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72年に上海コミュニケにおいて

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1

問題の所在―「冷戦(後)」・「民主主義」・「経済」という3つの鍵概念

冷戦後の米中関係(米中台関係)の基本構造は、1970年代に築かれた。1971年に当時のア メリカ大統領リチャード・ニクソンが中国訪問を発表、翌

72年に上海コミュニケにおいて

両国間の和解が達成される。その後、1978年12月には、米中間の国交が正常化され、同時 に台湾の中華民国とアメリカの国交は断絶された。米台関係は、米中国交正常化と同時に 制定された台湾関係法によって、国交は存在しないものの、その安全保障はアメリカによ って裏打ちされるという状態が続いてきたのである。

ヨーロッパ地域の国際政治であれば、冷戦と冷戦後の相違は明確なものであった。「鉄の カーテン」よろしく東西陣営を明確に二分することができた地域では、イデオロギー対立 の終焉が新しい時代を迎える契機となったのである。しかし、アジアの冷戦に関しては、

中国の共産主義政治体制が崩壊したわけでもなく、かといって米中の接近はすでに

1970年

代において進行していたため、米中関係の大きな「方向転換(About Face)」(1)は国際社会全 体の冷戦終結とは必ずしも即応しなかった。結果的に、イデオロギー対立とは異なる論理 によって、二国間の対立と協調とが交互に起こっているのが現状である。アメリカの政治 学者ハリー・ハーディングは、このような状態をかつて「脆弱な関係(fragile relationship)」(2)

と呼び、種々の要因で好転したり悪化する両国間の関係を時系列的に論じたことがあった。

実際、米中の二国間関係を「冷戦」「2極体制」「覇権」といったような大上段にふりかざし た概念で論じることは大変困難なことである。

そこで本稿では、冷戦(の終焉)、民主主義、経済の3つの視点から米中関係の複合的構造 を明らかにする。この

3

要素のうち冷戦体制(とその崩壊)は、第

2

次世界大戦以降長きに わたって米中関係を規定してきた。中ソが一枚岩と考えられた1950年代、60年代において アメリカは対中封じ込め戦略を展開したが、1970年代以降米中が和解を成し遂げた後は、

ソ連を牽制する目的で中国を積極的に利用した(「チャイナ・カード」)。他方でアメリカは、

米中和解後も台湾の安全保障を維持することに努め、1979年に台湾関係法を施行した。そ の結果、冷戦終結後は「対ソ連カード」としての中国の存在意義が減少したことから、米 中関係はいっそう「脆弱な関係」の様相を呈することとなると同時に、台湾問題が米中関 係におけるいっそうの重要課題となるのである。

他方、第2、第

3

の要素である民主主義と経済の論点は、さらに複雑である。そもそも、

(2)

米中が関与政策を互いに始めた1970年代において、台湾の国民党政権が

20

年後に民主化に 向けて動き始めたり、また、大陸中国が

10%

近い経済成長率を将来記録するなどというこ とは考えられていなかった。それだけに、アメリカ政府の中国政策は、中台双方が武力衝 突のない安定した環境を維持し続けることだけに重点が置かれており、その意味において、

アメリカ政府は中国の軍事力とその行使の可能性に留意する必要があった。

しかし、1990年代に入ってからの中国の経済成長は、米中両国が対立する合理的な根拠 を失わせてしまった。経済停滞に悩むブッシュ(父)政権の対中関与政策を批判して登場し たクリントン大統領も、予想しなかった中国の経済成長に際して人権とのリンケージ政策 を放棄し、最恵国待遇を更新する。他方、米中和解・国交正常化から十数年が経って台湾 の李登輝政権が始めた民主化政策は、2000年に至って民主進歩党(民進党)への政権交代を もたらし、その結果、それまで米中台関係に存在していなかった「台湾独立」の論点が浮 上してくることとなる。後に述べるように、元来台湾にとって「民主主義」の進展は、ア メリカからの安全保障を確実にするために取り組まざるをえない課題であったにもかかわ らず、逆に「民主主義」の進展が中台の安全保障を侵食している現実が今や展開されてい るのである。

米中関係は、大陸と台湾という分断国家を前提とする東アジア地域において、アメリカ 政府がどのようにして地域安全保障の維持、民主化、経済権益の保持を促していくかによ って左右されている。以下では、1970年代に構築された米中台関係を前提として、天安門 事件以降今日に至るまでの米中両国関係がどのように変遷してきたかを、その時々に中心 となったテーマに従って整理するものである。

