トップPDF 福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 『外国学部紀要』に翻訳を載せるたびに書いているが、福井先生一緒に翻訳しているは ルース・ベネディクトアンソロジーもいうべき Anthropologist at Work : Writings of Ruth Benedict 『文化人類学者仕事』(仮題)である。この本はベネディクトが 1948 年に死亡して 10 年後に彼女さまざまな意味で関係があったマーガレット・ミードによってまとめられたも である。ベネディクトが書いた論文だけでなく、日記、詩、そして彼女に宛てられた、ある いは彼女が書いた書簡も含まれている。全体で 600 ページ近くある膨大な本である。幸い論文、 日記、手紙などいくつも部分に分かれているので、授業合間をぬって翻訳することがで きる。現在ところ、440 ページまで訳し終わった。あとは論文を 4 本訳せば終わる。翻訳出版社はすでに決まっている。ミネルヴァ書店である。ミネルヴァ堀川編集長福井先 生が時々会って進捗状況を知らせている。来年には仕上げる予定だ。
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通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

通訳の仕事 ―通訳者に必要な資質と能力の養成 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

なチーム数を揃えたりします。英語で大学通訳訓練コースを終了して、B クラスで仕事を 始めているならば、会議通訳者としてデビューチャンスです。 5 . 2 . エージェント通訳養成校  サイマルインターナショナル、インターグループ、日本コンベンションサービスなどは国際 会議や記念行事など企画から実施まで全体運営一環として通訳派遣をしていますが、専 属英語や中国通訳者がいます。このような大手エージェントが提供している通訳者養 成コースで通訳訓練を受けることが出来ます。英語や中国では上級英語・中国レベル から本格的な同時通訳訓練まで一貫したコースで訓練を受け、専属になり、会議通訳者し て仕事を始めることが可能です。英語以外外国場合は、受講生レベル人数問題が つきまといます。エージェントや語学学校通訳という名ついた授業はせいぜい週一回授 業しかありませんので、自分知識や外国不足部分などに気づくきっかけや練習方法発 見にはなりますが、そこで訓練を受けて技術を磨く練習は充分には出来ません。
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主に Richards & Rogers(2001)および Cook(2010)に 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視になる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ている考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたように、最近 では学習者に意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要である考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能は異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームように近年アプローチは、そのどちら極に振れようというものではなく、 その中間に収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習に大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろう無意識であろう、それはあまり問題せずに達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせる考えるわけである。この立場に立てば、後述する翻訳(規範)を 基軸した翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的真っ向から対立するもので はない考えられるだ。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「何もかもを」という部分に対応させるという構想である。“I could see”は原文にはない が、これも前半部“making . . . look like”対応させて、この風景を眺めている「僕」視 点を強調したものである。このほか、“a thick layer of rain cloud”は単に“a thick cloud”だ けでいいではないか、“going down through”する「(くぐり抜けて)落下[墜落]し」 というニュアンスになってしまうではないか等意見や、「やれやれ」をどう表現するか、 いった点についてさまざまな意見が交わされた(注:ただし、この時点では自主的な議論とい うよりも、講師誘導による意見交換域を出ていない。この点については改めて触れる)。  なお、前述とおり、この課題意図はあくまでも「英語学習」一環ということであり、 本来意味翻訳」(または「翻訳教育」)を目指したものではない。したがって、出来上が った訳文翻訳」として質はとくに問題はしない。指導する側から見て重要なことは、 ⑴ 訳出という作業を通じてテクストを別視点から眺めるという経験をさせること、その上 で ⑵ 日英言語構造上差異について理解をより深め、これを ⑶ 最終的な目標である「言 メタ意識」養成へつなげていく、ということである。
