字は 私( つか さ) によ る 邦訳 は畠 中尚 志訳 を参 考に した
リ ベ ラ リ ズ ム と
「 自 由
」 の 問 題
谷行 啓
は じ め に
本小 論で は、 まず
「自 由」 の概 念に つい て検 討し たう えで
、そ こで 得ら れた 結果 を用 いて
、我 々が 生き る現 代社 会が 拠っ て立 つと ころ の基 本的 な考 え方 の一 つで ある
、リ ベラ リズ ムの 政治 思想 につ いて 考察 して みた い。 現在
、リ ベ ラリ ズム は多 方面 から の批 判に さら され てお り、 根本 的な 次元 でそ の在 り様 が問 われ てい る。 その よう な状 況の なか で、 リベ ラリ ズム を、 それ が根 源的 な 価値 に据 える 自由 の概 念を 中心 に捉 え返 すこ とで
、現 行の リベ ラリ ズム 思想 が抱 える 問題 を検 討し
、そ して
、に もか かわ らず
、そ れが 現代 の政 治的 枠組 み にお いて いま も なお 保 持し てい る― と 私は 考え る― とこ ろの 存在 意 義を も う一 度問 い直 して みた いと 思う
。 まず は自 由の 概念 につ いて 考察 した うえ で、 リベ ラリ ズム の問 題を 検討 し てい きた い。 しか し、
「自 由」 と大 上段 に構 えて みた とこ ろで
、そ の語 を見 て 人が 思い 描く イメ ージ は様 々で あろ うし
、10 人の 思想 家が いれ ば10 通り の 意味 内容 が「 自由
」な る概 念に 対し 付与 され るこ とだ ろう
。こ のよ うに 多種 多
様な 意味 内容 を持 ち、 果て のな い歴 史的 議論 に耐 えつ つ歴 史的 コン テク スト の中 で 幾重 に も積 み重 な る思 想 的含 蓄を 身 にま と って きた 重 厚な テ ーマ に 取り 組む に際 し、 可能 な論 点は 膨大 であ り、 筆者 の力 量は 心許 ない
。そ こで
、 思想 史研 究の 大家 であ り、
「自 由」 の問 題に つい ての 考察 で名 高い バー リン
(Isaiah Berlin)(1909-1997)
が 自由 概念 に 与え た二 分法― 消 極的 自由 と 積 極的 自由 の区 分― に、 まず は考 察の 手が かり を求 めた い。
二 つ の 自 由 概 念
バー リン は『 二つ の自 由概 念(Two Concepts of Liberty)
』(1958)
にお い て「 消極 的自 由」 と「 積極 的自 由」 なる 概念 を提 出し た。 まず はこ れら の説 明 から 入ろ う。 消極 的自 由(negative freedom)
とは
、自 分が やり たい こと を他 人に 邪魔 され ない 自由 であ る(freedom from interference)
。こ れに 対立 する のが 自 分以 外の 他者 によ る強 制な いし は干 渉で ある
。す なわ ち、 自分 のし たい こと を他 人か らの 強制 によ って 妨げ られ てい る場 合、 私の 消極 的な 意味 にお ける 自由 は狭 めら れて いる 訳で ある
。 一方
、積 極的 自由(positive freedom)
とは
、自 分の やり たい こと を自 分の 意志 に基 づい て行 う自 由で ある(freedom as self-mastery)
。こ こで 重視 さ
れる のが
、自 己支 配(self-mastery)
とい う概 念で ある
。自 分が 自分 自身 の主 人で あり たい と願 う、 すな わち
、自 分の 行動 を、 外部 から 私に 働き かけ てく る 原因 によ るの では なく
、自 己の 理性 的な 自我 によ る選 択に 依拠 させ たい と願 うと き、 人は 積極 的な 意味 にお ける 自由 を欲 して いる こと にな る。 ここ で具 体例 を考 えて みよ う。 一人 のお じい さん がい る。 彼は 足腰 が弱 っ てお り、 杖無 しで は歩 くこ とが 出来 ない
。そ れで は一 体、 彼の 消極 的自 由が 侵 害さ れて いる とは どの よう な場 合だ ろう か。 単純 に杖 がな くて 歩け ない 状態 にあ ると いう だけ では
、ま だ不 十分 であ る。 消極 的自 由の 侵害 は、 他者 によ る 不当 な干 渉を その 要件 とす る。 すな わち
、こ のお じい さん の消 極的 自由 が侵 され てい ると 判断 する ため には
