トップPDF 同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

を組織に養成していました。  その後、第 2 次大戦後にドイツで国際軍事裁判、いわゆるニュールンベルグ裁判(1945 年 11 月∼ 1946 年 10 月)が始まります。この裁判で、本格同時通訳が採用されました。西側 では、一般にこのニュールンベルグ裁判が同時通訳起源とされています。本格同時通訳 を導入するために専用機械装置が必要になりますが、これ IBM 協力で開発されていま す。それ以前にもごく原始ものありましたが、本格同通システムこの時に初めて 作られ、これを機に同時通訳というコミュニケーション手法が広く知られるようになりました。  なお、ニュールンベルグ裁判で同時通訳者を迅速かつ組織に手配できたソビエト連邦 だけだったそうです。西側どうしたというと、当然、同時通訳養成が行われていませ んから、言葉ができる人をとにかく集めて、OJT で実際裁判をしながら養成していったとい うのが実情だったそうです。ラムラーさんという、当時若干 22 歳で英語とドイツ同時通 訳者としてニュールンベルグ裁判に関わった方がいます。数年前に日本に来られて講演をされ たですが、この時にニュールンベルグ裁判について詳しい話をされています。非常に貴重 お話でした。もう 90 近い年齢ですが、ご存命うちに話を聞きたいということでお呼びして、 講演録も出版されています(松縄 2007)。それを読みますと、当時どういうことがあった当 事者口から語られていまして、非常に面白い。ラムラーさんわずか 22 歳でこういう軍事裁 判通訳をすることになったわけですが、要するにほかに誰もできる人がいないわけですね。 彼英語とドイツ両方とも堪能で、頭回転も速い。軍事裁判についても多少知識があ った。そういうことで、とにかくやれということでやったそうです。他言語場合も事情 似たようもので、例外わずかに旧ソビエトのみ。先ほど申し上げましたとおり、ソビエト 連邦でそれまでに同時通訳養成がきちんと行われていましたので、特に大きな問題なく 同時通訳者を送り込むことができたということだそうです。
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通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

10 年以上」。B クラス「正確逐次通訳可能。一般分野において、同時通訳可能通訳経験 5 年以上」。C クラス「商談、随行、ガイド通訳可能」。  このよう分類通訳者を雇う、または派遣する場合目安として示してあるですが、ラ ンクによって仕事難易度と共に報酬も異なります。通訳者として初めてエージェントに登録 するとき極一般ケースで C クラスで始めます。たとえば国際見本市スタンドにいて、 見学者と出展者話を訳しますが、本格商談や契約 B ランク以上通訳者が交代します。 仕事を続けて何年経つと少しずつ難しい仕事を依頼されるようになり、5 年ほど続けて難し い仕事依頼が続くようになると、通訳者自身がエージェントに昇格を打診したり、エージェ ントから雇用契約更新際にランク変更を提案したりして B クラスに昇格します。次ス テップで A クラスへとランクが上がっていきます。ただし人によって最初から B クラスや A クラスで登録することもありますし、逆に 10 年以上ずっと C クラスや B クラス仕事を続け る人も居ます。C クラスにガイド通訳可能、とあり、報酬も C クラスと同じ程度ですが、ガ イド通訳仕事内容単なる通訳だけでなく、国家資格を要する特別位置づけになり ます。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

念につきまとわれた。ついにその疑念があまりにも大きくのしかかってきたので、私小型 馬車を雇い再びアルバーノに戻った。午後遅く宿に到着したが、スクロープたちに宿で会える どう分からなかった。実際、彼ら散歩に出かけていて、宿主人も彼ら行先を知ら かった。彼らが帰って来るまでその小さな汚い町をぶらぶらする以外にすることがなかった。 アルバーノ湖ほとりカプチン派修道院を覚えておられるだろう?私そこまで歩いて 行った。教会入り口がまだ開いていたので、私中に入って行った。夕暮れが教会隅に忍 び寄っていたが、何信仰上儀礼、多くろうそく灯りで祭壇明々と照らされていた。 薄暗い中で、ろうそく灯りようにきらきらと輝いていた。あちらこちらでひざまづい た人影がぼんやりと自ら存在を示していた。それ組み合わされた明暗が織りなすちょっと した作品だった。私座ってそれを楽しんでいた。しばらくして、私近くに座っている若い 女性が熱心に祈っている姿に気がついた。手上に組んで置かれていた。顔上を向き、 奇妙に開いた目光輝く祭壇を見つめていた。ご存知とおり、私たち家庭暖炉輝き 中で様々ことを想像するものだ。