いよどんで遠慮の気持ちを示している。また、聞き手に席を外してもらいたいという願いが「나 선미 고 좀 고 싶 은 얘기 있는데(私、ソンミとちょっと話したいことがあるんだけど)」 のみの発話で行われており、聞き手の全面的な了解を前提にした上での会話と見られる。 一方、例⑿の日本語吹き替え版は「 기…(あのー)」の部分が「ごめんね」となっており、 続きの台詞には韓国語原語版には見られない「よかったら」という聞き手の了解を求める表現 がある。日本語では聞き手の全面的な了解が期待される親しい関係でも一方的な割り込みや押 し付けにならないよう言語表現面で明示的に示す必要があり、韓国語との相違が見られる。 また、このようなことは話し手と聞き手の共有領域からの「一時的な離脱」でも類似してい る。
メキシコにおいて、現在もっとも権威ある教育研究機関メキシコ国立自治大学 Universidad Nacional Autónoma de México(以下 UNAM)の前身である王立メキシコ大学(Real Pontifi cia Universidad de México)が、サラマンカ大学に倣って創立されたのは1551年のことである。現 在でこそ UNAM は、メキシコで学生数、付属研究機関数ともに最大規模を誇る。しかし当時 はまだスペインの支配下にあったので、1821年に Real(王立)という形容詞が取れてからが、 メキシコの研究機関として独立した時期と考えられる。UNAM は幅広い分野で高い評価を受け る大学である。教育に関する研究も広くおこなわれているが、外国語としてのスペイン語研究 が着手されたのは2005年のことである。このようにメキシコでもっともこの分野の研究が進ん でいると思われる UNAM においても、外国語としてのスペイン語とその教育に関する研究は 端緒についたばかりと言える。教材・メディアに限って言えば、教科書や副教材、e-learning 教 材、研究誌が edelsa, SGEL, difusión などの出版社や大学の研究機関から多数出版されているス ペインに比して、メキシコではその研究開発がまだこれからというのが現状である。
「-을게요」の運用に関する一考察
한국어 교육의 시점에서 본 「-을게요」의 운용에 관한 일고찰
秦 秀美
본 고 에 서 는 한 국 어 교 육 에 서「화 자 의 의 지」나 「청 자 에 대 한 약 속」을 나 타 내 는 표 현 으 로 설 명 되 고 있 는 종 결 어 미「 - 을 게 요」에 대 해 이 두 분 류 의 설 명 만 으 로 는 학습자의 이해를 도모하기 어려운 점이 많음을 지적하고 , 구체적인 상황에서의 쓰임에 주 목 해 고 찰 했 다 . 그 결 과 , 「 -을게요」는 화자의 의지를 청자에게 알리는 데 중요한 의미가 있으며 청자의 상황이나 청자로 부터 얻은 정보에 대한 이해를 바탕으로 결정된 화자의 의지행위라는 점에 그 특징이 있다 . 화자의 의지에는 청자에 대한 충분한 이해가 고려되어 있으므로 화자의 일방적인 결심의 선언이나 경고 , 협박 등에는 쓰일 수 없으며 이러한 운용적인 특징이 약속 , 청자를 위한 제의, 청자의 요구에 대한 승낙 등 커뮤니케이션 기능으로서의 사용과 연관되어 있음을 지적했다 .
Coaching for Communication
コーチング・フォー・コミュニケーション
Paul Carty Mark D. Lucas 本稿の両著者は長年英語教育にたずさわってきたと同時に長年体育競技にもたずさわって きた。体育競技のコーチが使う革新的な指導方法ESLの授業に応用できないかを考察するこ