トップPDF 人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

馬をとって逃げること、何も失わず自分小さな軍隊を連れて帰ることなどであった。勝 利は、ある時にはある部落兵士たちに、またある時には別部落兵士たちに舞い降りた。 しかし、彼ら戦争は社会を破滅するようなものではなかった。これら部落は、経済的にも お互いに独立し、妻を娶るもお互いに別々に行なっていた。そして戦争仕方も社会的事実 に沿って行なわれた。戦争目的は勝利を得ることにあり、相手部落人たちを支配し、彼 ら支配者になったり、彼らによって何か利益を得ようといったことは目的ではなかった。北 米原住民間では、征服するという考えは出現したことはなく、それによってすべてアメ リカ・インディアン部落は革新的なことをすることができた。それは戦争を国から切り離す ということである。国象徴はピース・チーフ(平和首長)であり、彼は内輪人々や議会 に関わるみんなリーダー格であった。平和首長は永遠地位であり、独裁者ではなかった が、非常に重要な人であった。しかし彼は戦争とは全く関係がなかった。彼は戦争首長を任 命することもなく、戦闘士たち行いを気にかけることもなかった。人を集めることができる 人ならだれでも、いつでも、どこでも戦闘団を率いることができた。部落によっては、その人 は遠征期間中、完全なる支配力をもっていた。しかしこの立場は戦闘団が帰宅した時点で力 を失った。したがって、国がこのような遠征に興味を示すことなど考えられず、こうした遠征 が政治に無害場合、荒々しい個人が外部に対抗心を見せ付ける替えられるべき行いであった。  こうした害ない戦争は、原始的な人たち間ではかなり一般的なことである。害がないと いう根拠は、戦争に関わる両方部族文明が破壊に導かれることはないということである。 もちろん戦争は冷酷さと残酷さを生み出し、極端な欠乏に耐える力を引き出す。戦争が人間 性格に及ぼす影響で、このような性格を嫌う人間は戦争がもたらすこの影響を非難し、このよ うな性格を好む人たちは戦争に対する逆評価をすることとなる。しかし制度化された慣行と して戦争を明らかにするには、そのような性格云云とかいったことではなく、それを超越し た文明を破壊する戦争か破壊しない戦争かを区別しなければならない。
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同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

同時通訳はなぜ可能なのか ~同時通訳の認知・言語学的メカニズム~ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ら訳し始めますので、常に情報が不十分な状態で訳出を余儀なくされるわけです。そういう 難しさがあって、そこから false start とか誤訳可能性というが常につきまとうわけです。 このフォールス・スタートというは、スポーツでいう「フライング」ことですね。言語学 では、例えば、Did you... と言いかけてやめて、Didn’t you... と言い直して発話を再開するよう な現象を指します。場合によっては、言いかけた発話(および発話プラン)を全く放棄して、 新たな表現・構文でそっくり言い直すということもあります。こういう言い直し現象がなぜ起 こるか、このときに頭中で何が起こっているか、というはたいへん面白い研究テーマ なですが、いずれにせよ、こういう言い直し現象をフォールス・スタートと言います。  それから、統語構造違い。これも大きな問題です。英語と日本語は、いわば鏡像関係にあ りますので、例えば日本語では「東京都渋谷区渋谷 3 1 14」というに対して、英語では“3 1 14, Shibuya, Shibuya ku, Tokyo, Japan”となって、まるで順番が反対ですよね。同時通訳 ではこういう統語構造違いを、オンラインで乗り越えないといけないという難しさがありま す。オンラインでというは、聞いているその場その場でということです。そのためには、発 話を適切なユニットごとに区切って処理し、訳出していくわけですが、これを「チャンキング」 といいます。ただし、この「適切なユニット」というをどう判断するか、これはなかなか難 しい問題です。これについては後でもう少し詳しくお話しします。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5)最終意思決定結果として本番プレゼンテーション内容決定方法 8 .おわりに  重要なことは、ファシリテーターが両グループへ向けて、アイデア要約、意見、提案、感 情(公正に手続きが進められているか、次ステップを把握しているか確認)というフィー ドバック(report-backs)を常に行うことである。一方、避けるべきことは拙速に物事を決め ることによる不満であり、せっかく国際交流が国際紛争にならないためにも、十分な時間的 余裕をもって、事前交流、現地交流と国際協同プレゼンテーション、事後交流を企画運営して いくことであると思われる。その結果、ASEP「で」ではなく「でしか」できない学習環境(国 際ファシリテータースキル育成など)を創出して、それを後輩へ繋いで行くことにより、「人 びとが、国や民族を越えて異なった文化や思想を理解し、相互に認め尊重し、協力しあうよう な、共に生きる平和な地球社会(UNESCO 憲章)」を作ることができれば、ASEP 実践意義 が更に高まるであろう。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 どの文化人類学者にとっても、前提となる懐疑主義は厳密に定義されねばならない。この懐 疑主義はいかなる正式な文化制度による影響をも疑うものである。民主主義であろうが、君主 制度であろうが、金権主義であろうが、どの主義も活発で安定した国家において実現されてい る。確信をもって自分目標を追求した部落においても、また最悪魔法を使うような部落で さえも、民主主義は君臨した。民主主義は、我々イデオロギーが賞賛する個人自由を浸透 させるため政治的形態でしかないことは明らかである。しかし、民主主義は個人自由を必 ずしも保障するものではない。一夫多妻制度が安定したまとまりある家族を形成することもあ る。他社会では一夫一婦制がその機能を果たす。しかしそのいずれもがより大きな摩擦があ るような分裂した家族も生み出しうる。他文化的な特徴に対しても同じことが言える。神聖 な王位であろうと、花嫁につけられる値段にしても、魔法にしても同じである。このような習 慣によって社会がスムーズに機能すると言える。また王が神と崇められるので、自分快楽 ために人を利用したり、殺したりすることもある。花嫁に値段がつけられるため、若い男が結 婚できなかったり、魔術師が誰に対しても自分魔法が使えるために、社会対立や暴力があ るとも言える。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