この若い女性ろうそく中で恍惚とするよう啓示 を読み取っているように見えた。彼女表情がとても特異で、それが彼女正体を偽装してい たので、自分がアディナ・ワディントンを見ているだという認識突然衝撃とともにやっ て来た。私彼女同行者を探したが、彼女一人ようだった。彼女をこっそり観察する権 利私にないように思えたが、彼女に声をかける気にも黙って立ち去る気にもなれなかった。 夕闇がせまっていた。彼女に連れがいないとどういうことだろう?彼女残り人たち を待っているだと私結論づけた。多分スクロープ、ご婦人たちに許されない特権、つ まり、修道院テラスから夕日を見るために中に入って行き、ワディントン夫人スケッ チためメモをとるために教会外をぶらぶらしているだろう。私向きを変え教会側 壁に沿って反対側にいるその若い女性に近づいた。今度私が近づいてくることに彼女が気づ いた。祭壇から目を離して私方を向き、しばらく私顔を見つめていたが、どうやら私だと 気がつかなかったようである。しかし、ついに彼女がゆっくりと立ち上がったとき、彼女が私 に気づいたことが分かった。彼女カトリック教徒になり異端者である友人たちと袂を分かつ 準備をしているだろう
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

として文学者苦悩や秘めた思いを追求する松浦和夫、著書『文学者 知られざる真実』 (2012) 中で以下ように記している。  いったん法学部客員教授になり、そこから転じた慶応 SFC 教授職に江藤適 応することができなかった。その学部コンピュータと語学を重視して世界に通用す る学生を育てるだそうだ。江藤 IT 技術を嫌った。SFC 教員へ事務連絡す べて E・メールでなされていたが江藤教授に事務職員が書類を持参していた。効率 だけで学問やれぬと学部雰囲気にも違和感を擁いていた。『SFC 慶応』と つぶやき三田にあるというアカデミズムに最後まで共感していた。江藤三田にある 法学部で、研究室からイタリア大使館裏庭が見えると喜んでいた。彼妹が嫁いだ 国大使館である。学生時代に自分通った三田キャンパスとその周辺に蓄積された 伝統街に江藤郷愁を感じていた。ほかでもない福沢諭吉が開いた三田キャンパス に教授として通うことを夢見ていただ。かつて閉ざされた夢を。(松浦和夫 46)  現に江藤著書『作家行動する』(1959)において、自然科学研究態度よりも、人間を 相手にする文学態度を好んでいる様子が見て取れる。江藤にとって湘南藤沢キャンパス環 境情報学部、文学本領を発揮できる場所でなかったようである。
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物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 語り手いつでも語り手として物語言説に介入できるだから、どんな語りも、定 義上、潜在一人称でおこなわれていることになる…。 (287) すなわち、すべて物語原理一人称物語であり、そこに何らかの区別があるとすれ ば、それ「物語内容を語らせるにあたって、『作中人物』一人を選ぶ、それともその物語 内容に登場しない語り手を選ぶ、という選択」(287)のみであるということです。物語 水準と人称問題をひどく乱暴にまとめてしまうと、「水準」「誰が語っている?」とい う問題で、「人称」「誰が見ている?」という問題であると言うことができます。  ヘンリー・ジェイムズ作品に『メイジー知ったこと』という小説があります。この小説 少女「視点」から出来事が眺められているわけですが、この物語を語っている少女で ありません。一読するとお分かりいただけるように、幼い女の子がとうてい使わないよう 語彙や文構造が頻繁に出てきます。つまり、見ている女の子であるけれども、語っている 成人、しかもかなり高度言語運用能力を備えた大人ということです。そして、現実に あり得ないよう『メイジー知ったこと』物語言説こそがこの小説魅力でもあるわけです。  逆に、J. D. サリンジャーに『ライ麦畑でつかまえて』という有名小説があります。この を眺めている成人した「僕」ですが、物語語り高校生だったとき「僕」という構 造になっています。つまり、『メイジー知ったこと』と逆に、「視点」方が大人で「語り」 方が子どもだというわけです。そしてそのことが、この小説持つ魅力となっているわけで す。このように、物語における「語り」や「視点」問題、単なる形式問題でなく、 物語内容と深く結びついているということがお分かりいただけると思います。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、頭コングリーブ嬢ことでいっぱいで、目絶えず彼女顔を見ていた。ときどき彼女 と視線合うときがあった。激しい嫌悪感がふつふつと胸にわき起こった。ヘンリエッタ・コ ングリーブに必要、彼女が他人を利用したと同じように彼女も人に利用されることだ と彼独り言を言った。明らかに今牧師を利用していると同じように。