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ドキュメント内 後 山 山 麓 の 村 (ページ 65-72)

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東粟倉村 」一一 トト←斗

英 田 郡 ‑ 〜

大 原 町 L〜 ‑‑‑

西粟倉 村 ‑ 一一‑‑

阿 山 市 一 一 ‑ ‑

昭和 p T 40 41

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図5‑ 1‑ 5 東粟倉村 を と')ま く地域 の人 口密化

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われる。 ただ世帯奴の減少 と人 口の減少 作は差 がみ られ.世帯 奴は,昭和5 0年 を t:I‑ クVt以挨減 少 の一途 をた どりなが らも,相対的 Kは,明治55年の甥住 戸奴,及び大正9年 か らJ唱和15年 の 世帝政 を上回 る政 を しめている。 これは, 高度経済成長 vEともな う若年労働者の,h出,及び.核 家 族化 QCよる一世帯 当 りの人政の減少,子供奴 の縮少のあ らわれ であろ う。 この幌向 は,図5‑ 1‑

2V(あ らわ され るよ う

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東菓R村円のすべ ての地区 で7*られるo この中 で, 後山地区 は世帯鮎の 減少 qc比 して人 口の減少 が著 しVlよ うVEみ られるが.凍少 の割合 は.昭和4 0年 か ら4 5年 の5年 間で.後山で5015多.中谷 で1510〆,青野 で1515帝.太田で5 5.4〆,野原 で27葬,吉田 で24.2歩,川東 で20.4序とvlうことで,全地区 でほぼ 同 じような減少 を示 してい る とみな して

よい だろ う。

また.東粟倉村の人 口の減少傾 向をrdl山塊下の他の地域 の動向 と比べ ると,図51 1‑ 5の よう vcなるo これをみる と同 じ英田郡 の中 でも特 vc東落せ村 の減少 は著 しい ものである。 この ような減 少 を生 んだ昭和4 0年以牌 の転出 ・転入及び L+J'年,壮年潮 の都 市部‑の流出

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cともな う人 口の老 齢 化vElいては,以下の節 で くわ しくみてい きたい。

(明 石 由実子 )

(2)人 口 移 動

( イ)

年峨別転出 ・転入

転出者紋,転入者教 を年齢別vrみてい くためt^rJW和4D年, 4 1年, 42年 と1 0年間 を律 て昭 和5 0年, 5 1年の5カ年の男女 ・年齢 別転出転入故 を表 と人 口ビラ ミグトveしてみ Jもと, 以下の

ような考察 を加 えるこ とができる。 (図51 1‑ 4‑回 5‑ 1‑ 14 )

( a)

転 出

転出者数 でみてい くと,多いの は男女 を通 L:て5 4才以下の階層 であ り. その中 でも特KEl立 つ のが15才 か ら2 4才の階軌 つ ま り若年労働力の幡鳩 である。Ti5度経済成長期 といわれた時代の 昭和40年 veは80人(77.7序),昭和4 1

vEは84人(68.8飾 ).昭和4 2年 は85人

(占ム9飾 )とい うようve全体 の転出者収VC占める割合がきわめて高 く, これVC25才〜 29才 の 階1酉を加 える と8 0碑以上の端率 を示 す。約10年 を臣 た昭和50年,昭和5 1年 vtおい て も15 才〜 24才の若年労脱力の階^'jのLLt.'lJ合 は各 々54人(55.6飾 ). 57人 (5ム9啓 )とか な .)の 高塀 を示 し. これに 25才〜 2 9才の暗kjを加 える と7 0車近い山率 を示す ことvtなる。 しか し.

年次 を産 るごとVC転出者奴t^Iおい てもその:‑u合におい ても少 な くな ってきてお り往 円すべ き ことで はないだ ろ うか.I‑)去 りここでの若年労脚力 の階泊 の転出者奴 とその割合が碑少 してきてい る とい うことが示 唆 していることは, 惜和4 0年〜昭和4 2年 の5年間 は経済F:Jj度成虫期 の巌中 であ り.

