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問題の提示

本章において論考の中心となるモーセは、最初にして最大の預言者である。それは、『申 命記』の最後に「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」(申命記 34, 10)と記されているとおりである。

そして十九世紀末、帝政ロシアの町ヴィテブスクで生まれた一人の子どもに「モイシェ」

(モーセ)という名が与えられた。そして後に、彼は画家としてフランスに出て、マルク・

シャガールと名乗るようになる。

恐らくシャガールにとって、モーセは預言者の系譜の源泉であるだけではなく、自らの うちにも時を超えて、いわば同時性として何らか息づく存在と意識されていたであろう。

すなわち、預言者としてその類い稀な使命を果たしたモーセに対して、シャガールは絵画 においてモーセの歩んだ道に何ほどか倣い、いわば神の呼びかけに対する応答を、画家と しての生のうちに遂行していったのである。現にシャガールは、自らの使命について次の ように語っている。

この十年、わたしはずいぶん働いた。数冊の画集が出版され、とりわけ『聖書』が出 たことは大きな喜びであった。わたしは絵画という道を選んだ。それはわたしにとっ て、食べることと同じくらい大事なことだった。別世界に飛び立つための窓のような ものであった。ここで聖書の登場人物モーセを引用することを許してほしい。モーセ は「神の召命」に逆らったが、神は彼に使命を果たすよう迫った。わたしたちも皆、

いかに逆らおうと、誰かが追いかけてきて、義務を果たすよう迫るのである。わたし が子どもの頃の貧しい家では、戸の上や空に、夜中まで燃える柴が輝いていたように 思う。(シャガール、シカゴ大学での講演、1958年)1

これは、1958年二月にシカゴで開かれた記者会見の席で、シャガールが自らの画家とし ての歩みを振り返った言葉である。この前年 1957年に、エッチング挿絵集『聖書』2が世 に出たことにより、自らに与えられた使命を一つ果たすことができたシャガールの喜びが、

そこに表現されている。

ところで、ヴォラールの注文によるその挿絵集『聖書』(全一〇五点)の完成は、シャガ

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ールにとって一つの到達点であったと同時に、新たな出立の記念でもあった。実際、シャ ガールは『聖書』の制作を終えた1956年に、さっそく《聖書のメッセージ》連作(1956-1966 年)に着手している。そうした連作をはじめとする大型の油彩画やモザイク、そしてステ ンドグラスなど、多様な造形手段による聖書を描いた記念碑的作品の制作等々は、晩年に 至るまでシャガールの画業における重要なライフワークともなるのである。

この記者会見から二年後の1960年から六年に渡って、シャガールは、《聖書のメッセー ジ》連作の一つとして、モーセを描いた横長の大型油彩画を制作した。この作品が、本章 において論考の主題となる《燃える柴の前のモーセ》»Moïse devant le buisson ardent«

(1960-1966年)[図 10]である。その作品は題が示すとおり、『出エジプト記』第三章に おいて語られる「モーセの召命」を中心的テーマとしている。だが、この《燃える柴の前 のモーセ》という作品は、シャガールがすでに『聖書』のエッチングにおいて試みていた ような「モーセの召命」のみの挿絵ではない。というのも、この油彩画の画面左側を占め るモティーフは、『聖書』の別のエッチングで表わされた「紅海渡河」(『出エジプト記』第 十四章)の図像を応用したものであるからだ。つまり、シャガールは《燃える柴の前のモ ーセ》において、挿絵集『聖書』のために形成した図像[図11, 12]を素材として用いつ つも、それらを一つの画面の中で同時に描き出し、再構成している。つまりそこにあって は、通常の歴史的時間的順序はあえて無視され、二つのことがいわば同時的な出来事であ るかのように描かれているのだ。さらに、それらに色彩と多様な副次的モティーフが加え られることによって、その作品に固有の価値が生み出されているのである。

このように、「モーセの召命」と「紅海渡河」のモティーフを中心に構成された《燃える 柴の前のモーセ》の真の主題は、何であるのか。そしてさらに言うなら、われわれはそこ に、『出エジプト記』に記されたさまざまな出来事の単なる並列ではなく、ましてや画家の 幻想でも非現実な描写でもなく、すべての人間の生の道行きについてのいっそう普遍的な 意味を読み取ることができるのではないだろうか。というのもその絵は、確かに(旧約)

聖書の具体的記述に依拠したものであるが、そこには単に過去の歴史の字義的な解釈を超 えた「普遍的メッセージ」が隠されていると考えられるからである。

そこでこの章では、そうした問題を念頭に置いて、《燃える柴の前のモーセ》という作品 の意味と多様にして一なる動的な構造とを考察してゆきたい。

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[図12]シャガール〈燃える柴の前のモーセ〉

エッチング(1931-1939年)

[図10]シャガール《燃える柴の前のモーセ》(1960-1966年)

カンヴァスに油彩、195×312㎝、《聖書のメッセージ》美術館、ニース

[図11]シャガール〈紅海渡河〉

(1931-1939年)エッチング

39 1 《燃える柴の前のモーセ》の基本的内容

画面の詳しい分析に先立って、はじめに《燃える柴の前のモーセ》の概要を整理してお こう。

《燃える柴の前のモーセ》は縦195㎝、横312㎝の横長のカンヴァスに描かれた油彩画 である。この絵は、カルヴェール礼拝堂の装飾計画においては、入り口を入って右手の壁

