トップPDF 大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

かった学生も、このように書かせてみる各人がそれぞれに意見を持っていることがよくわか る。また、単に意見を持っているだけではなく、たいへん鋭い分析を提示している例も少なか らず見受けられた。たとえば、図 1 に引用したワークシートでは、5 ページ 4 行目にある「私 はそれを見ていたら、∼思わず考えてしまった」という箇所その英訳 “My fi rst thought when I saw that . . . ” を取り上げ、「原文は『思わず考えてしまった』、意識せずに思ってし まった様子であるに対し、英文では『最初に考えたは』意識的であり、さらに他にも何 か考えたようにもとらえられ、少し原文ずれてしまう」というコメントが加えられている。 さらに、6 ページ 10 行目「エレベーターを降り、廊下に響き渡る足音を気にしながら∼」 いう箇所その英訳“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”シフトを指摘した上で、「原文では(足音を)『気にしている』程度であるに対 し、英文では『おびえさせる、はっとさせる』書いているため、大げさな表現になり、この シーン合わなくなっている」というコメントが付されている。いずれも、一見些細なこと ように見えるが、このような細部にこそ問題本質が宿っているものであり、テクストを深く 読み込むという観点からすれば、まさに慧眼いうべきであろう。なお、図 1 ワークシート 上には、“My fi rst thought when I saw that . . .”に対する代替案として“A thought occurred to me . . . “ い う 英 文 が、“Getting off the elevator, I was alarmed by the sound of my own footsteps . . . ”に 対 す る 代 替 案 し て“Getting off the elevator, and a bit annoyed by the sound of my own footsteps, I rang the bell. ”という英文がそれぞれ追記されているが、これは、 これら問題をめぐるクラス内議論中で提案されたものである。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

タームが使用されているが、New Idea and New Terms(1913)著者 A. H. Matter(著名な 宣教師狄考文未亡人)も認めているように宣教師が作成した文法関係タームは 1913 年時点 では一般に認められなかった 13) 。西洋人によって西洋言語で著された著作や辞書などは、西洋 言語学枠組み中で中国音韻、文法、語彙について記述することでは一応成功を収め た言ってよいであろう。しかしその中国で書かれた著作は、中国読者に言語に関する研 究において新たな道筋を示すには十分ではなかった。馬建忠『馬氏文通』(1898)や厳復 『英文漢詁』(1904)はいずれも直接西洋文献から知識を受容したものである。西洋言語学に関 する知識多くが日本語を学習する過程で導入されたことはこれまでに指摘されていなかった 事実である。言語学タームは、その大多数を日本語から借用したということがこの点を如実 に物語っている。言語「科学」的研究は、明治期日本学者も目指した目標であることを 付け加えておきたい。中国を含む言語研究近代化過程において、外国、特に日本影響 等について解明しなければならない点が多々ある。
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翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