水流中ほどで空し く底を手探りしながら、耳まですっぽり彼恋に落ちていた。その間、乾いた靴を履いたまま 彼女水辺に座っているだった。彼女教訓を学ぶ必要があった。しかし、誰がそれを彼女 に与えることができるだろう?彼女すべて師が知っている以上ことを彼女知ってい るだ。男性彼女に近づき、魅了され虜になるだけだった。もし彼女が、自分と同じほど明 晰頭脳、活発想像力、不屈意志を持つ者、あるいは師と仰ぐ者に出会いさえすれば!テ ーブルをひっくり返し、彼女出先をくじき、彼女を虜にし、そして突然時計を見て別れ挨 拶をする、そんな男性に出会いさえすれば!そうすれば恐らくグラハムも安心して眠りにつく ことができるだろう。人心をもてあそぶということがどういうこと彼女にも分かるであろ う。というのも、彼女、まるでブロンズに対するガラスようものだからである。オ ズボーンテーブルを見まわした。しかし、カーペンター夫人招待客に、彼が心に描く ― ブロンズ心と水晶頭を持つ ― 英雄にほんのわずかでも似ている男性いなかった。彼ら まさに、若い女性をそばにはべらせるが似合う若者たちに過ぎなかった。しかし、ヘンリ エッタ・コングリーブそのよう女性一人でなかった。彼女舞踏会にいる単に軽薄 女性でなかった。彼女しぐさにどこ真剣で高貴があった。それ知的喜びで あった。誠実男性心を最後一滴まで飲み干し、恐ろしい食品に白い花を咲かせるだっ た。オズボーンが辺りを見わたすと、周囲存在、サンドウィッチやシャンパンことを 一瞬忘れてしまったように見える若い女性に目がとまった。彼が彼女ことを見ている に気がつくと、もちろん、その女性すぐに目皿に視線を落とした。しかしオズボーン 彼女視線意味を読み取った。それ ― まだ清純さ残る乙女視線 ― 、容易に翻訳 できる言葉で、「あなたこそ私が探し求めていた男性です!」と語っているように思われた。つ まり簡単に言うと、オズボーンさん、あなた何て素敵んでしょう、ということである。 オズボーン脈が速くなるを感じた。彼計画始まっただ。彼際立った容姿がコング リーブ嬢心を傷つけるに十分装備だというわけでなかったが、少なくともそれ 任務を外に向かって表現するものだった。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

その若者が成し遂げたこと、イーグル・イン・ザ・スカイズグループ栄光と繁栄に貢献 するが、賛辞若者に与えられた。捕まえた馬を分配したり、バッファロー肉を分配する栄 光に浴するもその若者であった。そしてその若者貧しい家族武勇を自慢し、居留地 まわりを行進し、彼業績を叫んだ。彼よう息子を得たいと思うよう指導者たち中から、彼妻を探した。イーグル・イン・ザ・スカイズ馬を使わせてもらえなければ、 彼部族評判を上げることできなかっただろうが、彼に馬を使わせる慈悲によるもの でない。その若者がバッファローを捕まえたり、敵馬を獲得したりすることによって、イ ーグル・イン・ザ・スカイズ自負心若者自負心と同じくらい大きくなるである。栄養 が行き届き、乗馬に長けているグループ、あくまでイーグル・イン・ザ・スカイズにとって 有利である。他グループに属していたブラック・フット族で自分たちリーダーに不満 を抱いている人たち、イーグル・イン・ザ・スカイズグループに入り、彼栄光にあやか ろうとした。イーグル・イン・ザ・スカイズグループ拡大していった。グループ人たち 彼に仕え、彼もまたグループメンバーに仕えた。ある可哀想若者が襲撃でイーグル・イ ン・ザ・スカイズりっぱ馬を失った時、酋長それをなんとも思わなかった。自分馬を 部下に使わせてやることで大きな利益が得られるであれば、たまに馬がなくなったとしても 何とも思わなかった。酋長と部下間に相互利益が循環していた。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 癇癪発作もこの間ずっと続き、ひどい時に嘔吐をしました。しかし、嘔吐と癇癪を結び つけることありませんでした。この二つあまりにも異なるものに思えました。どちらにも 共通するシンボリズム、「否定」ということかもしれません。  子ども頃にタブーとし、それを生涯ほとんどを通してタブーとしてきたことが 2 つあり ます。かなり小さい頃から感じていたことで、6 歳秋に牧場を去る前に植えつけられたもの です。1 つ前で絶対に泣かないこと。人前で泣くということ、私にとって最悪こ とで最も屈辱ことでした。癇癪がおさまって、暴力罪が「私」世界なかすべて タブーを圧倒した時に人前で泣いたとしても、それ以外時に決して泣くことありませんで した。でも夢中で人前で泣いていました。人前で暴露される典型、よく知ってい る顔ぶれ人たちが、じっと私を見ている部屋なかで泣き出してしまう状況を詳細に表わし た夢でした。このタブー結婚したあとも、頑なに長い間守り続けました。そのころ落ち込ん でいる時に、それまで経験したことがないよう、素晴らしく美しい白昼夢を見ました。 「白昼 夢」ということ、どんな夢よりも現実味を帯びた、特定夢を指しています。タブーに対す るそれ以降変化、その白昼夢につながっています。その夢なかで、私砂漠なかにい て、その砂漠に素晴らしいエジプトスフィンクスがありました。そのスフィンクス顔に あらわれた知性と皮肉、言い表せないもので、私スフィンクスに近づき、前足に顔を埋め てひたすら泣きました。うれしさと確信を感じながら。そしてスフィンクス前足、子猫 ように柔らかく、ふわふわしていました。(「私」世界前で泣くことによって、その後、そ タブーを守らなければならないという衝動無くなりました。)
