トップPDF 《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

、いつも泊りがけで静岡まで同行する母健康状態がそれを許さなくなり、厳しいスケ ジュールで私が日帰りで行うしかないことになってしまった。また、受講してくださる方々 中でも、親や身近な方々介護、あるいはご本人病気ため、出席が困難となってしまわれ た方も少しずつ増えてきていた。そのため、これ以上続けることは困難と考え、震災から 20 を機にスパイラルを 2015 3 月 28 日に閉会することとし、65 回目をもって終了した。  この 20 年間、のべ 1,300 人参加者と英語で書かれた文学作品をとおしていろいろなことを 考えさせていただいた。また、その時々にサポートを必要とされる団体や個人方々を微力な がらも支援し続けることもできた。これもすべてスパイラルを支えてくださった静岡市民 方々おかげである。振り返れば、こので扱ってきた題材は、その時々自分研究を映 す作品選択となっており、講義準備段階や、また参加者とディスカッションから生まれて くるアイデアも多くあり、私研究生活を大いに豊かにしてくれていたことがわかる。心から
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《Spiralの会》の歩み―ボランティア活動15年の記録― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《Spiralの会》の歩み―ボランティア活動15年の記録― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 地震がもたらした大きな影響は、わたし研究姿勢見直しという形でも現れた。それまで 自分が行ってきた文学作品批評は、単なる言葉上で操作にすぎなかったことに気づかされ ることになった。それは、上記したように、地震直後我が家リビングルームから見えていた 光景 ― 次々とビルディングをのみこんでいく火の手、そして長田町を焼き尽くした、猛威 を振るい続けた火事 ― がきっかけとなっている。それまでにわたしは、ある中国系アメリカ 人作家作品に関してステレオタイプ問題を考察する論文において、新しい世界観に到達す るためには過去因習から解放される必要があるとし、その作品に用いられていた図書館が焼 け落ちる場面に着目し、その重要性を強調していた。それは比喩表現にしかすぎなかったとは いえ、現実に目前に火事で多く人々いのちが奪われていくのに、何もすることができな い自分無力さを強く感じ、自分取り組み方について再考を迫られることになった。そして、 その延長線上に、絵本・児童文学実際的な効果を基本とした今日研究姿勢がある。  スパイラルで扱う作品が児童文学へと方向変換し始めたころは、題材選択傾向が変わ ったことに戸惑われた参加者もおられた。しかし、最近では、児童文学を再発見し、その魅力 に取り付かれている方々も少なくない。孫と対話に役立つと声も聞く。別方からは、大 学生お嬢さんと同じ本を読み話し合う機会が持てて幸せです、と聞かせて頂いた。病気が私 を変え、まわり人たちにも変化をもたらしていることが実感される。題材選択に対する責任 を感じ、身ひきしまる思いがする。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「そうです!」と彼は言った。「肉体と魂が一緒でなければならないという恥ずべき必要性へ さもしい譲歩なんです。ときどき、たとえ一時間でも耐えられないと感じるときがあります。 このような犠牲を払って真実について語るを聞いてもらうくらいなら、たとえ運命命ずる ところにしたがって溺れようとも、あの厚かましいペテン師と別れた方がましだと感じるとき があります。黙って口を閉じ、あの男卑劣な詐欺行為に対して少なくとも私は何要求もし ないと主張することで万事おさまっているですが、彼と付き合っていること自体が制裁であ り、あのいまいましい見世物に参加していることが純粋な真実へ冒涜なです。ご覧とお り、私は不幸にも何かを信じてしまったです。知ってしまったです。そして知性に関して は、毒を含んだくずを口にするか、真科学という熟した甘い果実を口にするかが重要である と考えているです!私は毎晩目を閉じ、顎を固定し、歯を噛みしめているです。しかしあ くだらない戯言を聞かざるを得ないです。始めから終わりまで恥ずべき嘘塊です。 今ではもうすべて暗記してしまいました。立ち上がって私にもぺらぺらと話すことができます。 それは一日中私耳で鳴り響いています。長い布きれをかぶせたテーブル下に屈み込んでテ ーブルを叩いている恐ろしい夢を見るです。外に教授が立っていて聴衆に向かって『これは アルキメデス霊です』と言うです。そして、私は息苦しくなってテーブルをひっくり返し 千人も前に詐欺師共犯者として登場するです。私無視された人類へメッセージ 価値があまりにも大きく、あまりにも計り知れないので、私がそれを口にすることを可能に する手段は正当だと信じることができる瞬間があります。黄金島に向かって航海するときは、 力を誇示する海賊がその船を大洋に引っぱっていってもかまわないです。そのような気分で、 目をつぶって聞かないようにしながら壁にもたれて陰に座っているときは、本当に聞こえない です!私心ははるか遠いところにあるです ― 空中に浮かび、発明翼に乗って高く舞 い上がっているです。しかし突然、忌まわしい現実が私に襲いかかるですが、ここに座っ ているが本当私 ― 山ような黄金よりも一粒科学的真理が貴重だと考えている私 ― だという自分感覚が信じられなくなるです!」