――《アブラハムと三人の天使》(『創世記』)と向かい合う――に配される予定であった(第 一章、カルヴェール礼拝堂平面図参照)。また、《聖書のメッセージ》美術館では、玄関ロ ビーを入って最初の空間――《人間の創造》(『創世記』)、《アブラハムと三人の天使》(『創 世記』)、そして《イサクの供犠》(『創世記』)と同室――に置かれている(第一章、《聖書 のメッセージ》美術館平面図参照)。

ところで、《聖書のメッセージ》美術館の研究員プロヴォワユールによれば、《燃える柴 の前のモーセ》には十一点の習作が存在するという3。その内訳は、以下のとおりである。

カンヴァスに油彩=二点、パステル=七点、素描=一点、透き写し=一点

これらのうち、資料で参照可能なものは、カンヴァスに油彩の一点と、パステルの七点 である[図13-15]。これらにはすべて完成作と同じ主要モティーフが表わされている。こ のため、その図像選択および配置のプロセスを追うことはできないが、習作においてすで に、「モーセの召命」とともに「紅海渡河」のモティーフが――『出エジプト記』のほかの 挿話ではなく――描かれていることは注目に値する。つまり、シャガールは構図を形成し てゆく過程で「紅海渡河」のモティーフを装飾的に描き加えたのではなく、はじめから「モ ーセの召命」と「紅海渡河」の図像を主要モティーフとして、一つの画面に併置する意図 を持っていたのだ。

[図13]《燃える柴の前のモーセ》習作 パステル、墨、24×31.5

プロヴォワユール図録番号PL. 54

[図14]《燃える柴の前のモーセ》習作 パステル、墨、22×28

プロヴォワユール図録番号PL. 56

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さて、この絵の習作すべてに描かれている主要モティーフと、聖書におけるその該当箇 所は以下のとおりである。

モーセ(画面右)、柴(画面中央)、人物像(画面中央上)=モーセの召命(『出エジプト記』

第三章)

モーセ(画面左)=紅海渡河(『出エジプト記』第十四章)

十戒(画面左上)=十戒の授与(『出エジプト記』第二十章)、十戒の再授与(『出エジプト 記』第三十四章)ほか

ただし十戒のモティーフについては、『出エジプト記』第二十章で語られる「十戒の授与」

であるのか、それともイスラエルの民の背反ののちの「十戒の再授与」(『出エジプト記』

第三十四章)を示すのかは、この絵の表現から直接には判断しにくい。が、それらは一連 の出来事として、つまり内的に密接に関わる出来事として描かれているであろう。そして いわゆる「十戒」の図像は、特定の聖書の箇所を指すのではなく、神が民との間に立てた 契約の象徴であるとも読むことができる。よって、この点については、画面の検討を踏ま えたうえで、後に改めて考察したい。

なお、一部の素描および油彩画による素描、そして完成作において描かれているほかの モティーフとしては、アロン(画面右下)、鳥、天使(画面右上)、そして魚(画面左下)

などが挙げられる。それらは副次的なモティーフとも看做されようが、恐らくはすべてが 相俟って、この作品の多様にして一なる意味を表現しているであろう。

このように、《燃える柴の前のモーセ》は「モーセの召命」と「紅海渡河」を中心的モテ

[図15]《燃える柴の前のモーセ》習作

(1960-1966年)カンヴァスに裏打ちさ れた紙に油彩、43.5×72.5

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ィーフとして構成され、そこに聖書のほかの挿話を示唆する副次的モティーフが織り込ま れ、全体として一つの意味を形成していると思われる。

ともあれ、次節ではまず、聖書のテキストを辿りながら、画面中央および右側の「モー セの召命」の表現を検討してゆこう。

2 モーセの召命

モーセはエジプトを去ったのち、羊の世話をして長い年月を過ごしていた4。そしてある とき、モーセは羊の群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山シナイ(もしくはホレブ)に 来た。そこでモーセは燃える柴の炎を見て、その中から神の声を聞いたのであった。周知 のようにこの出来事が、『出エジプト記』第三章で語られる「モーセの召命」である。

柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火 に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な 光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそ れて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」

と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。

足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」

(出エジプト3, 2-5)

(1)光の角

モーセが神に呼びかけられ、「預言者」となる出会いのとき(瞬間)が、画面右側に表現 されている。シャガールが最初にこの出来事を表わしたのが、挿絵集『聖書』のエッチン グであった。そして、エッチングと油彩画のいずれにおいても、モーセは二本の「光の角」

という属性をもって描かれている。

ところで、この属性の起源は一説によれば、中世の僧侶の写本の読み違えにあるとされ ている。ラテン語の原本には「飾られたもの」や「冠を戴いた」という意味の〈coronatus〉

という言葉が載っていた。ところが、僧侶は「角」の意の〈corun〉に基づく〈corunatus〉

と読み違えたのであるという。

ただし、「光の角」は、このような偶然によってのみ生じたのではない。というのも、旧 約聖書では、「角」というものが、次のようにしばしば語られているからである。

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