、彼 が歩 くこ との 出来 ない 状態 が、 誰か に杖 を取 り上 げら れて いる など
、他 者か らの 妨害 によ って 引き 起こ され てい るこ とが 必要 にな るの であ る。 次に 積極 的自 由の 考察 に移 ろう
。消 極的 自由 の場 合と は異 なり
、積 極的 自由 は侵 害さ れ得 ない
。積 極的 自由 とは あく まで 理性 的な 主体 によ る自 己統 治と いう 概念 であ って
、他 者か らの 侵害 とい う考 え方 には 馴染 まな い。 この よう に、 積極 的自 由は 侵さ れな い。 しか し、 達成 はさ れ 得る
。先 ほど の例 で考 えて みる と、 例え ば杖 の置 き場 所を 忘れ てし まっ たお じい さん に杖 の在 りか を教 えて あげ るこ とに よっ て、 彼が 自分 の行 きた い所 へ自 分の 足で 行く のを 手助 けす るこ とに より
、彼 の積 極的 自由 の達 成に 貢献 した こと にな るの であ る。 議論 を整 理し よう
。消 極的 自由 とは 他者 から の侵 害に 留意 した 概念 であ っ た。 それ はあ くま で他 者に よる 恣意 的な 介入 を阻 止す るこ とで
、個 人の 行動 の自 由を 確保 する こと を目 的と して 観念 され るも ので あっ て、 それ の獲 得自 体が 第一 義的 に目 標と され る訳 では ない
。各 人が 何か 他の 価値 を追 求す るた めの 前提 とな る権 利、 それ が消 極的 自由 であ る。 端的 に言 えば
、消 極的 自由 は
追及 され 得ず
、擁 護さ れる ので ある
。こ れを 論理 的に 逆転 させ ると
、話 は積 極 的自 由に 当て はま る。 積極 的自 由は それ 自体 の獲 得が 第一 の目 的と され るも ので ある
。ま た、 それ はあ くま で主 観的 な観 念で あっ て、 他者 によ る侵 害か ら 保護 され るべ き利 益と いう 考え 方に は馴 染ま ない とい うこ とは 先に 説明 した した がっ て、 積極 的自 由は 擁護 され 得ず
、追 及の 対象 とな るの であ る。 さて
、議 論を もう 一歩 進め よう
。今 まで 述べ てき た自 由の 概念 を国 家と 個 人の 対立 とい う場 面に おい て考 える とき
、2 つの 自由 概念 は、 それ ぞれ
、消 極 的自 由は 国家
「か らの
」自 由、 積極 的自 由は 国家
「に よる
」自 由と 言い 換え ら れる こと にな る。 この 文脈 にお ける 消極 的自 由は
、リ ベラ リズ ムの 政治 思想 にお いて 歴史 的 に展 開さ れて きた
。そ こで は、 国家 とい う存 在は 第一 に、 個人 の自 由に 制限 を 課す 存在 であ ると 観念 され る。 自己 の目 的を 達成 する ため には 個人 の自 由な どた めら いも なく 踏み にじ るよ うな 抑圧 的権 力、 その よう に国 家は あく まで も個 人と 対立 する 存在 とみ なさ れる
。そ れゆ え消 極的 自由 は国 家の 抑圧 から 個人 の行 動の 自由 を擁 護す るこ とを 要請 する 原理 とし て働 くの であ る。 一方
、積 極的 自由 は国 家に よっ て推 進さ れる 原理 であ る。 そこ では 各々 の 人間 的な 性向 によ って 怠惰 な生 活に 傾き がち な国 民を
、理 性的 な指 導者 が指 揮す る国 家の 指導 によ って
、正 しい 方向 へと 導い てい くと いう 理想 が追 い求 めら れる こと にな る。 した がっ て、 積極 的自 由は 国家 によ る統 治の 正当 化原 理で ある
、と 言う こと がで きる
。 以 上を まと める と、 政治 的な 文脈 にお いて
、消 極的 自由 は「 国民
」の 論理
、 積極 的自 由は
「国 家」
、な いし
「統 治者
」の 論理 と同 置す るこ とが でき る訳 で ある
。
ロ ー ル ズ の 正 義 論
この 節で は現 代リ ベラ リズ ムの 思想 を、 その 中心 的な 思想 家で ある ロー ル ズ(John Rawls)(1921-2002)
の考 え 方に 沿っ て 見て いき たい
。『 正義 論(A
Theory of Justice)
』(1971)
にお いて
、社 会契 約論 な観 点か ら、 ロー ルズ はま ず、 自然 状態 的な
