かった学生も、このように書かせてみると各人がそれぞれに意見を持っていることがよくわか る。また、単に意見を持っているだけではなく、たいへん鋭い分析を提示している例も少なか らず見受けられた。たとえば、図 1 に引用したワークシートでは、5 ページ 4 行目にある「私 はそれを見ていたら、∼と思わず考えてしまった」という箇所とその英訳 “My fi rst thought when I saw that . . . ” を取り上げ、「原文は『思わず考えてしまった』と、意識せずに思ってし まった様子であるのに対し、英文では『最初に考えたのは』と意識的であり、さらに他にも何 か考えたようにもとらえられ、少し原文とずれてしまう」というコメントが加えられている。 さらに、6 ページ 10 行目の「エレベーターを降り、廊下に響き渡る足音を気にしながら∼」と いう箇所とその英訳“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”の間のシフトを指摘した上で、「原文では(足音を)『気にしている』程度であるのに対 し、英文では『おびえさせる、はっとさせる』と書いているため、大げさな表現になり、この シーンと合わなくなっている」というコメントが付されている。いずれも、一見些細なことの ように見えるが、このような細部にこそ問題の本質が宿っているものであり、テクストを深く 読み込むという観点からすれば、まさに慧眼というべきであろう。なお、図 1 のワークシート 上には、“My fi rst thought when I saw that . . .”に対する代替案として“A thought occurred to me . . . “と い う 英 文 が、“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”に 対 す る 代 替 案 と し て“Getting off the elevator, and a bit annoyed by the sound of my own footsteps, I rang the bell. ”という英文がそれぞれ追記されているが、これは、 これらの問題をめぐるクラス内の議論の中で提案されたものである。
タームが使用されているが、New Idea and New Terms(1913)の著者 A. H. Matter(著名な 宣教師狄考文の未亡人)も認めているように宣教師が作成した文法関係のタームは 1913 年時点 では一般に認められなかった 13) 。西洋人によって西洋言語で著された著作や辞書などは、西洋 言語学の枠組みの中で中国語の音韻、文法、語彙について記述することでは一応の成功を収め たと言ってよいであろう。しかしその中国語で書かれた著作は、中国の読者に言語に関する研 究において新たな道筋を示すには十分ではなかった。馬建忠の『馬氏文通』(1898)や厳復の 『英文漢詁』(1904)はいずれも直接西洋文献から知識を受容したものである。西洋言語学に関 する知識の多くが日本語を学習する過程で導入されたことはこれまでに指摘されていなかった 事実である。言語学のタームは、その大多数を日本語から借用したということがこの点を如実 に物語っている。言語の「科学」的研究は、明治期の日本の学者も目指した目標であることを 付け加えておきたい。中国語を含む言語研究の近代化の過程において、外国、特に日本の影響 等について解明しなければならない点が多々ある。
Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )
私たち日本の英文学専攻者にとって有意義だと思われる箇所を、本稿の論旨である実践知性 としての英文学研究の視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ の中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 のもとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学の本家であるイギリスの事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリスの大学では受け入れられず、特に古典学の教授たちにとっては無用の長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つの正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地のインド人をイギリス化させよ うと目論んだのである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入者の代表的人物が、詩人・思想家のマシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時のイギリス人に文学的教養を身につけさせようと思ったのである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観の修得が目標とされた。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がないと考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究としての英文学を 志向した。こうしたせめぎあいの中、1893 年オクスフォード大学に英文学の学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるのは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学の講師たちが中心となって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コースの抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日の私たちが 知っている豊潤な英文学の基礎が作られたのである」。
第 ₁ 回目の授業。太治担当。教科書のフランス観光都市紹介のページ(p.82)を読み、語 彙のページ(p.83)で場所をあらわす名詞の確認をした後、役に立ちそうな表現を黒板にま とめる。例: « Le Puy-en-Velay est un site exceptionnel. » « Pendant un week-end à Saint-Malo, vous avez le temps de faire une promenade, de visiter les vieilles rues. » « On peut y découvrir le Capitole, magnifique bâtiment du XVIIIe siècle. » « C’est une ville très connue pour sa gastronomie. » など。 次に、教科書のUnité 6の読み物のページ(p.55)でロンドン週末旅 行に関する旅行会社のパンフレットも読み、同じく役に立ちそうな表現をまとめる。例: « Le forfait comprend le transport Paris / Londres aller-retour en train ; une nuit d’hôtel dans le centre ville ; le petit déjeuner. » « réduction de 10 % sur les tarifs » など。さらにレヴィが用意した日本 国内旅行パンフレットも見せながら、作成するパンフレットを具体的にイメージさせる。架空 の旅行会社をつくり、その会社がフランス人向けの日本ツアーを計画していると仮定し、通貨 の単位はユーロとすること(ユーロを身近なものとして実際に感じてもらうことを目標とした、 その際には ₁ ユーロが約130円であることも紹介した。)、パリ出発・到着とし、約 ₂ 週間のツ アーとすること、などを決めた。学生から個人作業にしたいという希望があったので、取り上 げる観光地の振り分けをする。