生きがいに類似したものとしてSpiritual Well-beingの概念がある。クオリティ・オブ・ラ イフという概念において、Spiritual Well-being の視点への注目も喚起されてきている現状 の中で、アメリカの高齢者の視座からそれがどのように捉えられきたか、どのような背景が あるのかを検討する。また本研究の調査をふまえて、生きがいとSpiritual Well-beingの概 念の比較については、6-3で行うこととする。
3-1
高齢者のクオリティ・オブ・ライフクオリティ・オブ・ライフ(quality of life)という概念は、歴史的には、1964年にアメ リカの大統領Lyndon, B. Jonsonが用いて以来、広まったとされる(Beah, 1987)。1970年 代から、主として経済学の分野において、国民総生産(GNP:Gross Rational Product)を 中心とした量に象徴される生産の立場、つまり物質的な豊かさへの批判がおこり、社会指標 の作成とその体系化と連動して、クオリティ・オブ・ライフの測定へ関心が向けられたので ある。1980年代になると、医療や看護、特にがん医療の分野で、クオリティ・オブ・ライフ の概念が取り入れられるようになった。1988 年以降は新薬開発や承認にあたって、クオリ ティ・オブ・ライフを指標の一つとしたことが契機となり、臨床治験の研究などにおいて、
急速にクオリティ・オブ・ライフの概念が取り込まれていった(中根他, 1996)。
クオリティ・オブ・ライフは、生活の質、生命の質、人生の質、生の質などと訳されてい る。これはライフ(life)という言葉のもつ意味が、生命、生活、人生など多様であるためで ある。
世界保健機構(World Health Organization: WHO)では、クオリティ・オブ・ライフを
「個人が生活する文化や価値観のなかで、目標や期待、基準また関心に関連した自分の人生 の状況に関する認識」(中根他, 1996, p.13)と定義している。WHOはWHO/QOL評価法 を開発しているが、それらの評価の領域は、① 身体的領域、② 心理的領域、③ 自立のレベ ル、④ 社会的関係、⑤ 環境、⑥ 精神性/宗教的/信念、という 6 領域から構成されてい る(The WHOQOL Group, 1995)。
クオリティ・オブ・ライフの概念にどのような内容を想定しているのかは、それぞれの専 門的立場によって異なっている。中根ら(1996)は、わが国においては、クオリティ・オブ・
ライフの枠組みは十分な議論をせずに、用語のみが一人歩きしていると指摘している。混乱 をきたす要素として、クオリティ・オブ・ライフはすべて主観的な指標から構成されるとみ なすか、もしくは主観的指標と客観的指標の2つの視点があるとするかという点を挙げてい る。これらは、つまりクオリティ・オブ・ライフを生活者の意識面中心―主観的指標―に考 えるか、もしくはおかれている環境状態―客観的指標―について考えるかということであろ う。
それらに対して、清水(1997)は、この2つの考え方は必ずしも相反する立場ではないと 指摘する。本人の満足度は素データであって、そこから生活者の満足度の要因となる環境を
割り出す過程をへて、単にある生活者の個人的な評価ではなく、公共的な評価が抽出される という。つまりクオリティ・オブ・ライフは当人の満足度を通して、公共的な環境の評価が なされるので、満足度と環境の評価は表裏一体であるということであろう。
高齢者のクオリティ・オブ・ライフについて検討を加えたい。戦後の高度経済成長期に伴 い、物質的な豊かさから心の豊かさへの求めが顕在化し、誰もが長寿を享受できる時代にお いて、老後の過ごし方へ関心が寄せられ、それらに伴いクオリティ・オブ・ライフに注目が 集まってきた。高齢者のクオリティ・オブ・ライフについて、老年学、医学、社会心理学な どを中心に様々な研究が行われている。クオリティ・オブ・ライフは、多様な側面を含む複 雑な概念であるために、いくつかの下位概念に分けられて検討されてきた。すでに 2-1-4で 先述した主観的満足度(subjective well-being)、心理的幸福感、生きがい感、幸福な老いな どである(平野, 2002)。
高齢者の生きがい感は、クオリティ・オブ・ライフにとって重要であると位置づけられて いるが、それらの研究の方法は前述したように、いくつかの質問紙調査を中心に行われてき た。それらの様々な尺度の開発や改良により、高齢者の生活満足度や主観的満足度に関して 多くの成果が蓄積されてきたことは言うまでもない。その一方、生きがいと主観的幸福感を 同じようなものとして捉え、それらの質問紙によってあたかも生きがいを測定できるかのよ うにされているものも多い。それらの問題点には先に触れた通りである。
3-2
Spiritual Well-being
の視点世界保健機構(WHO)はそのWHO憲章前文の中で、「健康」を次のように定義している。
