妻プリンセス・パウアヒへの追悼として設立されました。(中略)プ リンセス・パウアヒはプリンス・ロットの許婚と約されていましたが、両親 の意向に背き、チャールズ・ビショップと真実の愛を貫いて結婚したのです。

(ビショップ博物館パンフレット2006年)(日本語訳は筆者による。)

ビショップ博物館の誕生の言説は、ポリネシアのかつての王国ハワイに名高いカ メハメハ大王の直系曾孫であるプリンセスと外来の身分違いの白人青年との「真実 の愛」を語る。このラブストーリーは、ハワイにかつて存在した王朝へのノスタル ジアをかき立てながら、お伽話のようなハッピーエンドのロマンスとして、甘く高 貴なイメージを刷り込みながら来訪者をハワイアン・ホールの展示へと導く。スト ーリーは次のように続く51

…This (Kamehameha) School was established by Princess Pauahi to educate children of Hawai‘i. The Museum was meant to augment that education and instill a greater pride in their Hawaiian heritage.

カメハメハ・スクールはハワイの子供たちの教育のためにプリンセス・パウ アヒによって設立されました。ビショップ博物館の目的はその教育を補い、

ハワイアンに自らの伝統に対する強い誇りを植え付けることでした。

Princess Pauahi was designated the heir apparent to the Kingdom of Hawai‘i. but declined to take the throne so that she could devote herself to the cause of educating Hawaiian children.

プリンセス・パウアヒは王位の継承者でしたが、ハワイの子供たちの教育の

51 引用パンフレットはビショップ博物館の2006年当時のものであるが、博物館設立のストーリーの 言説は、博物館の内外で発信される様々な媒体で使われる定番のテクストである。

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礎としてその身を捧げるために王位の継承を断わりました。

(日本語訳、下線は筆者による)

ビショップ博物館の誕生に関わる言説には、このように 「愛 Love」、「王族

Royal(ty)」、「ハワイアン(の子供たち)のためfor Hawaiian (children)」という三つ

の要素が欠かせない。この3つの要素が創り出すイメージは、「愛」に象徴されるハ ワイアンと白人の融和であり、「王族」が象徴するハワイアンの誇りの保全に対して ビショップと博物館が象徴する「西洋」が担った貢献であり、王族のハワイアンへ の愛と責任、さらにはこれを代弁するビショップ博物館の自己証明である。そして、

そのような特別の立場でハワイのストーリーを保存し、伝えることのできるビショ ップ博物館の展示を見ることは来館者にとって他とは違うハワイを経験すること

(“Unique Hawaiian Experience”52)であると謳って、「ドラマチックなハワイのスト ーリーとの出逢い53」の舞台を設定するのである。

もちろんビショップ夫妻の間に忠実な愛情が育まれたこともパウアヒという王族 がハワイアンの未来に心を寄せたことも、そして博物館の存在がそれらを抜きにし ては成立しないことも事実であるに違いない。しかし、こうした言説(ストーリー)

はビショプ博物館という博物館の起源とアイデンティティをハワイアンの保護者と してのハワイ王族の意思に直結させ、これを「ドラマチック」に演出することによ り、ロマンチックで高貴なハワイアン・アイデンティティとしてすり替えている54。 まるで、同時代に生まれた欧米の博物館におけるコロニアリズムの表象、すなわち 植民地支配者が植民地化した土地や民族から剥奪した文化や歴史を所有し、陳列す るというヘゲモニーとは無縁であるかのように。この表象は、ハワイ史の語られる べきストーリーを具体的に表象せずに、館内で展開する「ドラマチック」な舞台の 上演を期待させる空白の感動を植え付けるのである。

繰り返し使われるこの言説の向こうにある、語られないことに注意を払わなくて はいけない。テクストの行間には19世紀のハワイを凌駕した社会的、経済的、政治 的コロニアリズムがハワイアンにもたらした負の歴史が隠されている。それらを注 意深く排除することによって、ビショップ博物館の自己アイデンティティとともに、

発信すべき...

