“school”=「学校」、 “lessons in things like music, dance, and tea ceremony”=「音楽や踊り、茶 道などの授業」、“training”=「訓練」といった、単に辞書的な意味をそのままあてはめただけ の、「文脈」を無視した訳語の選択にある。
“school”は「学校」でよいだろうか。たしかに、辞書的な意味では「学校」(と一般的にわ れわれが呼んでいるところのもの)でよいのだが、ことばはそれが使われるコンテクスト ― この場合は対象文化や時代背景等の「小説世界」という枠組み ― の中で考え、再分析しない と適切な「意味」(したがって訳語)を与えることはできない。上記の例も、そういう視点から 見れば“training”は「(日本での「習いごと」についての一般的な用語である)お稽古」であ り、“lessons in things like music, dance, and tea ceremony”は「(芸者が基本的な教養として 身につけるべき)三味線やお囃子、踊り、お茶の作法など」の「お稽古」ということになる。 “school” はそういうお稽古を受ける場所を指す。
Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )
私たち日本の英文学専攻者にとって有意義だと思われる箇所を、本稿の論旨である実践知性 としての英文学研究の視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ の中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 のもとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学の本家であるイギリスの事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリスの大学では受け入れられず、特に古典学の教授たちにとっては無用の長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つの正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地のインド人をイギリス化させよ うと目論んだのである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入者の代表的人物が、詩人・思想家のマシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時のイギリス人に文学的教養を身につけさせようと思ったのである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観の修得が目標とされた。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がないと考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究としての英文学を 志向した。こうしたせめぎあいの中、1893 年オクスフォード大学に英文学の学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるのは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学の講師たちが中心となって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コースの抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日の私たちが 知っている豊潤な英文学の基礎が作られたのである」。
念」と考えたのである 15) 。
そのあとで、彼らに対する自身の立場を表している。文章は次のように続く。
When I returned to America’s fi rst wilderness, I didn’t experience it in terms of terror. For me, it was a safe haven from the horrors of modern life. At fi rst, I wandered through the Clove as through the ruins of an abandoned church where an almost forgotten religion had once been practiced. I could no longer see nature the way the nineteenth-century painters had seen it, but with my more scientifi cally-oriented twentieth-century eyes, I began to see it in a new way, ― as complex, interrelated process. (In Blue Mountains) ロッカーは、「アメリカの原初の野生」へと足を踏み入れたとき、恐怖というものは感じなかっ た。むしろ、「現代生活の脅威からの逃れ場所」と感じたと述べており、19 世紀の画家たちと
While teaching in Newark, I learned that another campus of Rutgers University wanted to hire someone to teach theater studies.. I applied, and had an interview.[r]
第四連“Llueve sobre los espectadores / Y hay un ruido de temblores.”(「観客たちの上に雨 が降り/震える音が伝わる。」)で降る雨は、商業化の初期には屋外で上映されることもあった 映画の観客たちを襲ったものか。ずぶ濡れになった人々は、寒さに身を震わせている。しかし ながら、この雨は、物理的な現象としての雨、ただ空から落ちてくる水滴ではない。2 行目に おける “temblor”という語の使用は、この時期におそらくまだ具体的な構想を得ていたとは思 えないが、それでも『アルタソル』以後の代表的な散文詩、Temblor de cielo『天震』を思い 起こさせる。この震えはヨーロッパの大地を揺るがすものか、それとも人々のおののきか。い ずれにせよ、詩の包含する空間の規模はきわめて大きなものへと移っている。