2

米中関係をめぐる「分裂状況」

アメリカの中国認識は、常に大きく揺れている。ブッシュ政権は

2001年に発足した直後

において中国を「戦略的な競争相手」と言っていたが、9・11同時多発テロ事件以降「建設 的関係」を米中間に求めるようになり、当時のパウエル国務長官は米中関係を「国交正常 化以来、最良の状態」と評するまでになった。第2期ブッシュ政権においてはネオコン(新 保守主義者)の勢力が弱まったため、中国脅威論はいっそう小さくなり、米中の経済的連携 を強化しようという言説も聞かれるようになった。特に、2005年9月

21

日にゼーリック国 務副長官が行なった講演のなかで、中国に対し将来「責任ある利害関係者(responsible stake-

holder)

」になることを期待したくだりは有名となった(3)。ゼーリック氏は、過去

30

年のアメ

リカの対中政策は中国を国際秩序に取り込むものであったと概括したうえで、中国に対し、

今後は責任ある大国として国際秩序を維持するために、アメリカと協力しながら働くこと を求めたのである。実際、中国の多くのメディアはこうしたアメリカの対中政策の変化を

「中米関係はよりプラクティカルなものになりつつある」と評し、好意的にとらえている。

安全保障面においては、2005年初頭、アメリカ国務省副長官と中国外交部次官との間で の戦略対話の開催が合意され、現在に至るまでそれが定期的に開催されている。このよう な文脈のなかで発せられたゼーリック副長官のコメントは、中国の台頭をアメリカとして

(3)

歓迎する方針であることを示している。

もちろん、中国の経済大国化に対して懸念を表明する勢力が存在することも事実である。

拡大する対中貿易赤字に対し人民元改革を迫るアメリカ議会や通商代表部(USTR)、経済成 長率以上に増大する軍事費に対し将来の軍事大国化(特に潜水艦技術の向上とその戦艦数の増 加)を懸念する国防省はその典型である。ブッシュ政権発足から

2006

年11月の中間選挙ま での期間、大統領の政権政党と議会の多数党とが異なる「分割政府」が終焉し、議会も大 統領府も共和党が影響力を増加させていた。当時の共和党優勢の状況においても、中国製 品の輸入ひとつひとつが地域の産業と経済を揺るがしかねない危険性を有していたため、

経済的利権に焦点を当てた「チャイナ・ロビー」は多数存在した。中間選挙が終了して民 主党が優勢となったアメリカ議会は、従来の民主党の特徴どおり、自国の貿易赤字に対し て相手国を強く批判する基本姿勢は変わっておらず、現在の第110連邦議会においては、貿 易のみならず、知的財産権制度や特許など技術防衛にも強い関心が向けられている。

他方、中国のアメリカに対する認識にも、ある程度の「揺れ」がみられる。1990年代後 半から中国では「新安全保障観」という周辺諸国との協調を重視する政策を打ち出してい る。胡錦濤政権自体、アメリカとは「建設的な協力関係」を維持し、欧州連合(EU)とは

「全面的な戦略的パートナーシップ」に関係を格上げし、ロシアや中央アジア諸国とは「上 海協力機構(SCO)」によって地域協力メカニズムを推進し、そして東南アジアの東南アジ ア諸国連合(ASEAN)諸国とは「東アジア共同体」を形成することによって、アメリカや周 辺諸国との協調を基本とする「大国外交」や「周辺外交」を展開している。2003年には鄭 必堅中国改革フォーラム理事長が「平和的台頭(和平崛起)」論を打ち出し、大国と認識さ れ始めた中国が自ら平和的・友好的なイメージの宣伝を行なっている。

2005年以降この「平和的台頭」論は、中国共産党の改革開放路線が「正統性」を有する

ものであったことを宣伝して、中国の「社会主義」が冷戦時代のソ連のように「軍事的覇 権」を確立するものでなく、グローバリゼーションと連携して中国的な社会主義の建設に 向けて「法理」を実現することであると主張した(4)。ブッシュ大統領との会談において「民 主主義の実現」を要求され、また、ラムズフェルド国防長官(当時)との会談で「人民解放 軍の透明度の向上」を要求された中国共産党は、むしろ自分たちの社会主義の有用性を訴 えることに奮闘しているようにみえる。