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言語(英語)帝国主義思想に対するグローバル化・多分化化・多言主義など学術見解 を示している。 2 . 2  シラバスとカリキュラム  上 2 つ目的(問題)、Cook 自身も解説するように、シラバスとカリキュラムという問 題に集約できる(Cook,2010,p.104)。外国教育に限って言えば、何を学生に教え、その 大目標といった問題カリキュラムに関係する。それに一致が見られた時点で、実 際教室で実践に関する意思決定が必要になるが、こちらがシラバス問題になる。しかし ながら、Cook が言うに言語学習に関して、別言語を学ぶことが何にせよ「よいこと」 であるという共通認識が漠然と出来上がっているがゆえに、なぜそうという議論がほと んどなされていない( ibid. )。つまり、外国教育において「訳すこと」がタブーとされてき た事実、教室シラバスから排除されていたと読み替えることができ、またそのよう扱い を受けてきた理由、カリキュラムに関係する問題であるわけだが、それもまた十分に議論さ れてこなかったということである。つまり日本大学における英語教育を考えた場合、カリキ ュラム問題、すなわち、そもそも目的やゴール設定が曖昧でないだろうとも考えられる わけである。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

一連会話中で二言語を織り交ぜながら併用する CS 、二言語併用中でも特に動的であるといえよう。  ソ連崩壊後旧ソ連諸国で、基幹民族 2) (titular nation)中心国家運営一環として、各 基幹民族を「国家(state language)」として推進する言語政策が実施されてきた。キルギ ス共和国で、国家であるキルギスに加え、ソ連時代に広く普及したロシアが「公用 (offi cial language)」として定められ、首都を中心として現在もなお様々領域で使用されてい る。すなわち、同国で公的に二言語主義が実施されているである。その一方で、特に行政 や学術分野でキルギス普及が進まない現状が問題視され、語彙整備や辞書出版など、 同言語をあらゆる領域で使用するため取り組みも行われてきた。その過程で、国会議員に 対してロシアを混合せずに「純粋」キルギスを話すよう要請が行われるなど 3) 、一部で CS がキルギス普及障害として表現される傾向が見られる。このように、CS 現象存在自 体現地人々によっても広く認知され、言語政策上主要論点 1 つとなっている。また、 国内外研究者や現地メディア、そして一般人々によってもある種社会現象(キルギス とロシアを混合する話し方)として指摘されてきたが、これまでその実態、事実上、学術 に解明されてこなかった 4) 。
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 もう何年になる定かでないが、七子先生(日頃、福井先生ことを親しみをこめてそう 呼ばせていただいている)とおいしいものやり取りをするうちに、しみじみそう思うように なった。  わたし、恥ずかしながら、知る人ぞ知る、少年頃から釣り好きである。今でも一年じ ゅう、家バルコニーから見える明石海峡周辺海に船を出し、旬魚を追いまわしている。 イカナゴを食べて脂が乗った冬から春にかけてメバルと桜鯛、滋味掬すべき初夏明石ダコ、 全身がトロ状態になる真夏マアジ、青みがかった眉をはいたよう女王然とした美しさアオリイカ、お造りがうまい夏から冬にかけてタチウオ、そして、きわめつけが初冬に訪 れる淡路島南端イシダイ、以上が主釣りものだが、昨今クール宅急便おかげ で、どんな魚もあくる朝に、日本全国津津浦浦食卓まで届けることが可能になった。  そんなわけで、わたしが釣行した翌日七子先生食卓に、ぴちぴち、とれとれ新鮮 魚が並んでいるというわけである。もちろん、お届けする魚下ごしらえすんでいるので、 先生に姉上とごいっしょにお刺身にしたり、煮たり、焼いたり、酢のものにしたりしていた だくだけでいい言うまでもない。