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ドキュメント内 真宗研究1号全 (ページ 65-113)

所抄 む

併し乍らこの二つの反論は共に成り立ち難いと思われる︒ハ円については︑

の一程を強の診錬に完てた以後に寓されているのであって︑若し﹁見開策い等が先にあって﹁除信紗﹄がその裏面を

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﹁兎四郎築﹂忠則抄の﹁法事讃いが杢文その引用中は見出されるのに︑これをその資料に非ずとするむは無理で

あろう︒若し﹁行巻﹂の引文が到の﹃法事讃﹄抄録を資料として文唇二年以詰に誌に引用慣であるならば︑持故文麿

二年

以後

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︑重 ねて これ を警 官持 する 怠要 があ った であ ろう か︒ かく 考え るな

の前文を別の資料に依るとする考え方は成り立たないりである︒

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﹁行 轡﹂ 時間 引

の﹃法一挙讃﹄文が文麗二年以後の執筆であるという事だけであって︑﹁行巻﹂そのものが何時起草され持持そり原形

を成就したかという事は全く別筒的問題なむであるQ然るに草橋本﹁行巻﹄の末逗に位する正信掲及び墨露の文字を

より

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見ると︑明かに聖人初期の筆蹟であり︑

﹃見 聞集

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﹃行程﹄の原形は既に文麿二年以

前卸ち聖人の閥東滞在中に出来上っていたものでなければならぬ︒

そうだとすれば︑この﹃五禽法事讃﹄は後日の増補と見る他はないのであるが︑このような増補追加と見られるも

のに善導大師の﹃般舟讃﹄がある︒この書の護見は建保五年でありその刊行は貞永元年︵聖人六十歳︶であるから︑聖

人がこれを披見されたのは掃洛後のこと﹀考えられ︑従ってその引文は増補に依ると推せられるのである︒

然るにこれらの引用を増補と見るについては衣の如き異論がある︒即ち︑若しもそれが増補であるならば︑欄外書③ 込とか︑貼紙とかに依る筈である︒然るに草稿本にはそのような痕跡は少しも認められぬというのである︒だがこの

抗論は次の事買によって説明する事ができる︒郎ち︑﹃化土巻﹄後序の書かれた後︑ある時期に六容の大部分に一旦っ

て閉書せられた事が︑その筆蹟︵晩期に近い行巻初頭数紙及び初期に属する正信侮等を除いた大部分は︑流暢な中期

の等蹟︑所謂草稿筆を以て貫かれている︒︶と共に衣の事買によって誼明せられている︒それは後序最後の一葉右第

その上方欄外に﹁代道﹂の二字が記入されている事である︒これは脱字を追加した事を示五行に﹁末O

俗﹂ とあ り︑

すのであるが︑書下しの文章にこのように中間のニ字までも脱落して︑成語として成り立たぬ文字を綴るという事は

考えちれぬ事であって︑明かにそれは初稿に﹁末代遭俗﹂とあったものを︑轄寓に際して−誤脱したとして始めて理解

せられるものである︒従ってその時それらの欄外書込や貼紙による増補分はすべて本文に組込まれたと見る事ができ

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右によって﹃行容﹂の原形は文麿二年以前に成立し︑

その 後﹃ 法事 讃﹄ 等を 増補 した 一事 が知 られ るの であ るが

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は筆蹟の上かち現かに最後鰐の加筆であり︑六容認立の後の改

ζのように﹃行巻﹄は文暦二年という︑聖人麓洛の年を以て前後二患に分たれるのであるが︑これは聖人の生活環

境に於げる大きな饗北と謝醸していると共に︑その思想信仰に於げる内実的出護援とも関連している事が︑克出される

ので

ある

︒ ︒

ではその結後二期に於ける指導精紳の擦移とは偲マあるかというなちば︑ぞれは︑前期後交問ずる摂心ものは憤念

︒ ︒

恥蜘の議であり︑後期や支配する所のものは構名愈梯の捕であった︑という惑ができると邸うめである︒

忽論聖人の議は斡始一貫附眠法熱心開額せられた静土異京︑部ち議隷本側織の倉鶴を樽承ずる部川にあって︑それに礎

化は ない むで ある が︑ その

﹁選 揮本 店側 念鐸 L

﹁選揮本額の念勢﹂という所に在ったと考えられるのである︒

3 K於て︑前期は叢黙が﹁選整本額﹂の遜に置かれ︑後期はその力黙が

例えば前鶏を代表するものに善導六字懇えの私轄がある︒その中で聖人は衣の如く述べられている︒﹁護者露命者

和一 動静 勝之 競合 也︒ 一一 一説 願捌 向者 如来 呂鞍 醸鶴 一叫 ん町 衆生 行− 之︑ 山内 品︒ 者即 酔揮 本砂 是場

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し乍らそれは聖一道の批難に答えるもむであるだけに︑その刀打﹂というは別に自力揺向の行と混同する農がないとはい

えない需があった︒聖人はこれに封して強力翠向の義を額わさんが露に︑給対に﹁行﹂の一字を省いて﹁選謬本頴是也﹂

と示 され たの であ って

︑ それ は行 を顛 に仙 約し て関 され たも のと 推せ られ るの であ る︒

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探るに後場設離の部分に属する巻頭援拳の支に立一時叩土真貫之行︑選警本癒之行﹂として明かに﹁行﹂の一宇が加

えら れて いる

これはそれに讃く大行警に﹁大行者出稽−一無礎光如来名乙とあるのと共に︑種名念傍の立場にある事

を開 示す るる ので ある

とある︒然る

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べて いる ので ある が︑

叉︑ 整期 に麗 ずる は別 調大 行利 盤文 には

いる︒これらのニつ

設き︑後者はそれを梶名に於て説くむ議後一⁝期の特賀が明瞭に封比されているのである︒

又︑正語縄龍麗章には﹁憶コ念噛詑傍本額4自然邸時入一一必定ことあるが︑﹁浮土文類楽妙﹂文類掃には爵じ謹樹章

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A疾得エ不退こと改められている︒﹃文類褒診﹄が本興以後の作である事については

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別稿に銃越した還であるが︑前期を代表する正器用問に入必定が憶一怠本願に於て議ぜられているのに聾し︑後期を代表

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といわなければ

このように後期の特色は

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担しかくいうことは前期の引交に穣名念緯の文が無いというのではない︒たY前期の部分にはそれらが念弾内

の立場から︑憶念本顕の文と盟在の形で引かれている︒然るに後期に増強された分は悉く念掛名強の立場に於て探捧

されたもりで︑そζに前期と国別すべき顎擦な特色が見出されるのである︒

合同 滋懇 的開 設黙 の所 在に 関し て︑ か︿ 懸一 一年 そ噛 界と して

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は後期の思想に麗ずるものと認められるのでめる︒

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﹁語如来本顕﹂という所に見出している事を一示すむであるが︑これを誌の文の原型と見られる曇鷺大蕗の﹁詮ニ無量

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その民緩め時期も前後の諸容と悶と晃られるのであるが︑

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に述べる如く窃かに前期の特閣を恭しているから︑このニ容も前期に援するものとして差支ないでゐろう︒

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