必要はないだと判断していた。結婚リスクと利点をレノックスはよく考慮し、目をよく開 いて結婚するだ。人にはそれぞれ好みがあるし、三五歳ジョン・レノックスは、エベレッ トが見かけどおり女性ではまったくないかもしれないと忠告されなければならない年齢では ない。バクスターはこのように、レノックスは二人目妻として可愛いだけ女性 ― 人をも てなしたり、彼金を絵ように美しく使ったりすることに才能ある女性 ― を意図的に選 んだだと思い込んだ。バクスターにはこの気の毒な男性情熱真剣な性質については何も 分からなかったし、バクスターが幻想と呼ぶものにレノックス幸せがどの程度抱き込まれて しまっているかも分からなかった。彼唯一関心事は仕事を上手く仕上げることだけだっ た。人を魅了するマリアン顔に対して彼が以前持っていた関心おかげで、その分だけ彼 仕事は上手く仕上がった。性格造形におけるあの力、そして、レノックス関心を捉えた現実 あの深さを実際バクスターが肖像画中に吹き込んだことは紛れもない事実だった。しかし それは、彼がまったく意識せず悪意を持たずにしたことだった。バクスター芸術家として 気質が失望を糧にし、喜びと苦悩によって脂肪を蓄え、バクスター人として部分に旺盛な 影響力を発揮した。つまり、簡単に言ってしまうと、この若い男性は本当意味で芸術家だっ たということである。強力で感じやすい彼性質測り知れない奥深い所で、彼才能は彼 心と交感し、失望と諦めという重荷をキャンバス上に移し換えたであった。マリアンと ちょっとした関係あと、バクスターは一生愛し続け信頼し続けることができると感じた若い 女性と知り合った。この新しい感情によって目を覚まされ力づけられた彼は、古い恋愛によっ てできた不足をよりはっきりとした明晰さで埋めることができた。それゆえ彼は心を込めて肖 像画を描くことができた。彼にはそれ以外に何かできることがあるなどエベレットには想像も できなかっただろう。彼は心底から正直に最善を尽くした。その確信は招かれなくても訪れ たし、そのために彼正直さはさらに優れたものとなった。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5 .ドイツ外国? ― 言語間距離と言語教育  ドイツ屋根なし外部方言を造成して作られたルクセンブルクは、ドイツと同じ西ゲ ルマン系派に属すため、当然ながらドイツ距離は極めて近い。Sokal et al.(1992)で は、Ruhlen(1991)による言語学的分析に依拠しながら、主要な印欧語距離を樹形図であら わしている。それによるとルクセンブルクはドイツやオランダと同じグループに属して いて、言語間距離はとても近くなっている。その距離は、ポルトガルとガリシア、スペ インとカタルーニャ、チェコとスロバキア、デンマークとスウェーデンとノルウ ェーなどと同等と評価されている。これに対して、ルクセンブルクとフランス語と距離 ははるかに遠い。数字で表すと、ルクセンブルクとドイツ距離がおよそ 0.9 程度とする と、ルクセンブルクとフランス語距離は 15 程度にもなる(Sokal et al. 1992: 7671)。ちな みにルクセンブルクと英語距離はおよそ 2.9 程度であることから、英語はドイツより距 離が遠いが、フランス語よりはるかに近い。言語距離が近ければ学習が容易になるが、同時 に転移(transference)が発生しやすくなるという問題もある。しかし、転移による混同を避 ける学習よりも、まったく異なる形式を学習する方がはるかに難しい。したがってルクセンブ ルク言語系統が同じドイツ語は、ルクセンブルク母語話者にとって最も学びやすい 言語である。
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英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

