トップPDF 関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

関西大学図書館所蔵ちりめん本の整理 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ちりめんは、縮緬布ように細かい皺を施した紙を用い、欧文に訳した日本昔話などに 浮世絵画家たち絵をもとにした多色刷り挿絵を添えて印刷したで、明治半ば、長谷川 武次郎により刊行されたものが、その中心をなしている。なつかしい昔話という題材はもとよ り、そのしんなりと手になじむ布ようなやわらかさ、そして一流絵師による美しい多色 挿絵とが相まって、ちりめんはいまも読者こころを捉えて離さない。もとは、日本国内 人びと、特にこどもたちが外国を学ぶため教科書として意図されたが、その美しさと異国 情緒により、日本にやってきた外国おみやげとして人気を得ることになったようである。  ちりめんについては、石澤小枝子氏が深く研究されており、その著書『ちりめんすべ て 明治欧文挿絵』を参考にさせていただき、本学図書館所蔵ちりめん整理を試み た。石澤氏によると、ちりめんとしてもっともよく知られている「日本昔噺」シリーズは 20 冊からなるが、No. 16 に重複があるので 21 冊となっており、また、同じタイトル平紙も 出版されていた、ということである。さらに、“Enlarged English Edition”として Nos. 21∼25 出版が続き、そのうち、Nos. 23, 24, 25 は、ラフカディオ・ハーンが訳したもので、後に、こ れに二冊が加えられ、箱入りで売り出されることになった。この加えられた二冊うち一冊は、 「日本昔噺」セカンド・シリーズ(第二弾)五冊うち一冊であったようであるが、本学は
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トドロフ(Tzvetan Todorov)が著書『文学が脅かされている』(2007、小野潮訳 2009)) 13) 中で、人間理解ためにも幅広い分野で文学作品が果たす役割は大きい、と述べている点に注 視するも意義あることだろう。 文学対象が人間条件それ自体である以上、文学を読み、それを理解する者は、文 学分析専門家になるではなく、人間存在を知る者となるだろう。人間を認識する という作業に何千年来取り組んできた大作家たち作品に沈潜する以上に優れた、人 間振舞い、情念理解ため導入教育があるだろうか。そうであってみれば、人 間関係に立脚するあらゆる職業ため準備として、文学教育以上に優れたものがあ るだろうか。もしこのように文学を理解し、このように文学教育を方向づけるなら、 未来において法学を学ぶ学生、政治科学を学ぶ学生、未来ソーシャルワーカー、心 理療法士、歴史家、社会学者にとってこれ以上に貴重な助力があるだろうか。………… こうして文学研究は、人文諸科学内部において、事件歴史、思想史といった学 科傍らにその場所を見つけられるだろう。これら諸学科は諸作品によっても諸教 説によっても、さまざま政治的行為によっても、社会的変化によっても、諸民族 生活によっても諸個人生活によっても、自らを発展させ、その結果思考を進歩させ るである。(ツヴェタン・トドロフ 73 74)
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関西大学図書館蔵抄本『新刊監本増注司牧療馬安驥集』について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

関西大学図書館蔵抄本『新刊監本増注司牧療馬安驥集』について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

事 ,為天下望,遂進都察院左副都御史,督理其事.壐書丁寧,命以提督便宜之權.先 生既至 ,凡百廢典,次第盡興舉之.霆始被委清理,既而荷簡命為清,寔任其責焉.先 生猶慮監苑久無良醫 ,馬病則束手待斃,恐難收藩息之效,于是命霆選取各監苑俊秀可 學子弟 ,幾數十名,延請諳曉醫師,以專訓迪.顧安驥集板行已久,多漫滅不可讀,且 陝西地僻遠 ,鬻書者不易致,先生乃取善本,稍加校閱,命工鋟梓,遍給暨苑監諸衛所 邊堡 ,俾師以是而教,子弟以是而學.鳴呼,是集也,調養有法,醫療有方,將自是全 陝之馬 ,可免橫災,可冀蕃息,是亦吾儒愛立教之一端也.他日騋牝蔽野,雲錦成群, 以無負皇上興復之志 ,於三邊兵事,大有裨益,不于是而始邪.刻既完,霆僣為之序, 用紀歲月云
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、「道徳的寓意」を描こうとしていたことが理解できる。(Millhouse, 66) 18)  寓意性を持つとは、描かれた対象が一義的な意味を超え、別次元で意味を帯びることで ある。描写が写実的である場合、意味はその次元にとどまる。まさにロッカー場合がそうで、 彼は写実的な描写に徹しており、描かれた人間が寓意性を帯びることはない。科学発展によ り科学的知識に裏付けされた彼認識では、人間も自然も写実的にとらえるしかない。彼作 品においては、自然中で人間が浮き立ってしまうことが多いが、自然中に不自然に佇む人 間描写を見るとき、そこからは、自然と対峙する姿勢を身に付け、もはや自然中に溶け込 むことできない人間ありようが伝わって来るようである。さらには大自然中に人間が配 されること自体が不自然である、という悲しむべきメッセージも聞こえてきそうである。ノヴ ァックによると、ハドソン・リヴァー・スクール画家たちは、その絵中に文明象徴であ る斧や汽車、そして人間を描くことで、来るべき未来を予感させることはあっても、「その未来
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