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翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

翻訳を通して文化が規定するアブノーマルの概念を考える 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

り上げられた人間行動部分で、アブノーマルというは、その文化で使われない人間行動 部分を指している。物事をみる私たち目そのものが、私たち社会長い伝統的な習慣によ って調整されている。」「ノーマル概念は確実によいもの一部として扱われる。それは社会 が認めたものである。ノーマルな行動は、特定社会で期待されている行動範囲に収まるも である。様々な人たち間に見られるノーマル多様性は、その集団が行動パターンバ リエーションしているものである。そしてノーマルは文化的に確立された行動から切り離 すことはできない。」つまり、ベネディクトが述べているノーマルは、文化によって育てられ た人間性一部もいうべきものであり、それに対してアブノーマルが意味するは、文化が 扱わない潜在的行動もいうべき一部なである。それゆえ、多く人々は期待される範囲に 自分たち行動を合わせているであり、そうでない文化においては、つまり同性愛が制度 なかに組み込まれている社会では、同性愛者も決して異常な存在ではなく、逆に多く人が同 性愛になる可能性もある、ということを指摘している。決して唾棄すべき存在などではない訴える。つまり、この論文は彼女人生を縦糸に、そして「アブノーマル文化人類学」 というテーマを横糸に織り上げた作品もいうべきものであろう。したがって、私たちは本論 結論をあえて書かないことにした。なぜなら、彼女が織り上げようした作品は、これ以降 も続く大きなテーマなっただから。
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物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

物語理論と翻訳 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 語り手はいつでも語り手として物語言説に介入できるだから、どんな語りも、定 義上、潜在的には一人称でおこなわれていることになる…。 (287) すなわち、すべて物語は原理的には一人称物語であり、そこに何らかの区別があるすれ ば、それは「物語内容を語らせるにあたって、『作中人物』一人を選ぶか、それともその物語 内容には登場しない語り手を選ぶか、という選択」(287)のみであるということです。物語 水準人称問題をひどく乱暴にまとめてしまう、「水準」は「誰が語っているか?」とい う問題で、「人称」は「誰が見ているか?」という問題である言うことができます。  ヘンリー・ジェイムズ作品に『メイジー知ったこと』という小説があります。この小説 は少女「視点」から出来事が眺められているわけですが、この物語を語っているは少女で はありません。一読するお分かりいただけるように、幼い女の子がとうてい使わないような 語彙や文構造が頻繁に出てきます。つまり、見ているは女の子であるけれども、語っている は成人、しかもかなり高度な言語運用能力を備えた大人ということです。そして、現実には あり得ないような『メイジー知ったこと』物語言説こそがこの小説魅力でもあるわけです。  逆に、J. D. サリンジャーに『ライ麦畑でつかまえて』という有名な小説があります。この を眺めているは成人した「僕」ですが、物語語りは高校生だったとき「僕」という構 造になっています。つまり、『メイジー知ったこと』は逆に、「視点」方が大人で「語り」 方が子どもだというわけです。そしてそのことが、この小説持つ魅力なっているわけで す。このように、物語における「語り」や「視点」問題は、単なる形式的な問題ではなく、 物語内容深く結びついているということがお分かりいただける思います。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

良心に対する彼任務負担は軽くなったように感じられた。理屈上では彼女は不愉快だっ た。しかし現実には、もし彼女ことを嫌うつもりがなければ、彼女に好意を抱くはとても 楽しいことであっただろう。彼見解による、肉体偶然出会いによって彼女は親し い存在になったである。オズボーンは自ら怒りを決してあきらめるつもりはなかった。彼 記憶中で、気の毒なグラハム亡霊は険しい表情でまっすぐ座り、明滅する炎に力を与え ていた。しかし、復讐対象である女性、砂浜でちょっとした事件女性を和解させ、 害ない女性を報復色に染めるは少し困難な仕事であった。いろんな事が次から次へ起 こり、計画を実行に移すことができず彼はむしろ上機嫌だった。彼はいろんなところから招待 を受け、ぶらぶら時を過ごしては海水浴をしたり、おしゃべりをしたり煙草を楽しんだり、 乗馬に出かけたり外で食事をしたりして、際限なく新しい人に会い、表向き服装は快活な半 喪服に変えてしまった。しかしこういったことをしていても、グラハムに対して不誠実な気持 ちにはならなかった。奇妙なことだが、グラハムが死んでしまった今ほど、こんなにも彼が生 きているように感じられることはなかった。肉体をともなっているとき、彼には半分生命力 しかなかった。グラハム精神は非常にやる気にあふれていた。しかし、肉体は致命的に脆弱 だった。彼は困惑しがっかりしていた。元気で活発だったは気持ちであり、愛情であり、思 いやりであり、理解力だった。オズボーンには、それらを唯一受け継ぐは自分であることが 分かっていた。遺産大きさに対する健全な感覚で胸が一杯になるを彼は感じていた。そし て、グラハムを暗い片隅に呼び出し、寂しい場所で彼死を悼む気持ちが日に日に薄れていく ことを意識していた。取り消すことできない厳粛なたった一つ切望をもって、自分屈強 な身体活発な精神を友人美徳命ずるがままにしておいた。自分旅行が休暇へ変化す ることを感じながら、彼は長い手足を伸ばし、かすかにあくびをしながらアーメン 4 4 4 4