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父、一週間うち六日「酒一切飲まない」など、 厳格生活規律を確立し、まことに勤勉人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 と異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一、「ただ生きるだけで く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家生き方、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度に英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼その持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹に、吉田暁子が言うところ「強靭精神」があっただ。「勤勉人生」 を基調とした吉田健一理想ともいえるホリスティック文筆活動豊か実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者よう日本で英米文学を専攻する者今、先達・吉田健一が 遺した卓抜人文知性を感受し、体得しうるである。人文領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷状況下にある現代私たち、吉田健一が後世に伝えた 偉大足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界で人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものおしなべて客観・実証態度に徹するべきで個人感情等 を吐露していけないだという、まことしや教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究者ほとんど個人感情等封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者、己が属する学会や大 を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質脆弱ものと ってしまった日本英文学研究界実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

にとって、彼信じざるを得なかっただが、愛趣味悪い気晴らしに過 ぎなかったのだ。彼激しい気性男性だった。彼すぐ要点に触れた。  「マリアン」と彼言った。「君僕を欺いていたんだね。」  マリアン彼が何ことを言っているよく分かっていた。彼女に、自分が自分婚約 にうんざりしていることがよく分かっていた。そして、ヤング氏やキング氏に対する彼女振 る舞いがどんなに無邪気ものであっても、それバクスターに対する重大裏切りだった だ。彼女ダメージを受け、二人婚約すっかり破棄されたと感じた。スティーブンが中途 半端言い訳や否定に納得しないこと分かっていたが、彼女にそれ以外に伝えられるもの がなかった。いくら言葉を費やしても完全告白にならなかっただろう。そこで彼女、気 に揉むことをやめてしまった「将来」を守ろうとせず、単に自分威厳だけを守ろうとした。 生まれつき半分冷笑落ち着いた性格によって彼女威厳当面間十分守られた。しか し、同じ品ないこの落ち着きために、冷酷で浅はかだという印象がスティーブン記憶 中に残った。そしてそれ、少なくともその記憶中で、真実重みと価値あるものを求め る彼女にとって永遠に致命であることが宿命づけられていた。彼女に説明を求め、彼女振 る舞いに介入しようとするスティーブン権利をマリアン否定した。婚約を解消しようとい う彼提案を彼女ほとんど予期していた。彼女涙という単純ロジックを使うことさえ否 定した。当然、このよう状況で二人話し合い長いものでなかった。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「そうです!」と彼言った。「肉体と魂が一緒でなければならないという恥ずべき必要性へ さもしい譲歩んです。ときどき、たとえ一時間でも耐えられないと感じるときがあります。 このよう犠牲を払って真実について語るを聞いてもらうくらいなら、たとえ運命命ずる ところにしたがって溺れようとも、あの厚かましいペテン師と別れた方がましだと感じるとき があります。黙って口を閉じ、あの男卑劣詐欺行為に対して少なくとも私要求もし ないと主張することで万事おさまっているですが、彼と付き合っていること自体が制裁であ り、あのいまいましい見世物に参加していることが純粋真実へ冒涜です。ご覧とお り、私不幸にも何を信じてしまったです。知ってしまったです。そして知性に関して 、毒を含んだくずを口にする、真科学という熟した甘い果実を口にするが重要である と考えているです!私毎晩目を閉じ、顎を固定し、歯を噛みしめているです。しかしあ くだらない戯言を聞かざるを得ないです。始めから終わりまで恥ずべき嘘塊です。 今でもうすべて暗記してしまいました。立ち上がって私にもぺらぺらと話すことができます。 それ一日中私耳で鳴り響いています。