このような中国外交の党政戦略として「平和的台頭」「新安全保障観」「多辺外交」「周辺 外交」といった概念が、東アジアにおいて厳然として存在する日米同盟を離間させるもの なのか、あるいは従来とは異なる協調的な安保体制を目指すものなのかという点がここで 問題となる。これまで中国外交が協調的な態度をとる際には、米中関係を友好的にするこ とによって日本に孤立感を感じさせるか、日中間を緊密化してアメリカを「蚊帳の外」に 置くかのどちらかであった。しかし、近年の中国政府による言説のなかには、米中接近に よって日米離間を目指すといった従来型のパワー・ポリティックスや勢力均衡的発想は、

少なくとも言葉のうえではそのトーンが低くなっている。

一方、「台頭する中国」の軍事的側面を誇張して、タカ派的な意見を述べる者もいる。

(4)

2005年 7月に朱成虎国防大学防務学院院長が「もしもアメリカが中国と台湾の紛争に介入し

てミサイルなどの誘導兵器を中国に向けて発射した場合、中国は核で反撃する」と述べた ことにみられるように、中国の人民解放軍のなかには対米強硬論を唱える勢力も存在する。

かつて1996年の台湾海峡危機の際に、中国は海峡付近での演習を中止しつつも「中国の核 ミサイルはロサンゼルスを火の海にすることができる」(5)と述べたように、中国共産党の公 式見解とは異なる強硬な意見が聞こえてくることは、中国においても対米政策に関して、

さまざまな意見が存在することを表わしている。この種のタカ派的な発言が共産党の党政 方針とどの程度関連しているのかは不明だが、アメリカのイラク戦争に消極的反対の態度 を示し続けた中国政府の内部に強硬な意見を有するものがいたとしても不思議なことでは ない。

また、中台問題に関しては、2005年の連戦国民党主席の訪中によって共産党と国民党と の和解が試みられたが、この両党の会談は、共産党にとってみれば台湾の民進党政権に心 理的打撃を与えるのに絶好の機会であった。もちろん長期的にみれば、アメリカにとって、

大陸中国との和解を進める国民党も、台湾独立を標榜する民進党も、前者は中台をまたぐ

「大中国」を創り出してしまうかもしれないという危惧感から、後者はいたずらに「一つの 中国」論を刺激して台湾海峡を不安定にしてしまいかねないという危惧感から「悩みの種」

となりうるが、連戦主席の訪中を黙認した背景には、アメリカからの武器購入に常に反対 している国民党をなだめて、アメリカの武器売却を促進しようというねらいがみてとれる。

民進党に対して優勢に転じたい国民党は、陳水扁総統の独立指向を批判して大陸中国との 和解を進める。中国は「一つの中国」論を堅持できる観点から国民党と和解し、第2次世界 大戦が共産党と国民党の共同戦線であったことを強調する。そして、アメリカは、国民党 の訪中によって台湾に武器を売りやすい環境を形成することができる、というわけである。

EUの対中武器禁輸解除に対して強硬に反対する一方で、国民党と共産党の和解を傍観した

のには、このような背景が存在しているのである。

その結果、アメリカ内の中国イメージも、「脅威論」から「活用論」に至るまでいっそう 大きな「揺れ」をもつようになっており、他方、中国内部でも、一見協調主義的なソフト な言説のなかに強硬な意見が見え隠れするという状態が続いている。中国の「和平崛起」

に基づく外交態様が、本当に地域の安定を目指すものなのか、中国による覇権の確立を目 指すものなのかは、依然として目的と手段が一緒になっているようにみえる。

3

中国の軍事化への懸念とその対処

北東アジア諸国は、国家間紛争を打開するために用いられる武力の使用基準に関して共 通の認識を有していない。核開発をカードとしてちらつかせる北朝鮮、「和平崛起」を言い ながらも台湾にはそれを適用するつもりのない中国、アメリカとの同盟を管理するコスト が高い韓国、政治体制に脆弱な部分のある東南アジア諸国等、アメリカからみて不確実な 要素も多いのが実情である。

中国の国防建設はこれまで「経済建設の大局に従う」とされてきた。「科学的発展観」を

(5)

唱えるようになった胡錦濤政権になってからも『国防白書』において「経済建設と国防建 設の協調的発展」を主張しており、従来の方針が変化したと考えることは難しい。また、

