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イヌイットのメンタル・ヘルスと教育

本章では、イヌイットの教育の現状とその要因について考察する。1節では、イヌイット の学歴、学力の現状を文献や資料に基づき、他の先住民とも比較し、分析する。2 節では、

イヌイット社会の学歴、学力の低さの主要な要因であるトラウマ(心の傷)について考察 する。3節では同じく要因となっている文化喪失について考察する。4節では同じく要因と なっているイヌイット社会の貧困を分析する。5節では、同じく要因となっている10代の 妊娠について考察する。6節ではまとめを述べる。

6.1 イヌイットの学歴

6.1.1 イヌイットの高校卒業率

イヌイットに学校教育が行われて50年以上が経過しているにもかかわらず、イヌイット の高校卒業率は低く中退率が高い。最新のヌナブト準州の教育省の資料に基づき高校卒業 率を図6-1に示す。

図 6-1 過去5年間のヌナブト準州の高校卒業率(17-18歳)

(Department of Education, Annual Report 2013-2014:37より筆者作成)

図6-1によれば、2014年度のヌナブト準州の17歳―18歳の高校卒業率は31.5%であり、

いまだに低い。 2010年度に比して、最近の2013年2014年度の男性の卒業率が低下して きている。 2010年の男性の卒業率は40.9%であったが2014年は28.2%と低下している。

2010 2011 2012 2013 2014

女性(%) 35.7 35.2 36.8 34.5 34.9 男性(%) 40.9 35.8 37.3 29.8 28.2 ヌナブト準州(%) 38.4 35.5 37 32.2 31.5

0 5 10 15 20 25 30 35 40 45

卒業率(%)

157

2011年以降は女性の高校卒業率の方が高く、あまり変動がない。21歳までは高校の教育を 受けることができるので(Department of Education:2013-2014 Annual Report:36)、 留年する生徒も多く卒業が遅れる場合や再度高校に戻って卒業する場合も多い。また中退 して職業に就いた後、学歴の大切さを痛感し、コミュニティの成人学校、職業学校やカレ ッジで卒業資格を得る場合も多い。

6.1.2 イヌイットの資格保有率

伝統的にイヌイットには職業教育が重視されてきたので、職業、収入には関心が高く、

それらに結び付く資格を取るイヌイットが多い。2011 年の国勢調査 (Statistics Canada) による先住民、カナダ全体の資格保有率を図6-2に示す。

図 6-2 先住民の資格保有率

(Statistics Canada: Aboriginal Statistics at a Glance 2nd Edition 2015: 14より筆者作成)

図6-2でわかるとおりイヌイットの高校卒業資格のない率は 48.5%と他のインディアン、

メティスより高く、高校卒業のみの資格および高校卒業以上の資格保有者は一番低い。先 住民の中では、メティスが一番高学歴であり、インディアンがそれに次ぐ。イヌイットの 学歴はカナダ全体の中でも一番低い。第 2 章で述べたように、イヌイットは移動生活を送 っていた上、長年カナダ政府から放置されてきたので、学校教育の開始が遅れたことが大 きな要因である。

2011年の国勢調査(Statistics Canada)によれば、最終的に約半数余りのイヌイットは 高校卒業以上の資格を保有するようになったが、高校卒業後上級学校に進んで資格を保有

33 20.8

48.5 12.1

22.2 24.4 15.9

23.2

44.8

54.8 35.8

64.7

0 10 20 30 40 50 60 70

インディアン メティス イヌイット 先住民以外

高卒以上の資格保有(%) 高校卒資格保有(%) 資格なし(%)

158 する者の割合は図6-3のとおりである。

図 6-3 イヌイットの資格保有率

(Statistics Canada: Aboriginal Statics at a Glance 2nd Edition 2015:19より筆者作成)

図6-3で明らかなように、先住民の中ではメティスの学歴が一番高い。特に、カレッジ卒 業者が多く、カナダ社会の中間層に属するメティスが多い。大学卒業のメティスも 11.7%

