トップPDF 『老乞大』諸資料における中国語“有”字文の諸相─“一壁有者”再考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『老乞大』諸資料における中国語“有”字文の諸相─“一壁有者”再考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『老乞大』諸資料における中国語“有”字文の諸相─“一壁有者”再考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

4 .結 論  言うまでもない事であるが、言語は其の使用される社会を反映するである。社会在り方 を考慮しない言語研究はあり得ないと言ってもよかろう。陸続きで恒常的に中国と接触、交流 せざるを得なかった朝鮮半島歴史中では、生きた共通言語を習得する必要性が常にあった という事を忘れてはならない。このような状況中で、口語・俗語に対する取り組みは驚くべ きものがあったと考えるが自然であろう。無論所謂二次資料とされる所以母語干渉が皆無 であったと主張するものではないが、現代研究一部が朝鮮資料において非とする文例 存在理由をすべてここ母語干渉に帰する姿勢には大きな疑問を感じる。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようとするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観に基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学が細菌生死を研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 が自分で設定するではない。それは原住民が何世代にもわたって、何千年もかけて生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのように扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人に施しを与えなければ、誰が自分に施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果と、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況に立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Ⅵ.フレーゲ「『レオ・ザクセが存在する』は自明である」(本稿Ⅲ)に対して  フレーゲは、概念を主語とする一般存在命題だけでなく、固有名を主語とする単称存在命 題(singular existential propositions)についても、〈存在〉は主語固有名が指す個体属性 ではありえないことを主張する。上述ように、フレーゲ論敵ピュンヤーは、命題「ザクセ は人間である(Sachse ist ein Mensch./Sachse is a man.)」から命題「人間が存在する(Es gibt Menschen./There is a man.)」を導き出すためには、命題「ザクセが存在する(Sachse existiert./Sachse exists.)」も必要であると主張するに対して、フレーゲによれば、命題「ザ クセが存在する」は、命題「ザクセは人間である」自明な前提であり、余分(überfl üssig/ superfl uous)である。両者違いは、結局、「存在する」機能に関する理解違いから来る と思われる。ピュンヤーは、「存在する」が個体何らかの属性を表すと見なしており、彼にと っては、「人間が存在する」を導出するためには、「ザクセは人間である」に「ザクセが存在す る」が付け加わる必要があった。しかし、フレーゲにとっては、「人間が存在する」は個々人 間にとって命題ではなく、「xは人間である」xに当てはまる対象が 1 つ以上あること、す なわち、∃ xHx(Hx:x は人間である)を意味するから、「ザクセは人間である」が与えられ れば十分であった。この論理的導出に関する限り、フレーゲ主張に何異存もない。  しかし、ここで、「レオ・ザクセが存在する(‘Leo Sachse existiert/exists’)」は、個体レ オ・ザクセについてではなく、 ‘Leo Sachse’ について命題であり、その ‘Leo Sachse’ は空虚な音ではなく、何かを指示することを意味するというフレーゲ主張には、大いに異存 がある。この主張は、指示矛盾を避けるために時々用いられる。指示矛盾とは、‘Leo Sachse does not exist’ ような存在否定において、これがもし個体レオ・ザクセについて命題 なら、‘does not exist’ が述語されるべき主語 ‘Leo Sachse’ 指示する対象が、そもそも存在 していないことになるので、‘Leo Sachse does not exist’ はナンセンスであるという矛盾であ る。ギーチも言うように 25) 、これは明らかに、名前指示(reference)と名前持ち主(bearer)
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

