椎名麟三と明治学院
著者 丸山 義王
雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The
bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University
巻 52
ページ 217‑232
発行年 2020‑02‑28
その他のタイトル Shiina Rinzo and Meiji Gakuin University
URL http://hdl.handle.net/10723/00003935
椎名麟三と明治学院
丸 山 義 王
Ⅰ.椎名麟三のエッセイ「現代の絶望」
椎名麟三は,1947(昭和 22)年 2 月 1 日発行の『展望』 (第 14 号)に,
編集者臼井吉見の選択で『深夜の酒宴』を発表して,作家としてデビュー した。36 歳の時であった。
編集後記では,「椎名麟三氏の小説『深夜の酒宴』についての世評は さまざまであろうが,作者は敢然とこの野心的な道を進むべきであろう し,進むことを期待するものである。ただ一言したいのは,これはかの サルトルなどが喋々されるより以前の制作であるから読者が妙な早合点 をされないように願いたい」と述べ,椎名の独自性を強調するのである。
昭和 23 年 1 月 1 日発行の『展望』1 月号の表紙には,「特輯宗教につ いて」とあり,目次には,「キリスト教の辨証序論 田辺元 マルクス 主義と宗教理論 林達男 三つの訴訟状 椎名麟三」とある。そして,
1 月 25 日発行の創作集『深尾正治の手記』(銀座出版)には『三つの訴 訟状』が早くも特輯され,椎名は「あとがき」で次のように言う。
この作品集は,僕の現在の段階に属するものを集めたものである。僕の現在は 今停止している。言いかえれば,ある絶対者に関して死んでいると云ってもいい。
だからこれら数篇の作品の発想の根源となっているものは『三つの訴訟状』である。
ここに現れた僕の疑問が僕の現在の苦悩なのであり,しかも現在の世界状勢に関 連しているが故に,それは性急に解決されなければならない責任を僕に課してい るのだ。しかし現在においては,僕にはその解決はない。ただ苦しんでいるだけだ。
しかし不思議なことにこの苦悩のなかに,たしかな未来への予感があるのだ。僕は,
ふいに一挙に変わるだろう,それは或いは単なる死への墜落であるかも知れない としても。
椎名は以上のように,人間の死においてしか現れない神に叫びかける のであった。そして,この年昭和 23 年 7 月 5 日にはエッセイ「現代の 絶望」を『明治学院新聞』に発表して,学生に対して,自殺の虚無につ いての秀れた考えを展開している。
(前略)自殺の本質については,神も触れることは出来ないのだ。というのは,自 殺はその自殺行為のなかに自己の根拠をもっているので,自殺したから自殺した というより仕方のないものである。そしてその故に自殺は,人間に残された最後 の自由なのであり,この人間の最後の自由は,ドストエフスキーにとって重要な テーマの一つであった。
もちろん,この人間にとっての最後の自由は,クリスチャンにとっては罪悪で あるに違いない。というのは,クリスチャンは自己の存在の根拠を絶対的な他者 のうちに持っており,もし自殺したとするならば,彼の不信仰を表明するものだ からだ。何故ならそのとき彼は,彼の存在を神のうちに根拠づけているのではなく,
自己のうちに根拠づけていることとなるからである。全く自殺ほど,人間の実存 を端的に表現しているものはない。自己の虚無から自由になるために虚無を手段 として,そして虚無と化すのである。(後略)
結局,椎名は自殺の虚無性を端的に表現して,学生達を戒めるのであっ
た。一方で,この頃の『明治学院新聞』(昭和 23 年 3 月 20 日)では, 「信 仰復興運動成果」として次のように報じている。
1 月 23 日賀川豊彦氏大伝道集会「自然を通して神を観る」,多大な感銘を与え 決心者百五十名を出す。賀川先生はこれを一二三会と命名,このため,約一週間 の準備祈祷会をなした。
一方では「明治学院大学建設へ 学生に訴う若林教授」という記事も 眼を惹く。この頃の明治学院は神と共に新しい道を歩み出すのであった。
Ⅱ. 「出会いについて」を SCA『ぶどう』に投稿
1966(昭和 41)年 7 月,椎名は 55 歳の時に「出会いについて」を『ぶ どう』(明治学院大学第二部 SCA 発行)夏期修養会案内特集第 61 号に 特別寄稿した。長文なので要約して最後の部分を挙げたい。