英語語法における曖昧性の回避について 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ring fi nger and little fi nger with his left hand. ― Jacqueline Bideaud, Claire Meljac et al., Pathways to Number: Children’s Developing Numerical Abilities, p.46  以上事には何問題もないだが、手指に関しては別呼び方が存在している。それは、 指を「序数」を使う呼び方だ。 「第 1 指」「第 2 指」「第 3 指」などという言い方で、fi rst fi nger, second fi nger, third fi nger, etc. などと表す。この場合、上で見たように、親指は thumb なので除外し、他 4 本指を「序数」を使って表す。第 1 番目指は人差し指なので fi rst fi nger、その隣中指は second fi nger、次薬指は third fi nger、そして小指は the fourth fi nger と呼ばれている。例を見てみよう。これは、マジック解説本から例である。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクトが抗い難い時代軋轢に悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのように 対応し、諸問題をいかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女個を求めていくことに繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係にあったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。本著を翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトをとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたものに触れて いると、そのように結論を出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころには自分自身をコントロールできず、激しい癇癪に悩まされていた。自 分気持ちを理解してくれる相手を希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ちを率直に外に出すタイプ人ではなく、内にこもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力が極端に悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードがベネディクトに果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像に難くない。聞き取れない講義をミード援助によってハンディを軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なるが故に、惹かれるものがあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、「道徳的寓意」を描こうとしていたことが理解できる。(Millhouse, 66) 18)  寓意性を持つとは、描かれた対象が一義的な意味を超え、別次元で意味を帯びることで ある。描写が写実的である場合、意味はその次元にとどまる。まさにロッカー場合がそうで、 彼は写実的な描写に徹しており、描かれた人間が寓意性を帯びることはない。科学発展によ り科学的知識に裏付けされた彼認識では、人間も自然も写実的にとらえるしかない。彼作 品においては、自然中で人間が浮き立ってしまうことが多いが、自然中に不自然に佇む人 間描写を見るとき、そこからは、自然と対峙する姿勢を身に付け、もはや自然中に溶け込 むことできない人間ありようが伝わって来るようである。さらには大自然中に人間が配 されること自体が不自然である、という悲しむべきメッセージも聞こえてきそうである。ノヴ ァックによると、ハドソン・リヴァー・スクール画家たちは、その絵中に文明象徴であ る斧や汽車、そして人間を描くことで、来るべき未来を予感させることはあっても、「その未来
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 2009 年頃より、翻訳を中心に研究を深めている。翻訳をするにあたって、英語ニュアンス も含め、著書深遠な部分理解が求められる。これは私個人的な思いだが、バイリンガル な人とよぶことができるは菊地敦子先生をおいて私は知らない。何年にもわたって菊地先生 と行なっている翻訳・解釈セッションは私仕事に励みと力を与えてくれている。菊地先生 と仕事はこれからも当分続くことになるが、これまた結構なことである。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