国防費を実質額で発表せず、前年度の総体比で公表するようになったために、中国の防衛 政策に対する不透明感は、いっそう高まっている。日中防衛交流の大概は互いの防衛政策 の公式見解を応酬するだけで終わることが多く、信頼醸成はその入口段階で止まってしま うことが多い。

特に注目すべきは、中国海軍の戦略ミサイル搭載潜水艦である。これによって中国の抑 止力が格段に高められれば、従来の米中軍事バランスは不均衡となり、日米新ガイドライ ン(防衛協力のための新指針)で規定された「周辺事態」の解釈にも変更を加える必要が出 てくるかもしれない。

2004年 11

月に中国の原子力潜水艦が日本の領海を侵犯した事実は、領海侵犯以上に、中

国が潜水艦戦力を西太平洋にまで展開できるようになったことを示している。中国の潜水 艦戦力の増強は将来、空母中心戦略を主とする米軍の東アジア安保戦略に脅威を与える恐 れもある。

中国政府が「新安全保障観」や「周辺外交」にどれほど積極的でも、東シナ海地域での 有事の可能性がゼロになることは決してない。軍事力使用の「能力」と「意図」に関して、

米中間では前者の「能力」についての透明化、そして後者の「意図」についての米中協議 の活発化が予想される。すでにアメリカ西海岸沖で救難活動をも含めた米中共同訓練が行 なわれているが、このたぐいの米中軍事交流は、今後盛んになっていくこととなる。

4

アメリカの対中外交におけるジレンマ

このような中国の軍事力の将来における「不確実性」に対して、「ヘッジ」を与えている のが日本であり、日米同盟である。しかし、日米中関係において、アメリカが日本に期待 することと、中国に期待する事柄には懸隔が存在している。日本に対しては同盟を堅固に することを要求するが、その背景には、日本がアジア地域におけるアメリカの利益を牽引 するものであるとの認識が存在しており、その意味で、日本はアメリカにとって「予測で きる」範囲の行動様式をとるのである(6)。他方、中国の行動様式は、その地理的大きさ、経 済成長率の急激さも相俟って、中国を国際社会にどのように迎え入れるかを探る一方、も しも中国が軍事大国になって、アメリカのコントロールの利かない政策をとり始めたら、

どのように対処するかということも考えており、その意味で、「ヘッジ戦略」が基本である。

そして、その「ヘッジ戦略」をアメリカが展開する際に、アジアにおいて最もアメリカに 協力的なのが日本となっているのである。

では、そのアメリカが中国に対して有する不安というのは、どのように分類できるだろ うか。以下の2つのジレンマに分類できる。

第1に、経済と人権とのジレンマである。元来アメリカの建国の理念は自由と民主主義で あるから、ヨーロッパと違って外交政策に価値的な要素が入り込む。しかし、1990年代の クリントン政権のときにアメリカ政府は人権よりも最恵国待遇を優先させ、自国の経済利

(6)

益を優先した。この米中経済エンゲージメントは、アメリカにとって「予期しなかった」

経済成長を成し遂げた中国が米中相互依存という「構造的変化」をもたらしたことに起因 するものであって、クリントンとかブッシュとかいった大統領のパーソナリティーが生み 出したエンゲージメントではない。

そもそもアメリカの対中政策に関して、経済的関係を前面に出して相互依存関係を巧み に操作しつつ、中国を国際社会に取り込んでいくといった政策は、冷戦初期には考えられ なかったことであるし、米中が接近した

1970年代でも大きくは期待されていなかった。ま

た、中国のみならずアジア諸国全体の経済成長率が上昇し、アジアが世界の「成長センタ ー」として認識され始めたことによって、中国を「対ソ連カード」として手段的に用いる よりも、一国家として対等に扱うようになっていったのである。つまり、「米中パートナー シップ」は

1990年代を通じて両国間の経済的連携を探ると同時に、2001

年以降はテロ対策 の点でもグローバルなものとなり、そこでは「人権」問題は米中両国の二国間関係のイシ ューとなっていったのである(7)

第2は、安全保障と民主主義との間にジレンマが存在することであり、これは中台関係に 当てはまる。台湾は1970年代以降、アメリカに「捨てられた」同盟国として扱われてきた ために、アメリカの注意を引くような政策を実施しなければならなかった。台湾関係法第2 条に「本法律に含まれるいかなる条項も、人権、特に約

