問題の提示
《聖書のメッセージ》美術館に訪れた人が、最初に目にする作品が、《人間の創造》»La
création de l’homme«(1956-1958年)[図94]である。この絵は、カルヴェール礼拝堂の装
飾計画においては、礼拝堂の内陣上部という最も重要な場所を与えられていた。そして、
1959 年に各地を巡回した回顧展1において、完成して間もないこの油彩画は、人々の関心 の中心であった。そこでは、この作品の前に集まって、表現されたものの意味を議論する 人々が、繰り返し見られたという2。
拙論において、最後に論考の主題となる《人間の創造》は、《聖書のメッセージ》連作の 中でも、とりわけ重要な作品として理解されよう。そこには、連作全体に通底する普遍的 なテーマが表現されているのである。
ところで、《聖書のメッセージ》連作におけるほかの多くの作品と同様に、《人間の創造》
は、挿絵集『聖書』のために形成された図像を素材として用いている。が、これは単に『聖 書』の挿絵を再現しているのではなく、色彩と多様なモティーフ――アダムとエバ、モー セ、そして十字架にかけられた人など――とが加えられ、いわば「肉づけ」されている。
では、このように(恐らくは内的必然性により)画面に新たに描き込まれていった諸々の モティーフは、どのような意味を形成しながら、全体として一なるテーマ、すなわち「人 間の創造」という神のわざを表わしているのであろうか。
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[図94]シャガール《人間の創造》(1956-1958年)299×200.5㎝、《聖書のメッセージ》美術館、ニース
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われわれがこの絵に表現されたことを探求してゆく際に、「人間の創造とはいかなること なのか」という根本的な問いを避けることはできない。この点、あらかじめ言うなら、ユ ダヤ・キリスト教の伝統にあって、人間の創造を含む神の世界創造というわざは、遠い過 去の一時点において完成したものではなく、今もなお持続するものとして受けとめられて きた。実際、シャガールと同時代に生きたユダヤ教神学者ヘッシェル(Abraham Joshua Heschel 1907-1972)は、創造について次のように述べている。
世界の創造はすでに成就されている。しかし、それよりもっと偉大な傑作は未完のま まで、いまなお創造されつつある。それはほかならぬ歴史である。ご自身の雄大な計 画を実現するために、神は人間の助力を必要としておられる。人間は神に用いられる 助手であると同時に、神という助け手を持っている。そして人間は、この神の雄大な 計画に協力することも協力しないこともできる。
(エイブラハム・ヘッシェル『イスラエルの預言者』)3
ここで、「人間の助力」とされるものは、神の働きに対する「人間の自由な善き応答」と も言い換えることができよう。そしてそれは、超越的な善への「絶えずそれを超え出てゆ く動き」として具体化してゆくという。つまり、この点、旧約聖書のテキストを観想して、
その意味をゆたかに語り出したニュッサのグレゴリオス(キリスト教教父の伝統の代表者 の一人)は、次のように洞察している。
創造によって誕生したもののうちで思惟的本性を持つものは[……]絶えず全存在の 第一原因を眺め、つねに超越者に与ることによって善のうちに保たれ(支えられ)て いる。それは、諸々の善に増大しながらより大なるものに変容し、ある意味で不断に 創造されている。それゆえこのものには、何か上限があるとは思われないし、またこ のもののより善きものへの増大に対して、何らかの限定による限界線が引かれること もない。その現在の善き姿がどれほど偉大で完全なものに見えようとも、それは一層 高次で偉大な善への端緒に過ぎないからである。
(ニュッサのグレゴリオス『雅歌講話』)4
こうしたテキストに示される意味については後に吟味することとしたい。が、あらかじ
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めその基本的な内容を窺っておくとすれば、「人間の創造」という事態は、神の働きとそれ に対する人間の自由・意志による善き応答との関わりの中で、不断に生起してくることと して捉えられているのである。従って、われわれが考察してきた、《燃える柴の前のモーセ》
における「モーセの自己超出」や、《雅歌》連作での「花嫁の愛の道行き」といった事柄は、
むろん、この「人間の創造」というテーマと密接に関わると言えよう。この点に留意しつ つ、《人間の創造》という作品をめぐって《聖書のメッセージ》の普遍的意味――それは、
「象徴へと変貌しつつある何かもう一つの現実」として象徴的に描かれているのだが――
を読み取ってゆきたい。
1 《人間の創造》の基本的内容
画面の詳しい分析に先立って、まずは《人間の創造》という作品の概要を確認しておこ う。