長い布きれをかぶせたテーブル下に屈み込んでテ ーブルを叩いている恐ろしい夢を見るです。外に教授が立っていて聴衆に向かって『これ アルキメデス霊です』と言うです。そして、私息苦しくなってテーブルをひっくり返し 千人も前に詐欺師共犯者として登場するです。私無視された人類へメッセージ 価値があまりにも大きく、あまりにも計り知れないので、私がそれを口にすることを可能に する手段正当だと信じることができる瞬間があります。黄金島に向かって航海するとき、 力を誇示する海賊がその船を大洋に引っぱっていってもかまわないです。そのよう気分で、 目をつぶって聞かないようにしながら壁にもたれて陰に座っているとき、本当に聞こえない です!私はるか遠いところにあるです ― 空中に浮かび、発明翼に乗って高く舞 い上がっているです。しかし突然、忌まわしい現実が私に襲いかかるですが、ここに座っ ているが本当私 ― 山よう黄金よりも一粒科学真理が貴重だと考えている私 ― だという自分感覚が信じられなくなるです!」
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ベネディクトが生きた第二次世界大戦前後アメリカ社会、黒人、ユダヤ人、女性に対す る偏見ばかりでなく、少数民族、敵国民、性的マイノリティーに対する偏見が充満している社 会だった。そのよう偏見に対してベネディクト感情に流されることなく、あくまでもアカ デミック手法で、偏見社会が作り出すもので、一つグループ人間が別グループ人 間に勝ると言えないことを淡々と論じている。それ、ベネディクトネイティヴ・アメリ カン研究においても、日本研究においても、一貫して保っている姿勢である。そして、ベネ ディクト自分考えを証明するため努力を惜しまなかった。戦争足音が刻々と近づいて いる中、ボアズ懸命にユダヤ人へ差別無意味さを説き、ベネディクト戦争を引き起こ す社会構造を分析した。彼ら努力もむなしく、アメリカが戦争に突入した時落胆大き かったに違いない。戦争が終わりに近づくと、ベネディクトアメリカ政府を説得するために よりいっそう科学手法で日本人行動パターンを分析し、それを悪と決めつけられない理 由を明確にした。当時アメリカ政府がベネディクトやボアズよう研究者に耳を傾け、彼 ら意見を少なからず尊重したこと、歴史において幸いことだと言える。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ルクセンブルクが国語として法的に規定された 1984 年ことであり、国象徴と位置 付けられている。文学作品もルクセンブルクで書かれたものがあるが、学術言語として整備 されていると言い難く、実際に学問を担っているフランス語とドイツである。ドイツ 学術言語としても成熟しているので、ルクセンブルク人にとってドイツを通じて勉学 を行うが最も効率である。小学校で、まずドイツが主たる授業言語として用いられる そのためである。しかし、学年が上がるにつれてフランス語が学術言語として機能を担 っていくシステムになっている。ルクセンブルクを学術言語として自立させるためコーパ ス政策を行わず、ドイツとフランス語を使用するがルクセンブルク特徴だ。また、欧州 有力言語であるドイツとフランス語を使うことができるメリット計り知れないほど大 きく、アイデンティティ言語としてルクセンブルクを話し、実用言語としてドイツとフ ランスを使うというルクセンブルク多言主義現実形態であるといえよう。  外国学習で、母語に近い言語を学ぶ方が系統に遠い言語を学ぶより容易である言 うまでもない。ルクセンブルクで公的地位を有するルクセンブルク、ドイツ、フランス語 言語間距離を考えれば、ルクセンブルク人にとって複言語主義がどの点で難しい、あるい 容易であるがわかる。また、英語と関係も見ておかねばならない。ドイツとフランス が重要役割を果たす欧州においても、英語重要性増すばかりである。公的地位を有す る 3 言語学習に加えて、英語学習もルクセンブルクで必須である。さらに、人口約 43% 2) を占める外国人住民存在も、多言形態に影響を及ぼしている。外国人で最も多い
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