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

21 ペンを走らせている。「…後は何て言った?」そこでやっと私に聞く。福井先生がペンを走ら せるスピードは並大抵ものではない。しかも、乱れた字ではなく、後からでもちゃんと読め る。その上、私が訳した内容を確認しながら書いている。神業である。お互いにかなり集中 力を用いる作業なので、途中で何度か息抜きを入れる。訳し終わった箇所について話し合うこ とが多い。訳し終わった部分を今度は福井先生が家でコンピューターに打ち込む。打ち込みな がらさらに日本語調整をする。次週に会うと前回翻訳した箇所で先生が書き直したところ、 わかりにくかったところなどについて話し合う。そしてまた次箇所を訳す作業に入る。これ 繰り返しである。2013 外国学部紀要』第 9 号からほぼ毎号で翻訳した部分にコメン トをつけて掲載している。その校正際にさらに翻訳内容に修正を入れ、訳を磨いている。  1959 に出版された Anthropologist at Work をなぜ今さら翻訳しているか疑問に思う人 も多いかもしれない。文化人類学分野はその後発展を遂げているし、1959 から世の中は大 きく変わっているだから、1930 年代から 1940 年代にベネディクトが書いたことなど現代社 にはあまり意味を持たないではないかと思う人もいるだろう。もしそうだったら、私もこ 翻訳作業に加わらなかったと思う。また、この本がベネディクト研究者にのみ重要な資料で あるとしたら、これまでベネディクトとは関わりを持ったことがない私がこの翻訳をすること にはならなかったと思う。なぜ今この本を訳しているか。それは、この本に書かれたことが 今社会に通じるところがあるからである。そして、ベネディクトが生きた社会中でベネデ ィクト、あるいは彼女師であるフランツ・ボアズが学者として貫いた姿勢を心から尊敬し、 私もこの本を訳すことによって彼らと同じように今社会に一石投じたいと思うからである。 これは、私と福井先生共通思いだ。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余大学生活を振り返って 福 井 七 子  関西大学時間は、学問を中心として私生活に彩りを添えてくださった人々おかげで、 非常に恵まれた期間だった。30 有余にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルース・ベネディクトという複雑な女性を研究テーマ中心にしたことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解に迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に一次資料を求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々に助けられ、これまで あまり研究がなされていなかった分野を少しは明らかにできたではないかと思っている。  アメリカには 6 回ほど調査旅行をした。第一回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーにあるベネディクト・コレクションを中心に、エール大学や議会図書館に も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料を得ることができた。結果的 に私心配は杞憂に終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上に努力が 求められるは、それを読み解き、まるでジグゾーパズルように時間軸を中心に埋め込んで いかねばならない。
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ところで、『北極詩』に限らずウイドブロ初期詩集は私家版的な性格が強く、それを入 手するは一般に容易でなかったはずだが、それを補うために手書きされた写しが、ことに若 い詩人たちあいだに出回ったという。そのような熱意がもたらした幸福な出会い例として、 ヘラルド・ディエーゴとフアン・ラレーア場合が挙げられる。二十世紀スペイン文学に占 める〈二十七世代〉詩人たち重要性はここにあらためて繰り返すまでもないが、この 詩派を代表する一人ディエーゴ ― ウルトライスモにも参加している ― は『北極詩』か