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 エベレットは約束朝に父親であるエベレット氏エスコートで現れた。エベレット氏 は物事を望ましい形式で行うことを大変誇りにしており、あらかじめバクスターに紹介されて いた。バクスターマリアン間に短いが丁寧な挨拶が交わされ、その後で二人は仕事に取 りかかった。エベレットはバクスター希望や思いつきに気持ち良く応じ、同時に、どういう ことをすべきでどういうことはすべきでないかについて多く確信を臆することなく披露した。  彼女確信が的を得ており彼女希望は余すところなく共鳴できるものであることにその若 い芸術家はまったく驚かなかった。頑迷で不自然な偏見折り合いをつけることも、自分最 善意図を近視眼的な虚栄心犠牲にすることも要求されないことが彼には分かった。  エベレットが中身ない女性であるかどうかということはここで言及されることではない。 しかし少なくとも、彼女は次ことを理解するだけ分別は持ち合わせていた。つまり、蒙を 開かれた聡明さ関心は、それが絵画主たる目的であるだから、画家視点から見て良い ものであるべき絵によって最も良く満たされなければならない。さらに、彼女名誉ために 以下ことをつけ加えてもいいだろう。絵画が、その情熱持続というまがい物 ― へたな模 倣 ― 以上何かになるためには、情熱要請によって遂行された絵画にどんなに偉大な芸術 真価が適切に付与されるべきであるか、彼女は余すところなく理解していた。そして、彼自 身ためであれ他人ためであれ、非論理的で利己的な関心介入ほど芸術家情熱を冷めさ せてしまうものはないことを、彼女は本能的に悟っていた。
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英語的な表現と日本語的な表現 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語的な表現と日本語的な表現 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 John Hinds が挙げているように、家族で食事をしているとき、誰かがミルクをこぼす、日 本なら「あっ、ミルクがこぼれた」など言う。英語場合、“Oh, no, she spilled milk”(Hinds 27)ように主語を明示し能動態で表現するがふつうである。つまり英語場合、誰がミル クをこぼしたかという情報が欠かせないものであるに対して、日本では、誰がミルクを こぼしたかということよりも、何が起こったかという出来事方に関心が向けられる。  このように、同じ出来事を経験しても、それを言語化する際、英語日本語では言語化さ れた表現に違いが生まれる。そこで本稿では、これまでに積み重ねられてきた英語日本 表現差異研究をとおして、英語から日本語へ翻訳について考えてみる。
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贈ることば、御礼のことば ― 平田渡先生のご退職に寄せて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

贈ることば、御礼のことば ― 平田渡先生のご退職に寄せて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 むろんこと、ラテンアメリカ小説原典多様な版 ― すでに『この世王国』翻訳を 出され、後に『エクエ・ヤンバ・オー』に取り組まれることになるだが、その地域小説 世界的なブーム火付け役なった一人であるキューバアレーホ・カルペンティエルをはじ め、ノーベル文学賞を受けたガブリエル・ガルシア=マルケスやオクタビオ・パスら、長年に わたって平田先生が日本へ紹介に努められた作家たち作品 ― が書架大きな部分を占め ていたが、同様に目を引いたは、いくつも美麗な全集を含む、現代や古典日本文学諸 作品であった。後年、スペインサンティアゴ・デ・コンポステラ大学哲学部に呼ばれて、 ラモン・バリエェ=インクランも学んだ中世から続く伝統学舎で、光源氏について講演を なさることになるだが、それもこのような幅広い教養を普段に身につけていらした先生にす れば、ごく自然ななりゆきであったかもしれない。
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 もう何年になるか定かではないが、七子先生(日頃、福井先生ことを親しみをこめてそう 呼ばせていただいている)おいしいものやり取りをするうちに、しみじみそう思うように なった。  わたしは、恥ずかしながら、知る人ぞ知る、少年頃から釣り好きである。今でも一年じ ゅう、家バルコニーから見える明石海峡周辺海に船を出し、旬魚を追いまわしている。 イカナゴを食べて脂が乗った冬から春にかけてメバル桜鯛、滋味掬すべき初夏明石ダコ、 全身がトロ状態になる真夏マアジ、青みがかった眉をはいたような女王然した美しさアオリイカ、お造りがうまい夏から冬にかけてタチウオ、そして、きわめつけが初冬に訪 れる淡路島南端イシダイ、以上が主な釣りものなだが、昨今はクール宅急便おかげ で、どんな魚もあくる朝には、日本全国津津浦浦食卓まで届けることが可能になった。  