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人126 37.5 18.8
- -- -· -
--32 100.0
14 43.7
2 そ れはどんな不安か
a 何となく不安だ
b c d e
股地がせまいのでJ塁業だけでは喰えぬ , 機械化や農薬など伐用ばかりかかって 収入がそれにともなわぬ
仲間が都会へ出るので何となくとり残 されるような気がする
股村へは豚のきてかなく元気が出ない
z
その他3 7 5 2 0 2
- . . .
である。つぎは共同経営と兼文を望んでしるも では酪農も困難であるからこれはもっともの考え 的に困難であり、適当な牧草地のない八川の地域 北的の埋窃は米価の現状において、自力では経済
第三節
転挽期の股村におして、若い後継者達が、殷文経営について、現状をどう把握しているか、ち、更にどんな改革の認欲を持っているかについて、調べて見た()やや謁査人員が少なかったため、。フリテスト程度
曲屈家のあとつぎたちは、
その一――七形が牒業経営について不安を感じている。 どんな不安、不談を持
したいという柏極的な忍欲のある者は少く(•-名)
酪股を考えているものは全くいない。(表.^一)河 れに対する対策として、耕作面柏を何んとかふや れにともなわないという不安も妥当であろうJこ 嬰業機械化にともない殷用が多くかかり収人がこ のこの部俗としては当然であろうQそれとともに うのが大多数であることは平均水山―町ご以村度
19 地がせまく将来農業だけでは食べていけなしとい
の解答しかでなかった')
農村青年の場合
(表一)その不安の内容は(表▲一)農
- 67—
泊極的である。 かいう柏極的な怠欲はなしので都会がなんとなく恐しいとか、
ャ鯰チ収りで外にでられないとかいうことが理由で全て 農村におけるもっともわずらわしい人間閲係に嫁姑の間題がある。
姑のいない家に嫁したいというものが、
姑のい
る ところに嫁したいというものより三倍も多い。(表五)その理由は、
自分で責任ある生活をしたいというものは一 人だけで、
そのほかはただ気楽に料したいという安易な動機にすぎない
3姑のいる家を希望しているものも共稼に便 利だという使宜主義からで、
ただ一人姑のある家にいきたいというものは、
姑さんになんでもしてあげて喜んでもら
4 (女子に)どんなところに嫁に行きたいか それは何故か(その1)
イ 都会に行きたい 11
a b c
d z
巫労働しなくてもよい はなやかな文化生活か出来る いろいろ唸のために悩まされない J塁村の生活がいやだから
(非民主的, 非科学的, 非合理的)
その他
4
1 4 1
ロ 殷村でよ い 4
a b c
d z
}裳文労働になれていていやでない 都会は何となくおそろしい 土に生きるのは生きかいがある 家庭の1叶h
その他
0 2 0 2 0
ノ‘ どちらでもよい 5
5 (女子に)どんなところに嫁1こ行きたいか それは何故か(その2)
イ 姑のいるところ 2
a
b z
姑がいるといろいろ教えてもらえる 共かせぎするのにいい
その他
0 1 1
ロ 姑のいないところ 7
a
b z
ri分で貞任のある生活をしたい 気楽にくらしたい
その他
1 6 0
ノ‘ どちらでもよい 8
69
-6 柑年団は必要か
(イ)
(口)
あった方が良い ない方が良い
y 無 答 7 13.4
- .
