考 田 察
自己自身に他ならない 0 しかし︑悪人であることを 目 ざしたの ではなく倫理的使命を果そうとする 善 為の行為結果が実 質的・
悪的 人間性を形成したのである︒それ故にこそ︑ます ます純粋 な 理念へと伺って行くべぎである︒これを ヵソト は反復 と 卜は ミ = 目 わない︒あくまで前進であり︑悪は俄 悔 によって解決さ れるの ではなく︑行為の実績によって救いと幸福に通じね︒はあい た ならな い 0 このような生存構築の場合を﹁間﹂的と云ったので あり︑
ここに宗教的行儀への序奏をみる事が出来︑要請的 有神 論 的人
間像 をみる事が出来る 0
35 (259 Ⅰ
印度に於ける仏教の坐禅は戒定慧の三学の中の一つで あっ
‑@ 辛い ︒
支那に渡来するに及んで︑仏教 則禅と 云 う 一派が出来 た 0 達 摩が 其の鼻祖だと云われるが︑説 き 方があまり高遠であ っ たか ら 聴聞する者が 虹 かったので坐禅ばかりしていたのだと 云 う説
萌 もある︒
禅宗者が支那の学問に接近して来たから︑公案が出来 て︑︐い わゆる看話禅が成立し︑坐禅に階級のようなものが 設
げられ
‑@ キハ ︒
公案は通常一千七百則の公案と云われているが︑﹁禅門 公案 大成﹂では︑五千五百十五則が数えられる︒ 皆 禅僧の毒 ロ 行録 又 は 経典の抜 奉 である 0 それを後人が坐禅しながら工夫し て 大悟
したと云 う のである︒
看話禅が弊害の多いことを認めて黙照禅 と 云 う 修行法が 日日・ちん ﹃ もれた︒只管打坐の修行である︒之は何を目的として
Ⅱ︒ ヵ
自分の実験した所に よ ると︑禅僧は昔から師の命令を 重ん じ ︑何千則の公案にある如く節介に従って
坐呼
︑綿密 の 古本風 を起︐て 一種独得の修行法を考え︑本証 妙修と 云 う 工夫 をも 打出した 0 之が師恩に報いんとする熱心から湧き出たので ある︒
乗馬顔
道禅の大悟と師承との関係
め治 新政府の宗教政策は逸速く群馬県下にも普及し ︑国 学者 ガ土 工香 ︑新居守付等を中心とする神道遵奉者の活動に より 貫 前 ︑赤城︑棒 名 ︑砂嚢 等 各神社の廃仏 般釈 が遂行され たのは 周 知の通りである 0 此の廃仏 般釈 に伴 う 神葬祭化は︑上野 国 一宮
貫前神社の影響の一宮村︑丹生 村 ︒赤城神社の社家の影 響 による
山麓の市立 関村 ︒ 休 日日 寺 と伊勢宮の対立から明治三年に 神葬祭 騒動を起した吾妻郡 中 之条町の伊勢 町 ︑ 只則 町など 各 他 にも
るが︑特に碓氷郡 秋間 村の例は興味深い︒雪村は明治 初年に
黒川弘 賢 廃仏殿 釈 における神葬祭化の過程と現状
1群馬県下の実態 |
36 報恩の修行は支那の孝道によって養われたものと思 う ︒ 人の先人に対する思慕の情は特に勝れている 0 白隠が ﹁見︑師⑭に斎 う して師の半 徳 を減 ず ﹂と警告した如く︑師恩に 報 ぜん が 為に師の見に超ゆることを勤めた結果が証上の修となり ︑只管
打 坐を実行した身心脱落︑脱落身心となったのである︒
一 器の水を一器に移す如く師承を重んじ面授によって 正 法眼 蔵を会得し大悟徹底し得ると き ︑師の印可証明を得て行 佳 坐臥 皆 禅の行動となる︒五千の公案も悉く 逸 ったと云 うこ とにな る ︒ 畢寛 禅は師恩によって体得される︒看話禅の修行法 は 一種