と先住民の中では一番多い。インディアンとイヌイットを比較すると、ややインディアン の大学卒業、カレッジ卒業が多い。イヌイットの専門学校卒業の資格保有者は他の先住民 とあまり変わらないが、カレッジ(2年制)はやや低く、大学卒業の資格保有者は5.1%と 一番低い。イヌイットが大学へ行くには南部に居住しなければならず、経済的な負担が大 きい。また、南部の大学卒業後も南部に残るケースが多く、ヌナンガットの大学卒業率は 1.8%とさらに低くなっている(Statics Canada: Inuit, Fact Sheet for Inuit Nunangat、

2016: 3)。高校卒業資格のみのイヌイットの平均収入は20,000ドル―30,000ドルであるの

に対し、高校中退者の平均収入は10,000ドル―20,000ドルである。高校卒業後、専門学校、

カレッジの卒業資格を持つイヌイットの平均収入は40,000―50,000ドルであり、明らかに 学歴と収入の関連が強い(Bougie 2013: 48)

図6-4で明らかなように、高校卒業後、上級学校に進んだイヌイットの収入は、他の 先住民の平均収入より高い。高校卒業後、専門学校、カレッジ、大学などへ進んだイヌイ ットの収入は非先住民の同資格の平均を少し下回る程度であるが、高校を卒業していない イヌイットが多いので、25-54才のイヌイットの平均収入は非先住民よりかなり低いこと が、図6-4より分かる。しかし、学歴、学力は前述したように、先住民の中でもイヌイ

13.2 16.3 13.2 12

19.4

23.2 15.6

21.3

6.7

11.7 5.1

26.5

0 5 10 15 20 25 30

インディアン メティス イヌイット 先住民以外

大学(%) カレッジ(%) 専門学校(%)

159

ットが一番低いが、収入はいずれの場合もインディアンより高い。インディアンはリザー ブにいる場合が多いので、就職の機会がイヌイットよりさらに低いからであろうか。イヌ イットの中には、学歴がない場合も滑石彫刻、版画などの仕事をみずから切り開いている 者も多く見受けられる。

図 6-4 教育による平均収入(25~54歳、2010年)

(Statistics Canada: Aboriginal Statistics at a Glance 2nd Edition 2015:27より筆者作成)

6.1.3 イヌイットの学力

イヌイットの多いヌナブト準州の先住民は、カナダの中で一番英語識字力、基本的計算 力が低いことが、全国共通テストの結果をまとめた表6-1からわかる。特に基本的計算 能力が低いが、長年イヌイットの生活ではあまり計算など必要でなかったことも大きな理 由である。大村(2013: 68)は、近代科学とイヌイットの伝統知識を比較し、前者は、定量 的、合理的、分析的、客観的、厳密で固定的であるのに対し、後者は、定性的、直観的、

全体的、主観的、柔軟であると、その違いを説明している。西欧の近代科学とイヌイット の伝統知識は、このように対照的な特性を示しているので、西欧的な尺度のみでイヌイッ トの学力を測ることには問題がある。英語識字率が低いのは、高校中退者の多くは、英語 の習得ができていない場合が多いこと、第4,5章で述べたように、バイリンガル教育が うまくいっていないために、英語、イヌイット語の習得がうまくできていない生徒が多い ことが要因として考えられる。

27866 23571

34914 29047

36657

37036 33134

41379 42207

43834

0 10000 20000 30000 40000 50000

先住民全体 インディアン メティス イヌイット 先住民以外

専門学校、カレッジ、大学卒(カナダ$) 25才~54歳平均収入(カナダ$)

160

表 6-1 州別先住民の識字、計算能力

先住民 非先住民 先住民 非先住民

識字能力 計算能力

カナダ 260 274 244 266

オンタリオ州 269 276 252 267 マニトバ州 7 259 276 245 267 サスカチュワン州 248 274 232 266 ブリティシュコロンビア州 266 275 250 267 ユーコン準州 242 288 224 274 北西準州 229 280 210 271 ヌナブト準州 207 290 187 279

