本道の寒冷地にはどのような樹種が良いのか。スギ、アカマツ、ヒノキ、カラマツ、アスナロ、
トドマツ、エゾマツ、シコタンマツ、外国産針葉樹、広葉樹ではカツラ、ハコヤナギ、ドロヤナ ギ、ヤチダモ、オニグルミ、シナノキ、セン、オヒョウ、ナラ類等、さまざまな樹種が苗圃で試 植されてきた。カラマツが造林事業用の最適樹種として取り入れたのは小樽市内の官有林(国有 林)だった。小樽苗圃で行われた試植の成績について、明治末期、当時北海道庁の技師だった河 原繁は以下のように述べている。「本道に於いて造林を要すべき有要の樹種なりと雖も播種も結 果成長甚だ遅緩にして発育亦不良山地移動までに非常の歳月を要し経済上不利益」注1とされた のがエゾマツ、トドマツだった。アカマツ、スギ、ヒノキについては「本道西南部渡島後志胆振 地方に小町歩の人工林を経営しつつありて其成長も敢えて不良にあらざる」注2と植栽の見通し を述べている。外国産樹種については「試験日数尚ほ浅く且つ多数の造林を行はさるを以て良否 亦不明に属す」注3と造林に不明なことがあるという見方だった。
河原技師は「内国産の樹木にして本道造林上最も成長良好十全の結果を得らへきものはカラマ ツの右に出つるものなく」、「畢竟するに本道に植栽すべき樹種は目下の所カラマツと白楊樹を除 き将来成林の見込あるものなき」注4とまで言い切るほどであった。その結果、「小樽苗圃におけ る一〇数年来の実験に寄れば数多の苗木中最も強堅にして成長良好なるは落葉松にして、信州産 は千島、欧州等の産種に比して優勝なり。さらに本道の名産たるトドマツは苗圃にては伸長甚だ 不良なり。エゾマツに到りては一層悪しく枯死して殆ど成育するもの意外なり」注5だった。
カラマツが造林用に選ばれたのは、当時、急速に進む本道開拓の事情にあった。「…今年鬱蒼 たる森林も明年は変して(中略)漸次森林地積の縮減するのみならず昔時此の方面は林政の未だ 整はさりし時代に於いて濫伐暴斫を極めたるを以て林地頗る荒廃し林相の閉鎖を破り或いは地 方の如きは既に用薪材の欠乏を告げ…」注6と濫伐による荒廃は著しく、日常生活の薪などの確 保さえ不足する事態にあった。小樽苗圃の成績結果はその後の苗木養成や樹種選択に大きな影響 を与えたが、どの樹種が良いかを試植してその成績の結果を待つなどという時間はなかったもの といえる。
進む開拓の一方で増える荒廃した森林は当時の林政の最重要課題であり、荒廃地を解消するた めには、養苗が容易で植栽後の成長が早い樹種が望まれた。トドマツやエゾマツが造林樹種とし て不適だったからではない。明治末期以降、信州カラマツの種子や苗木を移入する一方で、カラ マツはいかに造林樹種として優れているか、道内各地に普及していく上で、カラマツ造林のいわ ゆる“奨励派”が郷土樹種を支持する人達の意見に勝っていたのである。
例えば、渡島濁川で苗圃を営んでいた長野県出身者の望月紫霞三は、カラマツが陽樹であるこ と、成長が早いという点ばかりでなく本道の寒冷気候に適した樹種であり、材質や土地改良にも 優れ他の樹種にはないと賞賛していた。材質については「一度使用せは其堅硬なるに驚くなるへ し」注7、「秋の落葉は甞て荒廃に帰したる瘠悪の土地も移植後十数年を過れば膨軟肥沃の地とな る」注8と過大とも言える評価を与えた。さらには「大面積の荒廃せる如き林地に造林せんには
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必ずや乙者(材質は比較的不良なるも用途廣き樹種)の需用多き樹種を撰はさるへからす而して 落葉松は最も此の造林に適したるもの」、「本樹に優る樹種を未だ発見せさる事等によりて将来 益々繁殖せらるべきや盖し疑を容れさる所なり」注9と、材質はともかく用途が広く、今後カラ マツより優れた樹種が現れようとも、カラマツは将来性のある樹種であると見ていた。
いち早くカラマツ造林を事業化していた「造林会社」の近藤新太郎は、集落周辺は山火事や濫 伐で荒れ、放置されている現況を前にして、「肥瘠を選ばず比較的風力に堪え即ち多くの土地に 適応し而も稚木の時に於いて成長旺盛にして移植後の手入れ頗る簡単に苗木の養成又甚た容易 なるか故に特殊の技能を須ひすして多数の苗木を廉価に得るの便あり」注10と、土地を選ばず、
活着も良く、容易に安く苗木も入手できるとその利点を強調していた。
一方で、何れの土地にあっても冬枯れのような貧相な景観の趣でなく本道に適した常緑の松を なぜ植栽しないのかとカラマツ一辺倒に疑問を唱える者もいた。カラマツに常に質された疑問は、
地力維持に保証がない、材質が劣るという点をあげていた。その声は少数派にすぎなかった。カ ラマツの“奨励派”は、これを一蹴し、「現今民間に於ける造林の用に供せられつつある土地は、
其の大部分は耕地である。耕地として不適の所に栽培すれば損を招く、夫れよりか一層のこと落 葉松造林して置かば、二〇年内外には収入がある。利回りはよく、二,三回植伐を繰り返しその 後地力回復の見込み付いたら又開墾して耕地にしてよい」注11という意見ではあるが、当時の耕 地や林地の荒廃地の状態を救うためにはカラマツ以外にないと言った声には多くの理解を得て いた。