必要はないだと判断していた。結婚リスクと利点をレノックスはよく考慮し、目をよく開 いて結婚するだ。人にはそれぞれ好みがあるし、三五歳ジョン・レノックスは、エベレッ トが見かけどおり女性ではまったくないかもしれないと忠告されなければならない年齢では ない。バクスターはこのように、レノックスは二人目妻として可愛いだけ女性 ― 人をも てなしたり、彼金を絵ように美しく使ったりすることに才能ある女性 ― を意図的に選 んだだと思い込んだ。バクスターにはこの気の毒な男性情熱真剣な性質については何も 分からなかったし、バクスターが幻想と呼ぶものにレノックス幸せがどの程度抱き込まれて しまっているかも分からなかった。彼唯一関心事は仕事を上手く仕上げることだけだっ た。人を魅了するマリアン顔に対して彼が以前持っていた関心おかげで、その分だけ彼 仕事は上手く仕上がった。性格造形におけるあの力、そして、レノックス関心を捉えた現実 あの深さを実際バクスターが肖像画中に吹き込んだことは紛れもない事実だった。しかし それは、彼がまったく意識せず悪意を持たずにしたことだった。バクスター芸術家として 気質が失望を糧にし、喜びと苦悩によって脂肪を蓄え、バクスター人として部分に旺盛な 影響力を発揮した。つまり、簡単に言ってしまうと、この若い男性は本当意味で芸術家だっ たということである。強力で感じやすい彼性質測り知れない奥深い所で、彼才能は彼 心と交感し、失望と諦めという重荷をキャンバス上に移し換えたであった。マリアンと ちょっとした関係あと、バクスターは一生愛し続け信頼し続けることができると感じた若い 女性と知り合った。この新しい感情によって目を覚まされ力づけられた彼は、古い恋愛によっ てできた不足をよりはっきりとした明晰さで埋めることができた。それゆえ彼は心を込めて肖 像画を描くことができた。彼にはそれ以外に何かできることがあるなどエベレットには想像も できなかっただろう。彼は心底から正直に最善を尽くした。その確信は招かれなくても訪れ たし、そのために彼正直さはさらに優れたものとなった。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

21 ペンを走らせている。「…後は何て言った?」そこでやっと私に聞く。福井先生がペンを走ら せるスピードは並大抵ものではない。しかも、乱れた字ではなく、後からでもちゃんと読め る。その上、私が訳した内容を確認しながら書いている。神業である。お互いにかなり集中 力を用いる作業なので、途中で何度か息抜きを入れる。訳し終わった箇所について話し合うこ とが多い。訳し終わった部分を今度は福井先生が家でコンピューターに打ち込む。打ち込みな がらさらに日本語調整をする。次週に会うと前回翻訳した箇所で先生が書き直したところ、 わかりにくかったところなどについて話し合う。そしてまた次箇所を訳す作業に入る。これ 繰り返しである。2013 年外国学部紀要』第 9 号からほぼ毎号で翻訳した部分にコメン トをつけて掲載している。その校正際にさらに翻訳内容に修正を入れ、訳を磨いている。  1959 年に出版された Anthropologist at Work をなぜ今さら翻訳しているか疑問に思う人 も多いかもしれない。文化人類学分野はその後発展を遂げているし、1959 年から世の中は大 きく変わっているだから、1930 年代から 1940 年代にベネディクトが書いたことなど現代社 会にはあまり意味を持たないではないかと思う人もいるだろう。もしそうだったら、私もこ 翻訳作業に加わらなかったと思う。また、このがベネディクト研究者にのみ重要な資料で あるとしたら、これまでベネディクトとは関わりを持ったことがない私がこの翻訳をすること にはならなかったと思う。なぜ今このを訳しているか。それは、このに書かれたことが 今社会に通じるところがあるからである。そして、ベネディクトが生きた社会中でベネデ ィクト、あるいは彼女師であるフランツ・ボアズが学者として貫いた姿勢を心から尊敬し、 私もこのを訳すことによって彼らと同じように今社会に一石投じたいと思うからである。 これは、私と福井先生共通思いだ。
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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

