トップPDF ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

単著  平成元年 3 月  関西大学経済政治研究所 「研究双書」 第 67 冊 pp. 130-155. “Sketch-tour books and prints of the early twentieth century” 単著  平成 2 年 1 月  Andon Vol. 10, No. 37 pp. 3-33. “The ‘Sketch-Tour’ Books and Prints and the Role of Osaka Publisher KANAO Tanejiro” 単著  平成 3 年 3 月  関西大学経済政治研究所「研究双書」第 77 冊 pp. 86-127. “The Japanology Class and the Audio-Visual Center”

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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本人行動パターン」共著 山折哲雄、ポーリン・ケント(1997)NHK 出版 1-172 “Background Research for The Chrysanthemum and Sword Dialectical Anthropology”   共著 Pauline Kent(1999)Kluwer Academic Publishers 173-180 “The Lady of the Chrysanthemum: Ruth Benedict and the Origins of the Chrysanthemum and the Sword” 共著(2004)The Johns Hopkins University Press

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齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

齋藤榮二先生に心から感謝を込めて齋藤榮二教授略歴及び主要業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国教育研究 第13号(2007年 3 月)  ようやく揺籃期を脱したとはいえ、まだ十分に安定したとはいえない我々組織としては、 先生ご退職は大きな痛手であります。しかしながら、こればかりは抗えません。残された 我々は、先生が在籍された 5 年間に学ばせていただいた多く貴重な教えを大切にし、研鑽 を重ねながら着実に前進していきたいと思います。齋藤先生、本当にありがとうございまし た。そして、これからも我々組織と修了生を暖かくお見守りください。
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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2005 年 「EU における『多言・多文化主義』― 複数外国教育観点から言語と文化統 合教育可能性を探る」関西大学 外国教育研究機構『外国教育研究』第 10 号 pp. 35-65.関西大学重点領域研究成果.代表:杉谷眞佐子(共著者:高橋秀彰,伊東啓太 郎)

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北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村裕教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

昭和 46 年 4 月 関西大学大学院修士課程文学研究科英文学専攻入学 昭和 48 年 3 月 関西大学大学院修士課程文学研究科英文学専攻修了 昭和 48 年 4 月 関西大学大学院博士課程文学研究科英文学専攻入学 昭和 51 年 3 月 関西大学大学院博士課程文学研究科英文学専攻所定単位取得後退学 職 歴

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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

一連会話中で二言語を織り交ぜながら併用する CS は、二言語併用中でも特に動的なも であるといえよう。  ソ連崩壊後旧ソ連諸国では、基幹民族 2) (titular nation)中心国家運営一環として、各 基幹民族を「国家(state language)」として推進する言語政策が実施されてきた。キルギ ス共和国では、国家であるキルギスに加え、ソ連時代に広く普及したロシアが「公用 (offi cial language)」として定められ、首都を中心として現在もなお様々な領域で使用されてい る。すなわち、同国では公的に二言語主義が実施されているである。その一方で、特に行政 や学術分野でキルギス普及が進まない現状が問題視され、語彙整備や辞書出版など、 同言語をあらゆる領域で使用するため取り組みも行われてきた。その過程では、国会議員に 対してロシアを混合せずに「純粋な」キルギスを話すよう要請が行われるなど 3) 、一部で CS がキルギス普及障害として表現される傾向が見られる。このように、CS 現象存在自 体は現地人々によっても広く認知され、言語政策上主要な論点 1 つとなっている。また、 国内外研究者や現地メディア、そして一般人々によってもある種社会現象(キルギス とロシアを混合する話し方)として指摘されてきたが、これまでその実態は、事実上、学術 的に解明されてこなかった 4) 。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