確立した行動パターンは異なることがあることについて上述した。異なった文化について 私たちが知る限りにおいて明らかなことは、それぞれ社会には違った性格人たちがいる いうことである。それは研究題材として扱われてはいないが、現存する資料をみる、様々 な性格が存在することは普遍的な現象である。つまり、人間が集まっているところにおいては、 人間行動にはある程度幅がある。しかし、同じ行動タイプをもつ人割合は、社会によっ て異なり、普遍的ではない。どのグループにおいても、割合はほとんど場合、文化パター ンによって形作られている。言い換えれば、ほとんど人は柔軟性をもっており、その人が生 れ落ちた社会によって自由に形作られるである。たとえばインドようにトランス状態に価 値を置く社会においては、非日常的な経験をする人が当然いることになり、ホモセクシュアル を受け入れる社会では、ホモセクシュアルが存在することになる。資産を蓄えることが人間 主たる目標考える社会では、人々は資産を蓄えようする。その文化によって確立された行 動パターンからはずれた行動をする人は、たえず少数である。しかし、その少数を誇大妄想を もつ大多数「ノーマル」に仕立て上げるは簡単である。それは、私たち社会においてこ れまで物質欲をもたなかった人を、社会が物質欲をもつ人に仕立て上げる同じくらい簡単 なことである。変人が比較的少数な理由は、何が正常かという明確な直感をもってその社会が 形成されているからではなく、普遍的事実として人間は与えられた枠組みに進んで合わせよう するからである。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻者にとって有意義だ思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 もとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ う目論んだである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入者代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人に文学的教養を身につけさせよう思ったである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観修得が目標された。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がない考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学に英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心なって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤な英文学基礎が作られたである」。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 このような大混乱をもたらすは、人間が生物学的に戦争をせずにはいられないからだい うのは大きな間違いである。この大混乱は人間が作り出したものである。いずれにしても私た ちは世界戦争に巻き込まれるかもしれない。アメリカ式生活を守るため、あるいは利益を手 放したくないため、そしてこちらから攻撃、あるいは受けた攻撃によって戦争に引きずり込 まれるかもしれない。戦争に関わる理由が理想的であろうなかろう、それによって失うも は同じである。第一次世界大戦ように何かを失って、何も得ないこともあれば、何かを犠 牲にしても犠牲にするだけ価値があるものを得るかもしれない。しかし何かを残すには、ど ような平和的目的を持てばいいだろう。すべてがそれにかかっている。それはもちろん戦 争前状況に戻るということではない。戦争前状況は世界史なかでも最も破壊的な戦争 状況である。近代社会で必要なことを実行するように機関に働きかけねばならない。人間利益を理解し、それを追求できるような枠組みを作らねばならない。なぜなら過去歴史を みる、社会的な枠組みを提供しなければ、人間は自分にとってよいことを追求することはで きないが明白だからである。人間がいつでもどこでもやらなければならないことは、この社 会的枠組みを現実社会に合わせるということである。現実社会は変化しており、過去歴史に おいて自給自足小さな部落から現在工業社会へ変化ほど劇的な変化はかつてない。アリ ストテレスも紀元前 4 世紀アテネを考えた時に、国位置づけその独立性ではなく、 その自給自足性にある考えた。もし国が自給自足しておれば、国は自然に独立国家な り得た。彼分析は論理的で鋭い。今日国独立性自給自足性関係が失われているなかで、 国独立性を主張することは自滅的な時代錯誤である。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 どの文化人類学者にとっても、前提なる懐疑主義は厳密に定義されねばならない。この懐 疑主義はいかなる正式な文化制度による影響をも疑うものである。民主主義であろうが、君主 制度であろうが、金権主義であろうが、どの主義も活発で安定した国家において実現されてい る。確信をもって自分目標を追求した部落においても、また最悪魔法を使うような部落で さえも、民主主義は君臨した。民主主義は、我々イデオロギーが賞賛する個人自由を浸透 させるため政治的形態でしかないことは明らかである。しかし、民主主義は個人自由を必 ずしも保障するものではない。一夫多妻制度が安定したまとまりある家族を形成することもあ る。他社会では一夫一婦制がその機能を果たす。しかしそのいずれもがより大きな摩擦があ るような分裂した家族も生み出しうる。他文化的な特徴に対しても同じことが言える。神聖 な王位であろう、花嫁につけられる値段にしても、魔法にしても同じである。このような習 慣によって社会がスムーズに機能する言える。また王が神崇められるので、自分快楽 ために人を利用したり、殺したりすることもある。花嫁に値段がつけられるため、若い男が結 婚できなかったり、魔術師が誰に対しても自分魔法が使えるために、社会対立や暴力があ るも言える。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