そんなわけで、わたしが釣行した翌日七子先生食卓には、ぴちぴち、とれとれ新鮮な 魚が並んでいるというわけである。もちろん、お届けする魚下ごしらえはすんでいるので、 先生には姉上ごいっしょにお刺身にしたり、煮たり、焼いたり、酢のものにしたりしていた だくだけでいいは言うまでもない。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 14 号(2016 年 3 月) 4 かもしれませんが、これからもよろしくお願いします。  ギブズ先生、お身体ほうくれぐれも大切になさってください。やりかけ仕事がまだま だたくさんおありでしょう。先生自身が長年にわたって蓄積されてきた日本について思いは、 これからも発信し続けてください。研究分野が先鋭化されている今日、先生ように文学・文 化について幅広い見識・知識をお持ち研究者が少なくなっているは、とても残念なことで す。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されている。この本構成方法につい てミードは次ように書いている。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めてもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々な出来事を同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後ことを照らすこともあれば、前ことを照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々な好みに合うようにアレンジした。最後ページを先に読みた い人もいるだろうし、他解釈を読む前に、自分で生資料をもとに解釈することを望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されている。伝記によくあるように、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられてはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからない信じていたからで ある。」( 2)従って資料かかわりも、ミードコメント必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章関係は、彼女がひらめいた場合にのみ一緒に提示している。 1 部ではベネディクト文化人類学出会いを、マーガレット・ミード解説をもとに書か れている。年代は 1920 年から 30 年代ものが中心なっている。この章には言語学者である エドワード・サピアベネディクト 1922 年から 1923 年にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれており、初期ベネディクト想いを知る上で重要な箇所なっている。  1 部ベネディクトが文化人類学を始めた頃論文「平原インディアン幻視」を翻訳して いて感じたことは、論理的、科学的、そして明確に説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという 古めかしく、客観的にそしてアカデミックに書こうする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたは言い難く、読み手にとって理解を複雑化させている感じられ る。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 年にフランツ・ボアズ間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後アメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時さしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題もからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あること考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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『外国語学部紀要』発刊に際して 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『外国語学部紀要』発刊に際して 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 私自身は昔も今も文才に恵まれてはいない。ただ、若き日に英文学道を志してからは自ず 読書に耽溺するようになり、仕事柄、文筆活動にも勤しむようになった。しかし今、還暦を 目前にして告白をするも恥ずかしいが、文章表現に関しては未だに自信が持てないでいる。 だからこそ、表現するすべをしかと有した上述映画監督ような人たちに私は脱帽せざるを えないだ。康宇政監督ように、また佐藤真監督ように、観客を魅了する作品を創生する にはどうしたらいいか、真剣に考え込んでしまう。私たち研究者立場から言えば、どの ような文章を綴って表現すれば読み手琴線に触れることができるかということになる。 未熟な私にはこれは永遠課題である。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 2009 年頃より、翻訳を中心に研究を深めている。