馬をとって逃げること、何も失わず自分小さな軍隊を連れて帰ることなどであった。勝 利は、ある時にはある部落兵士たちに、またある時には別部落兵士たちに舞い降りた。 しかし、彼ら戦争は社会を破滅するようなものではなかった。これら部落は、経済的にも お互いに独立し、妻を娶るもお互いに別々に行なっていた。そして戦争仕方も社会的事実 に沿って行なわれた。戦争目的は勝利を得ることにあり、相手部落人たちを支配し、彼 ら支配になったり、彼らによって何か利益を得ようといったことは目的ではなかった。北 米原住民間では、征服するという考えは出現したことはなく、それによってすべてアメ リカ・インディアン部落は革新的なことをすることができた。それは戦争を国から切り離す ということである。国象徴はピース・チーフ(平和首長)であり、彼は内輪人々や議会 に関わるみんなリーダー格であった。平和首長は永遠地位であり、独裁ではなかった が、非常に重要な人であった。しかし彼は戦争とは全く関係がなかった。彼は戦争首長を任 命することもなく、戦闘士たち行いを気にかけることもなかった。人を集めることができる 人ならだれでも、いつでも、どこでも戦闘団を率いることができた。部落によっては、その人 は遠征期間中、完全なる支配力をもっていた。しかしこの立場は戦闘団が帰宅した時点で力 を失った。したがって、国がこのような遠征に興味を示すことなど考えられず、こうした遠征 が政治に無害場合、荒々しい個人が外部に対抗心を見せ付ける替えられるべき行いであった。  こうした害ない戦争は、原始的な人たち間ではかなり一般的なことである。害がないと いう根拠は、戦争に関わる両方部族文明が破壊に導かれることはないということである。 もちろん戦争は冷酷さと残酷さを生み出し、極端な欠乏に耐える力を引き出す。戦争が人間 性格に及ぼす影響で、このような性格を嫌う人間は戦争がもたらすこの影響を非難し、このよ うな性格を好む人たちは戦争に対する逆評価をすることとなる。しかし制度化された慣行と して戦争を明らかにするには、そのような性格云云とかいったことではなく、それを超越し た文明を破壊する戦争か破壊しない戦争かを区別しなければならない。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されている。この本構成方法につい てミードは次ように書いている。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めてもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々な出来事を同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後ことを照らすこともあれば、前ことを照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々な好みに合うようにアレンジした。最後ページを先に読みた い人もいるだろうし、他解釈を読む前に、自分で生資料をもとに解釈することを望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されている。伝記によくあるように、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられてはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからないと信じていたからで ある。」( 2)従って資料と詩とかかわりも、ミードコメントと必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章と詩関係は、彼女がひらめいた場合にのみ一緒に提示している。 1 部ではベネディクトと文化人類学と出会いを、マーガレット・ミード解説をもとに書か れている。年代は 1920 年から 30 年代ものが中心となっている。この章には言語学者である エドワード・サピアとベネディクトと 1922 年から 1923 年にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれており、初期ベネディクト想いを知る上で重要な箇所となっている。  1 部ベネディクトが文化人類学を始めた頃論文「平原インディアン幻視」を翻訳して いて感じたことは、論理的、科学的、そして明確に説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたとは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという と古めかしく、客観的にそしてアカデミックに書こうとする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたとは言い難く、読み手にとって理解を複雑化させていると感じられ る。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

“school”=「学校」、 “lessons in things like music, dance, and tea ceremony”=「音楽や踊り、茶 道など授業」、“training”=「訓練」といった、単に辞書的な意味をそのままあてはめただけ 、「文脈」を無視した訳語選択にある。  “school”は「学校」でよいだろうか。たしかに、辞書的な意味では「学校」(と一般的にわ れわれが呼んでいるところもの)でよいだが、ことばはそれが使われるコンテクスト ― この場合は対象文化や時代背景等「小説世界」という枠組み ― 中で考え、再分析しない と適切な「意味」(したがって訳語)を与えることはできない。上記例も、そういう視点から 見れば“training”は「(日本で「習いごと」について一般的な用語である)お稽古」であ り、“lessons in things like music, dance, and tea ceremony”は「(芸者が基本的な教養として 身につけるべき)三味線やお囃子、踊り、お茶作法など」「お稽古」ということになる。 “school” はそういうお稽古を受ける場所を指す。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余年大学生活を振り返って 福 井 七 子  関西大学時間は、学問を中心として私生活に彩りを添えてくださった人々おかげで、 非常に恵まれた期間だった。30 有余年にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルース・ベネディクトという複雑な女性を研究テーマ中心にしたことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解に迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に資料を求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々に助けられ、これまで あまり研究がなされていなかった分野を少しは明らかにできたではないかと思っている。  アメリカには 6 回ほど調査旅行をした。第回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーにあるベネディクト・コレクションを中心に、エール大学や議会図書館に も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料を得ることができた。結果的 に私心配は杞憂に終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上に努力が 求められるは、それを読み解き、まるでジグゾーパズルように時間軸を中心に埋め込んで いかねばならない。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

