但⾺ 亨・森⽥ 亜⽮⼦
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惑星の軌道は振動する
森田 科学や医学の世界で過去に信奉された理論も、現代の知識に照らしてみる と、ありえない間違いを含んでいます。ガレノス1の理論では、⼼臓に空い た⽳を通って⾎液が移動すると仮定されていました。もし⼼臓に⽳が空い ていたら命にかかわります。ガレノスの理論が世に出てから、デカルトの 登場まで 1500年ほど待つことになります。その間に、若きヴェサリウス は緻密な解剖研究を⾏い、ガレノスの理論の誤りを指摘しましたが、その 声は学会から黙殺されました。ヴェサリウスより後に出されたデカルト2の 理論には、依然としてガレノスの理論の影響がみられます。そして、現代 の教科書に肖像画つきで載っているのはヴェサリウスでなくデカルトです。
興味深いことです。それから数世紀を経て、⼈体の構造は随分と明らかに
1 ガレノス Galenos (129〜199 頃) 小アジア、ベルガモン出身の医学者、哲学者。医聖と 呼ばれたヒポクラテスと並び称される古代世界の重要な医学者。動物をベースとした多数の 解剖学的著作を残しており、近代の生気論につながる考えを医学に導入した。アラビア世界、
ヨーロッパ中世をつうじて著作は受け継がれ、16 世紀に至るまで医学部の規範的テキストとさ れた。
2 ルネ・デカルト René Descartes (1596〜1650) フランスの哲学者、自然数学者。全てを 疑っても、否定している(思考する)自己の存在は否定できないとする、いわゆる方法的懐疑を発 案し、西洋近代合理主義、機械論的哲学の祖としても知られる。『方法序説』1637 年、『省察』1641 年、『哲学原理』1644 年。
なりました。私たちの体の構造は、芸術とも呼ぶべき精密さを有していま す。ところが、その挙動を観察すると精密ではありません。!
但馬 実は、完全に整合してズレがないというのは、科学の世界でもありえない ことなのです。!
森田! ひとの体内で拍動を続ける⼼臓は、パワフルな機械にたとえられますが、
実は、予測できない挙動をしています。⼼臓が送り出す⾎液の量は⼀定で はなく、揺らいでいます。⽣命を維持する重要な器官が、いわば「いい加 減」に動いている。こうした予測不能なことが、科学的に観測される様々 な事象のなかにもみられますね。!
但馬! 例えば惑星の軌道も、17 世紀初頭のドイツの天⽂学者ケプラー!が楕円軌 道として理論化し、それが現代の我々にも受け継がれて惑星はこういう軌 道を持っていると常識化しています。しかし、もっと先端的で専⾨的な軌 道分析では、これを「カオス的挙動"」と⾔うのですが、宇宙空間にある多 数の質量をもつ点(質点)の影響を受けて、実はジグザグに振動している ことが判明しています。!
森田! 天体は、他の天体の影響を受けて予測不能な動きをしています。教科書に 載っている惑星の美しい楕円軌道は、理想軌道を描いたものですね。!
3 ヨハネス・ケプラー Johannes Kepler (1571〜1630) ドイツの天文学者。近代天文学の先 駆者。膨大な観測データを調べて幾何学的パターンを探り、惑星の軌道に関する「ケプラー の法則」を確立した。この法則は、のちのニュートンの万有引力理論や地動説の確立に貢献 した。
4 カオス的挙動 カオス理論(脚注6参照)に基づいて予測される力学的現象、ある単純な微 分方程式に従いながらも初期条件のわずかな違いによって、後に大きな差を生じさせる不規 則で完全には予測不能な挙動のこと。ここで扱った3体以上の惑星の相互引力による軌道の 変動や気象現象等がある。
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但馬! 完全な楕円の軌道、例えば⾮常に単純なニュートン⼒学#によって考えられ うる惑星の軌道でさえ、実際は⾮常にズレながら動いている。!
森田! 相互に影響しあってカオス$な動きを⽣じ、なおかつ全体として調和を保っ ている。⾃然の法則といえば、アンモナイトの螺旋のかたちやチーターの からだの模様のように、⾃然界には複雑で美しいかたちや模様が存在しま す"。こうしたデザインの背後にも、数式が潜んでいますね。2つの振り⼦
(図 1)の挙動のように、予測不能な動き(図 2)の背後にも数式が潜ん
でいます。シミュレーションは限定的な条件下で⾏われますが、現実の世 界ではさらに複雑なことが起こっており、⾃然現象は予測不能なズレや変 化を包摂しています。!
