第1節 はじめに
本章では、第 2 章から第 5 章の分析結果に対する理解を深めることを目的に、ネパ ールにおけるオレンジを中心とする柑橘類全体の生産と流通の特徴を、柑橘を取り巻く 外部環境との関連も含めて整理し、柑橘生産が直面している問題点・課題を明らかにす る。
まず第2節では、ネパールにおける果樹栽培と生産振興の歴史について概観する。ネ パールは柑橘類の原産地の1つと言われ、栽培自体は紀元前から行われていたが、販売 目的の柑橘生産が行われるようになったのは20世紀になってからである。特に、ネパ ール政府が果樹栽培の振興策を実施し始める1950年代以降、他の果樹とともに柑橘栽 培が本格的に展開するようになった。ここでは、果樹栽培全体の動向を生産振興策との 関係から整理する。
次の第3節では、柑橘類の生産実態を把握するため、統計データを用いて柑橘類の生 産面積、成園面積、生産量、単収を地域別に整理するとともに、ネパール政府が力を入 れているポケットエリアについて紹介する。さらに、ネパールで栽培されている柑橘の 品種、苗供給の現状、病虫害の発生状況等について取り上げ、その特徴と栽培上の問題 点や課題を整理する。
第4節では、柑橘類の中でもオレンジ(マンダリンオレンジとスイートオレンジ)に 焦点を当て、国産オレンジと輸入オレンジの流通ルート、国産オレンジの流通期間、流 通量、価格水準について検討する。オレンジの月別販売価格と流通量に関する全国統計 がないため、ネパール最大の卸売市場である首都 KATHMANDU にある KALIMATI 市場から入手した業務データを基に、年別月別流通量と販売価格の動向を概観する。
第5節では、第4節までの検討結果を踏まえ、本章のまとめを行う。
第2節 柑橘類の栽培と生産振興の歴史
ネパールには、柑橘類の樹木が有史以前から既に存在していたと言われている。ここ では、既往の研究成果に基づいてネパールにおける柑橘類の栽培と生産振興の歴史につ いて整理する。
1.柑橘類の生産の起源
まず、ピエール・ラスロー1)によると、柑橘類の栽培起源は紀元前4,000年にさかの
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ぼるとされる。野生のシトロン注1)がインド北部に多く見られることから、柑橘類はイ ンド北部地域が原産地であると推定されている。したがって、ネパールも柑橘類の原産 地となっている可能性が高い。
この点について、富安 (1997)2)は、ネパールにおける柑橘類の栽培は東部地域で古く から行われていたものが次第にネパール全土に普及していったと推定している。栽培開 始時期は特定できていないが、現地の樹齢 100 年以上の柑橘木の調査結果から、柑橘 類は何百年という単位で実生栽培によって栽培されてきたと見られる。特に、シトロン やニブワ(学名:Citrus pseudolimon)あるいはカリジャミール(サワーオレンジ)、
セティジャミル(ラフレモン)系統の古木が数多くみられる東ネパールが、柑橘の原産 地の1つと考えられている。しかし、柑橘類の品種の中には、インドあるいは近隣国か ら持ち込まれたと思われるものも少なくないという。
なお、本論文で取り上げるマンダリンオレンジとスイートオレンジについては次のよ うに言われている。
まず、マンダリンオレンジ(ネパール語で「スンタラ」)は、インドとネパールの国 境近辺が原産地と考えられており、そこからネパールをはじめ、インド、東南アジア諸 国、中国南部、台湾、日本などの比較的雨量の多い温暖な地域に普及していったとされ る。また、スイートオレンジ(ネパール語で「ジュナール」)は、約250年前に見つか った比較的新しい品種であり、Kaini(1987)3)によると、ネパールのSINDHULI郡がス イートオレンジの原産地であるとされている。さらに、Rayamajhiら(2015)4)の研究に よって、スイートオレンジは食用だけでなく生薬、醸造酒、宗教儀礼等に使われてきた ことが明らかにされている。
2.柑橘類の生産拡大に向けた政策の変遷
前項で述べたように、ネパールにおける柑橘栽培の歴史は古いが、販売を目的とした 栽培は、20 世紀の後半以降になってからである。ここでは、ネパールにおける柑橘栽 培を含めた果樹栽培に対する生産拡大政策の変遷過程を、記録が残っている①ラナ体制
注2)前の「1845年以前」、②ラナ体制時代の「1846~1950年」、③ラナ体制後の「1951 年以降」の3期に区分し、その特徴を見ていく(表1-1)。
1)ラナ体制前の「1845年以前」
ラナ体制前の歴史を辿ると、ネパールでは、果物は販売する物ではなく、家の周りを装 飾する目的で、富裕層の趣味の一貫として栽培され、収穫された果物はお土産等に使用さ れていた。特に MALLA 体制注3)の時代には、カトマンズ郡の谷に多くの宮殿が作られ、
その周囲に花とともに果樹が植えられた。
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表1-1 ネパールにおける果樹栽培と生産振興政策の変遷
出所:Fruits Development in Nepal (1998)
注:1)NARSCは、National Agriculture Research and Service Councilである。
2)JICAは、Japan International Cooperation Agencyである。