研究発表 「関西大学留学生生活における現状について」(1994)大阪商工会議所 「日本研究ルーツ―『菊と刀』―」(1995)国際日本文化研究センター “Background Research Undertaken for “The Chrysanthemum and the Sword””(1996 年)米国 ネブラスカ大学『菊と刀』誕生 50 周年記念国際フォーラム

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英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ring fi nger and little fi nger with his left hand. ― Jacqueline Bideaud, Claire Meljac et al., Pathways to Number: Children’s Developing Numerical Abilities, p.46  以上事には何問題もないだが、手指に関しては別呼び方が存在している。それは、 指を「序数」を使う呼び方だ。 「第 1 指」「第 2 指」「第 3 指」などという言い方で、fi rst fi nger, second fi nger, third fi nger, etc. などと表す。この場合、上で見たように、親指は thumb なので除外し、他 4 指を「序数」を使って表す。第 1 番目指は人差し指なので fi rst fi nger、その隣中指は second fi nger、次薬指は third fi nger、そして小指は the fourth fi nger と呼ばれている。例を見てみよう。これは、マジック解説から例である。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

はドイツとフランス語を積極的に「公用」 (Amtssprache)ないしは「国語」 (Landessprache) と規定することをせず、ドイツとフランス語使用を憲法が保障することを示しているもの だ。これだけでは、司法 ・ 立法・行政に関わる公文書ドイツとフランス語で発行を義務 付けるという拘束力が直ちに発生するとまではいえない。したがって、この条文を根拠に 1848 年以来、ドイツとフランス語はルクセンブルクで公用地位を得たといえるかは検討余 地がある。例えば Fröhlich(1996:468 f.)は、「フランス語とドイツが対等関係で使用さ れることとなったが、フランス語は法律言語として効力を持ち、ドイツは下級行政レベ ルで使用されることが 1848 年に確定された」と指摘しているが、同条文は使用領域を規定する ものではないので、当時状況を承認する規定と Fröhlich が解釈しているに過ぎない。さらに、 同条文は第 2 章「ルクセンブルク人とその権利について」(Von den Luxemburgern und ihren Rechten)に含まれているので、基本的人権一部と位置づけられ、公用規定というよりは 言語権を保障する規定と解釈するが妥当と考えられる。公用位置づけについては、むし ろ「ドイツとフランス語使用に関する 1834 年 2 月 22 日大公命令」 4) (以下、大公命令)
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクトが抗い難い時代軋轢に悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのように 対応し、諸問題をいかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女個を求めていくことに繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係にあったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。著を翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトをとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたものに触れて いると、そのように結論を出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころには自分自身をコントロールできず、激しい癇癪に悩まされていた。自 分気持ちを理解してくれる相手を希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ちを率直に外に出すタイプ人ではなく、内にこもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力が極端に悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードがベネディクトに果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像に難くない。聞き取れない講義をミード援助によってハンディを軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なるが故に、惹かれるものがあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5)最終意思決定結果として本番プレゼンテーション内容決定方法 8 .おわりに  重要なことは、ファシリテーターが両グループへ向けて、アイデア要約、意見、提案、感 情(公正に手続きが進められているか、次ステップを把握しているか確認)というフィー ドバック(report-backs)を常に行うことである。一方、避けるべきことは拙速に物事を決め ることによる不満であり、せっかく国際交流が国際紛争にならないためにも、十分な時間的 余裕をもって、事前交流、現地交流と国際協同プレゼンテーション、事後交流を企画運営して いくことであると思われる。その結果、ASEP「で」ではなく「でしか」できない学習環境(国 際ファシリテータースキル育成など)を創出して、それを後輩へ繋いで行くことにより、「人 びとが、国や民族を越えて異なった文化や思想を理解し、相互に認め尊重し、協力しあうよう な、共に生きる平和な地球社会(UNESCO 憲章)」を作ることができれば、ASEP 実践意義 が更に高まるであろう。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ここから得る教訓は、戦争が人間にとって欠かせないものだということではなく、戦争時に おいて得られる人間悦びは、社会秩序によって平和には奪われているということである。そ れに比してミシシッピ大平原多くインディアン部族状況は、平和時と戦争時状況が 逆である。平和時部族同士やりとりは共同出資会社と同じように利益を共有し、義務も 分散されている。敵は人間とも見なされず、その敵を犠牲にして難なく個人利益を手に入れ ることができるである。ダコタ族は勇敢で根っから戦争好きであった。彼らは近隣部族 から恐れられていた。しかし国は彼ら功績には全く無関心であった。政治的な目的で軍隊が 派遣されることもなく、彼らには他部族を支配するという考えは思いもしないことであった。 戦争に加わっている若い青年たちは手柄をどんどん増やしていった。例えばキャンプ先にいた 敵馬を盗み、倒れた敵がまだ生きている間に触れ、頭皮を剥ぎ、敵陣地から傷ついたり、 殺された部族を助け出したりした。これら手柄は加算され、仲間と張り合う時に使われた。 戦争とそれにともなうことは競争であった。戦争部隊に入隊する理由は愛国心からではなく、 一旗揚げたいために入隊した。戦闘部隊が敵地に入ると、隊員はそれぞれ一番りっぱな服装を して羽根飾りをつけた。羽根いっぽんは彼が過去に成し遂げた手柄を表していた。隊員 たちが本拠地に帰ると、英雄となった人たち家族や彼と何らかのつながりがある人たちが集 まり、彼功績を称えた。兵隊たちは死ぬまで競い合って自分たち成し遂げた手柄を自慢し あうである。集会場には 100 以上数え棒が置いてあり、誰が一番多く棒を手に入れ、自 分たち手柄話しができるかということを競い合った。
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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2004 年 「ドイツ連邦共和国」大谷泰照/林桂子他編『世界外国教育政策 ― 日本外国 教育再構築へ向けて』東信堂 pp.257 85.(単著) 2010 年 「ドイツ」「オーストリア」「ポーランド」「関連事項解説」.大谷泰照監修,杉谷眞佐 子,脇田博文,橋内武,林桂子,三好康子(編)『EU 言語教育政策 ― 日本外国 教育へ示唆』くろしお出版 .「関連事項解説」pp.1 6;「ドイツ」pp.53 69;「ポ ーランド」pp.283 296;「オーストリア」pp.187 202. (単著,「オーストリア」は一部, 今堀志津氏と共著)
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北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