Health is a state of complete physical, mental, and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.(「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単 に疾病又は病弱の存在しないことではない」昭和 26年官報掲載の訳)
しかしながら 1998年の世界保健機構(WHO)執行理事会(総会の下部機関)において、
WHO憲章全体の見直し作業の中で「健康」の定義を、Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or
infirmity.とする改正案(下線部追加)が提起され、総会の議題とすることが採択された 23。
しかし実質的な審議は1999年5月の世界保健機構総会では行われず、この議題は次年度へ の申し送りとなっている(津田, 2000)。このような世界保健機構における「健康」の定義の 改正案への提案を受けて、厚生省の厚生科学審議会においても議論の場が設けられた24。わ が国においても、医療・看護のみならず、様々な分野で、人間の Spiritual25の側面への関心 が高まっている。
世界保健機構の専門委員会(1993)は「スピリチュアル」を、『「スピリチュアル」とは、
人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体 験を表わす言葉である。多くの人にとって「生きていること」がもつ「スピリチュアル」な 側面には宗教的な因子が含まれているが、「スピリチュアル」は「宗教的」と同じ意味ではな い。「スピリチュアル」な因子は身体的、心理的、社会的因子を包含した人間の「生」の全体
像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念とかか わっていることが多い。とくに人生の終末に近づいた人にとっては、自らを許すこと、他の 人々との和解、価値の確認などと関連していることが多い』(p.48)と定義している。
つまり「スピリチュアル」という言葉の意味には宗教的な因子が含まれるが、さらに、広 く人間の生き方や価値観などに大きく関わっていると理解されていよう。世界保健機構
(WHO)の健康の定義におけるSpiritual Well-beingへの提起は、人間の健康にとって、ま た充実した生の終わりを迎えるためには、生きている意味や生きがいの追求、すなわちの
Spiritualの側面が重要であるとの視点が提起されたと言うべきだろう。
わが国では、臨床を中心とした全人的ケアのあり方を追求するために、1977年に発足した 日本死の臨床研究会26などを通して、医療従事者を中心に、末期がん患者の Spiritual の側 面やそれらへの対応が検討されてきた(鶴若他, 2000, 2002e)。5-1で詳述するが、特にター ミナルケアの領域においては、死に直面した人の、人生の意味や目的を求める痛み―
Spiritualの苦痛―として検討されてきた。第6回日本緩和医療学会総会(2001年 6月 8-9
日, 東京)27において、わが国ではじめて Spiritual Well-being というシンポジウムが開 催されたが、その内容は、末期がん患者のSpiritualの苦痛に焦点があてられたにすぎない。
今後はさらに、医療・看護のみならず、広く健康とSpiritual Well-beingの関係性などへの 議論と具体的対応が期待されている。
3-2-1 高齢者に関するホワイトハウス会議 28
アメリカにおいては1970年代から、高齢者のSpiritual Well-beingをめぐって活発に議 論がなされてきた。高齢者の Spiritual Well-beingをめぐる議論の発端となったのは、高齢 者に関するホワイトハウス会議(White House Conference on Aging)である。これらの議 論経過や背景を明らかにすることによって、高齢者のSpiritual Well-beingの視点の重要性 が明らかになると思われる。そこで、どのような議論がなされてきたのか、その背景を含め 検討したい。
アメリカでは、高齢者の人口の増加などに伴い生じる様々な課題に取り組むために、高齢 者に関するホワイトハウス会議が、1961年を第1回とし、1971年、1981年、1995年と約 10年ごとに開催されている。この会議では、メディケアやメディケイドをはじめとし、社会 保障制度の改革、高齢者のための住宅、職業、交通などのサービスを充実させる契機を作り 出してきた(Tedrick, 1985; 木村, 1995)。
1961年の高齢者に関するホワイトハウス会議
1961年の高齢者に関するホワイトハウス会議では、約2500人の代表が集まり、947の勧 告が作成された。会議では、「宗教とエイジング(Religion and Aging)」部門が設けられた。
この部門では、高齢者にとっての宗教の役割、教会における高齢者の役割、高齢社会におけ る教会の役割、という3つのワークショップが開かれた。