―学習コンセプト  教材学習コンセプトは大きく 2 種類に分けられる。Alphabetix、『話してみようフランス 』、『場面で話すフランス語 1』はフランス語でコミュニケーションを行うことを念頭に編ま れた教材である。特に後二者はそのタイトルが明示すように、フランス語で発信する能力を養 成することを念頭において製作されている。Alphabetix 『場面で話すフランス語 1』では機 能・概念シラバスが採用されている。前者では各課に単一あるいは複数社会的あるいは機能 的コミュニケーション目標(ex. 自己紹介する、注文する、情報を求める)が設定される。後 者では各課に「家族」「持ち物」ような大きな概念テーマがあり、そのテーマに応じて「家族 について話す」「持ち物を言う」などコミュニケーション各場面が展開される。文法要素や 語彙・表現はこれらコミュニケーション目標を実現するため「道具」として配置されてい る。『話してみようフランス語』は機能・概念シラバス他に文法項目がテーマなることもあ る(ex. 6 課:~へ行く、~から来る、8 課:~するつもり、~したばかり)。一方、『ピエール ユゴー』『カジュアルにフランス語』は、実践的な会話練習を取り入れながらも、伝統的 な文法中心学習進度に従って構成された教材である。前者は物語主人公である二人少年 が旅途中で出会う事柄(ex. 3 課:切符がない)が各課会話エピソードとして取り上げら れる。後者は 4 技能養成を重視する傾向に対応するため、「無理なくフランス語基礎がバラン スよく身につく(『カジュアルにフランス語』「はじめに」より)」ことを目標しており、大学日常生活場面(ex. 4 課:映画、9 課:キャンパスで)を題材に各課会話が作られてい る。両者ともに会話は日常的で自然なフランス語になるよう配慮されているが、会話テーマ 学習する文法項目や語彙機能・概念的関連性はほとんど見られない。
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主に Richards & Rogers(2001)および Cook(2010)に 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視になる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ている考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたように、最近 では学習者に意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要である考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能は異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームように近年アプローチは、そのどちら極に振れようというものではなく、 その中間に収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習に大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろう無意識であろう、それはあまり問題せずに達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせる考えるわけである。この立場に立てば、後述する翻訳(規範)を 基軸した翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的真っ向から対立するもので はない考えられるだ。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「皆さん」彼は叫んだ。「私が主に大切だ考えているは、亡くなった人々に及ぼす私 特異な影響力ではないです。というも、結局ところ、幽霊は幽霊です。いずれにせよ大し たこはできないです。触ることはできないし、一日うち半分は見えないです。もしそ れが小さい娘霊だったら、気がおかしくなってしまうでしょう。大切なことは、それが生き ているものに不思議な影響を与えることができるということです。皆さんはそれを目を使って することができますし、声を使ってすることができますし、ある種動きですることもで きます ― ここまで皆さんがご覧になったように。ただそれに心を向けるだけで何も使わなく てもできるです。もちろんそれは、できる人がいるということです。あまり多くはいません ― 皆さんがときどき出会うある種お金持ち、権力を持った人、共感する力強い人たちで す。それは磁力呼ばれます。それについてはさまざまなことが書かれました。さまざまな説 明試みもありました。しかし大した成果をもたらしませんでした。言えることはただそれが 磁力ということであって、人はそれを持っているか持っていないかどちらかなです。神は それを私に授けることを適切だお考えになったです。これは大きな責任ですが、私はそれ を正しく使うつもりでいます。私はあらゆる類ことができます。何かを見つけ出すこともで きますし、人が心中で思っていることを語らせることもできます。人を病に伏せることもで きますし、健康にすることもできます。恋をさせることもできます ― どうです?再び恋から 目を覚まさせることもできます。そして、割に合わなければ、もう二度と好きな人結婚なん てしない誓わせることもできるです。正直に言いますが、どういう風にそれをするかは 皆さんにお話しすることはできません。ただ自分に『さあ教授、これを治そう、あれを治そう』 言うだけでいいんです。ただで与えられた才能なです。つまり、磁力ということです。そ れを動物的磁力呼ぶ人もありますが、私はそれを霊的磁力呼んでいるです」
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に置かれた緑瓶に挿された大量ナデシコ激しい息遣い以外にはこれいって何も気づか なかった。アンジェロがそこに立って、ナデシコを一本小さくちぎっていた。恋主人公にぴ ったり姿だった。初め彼は恥ずかしそうに、すこし冷たく私方を見た。それはまるで、起 こるかもしれない騒ぎに断固立ち向かう準備を整えているようだった。しかし、私が過去については一切触れるつもりがないを見て取る、自分が平穏な安らぎ中で暮らしてい ることを陽に焼けた額が表してしまうことに戸惑っていた。私は一週間前にも彼を悪人呼ぶ 気はなかったが、今も彼を悪人呼ぶ気はなかった。しかし、彼は一つ謎ではあった ─ 彼 求愛方法同じく彼性格は大いに謎めいていた。彼が恋をしているというつもりはない。 しかし、彼はすでに彼幸福がどのようにやって来たか、そして、魅力を讃えられることに おいて一種原始的で自然な、感覚的な喜び恩恵に自分が浴しているということを忘れていた 思う。それはまるで暖かい陽射し、あるいは、たっぷりある良質ワインようだった。彼 が自分幸運に驚いているということなどまったくなかった思う。すべて真正ローマ人底には ─ たとえ彼が物乞いぼろをまとっていても ─ 彼らは我々を野蛮人みなし、 我々は彼らに貢物を差し出す存在であるという拭い難い確信を持っていることが分かるだろう。 彼は奇怪なすべて迷信に歓迎されていたが、それら迷信はアディナにどんな未来を約束し たというだろう?私は彼女話をさせて欲しい頼んだ。アンジェロは肩をすくめて、彼女 が嫌でなければね言い、私希望を伝えに隣部屋へ行った。どうやら彼女は判断に迷って いるようだった。あれほど大胆に飛び移った醜い亀裂反対側で彼女はどう見えるだろうか 考えながらしばらく待っていた。ついに彼女が現われた。私はすぐに私訪問が彼女を困惑 させていることを見て取った。彼女は自分過去をまったく忘れ去りたい願っていた。彼女 は青ざめ、深刻そうな面持ちだった。沈黙という無関心仮面をつけているように思われた。 以前彼女が独特な女性ように思われていたとしても、そこにいる彼女姿を見ること、つま り、並はずれた夫そばにいる彼女を見ることは彼女を理解する何役にも立たなかった。私 目は一人からもう一人方に移り、それが私考えを露呈した思う。彼女は突然私が 何用で来たか知りたい要求した。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生は、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社契約して英語教育教材を開発されたり、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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カルデロンの翻訳から見る鷗外の翻訳論 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