,ii
I
I
s2 1 10045
゜
84.6゜
形 ただ不息議に、て、いろいろの批判がおこり、ついには青年固無JIJ論などが起ってきた3Jんな肯年 えるという理由をあげているが、これは全く殊勝な珍しい例であるL)
どっちでもいいという応欲のはっきりしないものの数が年は外に多いことである‘"
く戦後における嫁姑の閲係がある祝度緩和された影初のあらわれとして兄ることができるのであるまいか。柏極的に
いきたくはないが、むかしほどには嫌でないというのである。
右のような青年政識の祝状を見るとき、転換期に立つ股村の近代化を遂行するエネルギーとして、的単に古年に期
待することはできないであろう。しかしそれだからといって将来において股村の主動
力となるべき青年の存在を無祝することはできない)
青年のもっとも大きな几団として、地域青年団があるし戦後、従来の地域平日年団に
対する批判はいろいろの力面から起ってきた。たとえば青年団は部落の保守lfEと結び
つき、
役且は富叫恥か地主の子弟がなってかえって地方の氏主化を妨けているという非
難、あるいはその反対に胄住団はグルー。フ学村とか、サークル活動とかいって自分等
の今までの生活に疑間を椅ち、その村の政治芯に対し批判的反抗的になり、なんとな
くアカ的な傾向を闊びてきたとの具難、あるいは歌をうたったりダンスをしたり、や
くざ芝店にうつつをぬかしたりしてだらくしたという非難など、地域の青年団に対し
団に対する一般論は果して、八山地域の青年比にあてはまるであろうか。
青年団はもういらないかという質間に対して、八四•六グクは必要と一―-]い、そのうち
四七%は必要ではあるが改革した方がよいといって、無用論者は一人もいないe(表六) (八)これは恐ら
70
-7 なぜ青年団は必要か a b c
どうしても必要とも思わないがさて ないとなるとさびしい
連動したり映画をみたり趣味を深め t-り研究したりその他お互にtiぐって 伝従するのに役立つ
村や町をよくする奉仕の団体として 役立つ
男女が交際してお互に理解しあうの によい機会である
町や村のわるいしきたりや悪い政治 などを改めるのに是非肖年出の比り が必要である
Z その他
, ; 1·
d e 2
15
4 5
6 1 33
6 %
3 ー
゜
0'
�—�1,
-46 12 15 18
ただ前辿の如く、血辰業経営の如き共通の生廂活動 ただその存在訟義をどこに認めているかといえば、四六%までは迎動したり映画を見たり研究したりその他お互に集まって修近するに役立つという団体としてその忍味を認めている。
共詞化の間渥な 解し合うのによい機会が与えられるというものおよび村や町をよくする奉仕的役割を考えているものを加えると七三形という絶対多数になる。これは知識、年令、職業、性別に格差のある及団としてこの程度は蚊大公約数的なあり方としてもっとも曹通なあり方であろう。ただこのごろは「奉仕と修捉」をLl的とした料ながらの性格では青年たちに
は魅力のないものになっていることに注・"品すべきであろうし冑年団に加入していないものが約五0%もあることがそれを示している()むしろ本当に日分達に役に立つ青年団はどうあるべきかを本wーに考える百年団、もっとiltの中の移り変わりが反映して、このふるい青年団のありガに反発を込ずる程の団且がでなけれは生きた青年団にならないのでなかろうか')しかしその外に、村の悪いしぎたりや、政治を改める役割を考えてしるものは一八冤もおり、これは視在の
此村の怜つ根深い枠滞性を考えるとき、小数午らもこれを打破したいと考えている
青年、
たといそれは頭だけであっても存在してしることは矢版り注LJすべきことであろうeここに悶村における青年団のわすかながらも辿歩性を芯めることができるのではあるまいか。
どについて、集団として考えるような意識が乏しい。 (衣ヒ)なおその上に男女が交際して、お互に理
71
-8 なぜ肖年山は改革しなければならないか
a 幹部だけの肖年団ではだめだ b 集ってみてもどんぐりの背くらべで
よい指蔚者がいない
の特殊の湯合にすぎない]ただ折角出席してもそこが本当に青年達がザックバランに活し合える場になっているかどうかが問題であるが、六0形のものはそんな場になってしると答えている)これで見ると、あながち幹部ばかりの青年匝ともいえないが、ところは年令的、職業的にいろいろの人がいて、本当の話し合いができないというものが圧倒的に多く、これについでいつも喋る人がきまっているとか、本当の話はかえって会合が解散した後になされるというのであるしこれは決し c もう少し社会巡動をやらねば忍味が
その理由とする
1-
七形もあることは見逃せない,しかし活し合いの場にならないというものも^ d ないレクリェーション行Ji以外の場合凡まりが悪い
e サークル化した方が良い
肖年全旦は入凶せず, 入っている省 も名目だけだ
4 4
% 5
5 1 1 5 19
z
その他゜ 一°
-1
, -7
-- 2
9 9
4 15
2 7
2 7
6 22
.-- 一
, ir
ただ戦前とちがって、青年凹に川席することについては、父兄 のが·―-0彩もある3 幹部は指埒者として、魅力がないためか、糾いュIJ年瓦員が集まら ル活勁という形で、もっと充実した宵年団、あるいは学習瓜欲 青年団の現状に不満を悠じ、之を改故しようとする主IJ年は何をtiざしているか、まずもう少し社会連動をしなければ意味がない
と積極的現状打破の政治連動を求めているものが一九彩もいる。(よ八)またレクリェーション行事以外の場合には集りが恥iい)これではいけないから本気でやろうという気のあるもの、サーク
の強いふlJ年団を求めているものが二二形もいる。その場合そこに大ぎな悩みとして、指叫者がいないということ、あるいは視在の
ず、幹部だけの行年団になっているがそれではいけないというも
の干渉はほとんどなく、割合自由であり、あっても、ほんの女壬
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