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1 掃川

は.らの労働力の詔要 も多 く,若 年別 物者 の充分 な椛喝の /Iか った当寸から.帝脚力 として虫

;T蝿 である若年蛸の転出 とG.ったわけであるo また#.済の不況

1 帥

入 ・‑た昭和5 0年.昭和5 1 羊の転出 で転出総数 とそれK占める若年労働者 の割合 が減少 してい るOlは,僻和4 0年〜昭和4 2 年ol5年問の喝合の逆 であ り, 他捌 結,他那 J'村 での求職 が減少 して きた ことを示 し,転化が少 な く/まr),若年労働者 が地元vrとどま り‑1つある とい う析向 を示 してい J')かの ようvir見えるかも しれ Li.い が, これはこの村 yeと ってけっ して再ば しい ことで はない ともい える。 つま り,村 の絵人 口, 男女 別年齢 ピラ ミ ッドな どをみても. この2, 5年 で碑,y率が

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irぶ って きてはい るが. これ とて も いせん減少 してい るV(はかわ りはない し,人口の老齢 化は否定 することeJで きないO また年次 を経 ろVeしたが ぅて人 口の ビラミ,ドも典型的 な過燕地域 とな ってい ること'1示 し,特に 24才以下の 人口の全体 vE占 る割合 は低 くな って きてい るのであるoつま り昭和5 0年.5 1年 vcおけ る転出の 減少, または若年労働力の転出全体vc占める割 合の低下 とい うの 仇 鮫人 口の若年労働力の減少そ の もの を示 してい るのである とい えよう。 L l

( b)

転 入 1r

転入の男女別 ビラ ミ,ドを見 ると,転出の場合 と同 じく,若年労働者層 が多い。 しか し転出 と比 べる と.総 じてその割合 は低 くな っている。転出転入総数 に占める若年労働者層 の割合は,昭和

48年転Lti77.d車,転入55.2多,昭和41年転出68.8序,転入 占5.5席.昭和42年転出 占・i9帝,転入46,占頭,昭和50咋転出55.6虜,転 入4 1.5飾,昭和51年転出56.9か転入 Lid19飾とな ってい る。一)ま り,当村 は若年労胸者層 の転出が転入 を うわまわ ってお り, ここでも 人口の老齢化現象 がみ られるo転入 で注 目すべ き ことは, 20才〜 2 4才 までの女性 の占 める割合 が痛い こ とである。昭和40年15人,昭和41年16人,昭和42年10人,昭和58年17人,

;Jt5'和 51年10人 で転入全体 vE占めるTLtA合 も, それぞれ. 22.4多, 26啓, 14飾, 25飾, 20車と/=り全階周 の瓜高 であるO これは中学校,高専学校 を卒業の後. 他府払 他市町村 vr就職 し'結婚届 絡籾i・間近 に迎 え.一度備 付 したもの と考 えられる.

(佐 々木 態 二 ) '

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衣5‑ 1‑ 2 年 次 別 転 出 転 入 者 数

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rY']山リ.(一人 「1の必 き.3及び火莱缶 内 「庵 LL他 人

」より作成。

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1510,5 図511‑4昭和40年の転出者の年齢構成

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55J950ヽ5445J940へ4455J95DJ425,J92DQ415J910、145ヽ.9

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II.過 41人占2人

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1 (江)日軌山県人口の劫き』(n獅口40年鑑)よ,)作成。

総数122 男6D 女'62 15‑2468.8多 2015105 図5‑115昭和41年転出者の年齢棉成 5101528 a(症)阿山県人口の鋤き

』 (

榔口41年鑑)よ・・)作亀

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55)) !I 68人 図5‑114偽和42年の転出者の年齢別梢成 (症)F岡山県人口の動き

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(昭和42年度)より作成O

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