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ジェンダーの 観点 からの批判

第 5 章 福祉 国家類型 論とジェンダ ー

2. ジェンダーの 観点 からの批判

エスピン-ア ンデルセ ンは、雇用労 働(市場 )と福祉(国 家)との 関係、お よび階級にか かわる不 平等に軸足を おきなが ら、脱工業化 とグロー バリゼーシ ョンのもとで の福祉国 家の適応力を 分析し、 従来とは異な る福祉国 家の空間的 類 型 化 を 行 な う こ と で 、 そ の 後 の 福 祉 国 家 研 究 に 多 大 な 影 響 を 及 ぼ し た が90、 彼に対する際 立った批 判は概ね二種 類であっ た91

一つ目は、福祉国家 類 型の分類の方 法に関す るもので、例えば 、オ セアニア、

地 中 海 沿 岸 諸 国 、 日 本92な ど の 国 ・ 地 域 は 、 単 純 な 三 つ の 類 型 で は そ の 特 徴 を 説明しきれず 、第 4 の 新たなレジー ムを加え る必要がある のではな いかという 批判であった ( Castles, 1995; 1996; Kangas, 1994; Ragin, 1994)。

二つ目は、エ スピン- アンデルセン の分析枠 組みの中核を なす「脱 商品化」

概念に、家族 やジェン ダー視点が組 み込まれ てないという ジェンダ ー視点から の批判である ( Lewis, 1992, 1997; Orloff, 1993; Sainsbury, 1994, 1996;

Daly and Lewis, 1998, 2000)。エスピ ン - アンデルセン は、雇用 労働( paid-work)と、労 働力の「 脱商品化」を 可能なら しめる政策と しての福 祉との関係 だけを考慮に 入れてお り、家族の なかで行 わ れる無償労働( unpaid-work)の重 要性や、その 無償労働 の多くを主に 女性が担 っていること などが無 視されてい ると、多くの フェミニ ストから批判 されたの である。エス ピン-ア ンデルセン

90 大 沢 (2013:9-10)、 原 ( 2016:146)、 宮 本 ( 2008:44)、 今 里 ( 2012:2)。

91 エ ス ピ ン - ア ン デ ル セ ン は 、 そ の 二 つ の 批 判 に 答 え る こ と が で き な け れ ば 、 分 析 を 進 展 す る こ と は 不 可 能 で あ る と 考 え た ( Esping-Andersen, 1990=2001:

35-36)。

92 と り わ け 日 本 型 福 祉 国 家 モ デ ル は ユ ニ ー ク で 、 福 祉 国 家 類 型 論 の 標 準 的 な 分 析 道 具 で 当 て は め る こ と は で き な い 。 韓 国 や 台 湾 、 そ の 他 東 南 ア ジ ア 諸 国 が 、 日 本 が 経 験 し た の と 類 似 し た 形 で 社 会 的 な 諸 権 利 を 徐 々 に 拡 張 し つ つ あ る こ と か ら 、「 東 ア ジ ア 型 」 福 祉 国 家 モ デ ル ( Goodman and Peng, 1996) も し く は 「 ア メ リ カ ― 太 平 洋 型 」 福 祉 国 家 モ デ ル ( Rose and Shiratori, 1986) な ど の 議 論 が 展 開 さ れ た 。

89 の福祉国家レ ジームは 、男性が稼い で妻と子 どもを養い、 女性が主 婦として家 事や育児など ケアの担 い手となると いう性別 役割分業に基 づく「男 性稼ぎ主モ デル」と一体 化してお り、その下で は、女 性 は男性稼ぎ主 の妻とし ての地位に よってのみ社 会保険の 受給資格が得 られる。 つまり、女性 にとって の「脱商品 化」とは、男性に とっ てのそれと違 って 、「 福祉依存者( welfare dependency)」

になることを 意味する ( Lewis, 1997:162)。言い換えれば 、エスピ ン-アンデ ルセンの「脱 商品化」 概念は、ジェ ンダー中 立的に定義さ れている が ゆえに、