(Statistics Canada: Aboriginal Statistics at a Glance 2nd Edition 2015 : 21より筆者作成)

さらに、表6-1では、他の州や準州の先住民と比較しても、ヌナブト準州の先住民の識 字能力、計算能力が一番低いが、イヌイットの学力を西欧式の調査のみで測ることには問 題もあるので、参考資料とする。

6.1.4 イヌイットの出席率

筆者のイカルイトの高校長へのインタビューでは、10年生(イカルイトでは高校は9-

12年生)すなわち高校2年生での中退率が一番高く、11年生がそれに続くとのことであっ た。中退者(leaver)は遅刻者が多く、出席率も悪く、教員の悩みの種である。プレストン

(Preston) の教員へのインタビューによれば、イヌイットの生徒の遅刻と出席率の悪さ は大きな問題(issue)である。

It’s hard to teach someone who is only there every other day or who comes late。…Attendance―it is my biggest concern in the North.…

Attendance, for some kids, we really do struggle with that.

「一日おきに登校し、ただそこに座っている生徒や、遅刻してくる生徒を 教えるのは大変である。北部では、出席は一番の関心事である。

我々は本当に遅刻の問題と格闘している。 (筆者 訳)」

(Preston 2016: 116-117)。

一日おきにしか登校せず、登校しても遅刻する生徒に教師が悩んでいる。

161

…there is alcohol, drugs, food insecurity, domestic violence…it’s people who don’t have money to feed their children.…the issue of attendance needs to be viewed as a part of a larger social problem.

「(イヌイット社会には)アルコール、麻薬、家庭内暴力などの問題 がある。…イヌイットは子供を養うのに必要なお金を持ち合わせて いない人々である。欠席の問題はより大きな社会問題の一部として 考えねばならない。(筆者 訳)」( Preston 2016 : 117-118)

しかしながら、教師はまた、出席率の悪さはアルコール、麻薬中毒、食料不足、家庭内の 暴力、貧困などイヌイットの家庭や社会の問題からきていることも認識している。出席率 の悪さ、中退の問題は大きな社会問題の一部として捉えられなければならない。

イカルイトのイヌクスク高校(Inuksuk High School)の出席率は66.6%であり、小学校 2校の出席率は90%、中学校の出席率が80.6%である(Department of Education 2013 -2014 Annual Report: 53)。中学校から出席率が少し悪くなり、イカルイトの高校では約 1/3が出席していない。ヌナブト準州の高校の出席率を教育省の報告書に基づき、表6-2 に示す。

表 6-2 ヌナブト準州の高校の出席率

場所 高校名 出席率(%)

ケンブリッジ・ベイ クリニック高校 出席率 80.7%

ランキン・インレット マーニ・ウルジュック高校 86.2%

イグルリック アタグタールック高校 62.7%

イカルイト イヌクスク高校 66.6%

ポンド・インレット ナシビック高校 82.8%

サンキルアック パーチュアリー高校 77.0%

(Department of Education, Nunavut, Annual Report 2013-2014: 53より筆者作成)

イカルイトの高校の出席率は同じ キキクタルック(Qikiqtaaluk)地方のイグルリック

(Igloolik)の高校に次いで悪い。イカルイトは他の地域に比べてイヌイットの比率が低く

(約60%)、白人や移民なども多く、就職の機会も奪われているなどストレスが多いのも一 因かもしれない。

出席率が悪く、高校を中退するイヌイットが多い一方で、上級学校に進み、高学歴のイ ヌイットも増えている。筆者が面接したイカルイトのイヌクスク高校長の話では、卒業生 の約半数が南部の大学に進学するとのことであった。イヌイット全体の大学卒業率は図 6

-3 で明らかなように、5.1%であるので、イカルイトのイヌクスク高校はエリートの多い 進学校で、イヌイット社会全体からみると、特殊なケースである。

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