3)NARCは、Nepal Agriculture Research Councilである。
活動内容
Malla体制の下で宮殿に果樹園が造園される
①SERA果樹園、②JALBIRE果樹園、③CYAMUNTAR果樹園、
④KRITIPUR果樹園、⑤KAKAITAR果樹園 1.ラナ総理らの下で果樹園が造園される
①KHINCHET果樹園、②GADAKAR果樹園、③ANGUTAR果樹園 ④THANSING果樹園、⑤MUBARKOT果樹園、⑥柑橘果樹園 2.1937年農業開発協議会を設立
3.果樹NURSARYの拡大 4.インドから苗木の輸入
5.ICHANGU苗場とKAPAN苗場の設立 1.1950年代
①1951年農業省を設立
②KAKANI樹ファームとGODABARI果樹ファームの設立 2.1960年代
①インドからの支援果樹開発支援 ②1966年園芸部門を設立
3.1970年代
①1972年果樹開発部門と柑橘開発プログラムを実施 ②1973年丘陵地帯農業発展プロジェクトを実施 4.1980年代
①1985年柑橘を国の優先な果物 ②1985年NARSCの設立、JICAの支援
③1987年丘陵地域果実プロジェクトを実施 ④公人NURSARY拡大
5.1990年以降 ①1991年NARC設立
②JICAや国内・海外支援続き ラナ体制中(1846
~1950年)
ラナ体制後(1951 年以降) ラナ体制前 (1845年以前)
ネパールで初めて果樹園を造ったのは、RANA BAHADUR SHAH 王であると言わ れている。RANA BAHADUR SHAH王は、NUWAKOT郡のSERA PHANT 村にSERA 果樹園を造り、果樹園の中でマンゴ、ライチ、パパイヤ、パイナップル、バナナ、グア バ、マンダリンオレンジ、ゴレンシなどを栽培した。続いて、BHIMSHEN THAPA
(ネパール第一総理)はKAVRE郡のJALBIRE村にJALBIRE果樹園とGORKHA郡の CYAMUNTAR村にCYAMUNTAR果樹園を造園している。また、RANA BIKRAM THAPAはKAVRE郡のKAKAITAR村にKAKAITARマンゴ農園も開園している。この 時代は、亡くなった家族の思い出の場所や自分自身が楽しむ場所として果樹園を造り、
収穫された果物は寺院やお祭りに集まった人々に配っていたと言われている。
2)ラナ体制中の「1846~1950年」
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1846~1950年においても、ラナ総理らは多くの農園を造っている。例えば、JUNGA BAHADUR RANAはNUWAKOT郡のKINCHET村とGADAKHAR村にKINCHET 果樹園と GADAKHAR 果樹園を、RANADEEP SINGH は ANGUTAR 果樹園を、
CHANGRA SHAMSHER、BHIM SHAMSHER、JUDHA SHAMSHER らは NUWAKOT郡にTHANSING果樹園とKAVRE郡でMUBARKOT果樹園をそれぞれ 造園している。
以上の果樹園はKATHMANDU郡の周辺地域に位置するが、HARKA JUNG THAPA はKATHMANDU郡からかなり離れたネパールの東部地方のILAM郡に初めての柑橘 農園を造っている。
上述してきたことからも明らかなように、1937 年前までは一般農家が果樹栽培を行 うことはなかった。しかし、1937年以降、ネパール政府が農業開発協議会(Agriculture Development Council)を設立し、果実の生産に力を入れるようになり、これを契機に 一般の農家でも果樹栽培を行うようになっていった。
果樹生産を行う場合にまず必要になるのが苗木であるが、当時のネパールには苗木が なく、隣国のインドから苗木を導入するとともに、専門家を雇って苗木の生産を本格的 に始めることになった。まずKATHMANDU郡の3ヵ所(CHHAWNI、 BALAJU、
GODHABARI)に、果実のNURSARY(苗場)が整備された。しかし、一般の農家が
苗木を購入して栽培するには、苗木の絶対量はまだまだ十分でなかった。その後、個人 の苗場がKATHNMANDU 郡のICHANGUとKAPANに設置され、マンゴ、ライチ、
パパイヤ、パイナップル、バナナ、グアバ、マンダリンオレンジなどの果実の苗木が一般 の農家にも少しずつ販売されるようになった。しかし、依然として苗木の絶対数は少なく、
しかも技術力がなかったために病虫害に強い苗木を生産することは難しかった。
こうしたことから、ラナ体制時代に、一般農家で果樹生産が始まるものの、苗木供給 量の制約から果樹の生産量はごくわずかにとどまっていた。
3)ラナ体制後の「1951年以降」
ネパールで柑橘類を含む果樹栽培が普及・拡大するのは、ネパール政府が果樹栽培の 振興政策を実施し始める1950年代以降である。
まず、1951 年に、ネパール政府は、国内農業の発展を目的に農業省(Ministry of Agriculture)を設立した。そして、1950年代には、農業振興の一環として、果樹関係 の政策では、NUWAKOT 郡の KAKANI村に KAKANI果樹ファーム(果樹の苗木生 産と無料配布)とLALITPUR郡のGODHABARI村にGODHABARI果樹ファーム(果 樹の苗木生産と無料配布)を設立し、ネパール産だけで足りない果樹の苗木をインドか ら導入するとともに、 インドから専門家を招いて果樹ファームの整備に力入れた。