量、すなわち、外国教育と深く関連する母語・早期英語教育・ネイティヴスピーカー等問 題に寄せる気概と厳粛な認識、そしてその志操には敬服せざるをえない。  月刊雑誌『新潮』〈2009 年 1 月号〉「特別対談:日本危機とウェブ進化」において水 村美苗は、インターネット専門家である梅田望夫と対談し、その場で日本語将来に対する 強い危機感を吐露している。「西洋ロゴスに地球が支配されないために、非西洋国語と して日本語を維持していく。それこそが人類的ミッションではないか」(水村美苗/梅田望夫  347)と揚言する水村美苗は、対談者梅田望夫相手に深い焦慮に駆られつつ、「グローバリゼ ーションというけれど、その一方にはグローバリゼーションに回収できないローカルというか、 個別的なものがある。それは人間が地球さまざまな土地に住み、さまざまな母語を話してい る限り、必然的に存在するものですよね。だから、ローカルであることを意識しつつ、そのロ ーカルな環境で生きる運命をどう引き受けるかということを、日本で書くことでもって人類 に向けて示していかなければならない。すべて人が人類に向って直接書くを目指す必要は ない。あえて言えば、人類という抽象的な対象に向けて書かれたことと、ローカルな人間に向 けて書かれたことがちがうを日本人が日本語で読み書きして示すことが、人類へ貢献にも なると思うんです。すべて人が英語という人類で書いてしまったら、世界はとても退屈な ものになってしまう。…………………グローバルなものに回収しきれない世界存在を訴え続 けることこそ、パブリックな行為だと思うんですよ」(水村美苗/梅田望夫 355)と、持論を ぶつ。英語支配という問題に敢為精神で立ち向かう水村美苗肩肘張らない率直な意見を 傾聴するに如くはないだろう。新たな主体性確立を希求して日本語世界に帰って行った吉 田健一と水村美苗決断勇気は、筆者心に漣が立つ。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Another is for there to be more ‘original’ or ‘creative’ writing. English continues to focus on enabling you to respond to the world around you. (Robert Eaglestone 133 )  私たち日本英文学専攻者にとって有意義だと思われる箇所を、本稿論旨である実践知性 として英文学研究視点からまず引用したが、実は著者ロバート・イーグルストンは第 1 部 第 1 章 ‘Where did English come from?’ 中で、英文学という学科目がどのような歴史的背景 もとでイギリスに設置されるに至ったかを詳述している。英文学本家であるイギリス事 情を知っておくことも大切であろうから、以下に、簡潔にまとめてみる:「元々英文学研究なる ものはイギリス大学では受け入れられず、特に古典学教授たちにとっては無用長物であ った。ところがこの英文学は 1835 年、一つ正式な学科目としてインドにおいて誕生した。当 時インドを統治していたイギリスは、英文学研究を通して現地インド人をイギリス化させよ うと目論んだである。そしてやがてこれがイギリスに逆輸入されることになる。そうした逆 輸入者代表的人物が、詩人・思想家マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)であり、 彼は当時イギリス人に文学的教養を身につけさせようと思ったである。具体的には、有益 で文明的な道徳的価値観修得が目標とされた。これに対して、英文学を研究してもほとんど 意味がないと考える一派も存在し、彼らは、教養ではなく、むしろ言語研究として英文学を 志向した。こうしたせめぎあい中、1893 年オクスフォード大学に英文学学位コースが導入 されたが、英文学専攻は主としてフィロロジー研究を意味した。この流れが変わるは 1917 年 以降である。ケンブリッジ大学講師たちが中心となって、主としてフィロロジーから成り立 っている英語専攻コース抜本的改革を進め、やがて言語研究だけではない、今日私たちが 知っている豊潤な英文学基礎が作られたである」。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「さあ」と私は言った。「あの石を手放しちゃったことを後悔するは分かるよ。誰かが君に 話して納得がいかなくなったんだろう。」  「それこそみんなですよ!僕はどうしようもない馬鹿で、何て馬鹿なことをしたか黙っておけ ないんだと。十一スクードを持って帰って、使い切れないくらい金を持っていると思ってい たんです。最初にしたは行商人から金メッキ髪どめを買って、それをニネッタにプレゼン トしたんです ─ 村女の子で仲良くしていたんです。その子はそれをおさげに挿して、鏡で 自分様子を見ていました。それから、どうして突然僕がこんなにお金持ちになったか聞く んです!