21 ペンを走らせている。「…後は何て言った?」そこでやっと私に聞く。福井先生がペンを走ら せるスピードは並大抵ものではない。しかも、乱れたではなく、後からでもちゃんと読め る。その上、私が訳した内容を確認しながら書いている。神業である。お互いにかなり集中 力を用いる作業なので、途中で何度か息抜きを入れる。訳し終わった箇所について話し合うこ とが多い。訳し終わった部分を今度は福井先生が家でコンピューターに打ち込む。打ち込みな がらさらに日本語調整をする。次週に会うと前回翻訳した箇所で先生が書き直したところ、 わかりにくかったところなどについて話し合う。そしてまた次箇所を訳す作業に入る。これ 繰り返しである。2013 年外国学部紀要』第 9 号からほぼ毎号で翻訳した部分にコメン トをつけて掲載している。その校正際にさらに翻訳内容に修正を入れ、訳を磨いている。  1959 年に出版された Anthropologist at Work をなぜ今さら翻訳しているか疑問に思う人 も多いかもしれない。文化人類学分野はその後発展を遂げているし、1959 年から世の中は きく変わっているだから、1930 年代から 1940 年代にベネディクトが書いたことなど現代社 会にはあまり意味を持たないではないかと思う人もいるだろう。もしそうだったら、私もこ 翻訳作業に加わらなかったと思う。また、この本がベネディクト研究にのみ重要な資料で あるとしたら、これまでベネディクトとは関わりを持ったことがない私がこの翻訳をすること にはならなかったと思う。なぜ今この本を訳しているか。それは、この本に書かれたことが 今社会に通じるところがあるからである。そして、ベネディクトが生きた社会中でベネデ ィクト、あるいは彼女師であるフランツ・ボアズが学者として貫いた姿勢を心から尊敬し、 私もこの本を訳すことによって彼らと同じように今社会に石投じたいと思うからである。 これは、私と福井先生共通思いだ。
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主に Richards & Rogers(2001)および Cook(2010)に 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視になる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ていると考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたように、最近 では学習に意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要であると考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能とは異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題と深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームように近年アプローチは、そのどちら極に振れようというものではなく、 その中間に収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習に大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」と「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろうと無意識であろうと、それはあまり問題とせずに達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせると考えるわけである。この立場に立てば、後述する翻訳(規範)を 基軸とした翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的と真っ向から対立するもので はないと考えられるだ。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻するは今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一が後世に伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究は、己が属する学会や 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究界実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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テロの時代におけるレッシング『賢者ナータン』再考 ―清流劇場の公演を機に― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

テロの時代におけるレッシング『賢者ナータン』再考 ―清流劇場の公演を機に― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 理性が照らし出す認識こそ真なるものとする啓蒙主義時代において、創世記後世界を合 理化しようとする理神論は、イギリス、フランスからドイツにも広まった。写本コレクショ ンで有名な、ヴォルフェンビュッテル大公図書館にて宮廷司書任についたレッシングは、 1774 年から 1778 年にかけて図書館刊行に『無名人断章』を連載する。それはハンブルク 学術ギムナジウム(現在ハンブルク大学前身)で教鞭をとった東洋学者・聖書解釈学者ヘ ルマン・S・ライマールス私的な遺稿で、聖書非合理性をラディカルに批判し、啓示を否 定し、理性的認識による信仰を是とする、まさに理神論代表ともいえるものであった。理性 主義と、理性自然力によって神を認識する「自然宗教」により、正統教義主義と啓示宗教 解体を促そうとするライマールス主張は、当然、議論を巻き起こした。とりわけハンブル クカタリーナ教会で主任司祭を務めるヨハン・M・ゲッツェは、ルター派代表として激し く反論した。すなわち、聖書言葉、特に新約聖書が真であり、イエス教えこそがキリスト 教内容を表す。聖書を読むことで魂は動かされ、精霊導きが与えられ、そうして信仰中 で真実が具現化されるだという。レッシングも編者として矢面に立つこととなるが、実は彼 はどちらか論に従ったわけではなかった。ライマールスような見解は人々間に広がって いるにもかかわらず、教会はそれについて発言も討論も禁じていた。レッシングは宗教界が 理論と実践間で膠着した状態を是正し、自由な討論を実現したかったである。そして自ら は、理性によって到達できるキリスト教「内なる真実」を主張していた。自然宗教を擁護し、 人間を、神完全性一部たる合理的存在と見る一方で、啓示にも付加価値を見出す。聖書的 啓示は人間感性に訴えながら信仰に導くことができるからである。求められるは、聖書 荒唐無稽さを揶揄することではなく、理性を行使することによってその意味について思考し、 理解することであるとレッシングは考える。彼は自ら立場を両極端間に置き、「啓示は理性 宗教を内包する」 11) と主張する。理性と啓示を対立させずに関連付けるレッシング論そのもの
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“得”字補語文について 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