5 ニュートン力学 天体などの巨視的な物体の運動に関する物理法則を中心とする理論体 系。20 世紀に完成した量子力学(原子や素粒子などの微視的な物体の運動に関する物理 法則を中心とする理論体系)に対して、古典力学ともいう。
6 カオス理論 (chaos theory) カオス (chaos) とはもともとギリシア語で「渾沌」を指し示す語 だが、現代の理論物理学では一見無秩序めいて見える自然現象や自然構造の背後に単純 な何らかの規則性が潜んでいて、これら単純な理論が特定の条件下ではたらくことで、もとも と理論そのものには無かった複雑性を獲得するという理論の総称。ここで扱われる惑星天文 学の文脈では、惑星運動を規定するニュートンの運動方程式自体は非常に単純であるにも かかわらず、三体以上の物体の運動を扱おうとすると途端に微分方程式が可解ではなくなる 事例(多体問題)等にカオスは現れる。カオス理論萌芽は、古くは 19 世紀末のフランスの数 学者ポワンカレの研究に現れるが、一般化したのは 1960 年代アメリカの気象学者エドワード・
ローレンツの研究による。
7 模様を描く数式 漸化式で表される数列を、考察した 12 世紀のイタリアの数学者レオナル ド・ピサーノ (Leonardo Pisano) の俗称から、フィボナッチ数列と呼ぶが、連続する 2 項の比 はやがて黄金比 φ(約 1:1.618)に収束し、この関係を満たす動植物の形状を数多く自然界 に見出すことができる。
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デカルトもズレていた
但馬! ひるがえって私のデカルトの話もそうなのですけど、デカルトっていうの は近代合理主義の元祖、塊みたいな⼈です。少なくともそんなイメージで 捉えている⼈はすごく多いです。!
森田! デカルトは、「我思う故に我あり」というフレーズで知られる⽅法的懐疑 と、⼼⾝⼆元論%を提唱した⼈物です。こうした知識から、私も、デカルト は合理的な思想を好む⼈物という印象を抱いていました。!
但馬! 合理性、合理的というとみんな世界中の⼈はデカルトを思いつくようなそ ういう象徴的⼈物であるのにも関わらず、実はいろいろ細かく読んでみる と、デカルトの中にあるいろんなズレてるところ、合理的じゃないところ っていうのは実は結構たくさんあるのです。これは今回の発表だけではな くて、実はデカルトが最も得意としている数学や物理学の研究の中にも実
8 心身二元論 精神と物質という2つの実態によって、宇宙の根本的な説明を行う考え方。例 えば、「神からの賜物である神聖な身体」にメスを入れることを忌避する立場に対して、人間の 体は精神(魂)の器にすぎないという考えを提示することを可能にし、解剖学の発展に寄与し た。
図2:二重振り子の軌道
DPLE © George Ioannidis
https://creativecommons.org/licenses/by/3.0/
図1:二重振り子
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はたくさんあるわけです。だからやはり、時代はズレだなという結論に(笑)。!
森田! 時代はズレ(笑)。!
但馬! そうです。⾔うなれば、良いズレです。ちなみに、このズレはフランスの
現代思想&においてもきわめて⼤きな焦点になっています。!
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日欧の合理と非合理
森田! 社会には、ズレることを嫌う⾵潮もありますね。!
但馬! これはやはり⽇本っていうのは効率を重視しすぎる世界で、他国と⽐べて も際⽴っているんです。わたしは昔先に述べた近代合理主義者のデカルト が⽣まれたフランスにいたんですが、⽇本と⽐べても実に合理的ではない ことがすごく多いわけです。例えば、パリのサン・ラザール駅や北駅とい った⼤きな駅で、100⼈以上チケットを求めたいお客さんが並んでいても、
開いている券売窓⼝は2つしか開いてないような状況がよくあります。!
森田! そうした状況で「窓⼝を増やして効率化を図ろう」とはならないのですね。
南欧には、午後の時間を楽しむシエスタ'(の習慣があります。駅前の繁華 街は、午後になると⼀⻫に閉店します。私が訪れたのは夏の午後でした。
1つぐらい⽇差しを避けられるお店があるだろうと出かけましたが、⾒つ けられませんでした。冷房の効いたカフェを開けて観光客を呼び込もうと
9 フランスの現代思想 ここで但馬は、20 世紀を代表する哲学者であるジル・ドゥルーズの
『差異と反復』を念頭において語っている。詳しくは、章末のコラムを参照のこと。
10 シエスタ siesta 南欧や中南米の諸国では、昼過ぎから夕方まで店やオフィスを閉 めて、ゆっくり過ごす習慣がある。近代化の影響により、都市部ではこの習慣がみられないと ころもある。もとはラテン語の hora sexta、即ち日の出から「六時間後」の正午を表す。熱気や 乾燥から体を守るために、昼寝の慣習が定着した。