それで『そうさ、僕は君が考えているよりお金持ちなんだ』って言ったんです。それ で持っているお金を見せて、石話をしたんです。その子はとても頭いい子で、頭いい奴 がちょっと一言いえばすべて分かっちゃうんです。彼女は私に面と向かって大笑いし、私が何 てまぬけで、あの石には少なくとも五百スクード価値はあっただろうし、その外国人はひど いペテン師だって言うんです。私はそれを持って帰ってきて、兄や信頼できる人に見せるべき だったって。結局、彼女言うことは正しかったんです。私は大きな富を手にしていたのに、 それを犬に与えてしまったんです。彼女はこのありがたい話を終わらせようと、頭から髪どめ を外してそれを私顔めがけて放り投げたんです。彼女は二度と私に会おうとしませんでした。 そんなことするくらいなら、道端で出会った目不自由な乞食と結婚する方がましだと考えた だと思います。私に何が言えるでしょうか?彼女には、ローマで貴婦人 ─ 公爵夫人なんで すが ─ 侍女をしている姉がいるんですが、その夫人が、ローマ平原で見つかった古い宝石 で作った高価なネックレスをお持ちなんです。僕はうなだれてその場を立ち去り、自分愚か さを呪いました。僕は自分金を地面に放り投げて、その上につばを吐きかけたんです!フォ リエッタを飲みに酒場に行きました。そこで三、四人知り合いに会ったんです。僕はみんな に酒をおごって回りました。自分持っている金が憎くて、全部使ってしまいたかったんです。 もちろん彼らもどうして僕がそんなに羽振りがいいか知りたがりましたよ。ですから正直に 話したんです。あのニネッタような雌ギツネよりはもうちょっとましなことを言ってくれる んじゃないかって願ってましたけど。でも、彼らはグラスをテーブルに叩きつけて声をそろえ て僕ことを馬鹿にしたんです。どんな間抜けなロバでも、草をはんでいるときにそれだけ 宝物を鼻で掘り出したら、口にくわえて飼い主ところに持って帰るだろうにって。何慰め にもならない慰めでしたよ。僕はワインで怒りを流し込み、瓶を次から次へと空にしていきま した。生まれて初めて酔っ払いましたよ。あの夜は最悪でした!次日、私は残った金を叔父 ところに持って行き、それを貧しい人たちに与え、教会ために新しいろうそくを買い、そ して不敬な僕魂を償うためにミサ言葉を述べるよう頼みました。叔父はその金を真剣に見 つめて、それを邪な方法で手に入れたではないだろうなと質しました。僕は叱られる覚悟 ができていましたので、彼 4
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Business Presentations Course Results 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Business Presentations Course Results 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 現代社会において、人々活字離れが進む一方で、オーディオヴィジュアルコミュニケー ションは、情報やエンターテイメントを提供したり、説得力を有し分かち合えたりできると いった面で重要な役割を果たしている。  この研究では、学部生対象プレゼンテーションコースについて述べている。学生による フィードバックを基に、⑴情報源 ⑵新しい経験 ⑶新しい知識 ⑷将来に向けて、といっ た4つエリアに分けられる。またその結果を受け、本研究ではこのコース長所を評価し、 改善すべき分野について提案している。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 言語間習熟度に濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルク人アイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけにもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的に使用するには綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語とドイツ主要言語とするメ リットが失われることにもなるので損失は大きい。したがって、フランス語とドイツ役割 を減じるような言語政策は国益に反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツ主要な公用とするがルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢となろう。だが、ドイツに国土を占領された経験を持つルクセンブルク人にとっ て、ドイツと同じ言語を国語とすることには抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国一位にドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位にドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性と、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語とする 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語と並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語とするメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツにもフランスにも依存しない独立国であることを示すには、ドイツとフランス語バ ランスを取ることが重要になる。ドイツとフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的に 使用することで、幅広い通用性を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 帯文案は縦書きで、「空前絶後 宗教史家ミルチャ・エリアーデ 中心思想と方法論を  余すところなく捉えた、新進気鋭 28 歳 スペイン人哲学研究者 マルセリーノ・アヒース・  ビリャベルデ恐るべき才能をつぶさに伝える 学会デビュー作、本邦初登場」というもので あった。じつは、これがわたしいちばんお気に入り「訳者自装」本にほかならない。  この本については、エリアーデ『イメージとシンボル』(せりか書房)を訳された和光大学 名誉教授、前田耕作氏が、読書新聞 〔2013 年(平成 25 年)7 月 19 日(金曜日)〕 に書評を寄せてく ださった。それによると、〈エリアーデ伝記をふくめた最初本格的な研究書邦訳は、デイ ヴィッド・ケイヴ『エリアーデ宗教学世界』(せりか書房・1996 年/原題:新しいヒュー マニズムへミルチャ・エリアーデ視線・1992 年)が初めてであった。ケイヴ著作も次 年に刊行されたダニエル・デュビュイッセンもまた「エリアーデと聖なるもの」(『20 世紀神 話学―デュメジル/レヴィ・ストロース/エリアーデ』・1993 年)を主題としながら、それら より先に刊行されていたアヒース=ビリャベルデ処女作でもある本書(1991 年・サンティア ゴ・デ・コンポステーラ大学出版局)にはまったくふれていない。本書邦訳が刊行されなけ れば、エリアーデ「中心思想と方法論」淵源を歴史的に抽出し、その思考枠組みを緻密 かつ包括的に論じた本書を私たちがついに目にすることはなかったかもしれない〉。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 バッファローに行く前から私は「物書き」をしていました。ある夏日、オワトナから帰っ て牧場家にいた時、ウィルおじさんが私儲けを数えていました。彼は私が 10 点ノートに書 き取ったら、1 ドルくれると言いました。何を書いたかは覚えていませんが、大きな誇りと責 任を感じたを覚えています。母は子どもが書いたものに対して、子どもだからといって甘や かして、誇張した値段をつけるはよくないと思ったかもしれません。しかし、その頃私が感 じていたマージェリー器用さとうまくバランスをとるためには仕方ないと思ったかもしれ ません。バッファローでマージェリーが土曜日に美術学校に行き始めると、私は家で文を書い て母に見てもらいました。4 月吹雪について書いたを今でも覚えています。それはこんな ふうに始まります。 「春日差し日々を通して、お日さまは地球と交わり、毎日とてもとても 素敵でした。」それは詩ような拍子であったことがとても気になりました。でも他にどのよう に表現したらいいか分かりませんでした。この頃までに、私はかなり本を読んでいました。 ディケンズ、特にデイビッド・コパーフィールド、そしてスコット、特に「アイヴァンフォー」。 でもそこから学ぶことは特にありませんでした。この時期までに読んだ本で聖書に優る本はあ りませんでした。ルツ(旧約聖書一書)話はラモーナより良く、ジョブ詩はロングフェ ローより良いと思いました。今でも最初聖書を持っており、それは注意深く赤と黒線が引 いてあり、一所懸命に書いた文章ページがはさまれています。バッファローに移った時から マージェリーと私は教会に行くと、週に 5 セントもらい、日曜学校で聖書 3 節を 1 日におぼ え、日曜日には 6 節おぼえると 1 ペニーもらえました。私は何十も章を暗記しました。 「エバ ンジェリン」と「ヒアワサ」詩は高尚なものだと聞いていましたが、私はあまり好きではあ りませんでした。
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教育者・研究者・舞台人・日本文化のよき理解者としてのジョンソン先生の思い出 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