古今東西に通じ、知識を求め、国を強くしたい者もある。勉学を始める前に自ら考えなければ ならない。今、揚子江流域、沿海地方では中西学館と称し、英語を教える学校が数え切れない ほど多い)」 2) 。英語学習施設急激な増加や目的多様化が覗える。一方、それまで殆ど中国 人視野に入っていなかった日本語は日清戦争敗戦後初めて外国学習対象となった。 「為通 事為買辨以謀衣食」という英語等学習動機と異なり、日本語学習は西洋新知識を吸収する 捷径と考えられ、20 世紀初頭からブームが沸き起こった。外国遭遇により中国は相対 化され、また教科書、辞書編纂により、他言語と間に語句レベルにおいて対応関係が 築かれようとした。その過程で訳語、新語著しい増加があった。また表現様式、文型上も大 きな変容がもたらされた。幅広い接触と深い相互作用が中国を含む東アジア言語近代的 特徴である。近代言語接触は、国境地帯雑居や移民、貿易等によって引き起こされる直接 接触に比べ、新知識受容、そして伝播媒体として言語間接接触はもっと大きなウェー トを占めている。前者は口頭を主とすることが多く、生活、物質名称借用やピジン言語な どの現象を引き起こすが 3) 、後者は主として文章を通して現れ、抽象的語彙発生や文章形 式変革を促進する。
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博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 10 号(2014 年 3 月) 4  北村氏は、いっさい海外留学はせず、日本英語教育環境下で完璧な英語運用能力を修得 された。また、パソコンなどといった言葉すら誰も知らず、IT 関連機器が日本でほとんど普及 していなかった時点で、北村氏は独学で果断にコンピュータと格闘し、敢為精神でみごとに 日本英語教育工学界権威となられた。孤独森に入り、自らと真摯に向き合い、苦難を窮 めた英傑に、私は研究者原点を見る思いがする。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

在形誤用が 1.8%であったと比べるとかなり確率で完了用法に現在形誤用が見られ、イ ンフォーマントにとっては複合過去形が現在時事象とは結び付きにくいことを窺がわせる。  以上研究報告から日本語を第一言語とする学習者が作り上げる複合過去形学習文法一 例をまとめてみよう。複合過去形役割は事行で表される出来事を終了局面から捉え、完結し た事柄として表すことにあったが、学習者文法知識中では、事行から想起される「長さ/ 短さ」という概念を指標として構造化されている。半過去形誤用と対照的に複合過去形は事 行が表す事柄短さと結び付いて概念化される。「短さ」を想起させる文要素指摘はない が、半過去形誤用例から類推すると、動詞(句)、時間表現などが考えられるだろう。動詞に ついて言えば、半過去形と結びつきやすい状態動詞対局にある動詞、すなわち動詞意味内 容に完了点を含む完了動詞、到達動詞は「短さ」を想起させ、複合過去形と結び付きやすいと 言える。複合過去形を概念化するもう一つ指標は時間軸である。複合過去形は「過去」とい う概念と密接に結び付いている。過去事に成立した事行結果が現在時において確認される完 了用法、特に結果相は「過去」という時間軸上指標から外れており、学習者が考える複合過 去イメージとは強く結び付いていない。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 大阪万博 2 年後に、文部省(当時)奨学生として来日されてから 40 有余年にわたり、先 生は異国地で教育・研究職経験を積み重ねてこられた。我々ような凡夫にとっては、こ れだけでもとても真似出来ないことだが、先生はそれを軽々とこなし、さらにその文化心 髄ともいえる領域で師範となられた。そして今や、その異国を文字通り母国とされようとして おられる。いや、異国、母国などという言葉範疇には収まらないがギブズ先生かもしれな い。そんな仰ぎ見る存在として先生に、20 数年間も同僚として接することが出来たは、私 僥倖だったといえよう。
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碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

碩学 平田 渡先生へ感謝を込めて 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生碩学ぶりは尋常でなく、ご専門であるイスパニア文学・文化話はもちろんこと、 日本文学・文化話、言語や教育話、さらには趣味海釣話や車、ワイン話まで、周り にいるものを圧倒する。読書量はおそらく大変なものだと推察される。ただ、先生は読書に使 われる時間と同じくらいに、若い教員と話す時間も大切にされた。その中で、文学面白さに 気づいたもの、日本意識を高めたもの、新たな視点を得たものがいることを見ると、人 を育てる際「対話大切さ」を、他誰よりも認識されていたではないかと思えてくる。  また、先生は人に感謝する言葉を惜しまない方でもある。作業をご一緒させていただいた 8 年前外国学部開設にかかる各種行事で、自ら様々に差配を振るわれたにも関わらず、「我 が勲なきがごとく」振る舞われ、下支えしたものに感謝をされていた。その姿を思い出すと、 ともすれば自らことばかり考えがちな大学教員中にあって、周りへ配慮を欠かさない先 生存在は希有なものであり、そして見習うべきものであると感じる。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「何もかもを」という部分に対応させるという構想である。“I could see”は原文にはない が、これも前半部“making . . . look like”と対応させて、この風景を眺めている「僕」視 点を強調したものである。このほか、“a thick layer of rain cloud”は単に“a thick cloud”だ けでいいではないか、“going down through”とすると「(くぐり抜けて)落下[墜落]し」 というニュアンスになってしまうではないか等意見や、「やれやれ」をどう表現するか、と いった点についてさまざまな意見が交わされた(注:ただし、この時点では自主的な議論とい うよりも、講師誘導による意見交換域を出ていない。この点については改めて触れる)。  なお、前述とおり、この課題意図はあくまでも「英語学習」一環ということであり、 本来意味「翻訳」(または「翻訳教育」)を目指したものではない。したがって、出来上が った訳文「翻訳」として質はとくに問題とはしない。指導する側から見て重要なことは、 ⑴ 訳出という作業を通じてテクストを別視点から眺めるという経験をさせること、その上 で ⑵ 日英言語構造上差異について理解をより深め、これを ⑶ 最終的な目標である「言 メタ意識」養成へとつなげていく、ということである。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