1956年から1958年に制作された《人間の創造》は、縦299㎝、横200.5㎝のカンヴァス に描かれた油彩画である。多くの作品が、矩形もしくは横長の画面となっている《聖書の メッセージ》連作の中で、《人間の創造》は縦長のカンヴァスに描かれている。そのことは、
この油彩画がカルヴェール礼拝堂の装飾計画において、特別な位置、すなわち礼拝堂の内 陣上部に置かれる予定であったことに基づいている5。すでに述べたように、1955年に《聖 書の言葉》連作が開始された後、この計画は途中で中止され、作品は美術館に置かれるこ ととなったのである。
この絵の習作[図95]には、シャガールが礼拝堂の建築と作品とを調和させようと試み た探求の痕跡が残されている。カルヴェール礼拝堂には、狭い壁面しかなかったため、シ ャガールは、壁が半円筒ヴォールトを支えているときには必ず、カンヴァスをその形に合 わせ、画面上方をアーチ型にして、壁面全体を覆うようにした6。計画の中止に伴って、完 成作品においては、アーチ型が採用されていないが、人物像、構図、色彩のバランスは、
元のアーチ型の画面構成に依存しているのである7。
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また、《人間の創造》は、今日《聖書のメッセージ》美術館において、玄関ロビーを入っ て最初の空間――《アブラハムと三人の天使》(『創世記』)、《イサクの供犠》(『創世記』)、 そして《燃える柴の前のモーセ》(『出エジプト記』)と同室――に置かれている(第一章、
《聖書のメッセージ》美術館平面図参照)。
ところで、《人間の創造》には十八点の習作が存在するという8。その内訳は、以下のと おりである。
カンヴァスに油彩=二点、パステル=九点、素描=四点、クロッキー=二点、透き写し=
一点
これらの習作の制作過程で、挿絵集『聖書』のエッチング〈人間の創造〉における原型 としての図像に、さまざまなモティーフが追加されてゆくのである。そこで、エッチング
〈人間の創造〉から、《聖書のメッセージ》連作の《人間の創造》に至るまでの図像形成の 過程を概観しておこう。
さて、エッチング〈人間の創造〉[図 96]では、翼を持った人物と彼に抱かれた人とが 描かれている。この翼を持った人物は、完成作品とは異なり、長老を想わせる髭をはやし
[図95]《人間の創造》習作 透き写し
[図96]シャガール〈人間の創造〉
(1931-1939年)エッチング
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ている。また、この絵の上方には、ヘブライ語で「ヤハウェ」の名が刻まれた円がある。
これは、第二章において考察したように、「わたしは在る」たる神の現存を象徴するもので あると言えよう。後の油彩画《人間の創造》においては、この象徴的文字が、多様なモテ ィーフへと展開してゆくのである。
次に、油彩画一点と三点の素描からなる最初の習作群9の一枚である油彩習作[図 97]
を参照したい。この絵において、翼を持つ人物は人の方に目を向けている。その容貌は、
エッチングと比較すると若くなっているようである。
そしてその傍らには、アダムとエバのモティーフが新たに加わっている。その上方で、
彼らが禁断の果実を食べるように唆す蛇とともに、これらは、「創造」に続く『創世記』第 三章、「原罪」の成立を表わしていると言えよう。また、「ヤハウェ」の名の刻まれた円の 代わりに、ここでは、太陽のように照射する円が描かれている。
続いて、素描習作の一枚[図98]では、中央の人物二人とアダムとエバのモティーフは、
完成作品と同じように描かれている。そして太陽の光の照射は、油彩習作において直線運
(左)[図97]《人間の創造》習作、油彩
(右)[図98]《人間の創造》習作、素描
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動であったのに対し、ここでは旋回運動となっている。さらに、その周辺には、多様なモ ティーフが描き込まれており、完成作品のイメージにより近づいていると言えよう。
そして、別の素描習作[図99]においては、注目すべき変更がなされた。すなわちシャ ガールは、この素描の上部にもう一つ別のクロッキーを貼付した10。そこには、「十字架に かけられた人」のモティーフが新たに加えられている。これ以後に制作される習作(油彩 習作一枚、九点のパステル、および二点のクロッキー)には、ほかの多くのモティーフと ともに、このモティーフが描かれることになった11。そして、基盤目の紙の上に透写され た習作がパステルによる習作とともに、最終案として登場するのである12。
以上、挿絵集『聖書』のエッチング〈人間の創造〉から、《聖書のメッセージ》連作の油 彩画《人間の創造》に至るまでの図像形成の過程を概観した。そこで、その要点を以下に 整理しておこう。
(ⅰ)翼を持った人物と彼に抱えられた人とが原型となる図像である。
(ⅱ)原罪の成立を表わすアダムとエバのモティーフが、原型となる図像に最初に追加さ れた。
(ⅲ)さらに、旋回する太陽の周辺に多様なモティーフが配され、最後に十字架にかけら れた人のモティーフが置かれた。
[図99]《人間の創造》習作、素描