教育者・研究者・舞台人・日本文化のよき理解者としてのジョンソン先生の思い出 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 4 号(2011 年 3 月) 2 (現在東京藝術大学)設立に大きく尽力した美術史家、岡倉天心(1863 年∼ 1913 年)とア メリカ人東洋美術研究家、アーネスト・フェノロサ(1853 年∼ 1908 年)に関して研究も されており、現在、出版に向けて仕事を進めておられるとことである。これまで研究成果 は出版に加え、ロンドン大英図書館で記念講演やロンドン大学東洋アフリカ学院で招 待講演等で広く国際的に発表されている。
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河合忠仁教授略歴及び主要研究業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

河合忠仁教授略歴及び主要研究業績 外国語教育研究(紀要)第11号〜第17号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

昭和38年 6 月 米国コネティカット州ニュータウンハイスクール卒業 昭和39年 3 月 奈良県立奈良高等学校卒業 昭和39年 4 月 奈良教育大学教育学部 中学校課程英語科入学 昭和43年 3 月 奈良教育大学教育学部 中学校課程英語科卒業

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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ていつも彼がするスピーチはせずに、観客に向かって大きく口を開け、どっしりと椅子に腰を 下ろした。しかし大佐は、短い間あと、その難局に挑んだ ― というより、堂々とした態度 でそういう状況に身を置いた ― そして、わずかばかり観客(その半分は寝ていた)に向か って、まるで彼らが知性と流行代表であるかように話しかけた。彼話し方は古かったと しても、彼話す内容は新しかった。彼にはアイデアがあまりにもたくさんあり、同じことを 繰り返すということがなかった。彼が説明しようとしているアイデアは軽薄な私理解力を超 えていたが、掛け値ない彼豊かなインスピレーションによって、独創的な才能に対する彼 主張が正当なものであることを私は半ば確信した。P 町で無反応な知性に対する彼訴え に何か恐ろしく悲しいものがあったとしたら、「エクセルシオール・ホール」陰気な空虚感を 相手にしている彼を座って見ていることは、ほとんど耐え難いまでに私を惨めな気持ちにした。 ギフォード嬢が前に出てきたとき、寝ている人は目を覚まし、少なくとも寝返りを打った。彼 女はまだピンクドレスを着たり造花装飾を身にまとったりはしていなかったが、あちこち にそれら兆しが芽生えているように見えた。首回りにはひだ飾りが飾られ、黒いドレスに 色つき帯を締め、髪には巻き毛がいくつか見られた。しかし、彼女態度はこれまでどおり 子どもっぽく、質素で落ち着いたものだった。空席は彼女には否定的な意味を持っていなかっ た。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 『外国学部紀要』に翻訳を載せるたびに書いているが、福井先生と一緒に翻訳しているは ルース・ベネディクトアンソロジーともいうべき Anthropologist at Work : Writings of Ruth Benedict 『文化人類学者仕事』(仮題)である。この本はベネディクトが 1948 年に死亡して 10 年後に彼女とさまざまな意味で関係があったマーガレット・ミードによってまとめられたも である。ベネディクトが書いた論文だけでなく、日記、詩、そして彼女に宛てられた、ある いは彼女が書いた書簡も含まれている。全体で 600 ページ近くある膨大な本である。幸い論文、 日記、手紙などといくつも部分に分かれているので、授業合間をぬって翻訳することがで きる。現在ところ、440 ページまで訳し終わった。あとは論文を 4 本訳せば終わる。翻訳書 出版社はすでに決まっている。ミネルヴァ書店である。ミネルヴァ堀川編集長とは福井先 生が時々会って進捗状況を知らせている。来年には仕上げる予定だ。
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アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ギブズ先生は、名門オックスフォード大学ニューカレッジ卒業生であり、ゴールズワーゼ イ特待生でもあった。私が学会発表でオックスフォードトリニティカレッジへ行く際には、 「ニューカレッジあたりも良いですよ。あそこは 007 ジェームズ・ボンドが卒業した設定に なっているですよ」とお話になられていたが、自らが卒業生であることは少しも語られなか った。ご専門 1 つである日本文化話になっても、「間違っているかもしれませんが」と前置 きをしながら、造詣深さが滲み出るお話をされていた。常に、謙虚で、穏やかな語り口が先 生特徴といえるだろう。それでいて、どこかに少しユーモアを隠して話しをされる。たまに 私がそれに気づくと、茶目っ気たっぷりに目配せをしてくださったことが何度かあった。  先生はまた優しい人でもある。もう 10 数年前ことだが、世間話で、肩こりに悩まされてい ると話をすると、後日「この ointment がよいですよ」と、それをわざわざ買い求めて持参して くださるなど、若輩私などにも細やかな気遣いをされた。大学を去られることになった時も、 「まだ私にやれることがあれば、何でもお手伝いをしますよ」と非常勤で科目担当も自ら申し
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication)と WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果とは、一言でいうと「実践による学び奥深さ」である。このこ とは、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
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