宇佐見太市,北村裕,河合忠仁,山本英一,竹内理(共編著)(2002)『外国研究 : 言語・文 化・教育諸相』ユニウス出版 Kitamura, Y., K. Horii, O. Takeuchi, K. Kotani & G. d’Ydewalle. (2003). Determining the param- eters for scrolling text display technique. In Hyona, J. & others ( Eds. ), The Minds’ Eye:

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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生は稀代目利きである。たとえば、研究テーマを例にとると、先生選ばれた日本文化 論テーマは、年月を重ねるにつれて、今日性が増しているように思える。通常ならば、歳月 とともに時代性を失い輝きを減ずるものだが、先生テーマをそうではない(ここでは紙幅 関係でたった 1 - 2 行で表現しているが、とても希有なことであり、驚きに値する)。先生目 利きぶりは、何も学問話だけではない。ちょっとした小物でも、お店でも、食べ物でも、普 遍的で価値高いものを選ばれているように思う。先生にお薦め頂いたものに外れはない。  人を見る目も同じである。先生人物評は端的にして、的を射ている。その時は分からなく ても、そして表面的には見えていなくても、後になって「じんわり」とその意味がわかってく る。時にその慧眼ぶりに、「怖い」と思うことすらあった。しかし、決して相手を貶めるような 評ではなく、そこに先生持つ上品さを感じる。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