翻訳をするにあたって、英語ニュアンス も含め、著書深遠な部分理解が求められる。これは私個人的な思いだが、バイリンガル な人よぶことができるは菊地敦子先生をおいて私は知らない。何年にもわたって菊地先生 行なっている翻訳・解釈セッションは私仕事に励み力を与えてくれている。菊地先生 仕事はこれからも当分続くことになるが、これまた結構なことである。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言」から東アジア優勢言語へ成り上がったである。日本語変化は、江戸時代以来、西 洋新知識を受け入れてきた結果であるが、その過程で漢字による新語・訳語が決定的な役割 を果たした。  言語は知識受容伝達媒体であり、社会生活密接に相互作用を及ぼす関係にある。西 洋新知識導入は、中国近代化へ変化を促進し、同時に中国社会種々近代的変化 が中国によって記録された。また、漢字文化圏存在により、中国近代化は中国内だ けにとどまらず、東アジア全域に拡大した。中国中国近代が分かち難い関係にある 同様、漢字漢文は東アジア近代化密接な関係にある。西学東漸という大きな流れ中で、 中国は漢字文化圏言語に大きな影響を及ぼす一方、漢字文化圏言語からも影響 を受けた。特に日本語影響は非常に大きかったが、中でも最も重要なことは、漢字を利用し て西洋新概念を受け入れるという問題における「共創、共享」である。漢字文化圏内では、 多く抽象や時代キーワードが同形(または同音)という形式で存在しているが、これ は地域内言語接触、語彙交流結果であることは疑問余地がない。一方、各言語における 同形(同音意味、用法上相異は、それぞれ国や地域が西洋新知識や新概念を受 容した過程を反映したものである。近代新知識受容表出には新しい語彙表現様式が必要 である。厳復翻訳が最終的に中国社会に受け入れられなかったことは言語面において社会 要望を満たせなかったからであるいえるだろう。新しい語彙表現様式、特に専門分野に おけるキーワードや基本用語形成は、近代学問体系が成り立つため基盤である。キーワ ードや基本用語歴史は、往々にしてその学科形成史であり、言語近代化に関する研究は、 「近代」冠するその他研究分野基礎である。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication) WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果は、一言でいう「実践による学び奥深さ」である。このこ は、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

―学習コンセプト  教材学習コンセプトは大きく 2 種類に分けられる。Alphabetix、『話してみようフランス 』、『場面で話すフランス語 1』はフランス語でコミュニケーションを行うことを念頭に編ま れた教材である。特に後二者はそのタイトルが明示すように、フランス語で発信する能力を養 成することを念頭において製作されている。Alphabetix 『場面で話すフランス語 1』では機 能・概念シラバスが採用されている。前者では各課に単一あるいは複数社会的あるいは機能 的コミュニケーション目標(ex. 自己紹介する、注文する、情報を求める)が設定される。後 者では各課に「家族」「持ち物」ような大きな概念テーマがあり、そのテーマに応じて「家族 について話す」「持ち物を言う」などコミュニケーション各場面が展開される。文法要素や 語彙・表現はこれらコミュニケーション目標を実現するため「道具」として配置されてい る。『話してみようフランス語』は機能・概念シラバス他に文法項目がテーマなることもあ る(ex. 6 課:~へ行く、~から来る、8 課:~するつもり、~したばかり)。一方、『ピエール ユゴー』『カジュアルにフランス語』は、実践的な会話練習を取り入れながらも、伝統的 な文法中心学習進度に従って構成された教材である。前者は物語主人公である二人少年 が旅途中で出会う事柄(ex. 3 課:切符がない)が各課会話エピソードとして取り上げら れる。後者は 4 技能養成を重視する傾向に対応するため、「無理なくフランス語基礎がバラン スよく身につく(『カジュアルにフランス語』「はじめに」より)」ことを目標しており、大学 生日常生活場面(ex. 4 課:映画、9 課:キャンパスで)を題材に各課会話が作られてい る。両者ともに会話は日常的で自然なフランス語になるよう配慮されているが、会話テーマ 学習する文法項目や語彙機能・概念的関連性はほとんど見られない。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 以上ように、個々 CS 機能が特定できる場合がある一方で、CS 発生頻度が最も高い C は、3.1 文内 CS 例③ように、母体言語が不明で複雑な CS が多数見られ、個々 CS 機能は必ずしも明確ではなかった。Poplack ( 1980: 588 )が指摘するように、安定的な二言語 併用コミュニティにおける特定発話状況では、CS 自体が規範なる事例もある。その場合、 話者は CS を通して混合アイデンティティを表現している考えられ、前掲 6 つ機能のう ち「表現機能」に該当する。よって、安定的な二言語併用環境である首都ビシュケク市に生ま れ育ったインフォーマント C にとっては、キルギスロシア CS に満ち溢れた会話様式 がありふれたものであり、CS を通して、キルギスが優勢な地方在住キルギス人は、異な るアイデンティティを表現している考えられる。
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