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

量、すなわち、外国教育と深く関連する母語・早期英語教育・ネイティヴスピーカー等問 題に寄せる気概と厳粛な認識、そしてその志操には敬服せざるをえない。  月刊雑誌『新潮』〈2009 1 月号〉「特別対談:日本危機とウェブ進化」において水 村美苗は、インターネット専門家である梅田望夫と対談し、その場で日本語将来に対する 強い危機感を吐露している。「西洋ロゴスに地球が支配されないために、非西洋国語と して日本語を維持していく。それこそが人類的ミッションではないか」(水村美苗/梅田望夫  347)と揚言する水村美苗は、対談者梅田望夫相手に深い焦慮に駆られつつ、「グローバリゼ ーションというけれど、その一方にはグローバリゼーションに回収できないローカルというか、 個別的なものがある。それは人間が地球さまざまな土地に住み、さまざまな母語を話してい る限り、必然的に存在するものですよね。だから、ローカルであることを意識しつつ、そのロ ーカルな環境で生きる運命をどう引き受けるかということを、日本で書くことでもって人類 に向けて示していかなければならない。すべて人が人類に向って直接書くを目指す必要は ない。あえて言えば、人類という抽象的な対象に向けて書かれたことと、ローカルな人間に向 けて書かれたことがちがうを日本人が日本語で読み書きして示すことが、人類へ貢献にも なると思うんです。すべて人が英語という人類で書いてしまったら、世界はとても退屈な ものになってしまう。…………………グローバルなものに回収しきれない世界存在を訴え続 けることこそ、パブリックな行為だと思うんですよ」(水村美苗/梅田望夫 355)と、持論を ぶつ。英語支配という問題に敢為精神で立ち向かう水村美苗肩肘張らない率直な意見を 傾聴するに如くはないだろう。新たな主体性確立を希求して日本語世界に帰って行った吉 田健一と水村美苗決断勇気は、筆者心に漣が立つ。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表向き反感を示した最初振る舞いあと、ヘンリエッタ・コングリーブは、友人かつ姉常連客としてとても喜んでオズボーンを迎えるようになった。彼は、自分が次ように考 えても馬鹿げていることにはならないと考えた。つまり、読者がどう考えようと、自分行動 全体が浮かれた愚か者それだとオズボーンが考えていないは言うまでもないこと、そして、 彼女を取り巻くほとんど若い男性よりもヘンリエッタは彼に好意を持っていると考えること である。オズボーンは自分持って生まれた資質を正しく評価していたし、感情的なことに厳 しく制限しなくても、より洗練された社会的な目的ために、ひとかどの人物になる素質も備 わっていることが分かっていた。彼はささいな事には関心がなかった。しかし、ウィルクス夫 人客間ではささいな事はほんのわずかな役割を果たすに過ぎなかった。ウィルクス夫人は単 純な女性だったが、愚かなわけでも軽薄なわけでもなかった。そして、コングリーブ嬢はさら に優れた理由でこれら欠点から影響を免れていた。グラハムがかつて多少苦々しさを込 めて次ように言うを聞いたことを思い出した。 「女性は本当は自分に何か言ってくれる男性 だけが好きなんだ。女性はいつも何かニュースに飢えているんだ」オズボーンは、コングリ ーブ嬢が通常あつめられる以上ニュースを自分がもたらすことができることを考えて満足し た。彼は素晴らしい記憶力を持っていたし観察力も鋭かった。その点についてはコングリーブ 嬢も同じだったが、社会についてオズボーン経験はもちろん彼女それよりも十倍広が りを持っていたし、彼は常に彼女不完全な推論を補足し、間違った憶測を正すことができた。 彼女憶測は素晴らしく如才がないように思えることもあったし、無邪気で愉快なこともあっ た。しかし彼は、まったく新しい事柄が持つ魅力について事実を彼女に提供できる立場に自 分がいることにしばしば気づいていた。彼は旅行をし、男女を問わずさまざまな人物に会って きたし、もちろん、通常女性が読むべきではないと考えられている多く本を読んでいた。彼 には自分強みがよく分かっていた。しかし、彼知的な資質を披露することによってコング リーブ嬢が大変楽しんだとしても、一方で、彼女関心が彼知性に非常にさわやかな影響を もたらしているようにも思えた。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