ただ信州産カラマツの種子や苗木の移入にはさまざまに懸念される問題も指摘されるように なっていた。長野県から北海道庁に入った安藤時雄は、本道のように新しい林業地では造林し易 く成長の早い樹種が好まれるが、母樹の豊作年に収穫し、発芽率の高い種子を吟味して購入する ことが大切であると言い、木曽御料林の種子採取の権利をもっていた諏訪郡原村の中村子之作を 紹介したのである。
本道に大量の信州カラマツ苗木を供給していた苗木商の中村子之作は、最近の種子の豊凶によ り左右される種子の優劣が山行苗木の成長に影響を与えるのでよく見極めるべきであると注意 を促し、カラマツは「火山灰土に適し粗悪の乾燥地を好んで能く成長す」、「適地に植栽されたカ ラマツは美林となり、落葉松は東洋第一等の建築材にして他樹の敵すべきなし」注12と、信州カ ラマツの適地として本道も同様であると期待を述べている。
以上のように、さまざまな立場からカラマツ造林の優位性を説く傾向にあったが、カラマツの 苗木は本道に苗木の生産技術もなく、直接長野県から容易に移入できたことに加え、苗圃におけ る苗木の養成期間も短く大量生産の供給が可能だった。大面積の荒廃地を植林化するのに最も適 した樹種であったことは誰もが認めざるを得なかった。また短期に伐採し利用できるため、実に さまざまな用途も期待されていた。
例えば、工事用の支柱、足場丸太、杭材、身欠き鰊の乾燥用のサキリ、稲架材、果樹用の棚木、
農具や漁具用の艪、櫂、柄、橇用材、物干し用、電柱、炭礦丸太等である。しかも皮付きのまま 簡易な加工で使用できるため工事、建築関係ばかりか生活に密着した材として、何もなかった時
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代の代用材としてさまざまな用途があった。カラマツは苗木養成から植林後の管理など特別な生 育管理も行わずに済み、経費も少なく収穫期が早く販売も見込めるなど、都合の良い粗放な植林 に向いた樹種として時代の風潮に乗ることができたのである。なおカラマツを積極的に勧めたの は長野県出身の北海道庁職員だったことも、故郷の信州カラマツを売り込む重要な仲介役を果た し、カラマツ造林の推進上に大きな影響を与えたと思われる。
2 カラマツ材の用途と林産物市場の発展
開拓使設置以来、北海道の拓殖政策は資本家への大規模な土地の払い下げを進める一方、拓殖 財源の確保のために国有林等の官有林の林産物の払い下げが行われた。つまり「官林木特売」
(1888年、明治21年)、「三寸以下立木払い下げ停止」(1893年)を経て、「北海道国有林野及び 産物処分令」(1908年、明治41年)、「北海道国有林野産物売払規則」(1909年)により国有林の 立木処分方法が確立した。このうち「年期特売」による立木販売では、国有林の他の立木価格よ りもおよそ7%~⒕%と低く、それは「…基本的には安価な木材を大量にかつ長期間にわたって 保障することで紙パルプ資本を中心とする独占資本を優遇すると同時に拓殖政策に必要な森林 収入を恒常的に確保する」注13ためであった。
大正期から戦前昭和期、国有林の石当たりの立木払い下げ平均単価は、第一次欧州大戦(1914
~18年)、樺太材の移入制限(1918年)、関東大震災(1923年)、全道冷害凶作、世界的不況(1931 年)などの影響を受けて、針葉樹材は、一時期、60銭台に下落したものの大正末期は90銭台、
昭和期では1円~2円台を維持していた。むしろ戦時体制に向かって公定価格制の実施、騰貴抑 制措置が行われるなど立木の平均単価は、木材需要の拡大に応じて2、3円程度と上昇したが、
安定した立木価格は紙パルプ資本などに木材を供給することができたのである。このことについ て船越は「多分に政策的干渉価格(低材価主義)によって形成されるという色彩が強かった。」
注14と述べ、「膨張する産業資本、軍事部門の需要をまかない(中略)、豊富にして低廉な基礎資 材の供給が絶対条件」注14とする戦前期の林業政策基調は本道において貫徹された結果であった とも言える。
それでは木材の用途別生産はどうであったか。素材生産量は大正期では約600~900万㎥、昭 和期になって戦時体制下においては戦前期最大の約5,717万石(10,313千㎥)に達するもので あった。その間の用途をみると、表7に示したように、1912年(大正元年)では853万石のう ち製材原料が約60%の508万石、次に製紙原料193万石の約23%と両原料で82%を占めている。
1937年(昭和12年)には756万石に減少したとはいえ、製材並びに製紙原料が全体の76%を確 保していた。全体的な木材の主要な流通先は道外移出中心の製材、製紙用原料が大きな分配を占 め、これに対する道内の鉱工業、漁業用材の用途は2,3割程度に制約され、不均等に二分され た需要構造となっていることが分かる。
道内全体の素材生産量は増加傾向にありながら、道内需要の少なさは未成熟な林産物市場の狭 隘性として特徴づけられる。船越は「戦前期のわが国内地木材市場発展の一端を担っていたのは、
北海道、樺太から移入される北洋材であった」注15と指摘するように樺太とともに本道林業の位