“得”字補語文について 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 本稿で検討した「 得 」も、「はじめに」でも触れたように、辞書、テキスト、文法書 により、「様態補語」か「状態補語」か「程度補語」かという用語不統一が学習に不必要な 負担を与えるため、教育上問題点とされるものである。初級段階では本稿でいう描写的表 現例が文法事項として扱われる程度であり、形容詞述語一種として取り上げれば不必要 な負担を避けることに繋がると思われるが、本稿で「 得 検討を端緒として中国 「補語」全体再検討を試みたいとも考えている。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻にとって有意義だと思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 もとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ うと目論んだである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人に文学的教養を身につけさせようと思ったである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観修得が目標とされた。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がないと考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学に英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心となって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤な英文学基礎が作られたである」。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言」から東アジア優勢言語へと成り上がったである。日本語変化は、江戸時代以来、西 洋新知識を受け入れてきた結果であるが、その過程で漢字による新語・訳語が決定的な役割 を果たした。  言語は知識受容と伝達媒体であり、社会生活と密接に相互作用を及ぼす関係にある。西 洋新知識導入は、中国近代化へ変化を促進し、同時に中国社会種々近代的変化 が中国によって記録された。また、漢字文化圏存在により、中国近代化は中国語内だ けにとどまらず、東アジア全域に拡大した。中国語中国近代が分かち難い関係にあると 同様、漢字漢文は東アジア近代化と密接な関係にある。西学東漸という大きな流れ中で、 中国は漢字文化圏言語に大きな影響を及ぼす一方、漢字文化圏言語からも影響 を受けた。特に日本語影響は非常に大きかったが、中でも最も重要なことは、漢字を利用し て西洋新概念を受け入れるという問題における「共創、共享」である。漢字文化圏内では、 多く抽象や時代キーワードが同形(または同音)という形式で存在しているが、これ は地域内言語接触、語彙交流結果であることは疑問余地がない。一方、各言語における 同形(同音意味、用法上相異は、それぞれ国や地域が西洋新知識や新概念を受 容した過程を反映したものである。近代新知識受容と表出には新しい語彙と表現様式が必要 である。厳復翻訳が最終的に中国社会に受け入れられなかったことは言語面において社会 要望を満たせなかったからであるといえるだろう。新しい語彙と表現様式、特に専門分野に おけるキーワードや基本用語形成は、近代学問体系が成り立つため基盤である。キーワ ードや基本用語歴史は、往々にしてその学科形成史であり、言語近代化に関する研究は、 「近代」と冠するその他研究分野基礎である。
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ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 4 .グルーピング  グルーピングデザインは、1 つ目と 2 つ目テーマを取り上げたコース開始直後期間は グルーピングを行わず、ピア・レビュー活動時だけ受講生自身がピアを 3 人選び、ピア・レビ ューを書いてもらう方法を採用した。これに対し、調査対象期間に行ったグルーピングは、教 師が行ったが、その際に受講生 L1 を最優先し、必ず異言語話者を含めて 1 グループ 3 ∼ 4 人 構成にした。調査対象を 6 つ(全体では 9 つ)グループに分けたが、L1 以外に、日本語 能力試験(JLPT)、プレ調査結果、テーマ 1 と 2 プロダクト評価、春学期日本語 2 評 価、そして男女比など学習情報を考慮した。各グループに異言語話者を少なくとも 1 人配 置することで L2 日本語使用が必須となる異言語接触環境を提供した。これは、中級では作文 プラニングにおいて L1 使用効果が認められたが、上級では統一性が劣り必ずしもよい影響 を及ぼさなかったという報告(石橋 1997,2002; 矢高 2004)もあり、L1 使用効果が考えにくい ことと、L2 による相互交流を活性化するためである。
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《老乞大》中所見的祈使標識“(去)来” 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《老乞大》中所見的祈使標識“(去)来” 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