五、中国近代化と東アジア近代化  ある国言語変化問題を、伝統的言語から近代民族国家言語へ進化にまで広げて考え た場合、われわれは次ような事実に直面する。表意文字(または音節文字、形態素文字とも 呼ばれる)である漢字には、ヨーロッパやアジアその他古典言語(ラテン語、ギリシャ、 ヘブライ、アラビアなど)に備わっている宗教的神聖性がない。しかしそれは、漢字が言 を超えた表記システムとなることを妨げなかった。漢字は東アジア各国に、古 テクスト 典と言語記 録手段を提供し、漢字文化圏と呼ばれる文化共同体を形成させた。漢字文化圏にとって、漢字 存在は書面による表現を可能にしたが、同時に、漢籍規範性によって言語使用者表現 自由が著しく束縛される結果をもたらした。このため、漢字文化圏域内各言語は「国語」 として成立する場合、脱漢文過程を経なければならない。しかし漢字は、様々な議論が交わ され、多く改革が実施されたにもかかわらず、その地位が揺らぐことはなかった 14) 。それば かりか、漢字文化圏では、正に漢字によってこそ西洋近代新知識受容を実現したである。 現在すでに漢字を使用していない国「国語」においても、「漢字」ならず「漢音」が書き 言葉主要部分を占めているである 15) 。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

  ’ , illustrated by Thomas Locker, written by Keith Strand. New York: Harcourt Brace & Company, 1999.  クリスマスにガチョウ木彫りを木に飾るという自分家族に特有習慣由来について、 作者が自分おじいさんから直接聞いた話である。1886 、おじいさん両親はイリノイから コロラドに移住し生活を始めた。その冬、大雪に襲われ、父は最後に残ったとうひ木を切ろ うとするが、母はその木の下に二羽ガチョウ(一羽はけがをしている)を見つけ、せめてク リスマスまでは木を切らないよう頼む。この頃、夫婦に赤ん坊(作者おじいさん)が生まれ る。クリスマス後は天候も回復し、木は切らなくても済む。のち、春になり、ガチョウにも雛 が生まれ家族ができる。二度目クリスマスには(おじいさん)妹が生まれ、家族幸せが 増す。父は、ガチョウ家族木彫りを作り、このとうひ木に飾った。この行為が、今も作 者家族によって続けられているということである。コロラド秋・冬・春景色を捉えたロ ッカー写実性が、この感動的な実話にリアリティーとドラマ性を与えている。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication)と WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果とは、一言でいうと「実践による学び奥深さ」である。このこ とは、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 目に見える影響を暗くて古い町に与えるローマ初春空気は、ご存知とおり不思議な魅 力があるけれども、どちらかというと外国体にはしばしば辛いことがある。北アフリカか ら熱風が二週間途切れることなく続いたあと、ワディントン夫人活発だった気分が落ち込 んだ。彼女は「熱病」にかかるではないかと心配し、急いで医者と相談した。医者は、何も 心配することはなく彼女に必要なは単なる気分転換だと言った。そして、一ヵ月ほどアルバ ーノに行くことを勧めた。というわけで、二人女性はスクロープ付き添いもとアルバー ノに行くことになった。ワディントン夫人は親切にも私も一緒に来るよう誘ってくれた。しか し、親戚者がローマにやって来ることになっていて、私は彼らためにガイド役を引き受け ることになっていたので、ローマに残っていなければならなかった。機会があればアルバーノ を訪れると約束だけはしておいた。私叔父とその三人娘は申し分ない観光客で、私には 次から次へとすることがあった。しかし、週末にはやっと約束を果たすことができた。私は宿 に泊まっている彼らを発見し、二人女性が、汚れた石造り床としわ寄った黄色いテーブ ルクロスについて意識を、窓から見える霧かかった海ように広大なローマ平原について 恍惚とした黙考に溶け込ませているを見た。景観は別として、彼らは楽しい日々を過ごし ていた。その地域美しさと山間見慣れない古い町美しい近郊を思い出していただきたい。 その地方は早咲き草花が咲き誇っており、私友人たちは野外空気中で暮らしていた。 ワディントン夫人は水彩画スケッチをし、アディナは野生花々を摘んでいた。スクロープ は満足気に二人間を行ったり来たりして、時折、ワディントン夫人絵の具使い方やアデ ィナスイセンとシクラメン組み合わせについて歯に衣をきせない酷評をしていた。みんな とても幸せそうで、嫌味ではなく私はもう少しで、神々からもっとも望ましい贈り物とは、 自身欠点なさに対する終始変わらない確信ではないかと思うところだった。しかも、心に やましいところある恋人でさえ、アディナ・ワディントンような自分人生における予想 もしない愛らしさ存在によって、当然報いというものが存在することが信じられなくなる ということがあるかもしれない。