社会権を獲得 している 標準的な市民 から女性 を―そのもの の持つ特 殊な経験と 社会的地位の ため に ― 排除してしま っ ていた のである。

こうした批判 にたいし 、エスピン- アンデル センはまず一 つ目の点 について は、日本やオ ーストラ リア、南ヨー ロッパが 、単純な三つ の類型と 簡単に両立 しない特徴を 示してい ることは事実 であると 認めながらも 、第 4、第 5、第 6 の新たなレジ ームを加 えることによ って得ら れるものは何 かと問い 直し、日本 やオセアニア の特徴は 、全体として の三つの 類型論の明確 な論理の 内部でのバ リエーション であって 、まったく異 なる論理 それ自体にも とづいた ものではな く、した がって新 たな レジームを加 える正当 な理由にはな らないと 結論付けた 。 ただ、ユニー クな南ヨ ーロッパのレ ジームの 場合、究極的 に問題は 、 家族の中 心 的 な 役 割 に か か っ て く る が 、 ま さ に こ の 点 が 三 つ の 福 祉 モ デ ル の 弱 い 環93に あたるので、 更なる注 意を払う必要 があると 付け加えた( Esping-Andersen, 1 999=2000:92)。

他方、二つ目 の フェミ ニストからの ジェンダ ー盲目的であ るとの批 判をうけ てエスピン- アンデル センは、自身 の「脱商 品化」概念に よる福祉 国家という 枠組みでは現 実の福祉 国家の危機を 完全に説 明しきれない と考え、 ジェンダー 視点として「 脱家族化 」という新た な概念を 取り入れ、労 働市場、 家族、そし て、福祉 国家の相 互作 用で形成され る「 福祉 レジーム 」論を新 たに 展開した( E sping-Andersen, 1999=2000:26-27)。エスピ ン-アンデル センによ れば、「脱 家 族 化 」 は 「 脱 商 品 化 」 に 対 応 し て い る 概 念 で 、 女 性 に と っ て 「 脱 家 族 化 」 は 、

93「 家 族 」を 福 祉 国 家 類 型 論 の 最 も 弱 い 環 で あ る と 認 識 し て い る こ と か ら 、エ ス ピ ン - ア ン デ ル セ ン が 、「 脱 商 品 化 」概 念 の 枠 組 み に は 家 庭 内 で 無 償 労 働 に よ っ て 生 産 さ れ る 「 福 祉 」 が 無 視 さ れ て い る と い う 、 フ ェ ミ ニ ス ト か ら の 批 判 を 真 摯

90

「彼女たち自 身を商品 化する」ための前 提条 件94であるとい う( Esping-Anders en, 1999=2000:86-87)。つまり 、「脱 家族化」を目的として 作られた 保育サービ スやデイ・ケ アサービ スなどを利用 すること によって、女 性が男性 と同様に労 働市場に進出 し、保険 制度を通じて 「脱商品 化」を達成し 、その結 果として社 会的諸権利を 獲得する ということに なる。

確かに「脱家 族化」概 念には、家族 のケア負 担を社会化す ることに よって、

女 性 の 自 律 性95を 高 め る と い う 、 ジ ェ ン ダ ー に か か わ る 要 素 が 組 み 込 ま れ て い る。しかしエ スピン- アンデルセン は、女性 のケア・サー ビスへの アクセス は 女性の雇用に とって決 定的要因とな るが、そ れと男性の家 事労働へ の参加とは まったく無関 係なこと であるという 見解を明 らかにした。

「母親の雇用 (と家族 経済)の展望 を切り開 こうとするな ら、当然 のことな がら、父親を 更なる無 償労働へと向 かわせる よりも、デイ ・ケアサ ー ビスを拡 充する方が効 果的であ る。男性の家 事参加を 促す政策は、 ジェンダ ー論の立場 からは平等主 義的な政 策と見えるか もしれな いが、『男 女』どちらに も有利な戦 略とは思えな い。ほと んどの家庭は 、可能な らば夫婦どち らの無償 労働も減ら したいと思っ ているは ずである 」( Esping-Andersen, 1999=2000:96)。

要するに、エ スピン- アンデルセン の「脱家 族化」指標は 、福祉国 家による 育児や介護な どケア・ サービスおよ び給付を 媒介に、家庭 内での無 償のケア労 働を担ってい た女性を 、市場におけ る雇用に 直接結びつけ てその 労 働力を商品 化することに よって 、「 脱商品化 」する度 合い を測るものと な ってい るのである 。 その枠組みに 基づいた 分析は、とど のつまり 福祉(国家) と市場( 雇用)の働 きにとどまっ てしまう 。このような 意味でエ スピン-アン デルセン の「脱家族 化」および「 脱商品化 」概念は、近 年の「新 しい社会的リ スク」に 対する積極 的な労働市場 政策と同 じ脈絡の上に あるとい えよう。原(2016)に よれば、「脱 家族化」指標はケ アの 市場化に対す る楽観的 な展望を前提 に するも のであって 、 その意図する ところが よりジェンダ ー・セン シティブな「 脱商品化 」を規定 す

