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第3節 ひらがな教育を構想するための観点の導出
では、このようにひらがな「習得」をとらえたとき、ひらがな教育はどのような枠組みから構 想することが可能になるのだろうか。
ひらがな「習得」に対する見方が変われば、ひらがな教育を構築するための視点もまたことな ってくるはずである。それは、第1章でみた「語形法」と「音声法」をめぐる議論からも明らか である。ひらがな「習得」の内実を踏まえたうえで、 「習得」を促すためのひらがな教育を構想し ていく必要がある。
そこで、まずは、ひらがな「習得」モデルを構築し、ひらがな「習得」を可能にするためには、
ひらがな教育はどのような点に着目しながら構想する必要があるのかを明らかにしていきたい。
1ひらがな「習得」モデル
これまでひらがな「習得」の内実について「習得」過程論をもとに検討した結果、ひらがな「習 得」とは、音韻分析力を基礎力とし、ひらがなを用いた言語行為を通して文字の機能的側面や構 造的側面‑の気づきを積み重ねながら読み書き能力を精微化させるとともに、主体的意識を高め、
子どもが自己を主体的なひらがなの読み手・書き手として位置づけることとして捉えられた。
文字‑の気づきのなかでも読み書き能力を精微化させることにつながるのが、 「文字の構造的側 面」 ‑の気づきである。この気づきには、文字は線のまとまりから成ることや、文字連続は分節 化できるといった原理に対する気づきである「文字という単位‑の気づき」や「1音節‑1文字の 原則‑の気づき」 (直短音のみからなる語の場合)、 「文字の形‑の気づき」、 「表記法‑の気づき」
(特殊柏と勘短音を含む語の場合)が含まれていた。
一方、主体的意識の高まりをもたらすこと、および文字を機能的に使用すること‑とつながる のが、 「文字の機能的側面」 ‑の気づきである。この気づきには、 「絵と「文字」との区別」 「媒体
としての「文字」 ‑の気づき」が含まれていた。
両者はそれぞれ密接に関連していることも、検討の結果明らかとなった。これらの気づきは、
子ども自身によるひらがなを用いた言語行為を通して育まれるものであったことに注意したい。
以上の検討をふまえてひらがな「習得」モデルを図式化したものが、下記の図13である。
文字の機能的側面‑の気づきは「◎ 」、文字の構造的側面‑の気づきは「 O」を用いて示し た。また、機能的側面‑の気づきを通してもたらされる「主体的意識の高まり」と「機能的な文 字の使用」は、 (( ))内に記し、構造的側面‑の気づきを通してもたらされる「読み書き能力 の精微化」は、 ( )内に記すことによってそれぞれの気づきがもたらすものを示した。また、
機能的側面‑の気づきと構造的側面‑の気づきは密接に関連していることから、関連している気 づきを「車+」で示した。なお、これらの気づきは、子ども自身のひらがなを用いた言語行為を 通して生まれるものであることから、土台に「ひらがなを用いた言語行為」を位置づけている。
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このひらがなを用いた言語行為を通して子どもは文字‑の気づきを積み重ね、 「主体的な読み 手・書き手」へとなっていくということを示すために、土台は矢印の形状とした。
なお、子どもはひらがなに限らず、カタカタ・漢字・ローマ字といった文字を用いた言語行為 を通して主体的な読み手・書き手となっていくことから、ひらがな以外の文字を用いた言語行為 を奥行きによって示し、ひらがなを用いた言語行為は、点線を加えることによって区分した。
さらに、ひらがな「習得」を可能にする基礎力となる音韻分析力は、図式では地と示
した)。この音韻分析力は、音声上で語を構成している音節を抽出、分析する力であることから、
音韻分析力が育まれるための土台として「音声言語に関わる言語行為」を位置づけている。
形
図13 ひらがな「習得」モデル
2 ひらがな教育を構想するための観点の導出
主 体 的 な
三士 己冗
み 辛 書 き 辛
では、ひらがな「習得」モデルに基づいたとき、ひらがな「習得」を可能にするための教育は、
どのような観点に着目しながら構想する必要があるのだろうか。
「習得」モデルをみると、ひらがなの主体的な読み手・書き手となるためには、機能的側面や 構造的側面などの"文字‑の気づき"が重要な役割を担っている。そうであるならば、ひらがな 教育は、これらの"文字への気づき"をどのようにして育むのかという視点から構想することが