》中 見的祈使標識“( 去 ) 来” 『』に見られる命令標識“(去)来”について 小 嶋 美由紀 Miyuki Kojima  本稿は、元明代漢語資料》に見られる文末詞“来”(= come)が、命令標識とし て用いられる例を考察対象とする。その部分が“来”とは逆方向移動を表す“去”(= go)と結合し、“去来”形で表れる。そして、“去来”は、命令行為中でも、特に聞き手 に行為を誘う「誘いかけムード」(hortative mood)で用いられる。“去来”が誘いかけムー ドを表す標識に文法化した動機を、「移動」意味と関連で考察する。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

念」と考えたである 15) 。  そのあとで、彼らに対する自身立場を表している。文章は次ように続く。 When I returned to America’s fi rst wilderness, I didn’t experience it in terms of terror. For me, it was a safe haven from the horrors of modern life. At fi rst, I wandered through the Clove as through the ruins of an abandoned church where an almost forgotten religion had once been practiced. I could no longer see nature the way the nineteenth-century painters had seen it, but with my more scientifi cally-oriented twentieth-century eyes, I began to see it in a new way, ― as complex, interrelated process. (In Blue Mountains) ロッカーは、「アメリカ原初野生」へと足を踏み入れたとき、恐怖というものは感じなかっ た。むしろ、「現代生活脅威から逃れ場所」と感じたと述べており、19 世紀画家たちと
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Analog pleasures in a digital world 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Analog pleasures in a digital world 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

While teaching in Newark, I learned that another campus of Rutgers University wanted to hire someone to teach theater studies.. I applied, and had an interview.[r]

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『水鏡』におけるビセンテ・ウイドブロの創造主義的手法の展開 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『水鏡』におけるビセンテ・ウイドブロの創造主義的手法の展開 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 第四連“Llueve sobre los espectadores / Y hay un ruido de temblores.”(「観客たち上に雨 が降り/震える音が伝わる。」)で降る雨は、商業化初期には屋外で上映されることもあった 映画観客たちを襲ったものか。ずぶ濡れになった人々は、寒さに身を震わせている。しかし ながら、この雨は、物理的な現象として雨、ただ空から落ちてくる水滴ではない。2 行目に おける “temblor”という使用は、この時期におそらくまだ具体的な構想を得ていたとは思 えないが、それでも『アルタソル』以後代表的な散文詩、Temblor de cielo『天震』を思い 起こさせる。この震えはヨーロッパ大地を揺るがすものか、それとも人々おののきか。い ずれにせよ、詩包含する空間規模はきわめて大きなものへと移っている。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 エベレットは約束朝に父親であるエベレット氏エスコートで現れた。エベレット氏 は物事を望ましい形式で行うことを大変誇りにしており、あらかじめバクスターに紹介されて いた。バクスターとマリアンと間に短いが丁寧な挨拶が交わされ、その後で二人は仕事に取 りかかった。エベレットはバクスター希望や思いつきに気持ち良く応じ、同時に、どういう ことをすべきでどういうことはすべきでないかについて多く確信を臆することなく披露した。  彼女確信が的を得ており彼女希望は余すところなく共鳴できるものであることにその若 い芸術家はまったく驚かなかった。頑迷で不自然な偏見と折り合いをつけることも、自分最 善意図を近視眼的な虚栄心犠牲にすることも要求されないことが彼には分かった。  エベレットが中身ない女性であるかどうかということはここで言及されることではない。 しかし少なくとも、彼女は次ことを理解するだけ分別は持ち合わせていた。つまり、蒙を 開かれた聡明さ関心は、それが絵画主たる目的であるだから、画家視点から見て良い ものであるべき絵によって最も良く満たされなければならない。さらに、彼女名誉ために 以下ことをつけ加えてもいいだろう。絵画が、その情熱持続というまがい物 ― へたな模 倣 ― 以上何かになるためには、情熱要請によって遂行された絵画にどんなに偉大な芸術 真価が適切に付与されるべきであるか、彼女は余すところなく理解していた。そして、彼自 身ためであれ他人ためであれ、非論理的で利己的な関心介入ほど芸術家情熱を冷めさ せてしまうものはないことを、彼女は本能的に悟っていた。
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