1800万人の台湾全住民の人権に対

する合衆国の利益に反してはならない。台湾のすべての人民の人権の維持と向上が、合衆 国の目標である」と書かれているが、これは台湾の人権状況が近い将来改善されることを アメリカが期待して作成したものであり、その意味で民主化は台湾がアメリカの関心を維 持するために残された「宿題」であった。

しかし1990年代に、台湾が李登輝のリーダーシップの下で国際的に大きな賛美を受けた のは、その当時に独特の国際環境が存在していたからである。第1に、先に述べたように冷 戦の終結によってアメリカの対中利用価値が減退したこと、そしてそれに伴って分断国家 である台湾の政治的地位が相対的に上昇したこと、第2に、中国が

1989年の天安門事件によ

って、その権威主義的政治体制をちらつかせたこと、これに対して李登輝は台湾の民主化 を進めていることを内外にアピールして大陸中国との差別化に成功したのである。こうい った偶然とでも言うべき時代背景が存在したからこそ、台湾の民主主義は国際的な説得力 をもったのである。より一般化して言えば、民主主義のような「価値的」な要素がアメリ カに対して説得力をもつのは、近隣諸国(この場合は大陸中国)があからさまな砲艦外交

(gunboat diplomacy)をしている間だけであった。

5

1972年体制」の変容と「米中台問題」

しかし、その「砲艦外交」を展開することが何の得にもならないことを、中国は

1996年

と2000年の台湾総統選挙を通じて悟った。2004年の台湾総統選挙あたりから、中国はアメ リカやフランスの大統領との会談において台湾問題をもち出すなど、武力ではなく、交渉 の場において台湾問題をもち出している。これを従来の路線からの「譲歩」とみるのか、

(7)

「政策転換」とみるかはさまざまであるが、「1972年体制」が変容しつつあるという観点か らみれば、国益達成の手段が徐々にソフトなものになってきたことを示している。

では、実際、将来起こりえる「米中台関係」のシナリオは、何であろうか。軍事的状況 と非軍事的状況に分けて考えてみよう。より具体的には、前者は中台の武力衝突であり、

後者の場合は平和裡な方法による中台統一と台湾独立の2つが考えられる(8)

まず、前者の武力衝突が選択肢として可能であるためには、軍事的合理性の観点から、

相手側より自分の軍事力が優勢であるということと、政治的正当性の観点から、武力行使 が国際的な支持を獲得できるかという

2つの問題をクリアする必要がある。軍事的合理性に

関しては、徐々に変容しつつあるものの、奇襲攻撃、海上封鎖、金門・馬祖島占領など、

どの手段を用いても、現時点では中国側が短期間に台湾を制圧できる状況にはない。さら に、大陸からのミサイル攻撃も、現状では十分な性能と数量を備えているわけではない。

結局のところ、力の行使による台湾制圧はかなりの程度難しく、中国が内政不干渉原理の 下に台湾に攻め込むことは当面の間、考えられない(9)

次に、政治的正当性に関しては、冷戦が終結して以降世界大の脅威が減少するに従って、

軍事的手段を通じて国益を達成することが正当性を得にくくなっており、その意味で、武 力介入のコストが大きくなっている。急速な経済成長の過渡期にあり、軍事的に将来どの ように変化していくかわからない中国政府に対して、台湾は、その民主主義を宣伝材料と して使おうとした。台湾の民主化は、冷戦後における世界大の脅威の低下と民主主義体制 の拡大と相俟って、地球全体に広がるリベラルな制度の一環として、非軍事的手段による 国家間紛争解決の必要性と規範を明らかにするという意義を有している。

そこで、後者の非軍事的な手段による影響力行使が可能性ある選択肢として浮上する。

中台間で武力行使が行なわれないからといって、それが中台関係の安定を即座に意味する ものとはならない。「戦争」が「政治」の延長であるとするならば、中台間の安保対話は、

「戦争」よりも「政治」や「外交」が要求される時がきていることを意味する。事実、陳水 扁政権誕生以降の中台関係は、双方ともに軍事的手段による解決を避け、当面は現状維持 によって安定を図ろうとする意図が働いてきた(10)