カルデロンの翻訳から見る鷗外の翻訳論 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

スペイン:《Todos Amen》「皆々アアメン」 独語訳:《Soldaten.' Sistwahr!》「兵卒どもほんとうにそうだ」  鷗外は「独逸も新舊いづれはあれど、基督教民なれば、『アアメン』は『アアメン』なり、 これを邦語に譯して南無阿弥陀佛いひたらむやうなる不都合あるにはあらざるべし。さるを 猶是如く改めたり」(同)付け加えている。またこれ以外にもシュレーゲル、シェークス ピア翻訳例等も示した。そしてこれ等例が示すように、戲曲翻訳に際しては多少自由が 必要である説き、さらにその自由を鷗外は哲学書翻訳比較して、「戲曲はこれを讀み、こ れを聞きて、その幻象直に讀者聴者目前にあらはれざるべからざればなり。故にいはく。戲 曲飜譯は、これを哲學書など飜譯に比すれば頗る自由なるもの」(同:341)説いた。ま た鷗外は『飜譯に就いて』中で「予飜譯は殆皆誤譯だとして、予に全く飜譯能力がなく、 予飜譯に全く價値がない言ひ触らしてゐるものもある(中略)予飜譯疵病として指摘 してある箇條を見るに、なる程頷かれることは極て希である。小説脚本飜譯は博言學的研 究は違ふ。一字一字に譯して、それを排列したから云って、それで能事畢る云ふわけで はない。故らに足したを原文にない云って難じたり、わざと除いたを原文にある云っ て責めたりしても、こっちでは痛癢を感じない」(飜譯に就いて:497)、鷗外は言う。鷗外は カルデロン後、セルバンテス『ドン・キホーテ』関わりを持つことになるが、『ドン・キ ホーテ』書中、後編第六二章で、ドン・キホーテが立ち寄った印刷所で居合わせた翻訳交 わす会話は、鷗外にとって興味深いものなる。鷗外蔵書中に『ドン・キホーテ』があるこ は既に指摘したとおりである。
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中国語教育実践報告 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語教育実践報告 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 1.2.2 単母音「e」「ü」指導  母音や子音指導をする際、気をつけているは、最初段階からあまり完璧な発音を求め ないということである。「語学三十六景」には、「en eng、ian iang はきちんと発音し分 けよう」書かれたりしているので、筆者考え方あまり変わらない思われるが、「(u) an」「(u) ang」、「in」「ing」は同じ発音でよい、「e」発音は単母音「e」日 本「エ」 2 つでよいなど指導し、コミュニケーションに差し支えないレベル 発音を到達目標する。
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英和辞書と連結形 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英和辞書と連結形 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