必要であるといえるだろう。
「習得」の内実を検討した結果、 "文字‑の気づき"は、いずれも子ども自身による言語行為の なかで育まれるものであった。したがって、ひらがな教育は、 "文字‑の気づき"を育むためにど のような子どもの言語行為を組織していくのかという視点から構想するべきであると考える。た だし、 "文字‑の気づき"は、単線的に順次もたらされていくというものではなく、言語行為を過
して複雑に絡み合いながら、互いに影響しあいながら芽生えていくものであると推測できる。こ の複雑な行為を、まずは「習得」モデルで示した"文字‑の気づき"を手がかりとしながら検討
していく必要がある。
以上のことから導かれるひらがな教育を構想するための観点は、 "文字‑の気づき"を育むため には、どのような言語行為を組織していく必要があるのかという点である。
しかし、小学校入門期におけるひらがな教育は、これまで"文字‑の気づき"という観点から は十分に吟味されてはいない。その背景には、 "文字‑の気づき"は認知的側面に関わるため、そ の成果を捉えることが困難であり、かつ長期的に捉えていく必要があるから議論しにくいといっ た要因があると考えられる。さらには、 "文字‑の気づき"はひとりひとり異なるため、画一的に 論じることが困難であるということもその要因のひとつとして考えられる。
これらの困難を乗り越え、どのような"文字への気づき"を促す工夫を取り入れていく必要が あるのか、またその"文字‑の気づき"は、どのような言語行為によって育まれるものなのかと いう点を明らかにしていくことが肝要である。
そこで、次章では、これまでのひらがな教育論を"文字‑の気づき"という観点から検討しな おし、これまでの教育論では、どのような"文字‑の気づき"が、どのような言語行為を通して 育まれてきたのかを明らかにしていきたい。
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小学校入門期におけるひらがな教育の再検討
前章では、ひらがな「習得」の内実について検討した。その結果、ひらがなは子どもの"文字
‑の気づき"を通して「習得」されることが明らかとなった。
小学校入門期におけるひらがな教育は、就学時までの児童ひとりひとりの文字経験を土台とし て成り立っている。児童の入学時までの文字との関わり方は、 「あか」という語を赤い色鉛筆で書 いたり、花の絵の横に「はな」と書き添えたりする姿などに表れている。彼らは、文字による表 現は赤という色彩を表すために用いられることや、自分の描いたものを他者に伝えるために用い られることを、文字経験を通して捉えているのである。このような児童の"文字‑の気づき"は、
児童が主体的に文字を読み書きしていくときの原動力になるという点において重要であり、また それは読み書きの入門に位置づくひらがな教育にとっても重要である0
では、これまでの小学校入門期におけるひらがな教育論では、このような児童の"文字への気 づき"を、どのように扱ってきたのだろうか。また、 "文字‑の気づき"を育むためにどのような 学習の場を設定してきたのだろうか。
このことと関連して、河井芳文(1985)は「平仮名の学習」の傾向について、つぎのように指 摘している。
一般に大人は、平仮名の学習を、非常に単純なものとしてとらえる傾向がある。 (中略) かくて一般に大人は、すでに習得してしまった立場から幼児・児童の文字学習を眺め、結 果としてそれを非常に単純化してとらえているのが普通である。すなわち、平仮名の学習と は、 「仮名の個々の文字を見て、それに対応する音節を発音できるようになることだ」 (文字
と音の一対一対応の連合)と考えている。したがって、たとえば「あ」をみて〔ア〕と発音 でき、 「し」と見て〔シ〕といえることが仮名の学習である。そうなれば後は「あし」を見れ ば〔アシ〕 (足)がわかるはずだと。 (荏: 〔 〕は音韻を表わすものとする。以下同様)
この見方は見当外れではないが、文字学習の一側面しか見てないという意味では誤りであ る。問題は、そのような連合が形成されるに至る過程において介在する学習上のさまざまな 条件を見落としているところにある。 1
河井の指摘するように、ひらがな教育は、ともすれば「あ」を/ア/と音声化できる、 /ア/を「あ」
と書きあらわすことができることに収束されてしまう。しかし、ひらがなは、それだけで「習得」
1河井芳文(1985.2)、 p.311、中略‑引用者