に う け と め て い た こ と が う か が え る 。

94 Orloff, 1993。

95 エ ス ピ ン - ア ン デ ル セ ン の い う 自 律 性 と は 、 女 性 の 労 働 市 場 に 進 出 ( 商 品 化 ) す る た め の 自 律 性 、 あ る い は 、 独 立 世 帯 を 築 き 上 げ る た め の 自 律 性 の こ と で あ る ( Esping-Andersen, 1999=2000:87)。

91 ることであっ ても、結 局、市場にお ける雇用 労働を中心に 据えるも のであり、

そこには無償 のケア労 働の特殊性 に 対する 、 市場化する際 に伴う困 難に対する 考察が欠落し ていると 指摘した(原 , 2016:152)。

そもそもエス ピン-ア ンデルセンの 問題関心 は、「福祉 総体」を形成 する三つ の構成要素、 すなわち 、家族、市場 、福祉国 家がどのよう な原理の 下で相互に 結びついて社 会的リス クを管理する のか、そ の内的因果関 係に立つ 三極構造の 総体的なあり 方を把握 することであ って、ケ アの特殊性や 平等(も しくは不平 等)、と りわけジ ェン ダー不平等な どは、第 一義的な関心 問題では なかった。エ スピン-アン デルセン はむしろ、家 族、市場 、国家がリス クを管理 する上で異 なる配分の原 理をもっ ており、具体 的には、 家族の中では 互恵性の 原理、市場 は金銭関係を 通じた分 配、国家は権 威的な再 分配が支配的 であり、 どれも「平 等性」や「平 等主義」 を意味するも のではな いと述べてい る。さら にエスピン

-アンデルセ ンは、近 年の欧米諸国 における 女性の役割の 変化と福 祉国家の適 応とを論じた 、 2009 年の著書の序 論で 、「 ジェンダー不 平等」に ついて次のよ うな懸念を述 べている 。女性の役割 の変化と いう課題 にお ける分析 のレンズを ジ ェ ン ダ ー 不 平 等 に 絞 り 込 ん で 「 タ コ ツ ボ 化 」 し て き た せ い で 、 私 た ち は 20 世紀の最後 の 2,30 年における「 重大な転 換」96のなかで 、女性の 役割に如 何 に革命的な変 化が起こ っているのか を把握で きなかったの ではない かと( Espi ng-Andersen, 2009=2011:4)。

しかし実際は 、エスピ ン-アンデル セン自身 が「家族」と 「女性の 役割の変 化」を把握で きた のは 、 ジェンダー 不平等と いう分析のレ ンズを通 して 家族に おける女性の 役割 やそ の実情を 分析 し続けて きた、 ジェン ダー視点 からの 批判 があってから こそのこ と ではないか 。ま さに 、「貧 困の女性 化」は 、それま でジ ェンダー中立 的な概念 であった貧困 を、ジェ ンダー不平等 という分 析のレンズ を通して、近 年の家族 、市場、国家 それぞれ の領域におけ る社会経 済構造の変

96 エ ス ピ ン - ア ン デ ル セ ン は 、 私 た ち が 経 験 し て い る 近 年 の 激 し い 社 会 変 動 を 、 カ ー ル ・ ポ ラ ン ニ ー が 『 大 転 換 』 で 描 い た よ う な 事 態 と し て 認 識 し て い る よ う に 思 わ れ る 。 エ ス ピ ン - ア ン デ ル セ ン は 、 大 転 換 が 進 む 際 に 、 社 会 の 性 質 を 把 握 す る た め に は 、 社 会 秩 序 の 個 々 の 構 成 部 分 を 超 え て 、 関 連 す る 多 く の 構 成 部 分 の あ い だ の 相 互 作 用 と 共 働 と を す べ て 結 び つ け て 、 実 証 を 行 な わ ね ば な ら な い と 述 べ て い る ( 2009=2011: 4 )。