しかし、このような非軍事的方法で「慎重」・「善意」に「台湾問題」を討議するという 陳水扁の立場が、台湾に不利に働く要因も考えられる。中国にとってみれば、武力に訴え ずして「一つの中国」を実現することは、最もコストが低くすむ方法であって、その意味 で、中国の「平和統一路線」は、台湾の「平和降伏」と同義語である。また、経済面でも 今日、台湾からの輸出市場の構成において次第に中国の占める割合が大きくなっており、

台湾は中国南部地域(香港を含む)との貿易相互依存体制から多くの利益を得ている。つま り、台湾自身の生存が、アメリカ市場から中国市場に移ってしまったのである。軍事的側 面を除いても、台湾の大陸中国への依存が進展しているのである。

このように考えてくると、非軍事的状況における台湾の対中政策は、「一つの中国」と

「台湾独立」との中間点をとることとなり、中国が対話に応じる限りにおいてそれは有効で あり、そうでない場合、現状維持以外の何物でもなくなる。実際には政治対話が中断され

(8)

たままであるのだから、台湾にとってみれば「独立したくても独立できず、統一したくて も統一できず。政治対話中断のままだが、中国も軍事行使できず(かといって軍事・政治的 緊張は深刻ではないが続く)。経済を中心に相互依存はますます深化」という状態が続くこと となろう。

以上のことから、アメリカの対中・対台湾政策は、「中台の政治的地位をめぐる決断には 深入りを避けたいが無視するわけにはいかず、民主化を促進させるにも中台各々の意志次 第。海峡の安全に関しても、具体的な争点が存在しない(少なくともオリンピックが開催され る2008年までは)。海峡の安保と中台双方の民主化を実現しようとして政治対話を促すが、

具体的な成果はなし。とりあえず、両岸の経済はますます相互依存が深化」ということに なってしまう。

むすびにかえて―ふたたび「冷戦(後)」・「民主主義」・「経済」とその矛盾

以上の事柄を総括すると、今日の米中関係の特徴は、以下のように要約することができる。

先に用いた「安保」と「民主化」の対概念に基づけば、第1に、「安保」に関しては、次 のことが言える。アメリカは「一つの中国」を唱えながらも両岸対話を呼びかけて平和裡 に中台関係を解決することを促し、それに中台双方が呼応する限り、アメリカにとっての 台湾海峡の「安全」と、中国・台湾における経済権益とが維持されることが可能となる。こ れがアメリカにとっての「安全」の意味であり、「経済」権益と一体となっているのである。

第2に、「民主化」を促すことに関してである。一方で、台湾の「民主化」を梃子として 用いながら中国の人権状況の改善を促し、他方で、アジア太平洋地域での経済相互依存関 係を強調しながら台湾海峡の「安全」と平穏を保持しようとするアメリカの態度が、「中台 問題」に関する最大公約数的な外交政策として当面は続くこととなる。

より大局的な立場に立って「台湾問題」に関する米中関係をみてみると、アメリカ側は 自国の経済成長を支えるために中国との一体性を維持し、対太平洋貿易額を保持・増大し ていかねばならないと考えるが、他方で、中国政府側も自国社会の不安回避のための高成 長維持政策を堅持するために外資に依存しなければならない。このような協調的様相が米 中間に存在している限り、中国も「台湾問題」を強圧的に解決しようとはしないし、アメ リカも必要以上の介入を避ける方向に政策が展開されるだろう。アメリカの利益は、現在 のアジア太平洋地域から得ている経済的権益が侵されないことである。すなわち、台湾独 立や中台統一といった極端な「現状」変更は、アメリカが最も避けたい選択肢である。

ということは、米中が国交正常化する際に議会が制定した「台湾関係法」に書かれてい るとおり、中台双方が「台湾問題」を平和的に解決することによってしか、中台関係の改 善はみられないこととなる。中国の「新安全保障観」とアメリカの「ステークホルダー論」

とは、米中関係が現在続いている協調関係を持続させていくことを互いに主張したもので ある。しかし、「米中協調」が「米中勢力均衡」をアジア太平洋において形成するものであ るなら、これは第

2次世界大戦後においてアメリカが維持してきた「アメリカの覇権」的秩

序を崩していくものであり、地域の安定のための基盤が変容していくことを意味する。

(9)