“school”=「学校」、 “lessons in things like music, dance, and tea ceremony”=「音楽や踊り、茶 道など授業」、“training”=「訓練」といった、単に辞書的な意味をそのままあてはめただけ 、「文脈」を無視した訳語選択にある。  “school”は「学校」でよいだろうか。たしかに、辞書的な意味では「学校」(と一般的にわ れわれが呼んでいるところもの)でよいだが、ことばはそれが使われるコンテクスト ― この場合は対象文化や時代背景等「小説世界」という枠組み ― 中で考え、再分析しない と適切な「意味」(したがって訳語)を与えることはできない。上記例も、そういう視点から 見れば“training”は「(日本で「習いごと」について一般的な用語である)お稽古」であ り、“lessons in things like music, dance, and tea ceremony”は「(芸者が基本的な教養として 身につけるべき)三味線やお囃子、踊り、お茶作法など」「お稽古」ということになる。 “school” はそういうお稽古を受ける場所を指す。
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 当時、文学部英文学科教授であった私は、「教授」職がどうしても一名足らないという文部省 教員審査がらみ理由で、急きょ、新設総合情報学部学内移籍を大学当局から懇願され た。かの地で数十年ぶりに再会した私たちは、いわゆる弥次喜多コンビで総合情報学部外国 教育充実に日々、努めた。日本初 CNN 教材開発偉業も、北村先生主導もとで実現 した。当時 CALL 教室実質的管理・運営もすべて北村先生が仕切った。日本外国教育 を牽引する英雄謦咳に親しく接することできた私は、果報者であった。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この話には誇張があることをオズボーンは最大限考慮した。女性というものは ― 彼は考え た ― 話を都合よくまとめ上げるが大好きである。特にそれが不幸ときは。しかし彼 は大変心配になり、ただちに長い手紙を書いた。その手紙中でオズボーンは、ドッド夫人 話がどこまで本当なかを尋ね、もしそれがかなり部分事実であるなら、気晴らしため にすぐに町に出てくるよう強く勧めた。グラハムは実際に姿を現すことでそれに応えた。そこ でオズボーンはすっかり安心した。グラハムはこの数ヶ月で今までにないほど健康で元気そう だった。しかし彼と話してみると、精神的には少なくとも彼が深刻に病んでいることが分かっ た。元気がなくぼんやりとして、思考がまったく働いていなかった。オズボーン問いにも援 助申し出にも反応がないので、オズボーンはそれを悲しい想いで受けとめた。彼は生まれつ き感傷的な悩みを大変なことだと考えるタイプではなかった。階下住人が失恋で引きこもっ ていても、だからといって階段を上がる自分足音に気をつかうような人間ではなかった。し かし、グラハムをからかっても何効果もないだろうし、楽しさというものは必ずしも他人に 感染するわけではないということをグラハムは証明しているように思われた。グラハムはオズ ボーンに、自分ことを恩知らずな奴だと思わないで欲しいということ、そして、今回こと が癒されるまでその件については触れないで欲しいということを懇願した。グラハムは今回 件を忘れようと決意していた。彼がそれを忘れることができたとき ― 人はそういうことを忘 れるものなので ― 少なくとも今回先端をうまく過去に追いやることができたとき ― このことについてすべてを話すつもりだと言った。当面間は、自分気持ちを他ことで紛 らわせなければならなかった。何をすればいいか決めるは容易ではなく、当てもなく旅を するも難しかった。しかし、この耐えがたい暑さ中でニューヨークにとどまるも不可能 だった。ニューポートになら行けるかもしれなかった。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Ⅵ.フレーゲ「『レオ・ザクセが存在する』は自明である」(本稿Ⅲ)に対して  フレーゲは、概念を主語とする一般存在命題だけでなく、固有名を主語とする単称存在命 題(singular existential propositions)についても、〈存在〉は主語固有名が指す個体属性 ではありえないことを主張する。上述ように、フレーゲ論敵ピュンヤーは、命題「ザクセ は人間である(Sachse ist ein Mensch./Sachse is a man.)」から命題「人間が存在する(Es gibt Menschen./There is a man.)」を導き出すためには、命題「ザクセが存在する(Sachse existiert./Sachse exists.)」も必要であると主張するに対して、フレーゲによれば、命題「ザ クセが存在する」は、命題「ザクセは人間である」自明な前提であり、余分(überfl üssig/ superfl uous)である。両者違いは、結局、「存在する」機能に関する理解違いから来る と思われる。ピュンヤーは、「存在する」が個体何らかの属性を表すと見なしており、彼にと っては、「人間が存在する」を導出するためには、「ザクセは人間である」に「ザクセが存在す る」が付け加わる必要があった。しかし、フレーゲにとっては、「人間が存在する」は個々人 間にとって命題ではなく、「xは人間である」xに当てはまる対象が 1 つ以上あること、す なわち、∃ xHx(Hx:x は人間である)を意味するから、「ザクセは人間である」が与えられ れば十分であった。この論理的導出に関する限り、フレーゲ主張に何異存もない。  しかし、ここで、「レオ・ザクセが存在する(‘Leo Sachse existiert/exists’)」は、個体レ オ・ザクセについてではなく、 ‘Leo Sachse’ について命題であり、その文は ‘Leo Sachse’ は空虚な音ではなく、何かを指示することを意味するというフレーゲ主張には、大いに異存 がある。この主張は、指示矛盾を避けるために時々用いられる。指示矛盾とは、‘Leo Sachse does not exist’ ような存在否定文において、これがもし個体レオ・ザクセについて命題 なら、‘does not exist’ が述語されるべき主語 ‘Leo Sachse’ 指示する対象が、そもそも存在 していないことになるので、‘Leo Sachse does not exist’ はナンセンスであるという矛盾であ る。ギーチも言うように 25) 、これは明らかに、名前指示(reference)と名前持ち主(bearer)
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