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようとするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観に基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死を研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代にもわたって、何千もかけて生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのように扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人に施しを与えなければ、誰が自分に施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果と、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況に立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2 章   は第 1 部から第 6 部で構成されている。この本構成方法につい てミードは次ように書いている。 「これは推理小説ではない。どこから読み始めてもよい。も うすでに終わった人生というは、その人生なか様々な出来事を同時に見ることができる。 そのなか一つひとつが後ことを照らすこともあれば、前ことを照らすこともあり得る。 ……私は、この本で読者様々な好みに合うようにアレンジした。最後ページを先に読みた い人もいるだろうし、他解釈を読む前に、自分で生資料をもとに解釈することを望む 人もいるだろう。資料はいくつかかたまりで提示されている。伝記によくあるように、途中で 切られた文章や詩断片などは折り混ぜられてはいない。なぜなら、ベネディクトも私もある 程度かたまりで資料が提示されなければ、パターンや流れがわからないと信じていたからで ある。」( 2)従って資料と詩とかかわりも、ミードコメントと必ずしも一致するも ではない。ミード自身も章と詩関係は、彼女がひらめいた場合にのみ一緒に提示している。 1 部ではベネディクトと文化人類学と出会いを、マーガレット・ミード解説をもとに書か れている。年代は 1920 から 30 年代ものが中心となっている。この章には言語学者である エドワード・サピアとベネディクトと 1922 から 1923 にかけて往復書簡やベネディク ト自身日記も含まれており、初期ベネディクト想いを知る上で重要な箇所となっている。  1 部ベネディクトが文化人類学を始めた頃論文「平原インディアン幻視」を翻訳して いて感じたことは、論理的、科学的、そして明確に説明するという態度は感じられるが、その 表現からはそのスキルはまだ確立されたとは言い難い点が感じ取れる。表現はどちらかという と古めかしく、客観的にそしてアカデミックに書こうとする試みは理解できるが、彼女自身 スタイルは未だ形成されたとは言い難く、読み手にとって理解を複雑化させていると感じられ る。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 以上ように、個々 CS 機能が特定できる場合がある一方で、CS 発生頻度が最も高い C は、3.1 文内 CS 例③ように、母体言語が不明で複雑な CS が多数見られ、個々 CS 機能は必ずしも明確ではなかった。Poplack ( 1980: 588 )が指摘するように、安定的な二言語 併用コミュニティにおける特定発話状況では、CS 自体が規範となる事例もある。その場合、 話者は CS を通して混合アイデンティティを表現していると考えられ、前掲 6 つ機能のう ち「表現機能」に該当する。よって、安定的な二言語併用環境である首都ビシュケク市に生ま れ育ったインフォーマント C にとっては、キルギスとロシア CS に満ち溢れた会話様式 がありふれたものであり、CS を通して、キルギスが優勢な地方在住キルギス人とは、異な るアイデンティティを表現していると考えられる。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語とドイツを主要言語とするメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語とドイツ役割 を減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツを主要な公用とするがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢となろう。だが、ドイツに国土を占領された経験を持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツと同じ言語を国語とすることには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国一位にドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性と、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語とする 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語と並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語とするメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であることを示すには、ドイツとフランス語バ ランスを取ることが重要になる。ドイツとフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的に 使用することで、幅広い通用性を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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国際協働プロジェクト参加を通しての「学びの質」 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際協働プロジェクト参加を通しての「学びの質」 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

やコンフリクトは、日本人同士場合よりも、むしろ明確な形で表面化し、原因を特定し、解 決へ努力がしやすい可能性もあろう。またコンフリクトが解決し、相手が理解できたとき「全 く違うと思っていた人と分かり合えた」喜びともなるであろう。参加者が話し合いを通して コンフリクトを解決していく対話プロセスについては出口・八島(2009)で報告している。  コンフリクトを解決したグループにおいてその解決道筋を経験した人は、そうでない人と 比べて、より大きい達成感を得たり、あるいは質違った学びがあるだろうか。出発前オリ エンテーションである男性語りが、この問い答えヒントとなる。彼は、ハンティング 施設運営に関わるプロジェクトに参加したが、その際、プロジェクトメンバー一人が、作 業意義を動物保護・環境保護という観点から疑問視し、問題提起した。これを受けてこの 活動意義について、メンバーで一日議論したことが報告された。この経験は彼に強いインパ クトを与えたようだ。こういった経験を通して、集団として成長や変化が、個人成長にど ように関わるか。逆に個人貢献がグループ全体変化にどのように関わるか、このあ たりを明確にすることが、ミクロとマクロをつなぐ意味で重要である。また、実践共同体 ( Wenger, 1998 )として異文化集団学び可能性や意思決定プロセスを探ることも今後
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「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 その間、年月はボアズにとって厳しいものとなった。1925 10 月、二番目娘が小児麻痺 で亡くなり、二番目息子は交通事故で亡くなり、ボアズ夫人は 1930 12 月に車に轢かれて 亡くなった。その時、ボアズはシカゴ大学社会科学学舎落成式ためシカゴに行っており、 ボアズ夫人が埋葬される前一晩だけしか彼女側で過ごすことができなかった。シカゴから ニューヨークまで長い列車つらい時間をボアズはサピアともに過ごした。1931 と 1932 、ボアズは深刻な病いを患っていた。そうした時、すべてことがベネディクト双肩にか かってきた。ボアズがもう原稿を見ることさえしなくなり、様々な課題に取り組むことがなく、 色々なことから退くと思われるようになり、手紙はベネディクトに宛てられるようになった。  その頃ヒットラーが政治的成功をおさめた。それはボアズが生涯戦ってきたすべてものを 象徴するようなこととなり、普遍的な人間価値観と自由を否定することと結びついた。生涯 最期何ヶ月か間に、ボアズは非常に大きな怒りによって奮い立たされ、世界とまた関わ るようになった。文化人類学仕事にも復帰し、人種テーマのみならず、反ナチ軍事的活 動、書物、そして地下組織資料を収集したり、追放された人たちために活動するようにな った。疲れも厭わず、ボアズは一度なくなりかけた力を、彼が第一次大戦でドイツ系アメリカ 人として直面した戦いとは逆戦いに注ぎ始めた。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 にフランツ・ボアズと間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後とアメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時とさしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題ともからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿と続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あることと考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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