一連会話中で二言語を織り交ぜながら併用する CS は、二言語併用中でも特に動的なも であるといえよう。  ソ連崩壊後旧ソ連諸国では、基幹民族 2) (titular nation)中心国家運営一環として、各 基幹民族を「国家(state language)」として推進する言語政策が実施されてきた。キルギ ス共和国では、国家であるキルギスに加え、ソ連時代に広く普及したロシアが「公用 (offi cial language)」として定められ、首都を中心として現在もなお様々な領域で使用されてい る。すなわち、同国では公的に二言語主義が実施されているである。その一方で、特に行政 や学術分野でキルギス普及が進まない現状が問題視され、語彙整備や辞書出版など、 同言語をあらゆる領域で使用するため取り組みも行われてきた。その過程では、国会議員に 対してロシアを混合せずに「純粋な」キルギスを話すよう要請が行われるなど 3) 、一部で CS がキルギス普及障害として表現される傾向が見られる。このように、CS 現象存在自 体は現地人々によっても広く認知され、言語政策上主要な論点 1 つとなっている。また、 国内外研究者や現地メディア、そして一般人々によってもある種社会現象(キルギス とロシアを混合する話し方)として指摘されてきたが、これまでその実態は、事実上、学術 的に解明されてこなかった 4) 。
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稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

稀代の目利き、福井七子先生へ贈る言葉 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 先生は稀代目利きである。たとえば、研究テーマを例にとると、先生選ばれた日本文化 論テーマは、年月を重ねるにつれて、今日性が増しているように思える。通常ならば、歳月 とともに時代性を失い輝きを減ずるものだが、先生テーマをそうではない(ここでは紙幅 関係でたった 1 - 2 行で表現しているが、とても希有なことであり、驚きに値する)。先生目 利きぶりは、何も学問話だけではない。ちょっとした小物でも、お店でも、食べ物でも、普 遍的で価値高いものを選ばれているように思う。先生にお薦め頂いたものに外れはない。  人を見る目も同じである。先生人物評は端的にして、的を射ている。その時は分からなく ても、そして表面的には見えていなくても、後になって「じんわり」とその意味がわかってく る。時にその慧眼ぶりに、「怖い」と思うことすらあった。しかし、決して相手を貶めるような 評ではなく、そこに先生持つ上品さを感じる。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この場合、‘is wise’ や ‘growl(s)’用法と ‘exist(s)’用法と間に、どのような違いがあ るか。ムーアによれば 6) 、両者違い 1 つは、‘Tame tigers growl.’ には、ある種曖昧さ (両義性)があるが、‘Tame tigers exist.’ にはないということである。すなわち、‘Tame tigers growl.’ という文は、‘ tame tigers growl.’、‘ tame tigers growl.’、‘ tame tigers growl.’ いずれも意味することができる。そして、これら 3 つ文によって表現される命題が 真となるため条件として、少なくとも 1 匹以上虎が実際に唸る(growl)ことが必要であ る。これに対して、‘Tame tigers exist.’ には、このような曖昧さはない。‘Tame tigers exist.’ は、つねに ‘ tame tigers exist.’ だけを意味する。‘Tame tigers exist.’ と ‘ tame tigers exist.’ とは、まったく同一命題を表現する 2 つ異なった表現方法にすぎない。では、 ‘ tame tigers exist.’ や ‘ tame tigers exist.’ には意味がないか?それら文は、表面 的に何らかの意味があるように見えても、じつは何意味もない。このことがまさに、‘exist’ 用法と ‘growl’ 用法と間にある重要な違いを示している。
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