「1972年体制」は、中ソ紛争を前提としたアメリカの「覇権」戦略であり、また、「一つの 中国」を前提としながらも、台湾にも安全保障を供与するというアジアの「分断」を目指 す戦略であった。そのアメリカの「覇権」が、米中「勢力均衡」に替わることは、戦後60 年間起こったことのないできごとである。

そして、米中協調は、アジア太平洋における「10万人体制」を基本としたアメリカの安 全保障コミットメントに変容をきたすかもしれない。2008年には

3

月に台湾総統選挙、8月 に北京オリンピック、11月にアメリカ大統領選挙が行なわれる。中国の「周辺外交」は、

東アジアの国際関係を変容させ、今や中国との国境紛争はインドと日本以外、どの国も抱 えていない。2008年に行なわれるこれら一連のできごとにより、中国を相手とするどの国 の外交も強調関係を宣伝するようになるかもしれない。米中間、中台間、中朝間、中韓間、

中国・

ASEAN

(東南アジア諸国連合)間、中印間といった外交関係がパートナーシップを強

調するなかで、日本だけが「ナショナリズム」を声高に主張して、国益を損なうことのな いようにしなければなるまい。

(1) James Mann, About Face: A History of American’s Curious Relationship with China, from Nixon to Clinton,

Vintage(邦訳=ジェームズ・マン〔鈴木主税訳〕『米中奔流』、共同通信社、1999)

2 Harry Harding, The Fragile Relationship: The United States and China since 1972, Brookings Institution, 1992.

3) 講演の全文は、米国務省のホームページを参照。

4) 鄭必堅「中国共産党在二一世紀的走向」『人民日報』20051122日。また、Zheng Bijian,

“China’s ‘Peaceful Rise’ to Great Power Status,” Foreign Affairs, September/October, 2005も参照。

5)『世界週報』2005年9月20日。これは、朱成虎が外国人記者を前にした際の発言だが、同様の論 調は、インターネットで簡単にみつけることができる)

6) リチャード・アーミテージ(Richard Armitage)氏との面会の最中における発言(2005年3月28日。

アメリカ、フィラデルフィアにて。

7 Robert Ross(ed.), After the Cold War: Domestic Factors and U.S.-China Relations, New York: M.E. Sharpe, 1998.

8) もちろん、軍事的衝突によって中国が台湾を統一することも、台湾が独立を宣言することも考え られるが、しかしその場合、一度の戦争で中台関係が将来にわたって安定するとは考えられない。

よって、軍事的状況は、中台によるさらなる武力衝突を生むこととなる。

9) 村井友秀「海峡両岸をめぐる安全保障問題―中台戦争のシナリオ」『東亜』第395号(2000年5 月)、27―34ページ。しかし、現在はともかく、将来的には中国海軍のもつ軍事力を侮るべきでは ないとする立場として、平松茂雄「重要な台湾の戦略的位置、アメリカにより左右」『問題と研究』

29巻第9号(2000年6月)。この軍事力の「能力」に関して、中台の差異は縮小しつつあるが、

だからと言って中国の武力介入が容易になるわけではない。しかし、中国は台湾問題を内政と言 い続けることによって、現在の陳水扁政権が、中台関係の攪乱要因であることを宣伝している。

(10) 過去10年の米中台関係を、アメリカの「戦略的曖昧性」の見地から考察したものとして、伊藤 剛「9・11後の米中台関係―中国『脅威論』と『活用論』の狭間で」『国際問題』第527号(2004 年2月号)

いとう・つよし 明治大学教授 [email protected]

参照

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結語として、本論文は日本人軍事捕虜を利用する米ソ情報戦の視点から抑留問題にアプローチした

台湾 21.3% 中国 12.7% 韓国 23.7% 香港 7.2% タイ 4.4% シンガポール 1.8% マレーシア 1.7% 欧米 18.2% その他 9.0% 全 国 台湾 21.1% 中国 14.9% 韓国

12 1979年のアジア 1979年のアジア i政1治 ユ月1日 米中国交樹立,米台は断交

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1 平成25年度研究プロジェクト「主要国の対中認識・政策の分析」 分析レポート 中国の大国化と米国:リバランスと「新型大国関係論」への対応 日本国際問題研究所 高木誠一郎 1989年12月の米ソ冷戦終焉宣言は、同年6月の天安門事件、1992年の中国の経済成 長路線の再確認と相まって、1970年代初頭以降の米国の対中準同盟関係に大きな衝撃をも