「原 初状 態(original position)
」か ら議 論を 始め る。 そこ で は、 人々 が一 カ所 に集 まり
、全 くの ゼロ から 新た に共 同社 会を 設立 する よう な契 約論 的始 原状 態が 仮構 され る。 そし て― ここ から が彼 の議 論の ユニ ーク な点 だが― そこ にお いて 想定 され てい るの は、 共同 社会 に参 加す る人 々の う ち誰 一人 とし て、 自分 の出 自や 生ま れ持 った 才能
、社 会的 地位 とい った パー ソナ ル な情 報を 知る こと がで きな い とい う特 異な 状 況で ある( 無知 のヴ ェー ル(veil of ignorance))
。 彼が この よう に奇 妙な 前提 から 出発 した のに は訳 があ る。 逆に 考え てみ よ う。 共同 社会 の設 立に 際し
、人 々が 自己 の能 力、 社会 的条 件を 知っ てい ると す る。 そう する と、 事態 はど うな るだ ろう
。社 会契 約の 結果 とし て選 び取 られ る 社会 体制 は、 多数 者の
、社 会的 に強 大な 力を もつ 人々 に有 利な シス テム にな るの では ない か。 これ では わざ わざ 契約 論と いう 特殊 な概 念装 置を 持ち 出す メリ ット は減 じて しま うだ ろう
。で は、 ロー ルズ に戻 ろう
。ひ とま ず彼 の理 論 的前 提を 受け 入れ てみ る。 そし て、 その 場合 に選 ばれ る― と彼 が考 える― の は、 社会 的に 最も 恵ま れな い人 々に 対し て最 良の 配慮 が払 われ
、彼 らの 利益 が第 一に 考え られ るよ うな 社会 シス テム であ る。 なぜ なら
、誰 もが 自己 の能 力、 社会 的条 件を 知ら ない ので ある から
、無 知の ヴェ ール の下 での 社会 契約 に際 して 当事 者達 は、 自分 が最 も不 利な 社会 的立 場に 置か れた 場合 を最 優先 に考 える だろ うか らで ある
。こ こで は「 一攫 千金
」的 な状 況を 夢見 て、 不安 定 な決 定に 身を 委ね るよ うな ギャ ンブ ラー 的人 間像 は捨 象さ れ、 決定 に際 して
理性 的な 選択 を行 う合 理的 人間 が措 定さ れて いる
。 また ロー ルズ はそ うし て導 き出 され た政 治社 会は
、次 のよ うな 正義 の二 原 理を 採用 する だろ うと 言う
。そ れは すな わち
、
1
、各 人は
、他 人の 同様 な自 由と 両立 する かぎ りで
、最 大限 の平 等な 基本 的 自由 を享 受す る権 利を 持つ( 平等 な自 由原 理) 2
、社 会的
、経 済的 不平 等が 許さ れる のは
、
(a)
最も 恵ま れて いな い人 に 最大 限の 恩恵 が与 え られ る場 合( 格差 原理) と、
(b)
経済 的に 恵ま れた 役職 や社 会的 立場 に対 して
、各 人に 公平 な機 会が 平等 に与 えら れて いる 場合 に限 られ る( 機会 均等 原理) とい
うよ うな もの であ る。 この 導出 過程 には 様々 な異 論が ある のだ が、 ロー ルズ にと って
、人 々が 行う この よう な選 択は 必然 であ る。 で は一 体、 この よう な思 考実 験を 通し てロ ール ズが 真に 言い たか った こと は何 なの だろ うか
。い ささ か乱 暴に
、そ して 誤解 を恐 れず に述 べる なら
、彼 の 意図 は、
「異 質な 他者 が互 いに 争う こと なく 共存 でき るよ うな 社会 的枠 組み を、 人々 の合 意に よっ て創 り出 すこ と」 と要 約で きる
。こ こで はあ くま で「 共 存」 と言 って いる だけ で、 相互 理解
・承 認可 能性 まで は求 めら れて いな いと いう 点に つい ては 注意 が必 要で ある
。そ れは 高望 みで ある
。世 の中 には 互い に相 容れ ない 考え 方が 存在 する とい うの は確 かな こと であ り、 仕方 ない こと でも ある
。し かし
、承 認は 出来 ずと も、 異質 な価 値を 暴力 的に 排斥 しよ うと す るこ とは
、決 して 許さ れな い。 消極 的自 由の 擁護 とい う思 想に よっ て要 請さ れて いる のは
、相 互理 解で はな く、 互い が互 いの 領域 を侵 すこ とな く同 じ世