タームが使用されているが、New Idea and New Terms(1913)著者 A. H. Matter(著名 宣教師狄考文未亡人)も認めているように宣教師が作成した文法関係ターム 1913 年時点 では一般に認められなかった 13) 。西洋人によって西洋言語で著された著作や辞書など、西洋 言語枠組み中で中国音韻、文法、語彙について記述することで一応成功を収め たと言ってよいであろう。しかしその中国で書かれた著作、中国読者に言語に関する研 究において新た道筋を示すに十分でなかった。馬建忠『馬氏文通』(1898)や厳復 『英文漢詁』(1904)いずれも直接西洋文献から知識を受容したものである。西洋言語に関 する知識多くが日本語を学習する過程で導入されたことこれまでに指摘されていなかった 事実である。言語ターム、その大多数を日本語から借用したということがこの点を如実 に物語っている。言語「科学」研究、明治期日本学者も目指した目標であることを 付け加えておきたい。中国を含む言語研究近代化過程において、外国、特に日本影響 等について解明しなければならない点が多々ある。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉で言 い表せない、強い寂しさを感じずにいられない。  北村先生と、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力に感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生真に仰ぎ見 るよう存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたこと、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたこと言うまで もない。
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スイス連邦の公用語と国語 史的背景と憲法上の言語規定 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

スイス連邦の公用語と国語 史的背景と憲法上の言語規定 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 反ハプスブルク派として知られたルクセンブルク家出身神聖ローマ皇帝ハインリヒ 7 世、 1309 年にこれら 3 カントン自由認可証(Freiheitsbrief)を発行したが、ハインリヒ 7 世没 後に混乱が起こった。バイエルン公ルートヴィヒとオーストリア公フリードリヒ(ハプスブル ク家)が皇位継承を巡って争い、スイス 3 カントンルートヴィヒ側につく。1315 年にフリー ドリヒ騎士軍がモルガルテンで攻撃を仕掛けたが、スイス「羊飼い戦士」(Hirtenkrieger) により撃退された。このモルガルテン戦い騎士軍に農民が勝利した戦いとして有名である。 さらに、スイスを奪還しようとハプスブルク家レオポルト 3 世が 1386 年に騎士軍を派遣した が、ゼンパッハ戦いでスイス農民軍が勝利し、1388 年ネーフェルス戦いでもスイス軍 が勝利したことで、独立へ基盤が固まった。その後、同盟規模が拡大して 1513 年に 13 カントンとなるが、全てドイツ語圏であった。第 1 次(1529 年)、第 2 次カッペル戦争(1531 年)を経て、1648 年ヴェストファーレン条約によりスイス神聖ローマ帝国から分離し、法 に独立国と承認された。1798 年にフランス革命軍がスイスに侵攻し、独立性高いカント ン同盟から成り立っていたスイスに、カントン権限を大幅に弱める形で中央集権ヘル ベチア共和国が建国されることになる。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

その文明社会構成を破壊することない。勝利者が得るもの獲得かもしれないし、敗 北者喪失受け入れられる、あるいはそこから復興するかもしれない。弱い部族消滅さ せられるかもしれないが、それによって勝利者弱められることない。しかし相互依存 した国家間で戦争が起きると、獲得したもの獲得でなく、失ったものを回復するに戦い あっている両サイドをさらに破壊することしかできない。そうなると戦争社会悲劇となる。  つまり社会に対する戦争危険性殺人に対する二重基準だけでない。本当脅威社会 状況に反して戦争が始まり、社会を破壊へと導く場合である。近代金融、商業、生産、美術 と科学発展が各国間相互依存を頂点に至らしめた時に、第一次世界大戦が社会破壊をも たらす戦争最たるものとなった。近代状況下で戦争を起こすこと征服される国にとっ ても、征服する国にとっても同じよう社会災難をもたらすことに気づかねばならない。現 在戦争に関する重要事実、宿命主義者考え方がいかにナンセンスを示している。彼 ら単なる聴衆になり、現実戦争、体右側傷を治すために左側を切り刻むようもの なのに、宿命主義者ただそれを見ているだけだった。ナイフや銃や爆弾を使って、苦しんで いるを見て宿命主義者「身動きがとれていない。やろうとしていることができていない。 体つくりがなっていないだ」と言っているようものだ。何もできないあたりまえだ。 体部分炎症が右側まで広がり、右脚が動かなくなると、残った左脚で進めない。も し医者なら、「こんなことをやめない限り、死んでしまいますよ。回復させるに、血液体全 体を循環しており、体一部を切りつけてしまうと死に至るということに気づくことだ」と言 うだろう。
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