ロマンチシズムに溢れたハワイ像が誘導されているように思われる55。 明るい南海と青空のハワイでポリネシアの王国史に出会う違和感は、この言説に触 れた無垢な訪問者にも素朴な疑問や驚きを見出させることは可能だ。なぜハワイ王 位の継承が困難になっていったのか。王族パウアヒが婚約を破棄してまでも白人と 恋愛結婚するというハワイ社会の背景は如何なるものか。パウアヒはなぜ王位を継 承しなかったのか。ハワイアンのための学校とはどのようなものか。ハワイの王朝 とは如何なるものか。そのハワイ王朝が現在のハワイの姿に移行するのはどんな経

52 2006年当時のビショップ博物館来館者用パンフレットの表紙に記載されているタイトル。

53 同時期の日本語のパンフレットのタイトル。

54 例えば、パウアヒが王位継承を辞退したことに関する資料は残されておらず、真意は不明である。

(Thurston Twigg-smith 1998:255)

55 しかし 2000 年当時、筆者が日々訪問者を案内したハワイアン・ホールの展示はイメージとして誘 導された「ドラマチックなハワイのストーリー」を語っていたとは言えない。

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緯か。こうした問いの全てが、ハワイを巻き込んだ近代コロニアリズムに繋がって いる。定形化した言説が導くイメージの中のハワイ像は、19世紀ハワイの歴史的経 験の表出をしなやかに回避する。本章では、序章で概観した博物館表象とコロニア リズムの歴史的関係性を踏まえて、ビショップ博物館の設立および創設期のハワイ における歴史的背景を検証し、博物館自身が創出しようとしている自己アイデンテ ィティ(イメージ)とは異なるビショップ博物館の実質的にコロニアルな性質を明 らかにしたい。

2-1-2 ハワイにおける19世紀の博物館という視点

第1章で考察した博物館系譜と特質は19世紀のハワイ社会にも確認することがで きる。すなわち19世紀末の政治的コロニアリズム(1893年の王権転覆と1898年の アメリカ併合)によるハワイ社会・経済・文化の侵食は、ハワイに生まれる博物館 という表象のコロニアリズムの系譜に重ねられる。19世紀末に未だ独立王国であっ たハワイに生まれた原始的な博物館ともいうべきSeamen’s Bethel(米国人捕鯨組合 教会)の珍品展示室やプナホウ・スクール Punahou School の標本展示室の存在は、

ハワイという限定空間の中にハワイアンの文化をポリネシアの「先住民」と呼ぶべ き「他者」として認識するまなざしが既に存在したということでもある。1866年に ハワイを訪れたマーク・トゥエインMark Twainはハワイアンの人口激減を実感して、

「ネイティブ・ハワイアンは自らの土地で珍しきものになるかもしれない (“a curiosity in his own land”)」と記したが、そのまなざしは博物館を生み出すまなざし と同質のものである。(Maxwell 1999:193)

一方では、文化を収集し表象するという視点が、単純に他者としてのハワイアン に対する西欧によってのみ創られたのではなく、ハワイアン自身が行う自己表象と しても用いられた可能性も指摘される。ビショップ博物館のミッションは根源的に は西欧のコロニアル博物館と同質でありながらも、ハワイ文化に対する一方的な略 奪や引用とは異なると言える。王族パウアヒの遺志を基礎とするビショップ博物館 誕生のストーリーに象徴されるようにハワイアンと博物館の直接、間接的な関わり が示唆されている。したがって、そこにはハワイ社会の中においても特殊な、王族

=アリイ Ali‘i56という特権階級のまなざしが存在していることも認識されなくては

ならない。例えば、カメハメハ5世の治世下でハワイ国立博物館Hawaiian National

Museum が設立されたことは、コロニアリズムの脅威に対抗する手段としてアリイ

が自ら「西洋的」な概念や手法を採り入れていったことを示している。このように、

19世紀のハワイ王国下でのハワイアンの表象は、主体となる人々の立場や背景を鑑 み、ハワイにおけるコロニアリズムの攻防のひとつの姿として捉えられるべきであ る。したがって、ビショップ博物館の創生に関して、当時のハワイ王国に既存の西 欧的「博物館」イデオロギーを確認する一方で、同時代のハワイの政治的背景にお いてビショップ博物館のハワイ表象を担う主体者が誰であり、主体者がどのような 意図のもとに表象を司ったのかを改めて問うことが必要である。

56 アリイAli‘i:首長、ヌイNui:大きな、Ali‘i Nui:君主、王