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であり,また成長するということでもある.伝統的なカリキュラムによる知識伝達型の教 科学習は子どもたちの生活経験から切り離されているため,生活の現実的な条件のもとで は役に立たない」と指摘するとともに,「学習者個人と社会との両方の目的を達成するた めの教育は,個人の実際の生活経験に基づかなければならない」と述べている.

加えて,教材の役割について次のように述べている.「学習者がすでに具備している経 験から始まり,その過程で得られた経験や能力が未来の学習の出発点となる.生徒は科学 的教材を与えられるべき」であり,「その教材の持つ事実と法則が,日常の社会生活にな じんだ形で応用されるよう,その手ほどきがなされなければならない」.「科学的な方法 が,日常経験の意味を突き止めるための唯一の確かな真の手段である」ことが示されている.

そのために,原因―結果の原理に着目させ,年少者では,手段―結果について考えさせる.

因果関係を確かめる方法は,「1.仮説を立てる」,「2.仮説を結果によって検証する」,「3.

仮説検証のプロセスを振り返り,経験を再構成する」の三段階からなる実験的な仮説検証 型のアプローチであることが明記されている.

さらに,教育者の責務に対し,「質的経験を整えること」であり,「生徒がすでに獲得 しているものに対し,固定されている所有物としてではなく,現有している観察能力と記 憶の知的利用能力に新たに要求される新しい領域を拓くような手段や道具として絶えず注 意を払わなくてはならない」と述べている.加えて,教育者は,「学習者が現在の経験を 利用し,そこに事実や法則を抽出させながら,科学的な理法を経験できるよう導かねばな らない」と述べている.

また,山上(2010)はデューイのいう教材を分析し,デューイが主張する教材とは「研 究テーマ(問題場面)」のことであることを明らかにした上で,従来の伝統的教育と問題 解決教育との違いを表1.3のようにまとめている[48].

すなわち,デューイの教育理論では,教員に対して子どもたちの探究課題としての教材 を見出し,科学的アプローチを経験させながら問題解決へ導く促進者(ファシリテーター)

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表 1.3 伝統的教育における教材とデューイが主張する教材との比較[48]

表の出典[48]:山上裕子(2010)『デューイの<教材>開発論とその思想 : 子どもと教科の二元論を超えて 』,

博士学位論文,早稲田大学.

1.6 中学校教員(校長除く)における民間企業での業務経験がない教員の

割合の国際比較[50]

伝統的教育における教材 デューイが主張する教材 ある教科内容を教えるための材料。 研究のテーマ。

教科を源泉とする。 子どもの経験を源泉とする。

教科を構成要素とする。 子どもの経験と教科双方を構成要素とする。

事前に決定される。静的。 子どもとの関わりにおいて作られる、動的。

何を教えるかが問題となる。 探究へどう導くかが問題となる。

教師は威圧的な態度になりがち。 教師は、協働的態度で接する 教師は教えるテクニックが重視され

る。

教師は偶然の出来事に対応する力量が重視さ れる。

子どもは、レディ・メイドなものが

与えられ、受け取る。 子どもは、生の素材を操作して探究し、研究 を完成させていく。

子どもは、獲得した知識の量、正確 さが重視される。

知識の量や正確さは、探究の道具として子供 に要求される。より重視されるのは、意味の 獲得である

0 20 40 60 80 100 民間 企業 での 業務 経験 を持 たな 教員 の割

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図1.6は,中学校教員(校長除く)における,民間企業での業務経験がない教員の割合の国 際比較を示したものである[50].日本の中学校教員の8割は社会人経験がなく,これは国際 的な平均と比べてかなり高い割合である.つまり,日常生活や産業界などの社会における 問題解決の教授経験を持ち得るかという議論の前に,教員自身が日常生活や産業界などの 社会の問題解決の経験がない,もしくは,経験が乏しい可能性が極めて高い.デューイが 主張する教育を実践するためには,デューイの言う主要な点を踏襲しつつも,ある程度の レディ・メイドさを許容した上での教員への支援が必要である.本研究では,教員支援の ための主要な点として「日常生活の経験上に基づく問題」と「因果関係に基づいた仮説検 証型のアプローチ」を取り上げ,これらを含んだ解決例を教材として示すことにより,デ ューイの言う教育理論の実践を目指すものとする.

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