の手段であって大悟の真髄では無いと信ずる︒
西 正称 間杖 ︑東上 秋間梓 ︑中秋間 村 ︑下駄 間 杜を統合 し
香枕
を 大字とした︒現在二十六区に別げられた戸数九百余の 農林業 を 主にした山村である 0 神葬祭は西上 秋間 ︑東上 秋間と 千秋 間 の 第十九区の五百余戸で他の四百余戸は仏葬︵真宗数月 ︑ 他は 曹洞︶である︒峯村には安中藩時代から明治初年 迄は専 念寺 ︵ 浄 土面上 秋間 Ⅰ子福寺︑命福手︵真言︑東上 秋間 ︶︑全性 寺 ︵ 曹 洞 ︑中秋間 て桂 昌幸︵曹洞︑千秋 間 ︶があった︒専念 寺 は 面上 秋
間に ︑予稿寺︑命 福 寺は東上 秋間 に各少数の檀家があ った 0 全
性 寺は中秋間の他に西上 秋間 ︑東上 秋間 にも多数の檀 家 を有
し ︑桂昌 手 は千秋 間に 檀家を有していた︒斯様に浄土︑ 真言︑
曹洞の寺 檀 関係の集団で構成されていたが︑明治になっ て 田村
に 分立し岩鼻 県 管轄となった︒明治二年商上 秋 問対 の 名主 真
砂金五郎︑島崎亮太郎などの神道遵奉者による専念 寺の 廃寺に
端を発した神葬祭化は東上 秋間村 にも波及した︒この 行 政 的地
域 集団の神葬祭化にょり従来の檀徒集団は改廃されて 神 葬と仏
葬の集団に分離した︒明治中期面上 秋間 地区に北越方面 から 山 林業関係の数戸が移住した 0 彼等は真宗信徒であった ので斯様 な 環境に適応する事なく仏葬を維持し安中町の清聴音 ︵浄土真 ゐ蛮 檀徒となった︒以上の三段階を経て現在に至った︒ 即ち ︑
安中藩1手 檀 関係の檀徒集団は明治新政府 | 岩鼻 県 1名 圭 とい
3 行政的地域集団に改組された︒ 又 この政令に追随︐ @ た 指導 階
級の思想を承安した社会的背景には維新前後の山村に 於 げる 経
ぽ的 不況に伴 う 寺院維持の困 離 がこの改革を促進させた のであ ろ う ︒ 的 要素として語られているもの︑即ち被覆を取り除くと 言 う意
味 での p ゴス があり︑ 某 れが外的要素たる語られたこ とや 伝
37@ (261)
宗教に於ける言葉の問題について 桑原克二
﹁宗教に於ける言葉の問題﹂と云 う のは︑宗教の真理の 伝達
に 於ける言葉の可能性と其の限界と言 う 意味である 0 普 通 ︑言葉
は人間が社会を形成する最も重要な契機の一つと考え ろ れてぃ るが︑其の場合︑言葉は論理的・文法的であり︑合理的 である
ことが条件とされている 0 所が宗教の真理の伝達に際し ては 必
ずしもそうでもない︒逆説的で超論理的・非文法的で あり︑ 従 って︑古来︑宗教の真理の伝達は言葉によっては出来な
とされている︒しから︒ ば @ 葉は遂に月をさす 指だ げに 終 って し まう のであろうか 0 以下︑此の様な問題をハイデッ カ| 0 基礎
存在論を参照しつつ考えて見た 0
自己の存在を間 3 人間存在︑即ち現存在 6 ののの ぎ ︶ の 本来
的な在り方は世界Ⅱ 内 Ⅱ存在であり︑其の構成契機と して︑ 世 界 ︑存在者︑内存在官 口 ・の e サ 巴があげられるが︑此の内 存在が 現存在の開示性そのものに他ならない︒所で現存在の
在り方
は ︑心情性や了解と言った 肪 ぎか㌦ 被投的 投企として 把 握 され るが︑此の様な心情性や了解と共に現存在の開示性を構 成し︑ 更 に 完成せしめるものが語らい宙