また、教育現場でも構造について学習者興味を引き出すようにしたい。教師用参考書 としては、小野(2004) が、形態論基本的なことをかなり分かり易くまとめている。しかし 連結形や語根といった、形態論ではしばしば議論から外されがちな要素については、やはり取 り扱っていないは残念だ。理論だけでなく、英語語彙実情を観察する視点も欲しい。 Sinclair, et al.(1991) は連結形を含め、接辞用例を多く集めている。また、語根を軸に 構造を示して語彙力向上を目指した辞典として瀬谷(2001)があり、辞書形成情報に語根 を取り入れるべきかどうか、考慮対象として興味深い。しかし「語根」もまた、定義ゆれ が大きく、「語根」「語幹」区別が一定でないということも付け加えておく。
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交流授業 ― ドイツ語とロシア語― 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

交流授業 ― ドイツ語とロシア語― 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

るわけではない。中学・高校で英語を入試課目として学んできた多く大学生は、外国を 学ぶことおもしろさや、異文化習慣や思考法違いといった、本来、外国を学ぶことか ら得られる気づきや学びをひとまず横に置いて、入試に必要な文法知識を詰め込み、読解力を つけ、和文英訳ができるように邁進してきたことであろう。そのような大学生たちが、大学 で初めて学ぶ外国授業を通して、改めて外国学習面白さに気づき、外国を学ぶこと 自体を楽しみにすることも少なくないことを、我々は授業中で日々見てきている。さらに、 外国を学ぶにはかなり忍耐思考力が必要であるが、強制されるからではなく自らチャレ ンジしていく面白さを知ることができる外国教育いえる。
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フランス語タンデムコミュニケーションクラスについて 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語タンデムコミュニケーションクラスについて 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

第 ₁ 回目授業。太治担当。教科書フランス観光都市紹介ページ(p.82)を読み、ページ(p.83)で場所をあらわす名詞確認をした後、役に立ちそうな表現を黒板にま とめる。例: « Le Puy-en-Velay est un site exceptionnel. » « Pendant un week-end à Saint-Malo, vous avez le temps de faire une promenade, de visiter les vieilles rues. » « On peut y découvrir le Capitole, magnifique bâtiment du XVIIIe siècle. » « C’est une ville très connue pour sa gastronomie. » など。 次に、教科書Unité 6読み物ページ(p.55)でロンドン週末旅 行に関する旅行会社パンフレットも読み、同じく役に立ちそうな表現をまとめる。例: « Le forfait comprend le transport Paris / Londres aller-retour en train ; une nuit d’hôtel dans le centre ville ; le petit déjeuner. » « réduction de 10 % sur les tarifs » など。さらにレヴィが用意した日本 国内旅行パンフレットも見せながら、作成するパンフレットを具体的にイメージさせる。架空 旅行会社をつくり、その会社がフランス人向け日本ツアーを計画している仮定し、通貨 単位はユーロすること(ユーロを身近なものとして実際に感じてもらうことを目標した、 その際には ₁ ユーロが約130円であることも紹介した。)、パリ出発・到着し、約 ₂ 週間ツ アーすること、などを決めた。学生から個人作業にしたいという希望があったので、取り上 げる観光地振り分けをする。
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外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「複数外国教育を統合的に推進するため考察」− 訳者による背景説明  グローバル化が進むなか、日本を初め多く国で外国教育が社会的課題として認識されて いる。統合が進むヨーロッパでは、欧州連合が多言語・多文化尊重を基本原則しているが、 他方で共通言語として英語へ高い関心が寄せられていることも事実である。しかし欧州連合 は1995年『知識基盤型社会へ向けて』という教育問題に関する白書中で「母語プラス 2 言語 /外国」を原則する「欧州市民 3 言語主義」を提唱した。それは多言・多文化社会で生 きる個人資質として「複数言語能力」を求め、「異文化対応能力」や「生涯にわたり外国 を学習する能力」を重要だ認める見解である。「複数言語主義」(Plurilingualismus)考えは、 具体的には「母語プラス 2 外国能力を学校教育で育成するというやり方で、各国で検討 乃至は導入されていっている。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表向き反感を示した最初振る舞いあと、ヘンリエッタ・コングリーブは、友人かつ姉常連客としてとても喜んでオズボーンを迎えるようになった。彼は、自分が次ように考 えても馬鹿げていることにはならない考えた。つまり、読者がどう考えよう、自分行動 全体が浮かれた愚か者それだオズボーンが考えていないは言うまでもないこと、そして、 彼女を取り巻くほとんど若い男性よりもヘンリエッタは彼に好意を持っている考えること である。オズボーンは自分持って生まれた資質を正しく評価していたし、感情的なことに厳 しく制限しなくても、より洗練された社会的な目的ために、ひとかどの人物になる素質も備 わっていることが分かっていた。彼はささいな事には関心がなかった。しかし、ウィルクス夫 人客間ではささいな事はほんのわずかな役割を果たすに過ぎなかった。ウィルクス夫人は単 純な女性だったが、愚かなわけでも軽薄なわけでもなかった。そして、コングリーブ嬢はさら に優れた理由でこれら欠点から影響を免れていた。グラハムがかつて多少苦々しさを込 めて次ように言うを聞いたことを思い出した。 「女性は本当は自分に何か言ってくれる男性 だけが好きなんだ。女性はいつも何かニュースに飢えているんだ」オズボーンは、コングリ ーブ嬢が通常あつめられる以上ニュースを自分がもたらすことができることを考えて満足し た。彼は素晴らしい記憶力を持っていたし観察力も鋭かった。その点についてはコングリーブ 嬢も同じだったが、社会についてオズボーン経験はもちろん彼女それよりも十倍広が りを持っていたし、彼は常に彼女不完全な推論を補足し、間違った憶測を正すことができた。 彼女憶測は素晴らしく如才がないように思えることもあったし、無邪気で愉快なこともあっ た。しかし彼は、まったく新しい事柄が持つ魅力について事実を彼女に提供できる立場に自 分がいることにしばしば気づいていた。彼は旅行をし、男女を問わずさまざまな人物に会って きたし、もちろん、通常女性が読むべきではない考えられている多く本を読んでいた。彼 には自分強みがよく分かっていた。しかし、彼知的な資質を披露することによってコング リーブ嬢が大変楽しんだとしても、一方で、彼女関心が彼知性に非常にさわやかな影響を もたらしているようにも思えた。
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自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

