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My whole point about this system [of Orientalism] is not that it is a misrepresentation of some Oriental essence…but that it operates as representations usually do, for a purpose, according to a tendency, in a specific historical, intellectual, and even economical setting.(Said 1978:273)

第二次世界大戦後 20世紀後半は西欧の諸帝国が国家としてのイデオロギーを再 建する中で多くの新しい博物館が生まれたことから、「第二の博物館の時代」と呼ば れることがある。(Hooper-Greenhill 2000:151)東西双方において民族を基盤とした ナショナル・アイデンティティが高揚し、植民地が次々と政治的独立を果たすよう になると、ポストコロニアリズムの新しいイデオロギーとともに博物館の役割は新 たなミッションを帯びる。端的に言うならば、帝国国家という支配者に替わって、

社会や経済を支配する主流イデオロギーが博物館の役割に影響を与えるのである。

例えば、西欧社会を支配する“male, Christian, capitalist”イデオロギーが博物館の表 象にも投影された125。(Haraway 2003、Harrison 1994)博物館の文化表象を含む活動 は、産業活動や大衆社会のまなざしから直視される時代に入ったと言える126。それ らのまなざしは、産業発達により大衆の力が飛躍的に成長していく中で、より「マ ス」化して、博物館という公的機関の文化表象を操る力を発揮するようになる。富 裕な特権階級やインテリ層に独占されていた博物館のオーディエンスが多様な一般 消費者に移行することにより、博物館の展示表象もまた資本主義という新たなコロ ニアリズムの不均衡な力のシステムに追随することになったと言えよう。

オーディエンスとしての一般大衆やコミュニティと如何なる関係を作るかが博物 館のアイデンティティを規定する新たな力を持ち始めると、コロニアル博物館にお ける独占的かつ権威主義的な「知」の在り様はひとつの岐路に立たされた。前代に 君臨した「象牙の塔」は、いまやコミュニティを基盤とする地域的文化活動や広域 的教育活動の場に転換し、博物館はもはや「知のための(特権的)場所」ではなく

「人々の集まる場所」として変身していく。博物館の新たなミッションには、所属 するコミュニティの一般大衆のみならず多様化する内外からのビジターに対して展 示 や プ ロ グ ラ ム を 通 じ て 教 育 す る と い う 役 割 が 重 要 と な っ て い く 。

(Hooper-Greenhill 2000:1-7)同時にこれらの変化は、必然的に博物館における表象 にも、一般大衆を惹きつけるための魅力的な演出、娯楽的な要素を求めるものとな った。

ハワイの場合、オーディエンスとしての「大衆」とは、ひとつにはハワイ社会を 構成する多様なエスニック集団の中産階級という内的大衆であり、もうひとつは、

観光のマス化による観光客という外的大衆の存在を指している。本章では、20世紀

125 科学技術史や自然科学博物館の分析を通して「知と力」の関係を鋭く批判したハラウェイ(2003)は、博物 館には「白人の男性の絶対的独占的(“supremacist monopoly”)なキャピタリズム」が投影されているとした。

126 CliffordRoute (1997)において、カナダの先住民が運営する博物館が先住民問題と利害を異にするス

ポンサー企業との問題を取り上げている。

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後半のハワイにおける博物館の「大衆化」が意味する、社会的コロニアリズム

(“Settler Colonialism127”)と資本主義的コロニアリズム(「ツーリスト・コロニアリ ズム128」)のハワイ表象への投影について論じる。1941 年パール・ハーバーから始 まった第二次世界大戦は、米軍の要地であるハワイ社会において数多の人の流れや 各移民集団に異なる経験をもたらし、甚大なインパクトを与えた。そのインパクト について述べることは、本論の趣旨ではないためここで触れないが、戦後プランテ ーション労働者から社会のリーダーへと日系人の地位が飛躍したこと129が物語るよ うに多民族移民社会の構造やエスニック関係が変化したこと、経済ではプランテー ション農業から観光へとハワイ経済を支える産業構造が本格的に転回したことを認 識しておきたい。1959年の立州化と永続的な観光のマス化が博物館表象にどのよう な影響を及ぼすかに注目し、ビショップ博物館のハワイ表象について論ずる。

3-1 虹色のステート、多文化社会のハワイ表象: “Settler Colonialism”

3-1-1 2次大戦後のハワイ社会とビショップ博物館

ハワイ社会を大きく転換させたのは、1959 年に米国の 50番目の州としてハワイ が立州化したことである。ハワイアンにとって、立州化はアメリカのハワイに対す るコロニアリズムが「完成」したことを意味する。しかし、いまやハワイの人口構 成においてどのエスニック集団もマジョリティを構成しないというハワイ社会にお いては、各々から見つめる立州化は異なる意味やチャンスが包括されたものであっ た。それらのエスニック集団の声が鮮明化する中で、マイノリティの「先住民」と なったハワイアンの声は多民族社会の一つの色となった。彼らの文化政治的意識の 覚醒(Hawaiian Renaissance130)は70年代を待つことになる。ビショップ博物館は立 州化や政治・経済的イデオロギーの動きや移民社会の構造変化を受けて、博物館の 役割やアイデンティティをどのように提起していっただろうか。

