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らこ の 引 用 文 の 内 容 を 説 明 す る と 次 の よ う に な る。す な わ ち 、 英 祖王は 義 本王に替わって 中山王に な る と 、 高 嶺 大 里 の 大 里 按 司 を 廃 し て 自 身 の

5

男 島 尻 世 主 大 里王子 を 封 じ た。そ

4

代 目 の 時 代 に な っ て 、 中 山玉城王が遊興にふけり国政が乱れたので、

4

代 目 の 長 男 大

回 怯 1十 邑 田 庁 、 諸 蛇 司 志 位 佳 1

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I 狛 ウ 十 ス 下 ル 必 ず れ h 為的ハト冷男与応 按

図4‑14 第

2

‑承察度王

一長男屋蔵大主 鮫川大主

仲昔中山英祖王一下長男 達勃期

ト次男 注応祖王一一一他魯毎王

太 子 佐 敷王子

次男 尚忠王

3男 具志頭王子

尚思紹一一尚巴志王ーーイ 4男 八重瀬城主

馬天祝女 5男 尚金福王

6男 尚 布 里

7男 尚泰久王

8男 前 回 按 司

9男 倉波子 ど /

(東松田第2代)

按司をl情 も危害が 統 も 最 終 川の家系 をさらに 達 す る 家

され、さ 代まで、

図4‑14 第

2

代倉波子の由来

島尻世主大里按司

仲昔中山英祖王 五男大里王子一一一島尻世主大里按司

次男 東大里城主玉村按司

長 女 真 鍋 金

長男 (初代

次男

3

4

長男 南山大里王一一一承察度王 (初代南山王)

f主大里按司

島尻世主大里按司 次 男 与 座 按 司 長 男 屋 蔵 大 主 鮫 川 大 主

次男 東 大 里 城 主 玉 村 按 司

長 次

﹁│寸│ト

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長 女 真 鍋 金

4 島添大里按司

らこの引用文の内容を説明すると次のようになる。すなわち、英祖王は義本王に梓わって

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J山王になると、高嶺大里の大里按司を廃して自身の 5男島尻世主大里王子を封じた。そ の

4

代目の時代になって、中山玉城王が遊興にふけり国政が乱れたので、

4

代日の長男大 里按司は島尻の諸按司を結集して中山から独立すること企てた。それを知った次男う!恒按 司はその計画を止めるように兄に忠告した。しかし、長男大里按司は、次男与座抜戸jを暗 殺し、自ら南山王と称して中山から独立した。そこで、与座按司の長男は自身にも危害が 及ぶのを恐れて伊平屋島に身を隠したというのである。したがって、第

l

尚氏王統も最終 的には英祖王統を経由して天孫氏に到達する系統であるということになる。東松fllの家系 は始祖の倉波大主とその後継者の倉波子では系統が異なってはいるが、その山内をさ らに たどれば、図4‑15のように、最終的にはいずれも英祖王統を経巾して天孫氏に到達する家 系ということになる。

そして、東松田の第

2

代目倉波子以降の系譜が図

4

16

のように

12

代目まで記され、さ らに1

3

代目以降は東松田比嘉家に所蔵されている資料によって

22

代目の子供の代まで、

すなわち現在まで延長されている 。ここでいう東松田比嘉家に所蔵の資料とは

1923 年

(大正

1 2 )

に作成された由来記ではないかと思われる。

[  4 

]拝所

ここには上で明らかになった東松田比嘉家をめぐる祖先の系譜に基づいた祖先祭記の対 象が詳細に記載されている。系譜の遡及に際して「恩の元祖」と「筋の元祖」を区別した が、その区別に対応して祭杷の対象も、まずは「恩拝の拝所

J

を列挙しているが、それを 整理したものが表

4 ‑ 6

である。こ の 表 中 (一) (二)の浦添地域の拝所は天孫氏から英

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王統までの系譜に関連した拝所であり、ふれは「筋の元祖」でもあるので、それらの拝所

お市もみ

での祖先祭杷は「恩拝」ではなくて「筋拝」であると説明している。

次に、 「筋の元祖

J

に関連した「筋拝」のための拝所をあげている。それを繁思したの が表4‑7である。第

l

尚氏王統の山身地とされている島尻の大里から始まって、首lfJ̲の rjl 山国王になるまでの一族の移動の経路にそって祖先崇拝を行うべき拝所があげられている

3

には、 「アマミキヨ及天孫氏国王の拝所」と題して表4

8

のような拝所があげられ ている。これらの拝所については、 一般にはこれらの拝所全部を拝んでいるわけではなし が参考のために掲載したと付記されている。このうちでこの東松田の出自と関係が深いの は、 (五)の浦添天孫氏国王関連の拝所であるが、この内容は表

4 ‑ 6

の (二)の内符と 部重複している。この表48で注目しておきたいのは、他系統の天孫氏に関する記述が見

られる点である。つまり、天孫氏が一つの民族のように認識されているのである。沖縄の 古代には天孫氏民族が存在し、そこに沖縄人の出自を求めようとする認識が現代の沖縄社 会に存在するようにみえるのである。

これ以外にさらに、 「恩の拝所」として「首里十二箇所

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崎樋)IIJ および「東御廻い

J

の各拝所が記載されている。これらの拝所のうち、 「首里十二箇所

J

については、この卜

カ所の拝みはもともと国王家の長寿と子孫繁栄を祈願するとともに、琉球国の国体平穏、

4‑16 倉波そ 長男(東り屋)比 嘉 親 雲上

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