習を行っているということがわかった。また、「自己効力感がない」回答した参加者は受動的 な語彙学習を行っている可能性があることも明らかになった。  これら結果から、自己効力感が自己調整語彙学習においても重要な役割を果たす概念であ り、語彙指導際には、自己効力感を高める工夫を盛り込むべきであるという教育的示唆を導 出することができる。竹内(2010)は、「教育的介入としては、自己効力感高揚にうまく働 きかける(教員らによる)動機づけストラテジー使用が大切」(p. 11)である指摘してい る。自己効力感は動的で変化するものであるため(Bandura, 1997)、教育的介入が可能な語彙 学習方略指導などで、学習者不安を減らしたり、励ましたりする事で、成功体験を与え、自 己効力感を高めるような取り組みを意識的に行っていくべきである(Dörnyei, 2001;Zimmerman, Bonner, & Kovach, 1996)。それにより、自己調整学習指導目的である、自己効力感を高め、 自ら学習プロセスに能動的に関与する、自律した学習者を育てていく事が可能になるだろう。
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 けれども、腐らずにやっているうちに、京都外大大会で優勝者が出た。経済学部 3 年生だ った大浦公一君が、関大生初偉業をなしとげてくれたである。  彼は、のちに三和銀行(現東京三菱 UFJ 銀行)に就職し、マドリードやバルセロナ支店長 を勤めることになった。マドリード駐在頃は、ちょうどわたしが在外研究員としてアルカラ 大学に派遣されたとき重なった。おかげで、ありがたいことに、マンション手配、電気や ガス会社契約などに手を尽くしてくれた。また、バルセロナ時代には、サグラダ・ファミ リア教会正面ファサード「生誕門」彫刻を担当した、外尾悦郎氏、それにのちに助手に なった大竹志歩さんに引きあわせてくれた。何でも、外尾氏から中央三枚門扉(2015 年末 ぶじ完成)を作る費用を日本企業に打診する役を仰せつかったらしいが、そのとき以来知り 合いだということだった。外尾氏は同じ福岡県出身ということで話が弾んだ。起工以来 144 年目、ガウディ没後 100 周年に当たる 2026 年教会完成が待たれるところである。
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