ざりの︶である 0 そして 其の内まず 繊梅と 帰依についてみる 0 禅では概して無常観を契 機と して現実の自己反省をし︑自己の罪悪面に対して異性 の 実体を 以て︑異性 畢寛 不可得 空 であるとなす︒その好例は ︑
維摩経
上 ︑心地観経三などを背景思想とした 二祖 と三 祖 との 吹 0 間 答
九地英学 禅浄 二教における 戦悔と 帰依の問題
達 ︑乃至︑告示と言った具体的 傍 ぎを成立せしめている ものと 号目︐える︒そして此の様な語らいが具体的に言い出された ものが 言葉に他ならない︒一方︑其体的な聞く 仇 くの基盤にあ る 聴く ことヰ
さお色は︑ 円 共同存在として現存在が他に対し て 開かれて居り︑ 目 自己の本源的存在可能へ第一吹的に開か れて 居
らいと聴くことによって存在者の存在の伝達が始めて 可 り︑ ㈱了解しているから聴くことを意味して居り︑此の
能 にな 様な 語
るものと言えよう︒
存在の真理と宗教の真理は其の根源に於ては虹を媒介 として
相 佐相関して居り︑言葉が存在者の存在を伝達すること が 可能
である以上︑ 某 れは宗教の真理にも人間を触れしめるも のであ
る ︒
月 をゆ ぴ さす指は ︑ 月の光があって始めて其の存在を 認める ことが出来るのであるが︑ 某 れは 又 ︑同時に月の光その ものを
示 ・ @ ているものと言えよう︒ ㏄
にみられる︒ 二 祖神光慧可に対し︑ 三 租借 燦が間 ﹁ 弟 十身縄ヰ一 夙志 ‑ ︒講和尚 域 ︒ 罪
﹂慧可﹁
将 ︒ 罪与 ︒ 汝俄 ﹂ 僧燦 ﹁覚し罪肱
不可得﹂ 志可 ﹁戟手︒ 汝糊 ︒罪責﹂寡徳 伝燈録三 ︑五 燈 金元
一 ︑なお 少室 逸書 一 ︑宝林 伝八 ︑房 垣 碑文︑歴代法 宝記 雄一寸︶︒ 叩非
性の実体のないことの究明は︑本来具有の仏性の発露 である︒
仏性の発現が 俄悔 となり︑ 俄 悔の作法︵作法 俄 ︶ とな る ︒しか
し蛾悔 のみに止まるものではなく︑帰依に進むべぎが 当 然 であ
り 自然である︒前例の問答に吹いで慧可も﹁宮下俊二仏法 僧 ‑ 佳 上﹂
と 指示しているのにみても 諒 とされ得る 0 一般に出家に お ける
教授戒︑在家における菩薩戒︑いずれも 域悔 に次いで
一 二 帰依の
授受が規程せられている 0 禅に対し浄土教では罪悪 観か ら 弥陀
に 帰依するに至る︒帰依によって罪悪 観 が確立するとい ぅ相依
性 に立つ︵﹁観経 琉 ﹂敬喜 義 ︑二種深信釈尊︶︒この間 いかなる
罪悪性も弥陀の帰依を妨げない︒これは浄土教の対機 観の発展
が 示している︵特に歎異抄一︶︒二種深信はさらに一念 仏の上
にみられる︵安楽集 土 ︑第一大門︶︒さらに念々称名 常 戯悔 ︑ 仏
恩 報謝の念仏とし二念仏中に 俄悔と 帰依の二相を含む に 至る︒
次 に帰依後の造 異 論に移る︒禅にて帰依後の造畢の 葉 止ま @
﹁六祖壇経﹂ 蛾悔六 ︵流布本︶等の強調し︑教授戒︑ 菩 薩 戒 め
意味するところである︒浄土教の造悪無碍思想は︑弥陀 帰依 以
前 のことで︑帰依後であってはならない︵法然﹁里田の 聖人へ
っ かは す 御文﹂歎異抄十二 こ ︒否︑帰依後︑倫理道徳の 随順が 自然に行われるのは自然であり必然ですらある︵歎異抄 セ︑十 三 ︑禅にて﹁正法眼蔵﹂諸悪莫作 巻 ︶︒すなわち意欲的 な造罪