20世紀後半は、市民権の高まりや資本主義経済の発展とともに、博物館全体が前 代の「知の殿堂」から「公共の場」として役割を転換していた。1951年ポリネシア 人類学の権威としてビショップ博物館の学術的名声を高めたバックの退任は、ビシ

127 19世紀終盤から20世紀初頭にかけてプランテーション労働者として移住し、ハワイ社会に定着し ていった複数の移民集団(日本、沖縄、中国、ポルトガル、フィリピン、韓国など)が構成する多文 化社会において、後続の移民者が植民者として先住民に対して権力を発揮する新しい構造が生まれた ことを“settler colonialism”と称する。序章(p.3)。

128 観光におけるコロニアリズムの構造を「ツーリスト・コロニアリズム」と呼ぶこととする。

129 日本人移民社会では、移民一世の母国日本との戦いに当たり、様々な不当な扱いや苦悩を強いられるこ とになった。例えば、移民一世の指導的立場の人々は敵外国人と見なされて強制収容所に送られた。そうした 状況の中で米国に忠誠を誓うことを敢えて従軍を選択した日系2世達の100部隊や442部隊が最も苛烈だっ たと言われるヨーロッパ戦線に送られ、命をかけて多大な戦績を残したという歴史的経験は銘記されなくてはな らない。特に、生還した日系2世兵士達の社会的躍進が戦後のハワイにおける日系人の地位や力を飛躍的に 向上させたことも注目するべきであろう。

130 1970年代から起こったハワイアンの伝統文化復興運動は「ハワイアン・ルネサンス」と呼ばれる

ようになった。文化的アイデンティティの覚醒は1990年代の政治的運動へと展開していく。

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ョップ博物館でも権威主義的学術活動を中心とする博物館の役割が見直される時期 であることを象徴した。これに際して、アドバイザーだったイェール大学のマード

ック George Murdock131は、「学術研究への集中により不活性化してきた博物館を立

て直す必要」を明示し、そのために「ハワイアン・ホールの展示刷新、教育活動や コミュニティへの連携を促す活動、広報としてのハンドブックやパンフレットの作 成、ミュージアム・ショップの開設、ハワイアン・クラフトの実演」などを助言し ている。(Annual Report 1953:5)コミュニティへのアクセスとエンターテイメントを 意識した具体的な施策が示された。それは博物館の価値ある文化的資源を、よりビ ジュアルにコミュニティと結び付けることにより可視化し、博物館として生き残っ ていく新しいストラテジーでもある。ビショップ博物館も新たに、展示やビジター・

プログラムを通じて一般大衆に向けて発信(表象)することを重要なミッションと して活動を展開することを自覚したと言える。博物館界の潮流に呼応するビショッ プ博物館の大衆化について、ケリーは「‘ハワイ州唯一の博物館であるビショップ博 物館は学術的コミュニティにのみ帰するべきではない’とする地元コミュニティか らの意見を反映した結果」(Kelly 1993: 103)を受けた対応であり、まさしく大衆か らの要請に応えるデモクラティックな変容であると観ているようだ。しかし、ビシ ョップ博物館が一般大衆を新しいオーディエンスとして転身する過程は、文化的コ ロニアリズムの解体や博物館の民主化を意味するものではなく、表象の客体である ハワイアンの立場から見れば新たなコロニアル・システムの展開にしかすぎない。

「ビショップ博物館はハワイ州唯一の博物館であり、学術コミュニティにのみ寄与 するべきでない」とする論理が大衆の要請として通じるとすれば、同じ理由から「ビ ショップ博物館はハワイアンに特化する博物館であるべきではない」という主張も 通じることになろう。この場合の「大衆」とは、クラスの広範化のみならず「エス ニシティ」の多岐化も指している。まさに、その論理は、後にハワイ州公認博物館 という肩書の下で今日もビショップ博物館の試行錯誤をもたらす結果となってきた。

博物館の大衆化により、展示されるハワイ文化は、より不特定多数の内外のエス ニック集団のまなざしを受け、表象に埋め込まれたコロニアリズムの視点は展示と 教育活動を通じて普及され再生産されることになる。「他者」として表象されるハワ イアンの立場は何ら変わらないだけではなく、ハワイ多民族共生社会としてセトラ ー(新移民集団)によって育成されるコロニアリズム即ち“Settler Colonialism”の システムに新しく組み込まれるのである。

3-1-2 ビショップ博物館とコミュニティ:多文化社会のまなざし

バックの後任のスポー館長Alexander Spoehrは博物館とコミュニティの関係を次 のように発信した。

ビショップ博物館は、これまで太平洋地域の自然史と文化における研究、

その成果の出版を通じて広く知られてきた。特に、科学分野におけるビ

131 ピーター・バックの退任後、新館長就任までの過渡期にビショップ博物館の執行委員を務めたイェール大 学文化人類学部教授。