4月18日 福井県坂井郡川西町糸崎 糸崎観音 仏の舞
育王山龍華院糸崎寺。寺伝、元正帝の養老年間天台宗の泰澄大師の開山。泰澄は諸国巡遊して布教。仏寺建立を つとめた途次、当地で岩屋を開き、観自在尊及び不動明王の像を刻んで草庵を結び、弥陀尊像を安置して本尊とし た。後、孝謙帝の天平勝宝 8 年、唐僧禅海上人が永住の地を求めるべく、自国明州育王山の絵図をたよりに景勝の 地を探していたが、天平勝宝寿 4 月、北海を舟行中糸崎の浦を眺め、郷土育王山と似て居るので、舟を捨て折戸の 草坊を建て、読経三昧の日を送った。
ある日魚鳥(?)の引綱に光るものがかゝり、どう曳いても綱が上らず漁民は綱を捨てなければならなくなった。
これを上人はあわれに思って 7 日の斎潔祈願をなし、満願の日*にその綱の曳上げ方を教わり、漁民に伝えたとこ ろ、目出度く綱は上ったが、その中には緑毛の大亀が金色の千手観音を負って上ってきたので、上人は早速その観 音を迎えると正しく御里育王山の守り本尊であったので、早速精舎を建立。糸崎寺と号し、この本尊を弥陀とを安 置したところ、忽然と光明天地に輝き諸々の菩薩紫雲に乗って庭前に現われ舞をなした。又天女降ってその舞に和 し、自然の鼓楽は六合に響いて浄土の様を眼前に現わした。
この**が仏舞として、村人により保存されている。線の舞ともいう。海上の亀島は大島の止まった所と伝えら れ、又村民中の信仰厚き中村入道なるものある日、夢に観音より繭を投げられ、養蚕の伝授をうけ、中村入道はそ の後養蚕に励んで長者になったと伝えられる。そのため糸崎寺は又、蚕の観音様ともいう。
仏の舞は舞人と楽人から成る。舞人は何れも青年及び少年で糸崎で産場をつかい、糸崎で暮らしているものに限 る。他村から嫁を貰うと舞人となる資格を失う。
舞人は 7 日前から塩垢離をとり、毎日舞の練習をするが、現在では仲々これが困難となり、舞人の適格者も非常 に減少した。33年回の千手観音の御開帳の年は祭日。10日間毎日舞う。平常は隔年1回舞う。これは4月18日1 日、御開帳のときも、平常のときも、舞振りは変らない。同じ舞を10日間毎日繰返す丈けである。
1回の舞は丁寧に舞うと3時間位かゝるが、普通はテンポを早めたり、途中繰返す仕草を省略して2時間弱に収め る。舞い始める前、舞人全員が坊で塩風呂に浴して、それから始めるのであるが、それは今日でも実行している。
面は戦後、東京、大阪で新調したのを使う。古い面は保存されている。
舞人の役目。
1、舞仏8人、黒の法衣をつけ、けさを掛ける。このケサは次の役によって少しづゝ形、色共違う。白い手袋を する。白足袋、草履ばき。役名は次の通り。
(イ)手仏 4 人。舞仏になったものは、まづ手仏から習う。持物はない。道行は合掌姿。舞台では左 手を前方で立てる様が基本の形。足の運びと手の振は左右交互となる。
(ロ)箸2人。かっこを胸につける。極く細い木の直な棒。長さ50㎝位のものに所々糸を巻き、漆塗 をかけたもの。これを俗に「ハシ」という。1人2本づゝ片手に1本づゝ持ち、前面で箸を交互 するのが基本の型となる。足と手の運びは右左揃える。
(ハ)ダコ 2 人。鼓の胴を胸につける。箸より少し短い、小槌のような形のものを左手に、箸を右手 に持つ。手足の運びは手仏と同じ。
2、念菩薩。2人。12/3才の小年。水色の水干、折烏帽子、金色の菩薩面をつける。白手袋、白足袋。両手で蓮
華を捧げる。
3、角守(カドマブリ)2 人。8/9 才の少年。白の水干、宝冠をつけ、白色の童子面、白手袋、白足袋。両手を
合掌、胸に置く。
楽人。楽人に2通りある。
その1、太鼓打1人、鉦1人、何れも裃、袴でこの2人は舞台の左側の組立の櫓の上に昇って、終始舞の調子を
とる。
その2、雅楽手8人。白の水干、引立烏帽子。他に住職、法楽人(胴藍)等と共に舞台後方の桟敷につく。
舞台は、本堂の階段を下りた所から床板を渡して、コンクリートの花道に続き、その南端に約2間4方高さ2尺4、
5寸のやはりコンクリートの石舞台があり、その正面に古い石樽が1つ建っている。
このコンクリートの台の上に祭日には高さ2 尺程の木の手摺欄干を巡らし、入口は背面中央にあり、そこまで、鍵 形に折れて花道がつゞく。
櫓は花道と反対側、即ち左側に高さ 1丈ばかりの組立式。床より上には3方幕を貼る。左前場に5色の吹流し1 本。
桟敷は仮設、後方に幕を貼る。
午後2時半頃から本堂で、住職の法要、読経があり、終ってまづ太鼓と鉦とが櫓に登って、1番太鼓を打つ。これ を合図に、本堂裏から東側(本堂内)の渡りを通って、雅楽の奏楽(えてんらく)によって住職、胴藍、雅楽師の 順に花道を通って桟敷へ向う。続いて、角守、念菩薩、手仏、箸、だこの順に花道を通り、後方舞台の入口より舞 台に進んで所定の位置につく。
楽人の笙、ヒチリキ、笛はこの行列の間だけであって、楽人は桟敷に入って前方を向いて坐る。
舞仏の舞は専ら桟敷の上の太鼓と鉦の調子で進む。歌はない。掛言もなく、一切無言である。
太鼓の調子に1番太鼓、2番太鼓、3番太鼓の3段があるが舞振りや足の運びには違いはなく、唯テンポが少し早 くなる違いがあるのみという。
舞は舞仏が円陣をつくって、緩やかに左廻りに巡る。
手仏は右手を前に立て、左手をこれに添えるように握る。箸は 2 本の箸を前方で交叉する。だこは左手のだこの 根元の所で箸を斜めにかまえる。足は前足のかかとに後足をつけ、そのまゝ前に踏み出し、同時に少しゆっくりと 節度をつけて腰を落す。
顔は前方を正視する位置で動かさない。
この基本の型であるが舞全体は可なり複雑な所作である。
2番太鼓が終ると、楽人の雅楽が囃しとなって念菩薩2人が並んで前方に進み出る。このとき香台に補佐役(平服)
によって香が焚かける。その前で念菩薩は向き合い、手に捧げた蓮華を振る。退いて再び舞台の円陣の舞となる。
3番太鼓で円陣の舞を続けるうち、1くぎり度にまづだこ2人が退いて、6人が1舞して、更に箸2人が退き、次 からは手仏が1人づゝ退いて、終に1人の手仏の舞となり、終る。
これを「舞残りになる」という。次に雅楽によって行列をつくり、本堂へ花道を帰る。その順は、行くときと同 じ。
曇って居たので写真は撮り易かった。丁度桜が満開で、亀島はもやの中に霞んでいた。沖には可なり波がある。