イエス・キリストは,通俗小説の恋人同士の間におく障害よりさらに決定的な 障害がその出会いに置かれているのだ。それは,出会うことが不可能であるとい う障害だ。それを一般の人々は「信じられない」という言葉で表明する。(略)だ が,聖書によれば「信じられない」私たちを越え,私たちの決定権を越えて,イ エス・キリストは私たちに出会ってくださっていると告知されている。この告知 へ初恋の恋人に対するように,信じられない自分をふくめ,自分の全存在を賭け 得ることが出会いの現実性なのである。いいかえればその賭けにおいてだけ,イ エス・キリストに出会うことができるということなのだ。そしてその出会いが,
あなたに真の自由があたえられ,その自由において自分の存在の意味が変えられ,
生き生きと生きて行く方向をあたえてくれるのは,私の体験の上の事実なのである。
この特別寄稿を椎名のもとに戴きにうかがったのが,太宰治の娘の太 田治子氏であった。太田氏は,この 66 年の春に英文学科に入学した新 人であり,椎名の特別寄稿に続いて「SCA に入って」と題する一文を 寄稿した。
初めて SCA の集まりに参加した晩,或る部員の方がこういう意味のことをおっ しゃいました。「聖書は,功利的な気持で読んではいけません。素直な子供のよう な心で読んで下さい。そういう心で読まなければ本当に理解することは出来ませ ん。」(略)それから,もう二ヶ月近い月日が流れました。聖書研究入門グループ で勉強する傍ら,私なりの解釈の仕方で,毎日聖書を少しずつ読んでおります。
聖書を読んでいくと,自分には多くの悪い心がある事を,改めて,思い知らされ ます。この悪い心が浄化された時,初めて自分は原罪の意識から救われるのだと,
自分に言い聞かせながら,これからも,素直な気持ちで聖書を読んでいくつもり です。
と述べている。時は流れて,2011 年 12 月 10 日にキリスト教研究所 主催で講師として作家太田治子氏をお呼びして,「時こそ今は ― 私と明 治学院と文学」というテーマで公開講演会を行ったが,この時に SCA のこの時代の思い出の中で,椎名の特別寄稿について述べられたので あった。
Ⅲ.椎名麟三と邂逅忌
1999 年 3 月『あんげろす』第 21 号は「2 月 3 日の所員会議で,次年
度の所長に社会学部の橋本茂所員が選出されました。大学院の重責を担
いつつ本研究所のために働いて下さいます」と告げたが,1999 年 4 月
に就任した橋本茂所長は,キリスト教研究所を廣く,「キリスト教文化」
に,多面的に関わる拠点とするために様々な構想を実現された。2000 年 4 月より「キリスト教文化研究」を発足させ,「キリスト教と音楽」
の分野では J.S.バッハ研究を専門とする音楽学者として藤原一弘氏 が招聘され,「キリスト教と文学」の分野では,橋本所長を責任者とし て椎名麟三研究が進められた。2000 年度のキリスト教研究所プロジェ クト一覧では,椎名麟三研究としてのキリスト教文化研究が,橋本茂所 長,藤原一弘研究員,小林孝吉協力研究員をメンバーとして開始されて いる。2001 年には筆者も協力研究員として,このプロジェクトに参加 した。小林氏は次のように云う。
当時,一面識もなかった橋本茂教授からはじめて電話をいただいたのは,八年 ほど前になるだろうか。その時,橋本先生は明治学院大学キリスト教研究所の所 長であり,新しいキリスト教文化プロジェクトで椎名麟三研究の立ち上げを考え ているとのことだった。私はやはりそれより八年ほど前,『椎名麟三論 回心の瞬 間』(菁柿堂)を出版していて,先生はそれを読みプロジェクトに誘ってくださっ たのだ。しかも,卒業以来離れていたとはいえ明治学院大学は私の母校であった。
(2008 年 5 月 2 日記),所載『橋本茂教授退任記念論文集』(明治学院大学社会学・
社会福祉学研究 129・平成 20 年 12 月 15 日発行)
小林孝吉氏は,1976 年明治学院大学文学部卒業であり,文芸評論家 として,『千年紀文学』編集人であり,椎名文学の研究としては,著書 には,上記の『椎名麟三論 回心の瞬間』の他に, 『論集 椎名麟三』(共 著,おうふう,2002 年),『椎名麟三の文学と希望 ‐ キリスト教文学の 誕生』(2014 年 3 月 28 日第一刷 菁柿堂)等がある。彼は「邂逅忌」
には第 1 回目より出席を続けており,キリスト教文化研究での最初の仕 事は「邂逅忌」の開催であった。
椎名は,1973(昭和 48)年 3 月 28 日に享年 61 歳にて,脳内出血の
ため世田谷の書斎にて逝去された。それを契機に髙堂要が代表となり,
第 3 次たねの会が発足,翌年,椎名の命日には「椎名麟三を偲ぶ会」が 東京神楽坂の出版クラブで行われ,1975(昭和 50)年の偲ぶ会からは 以後の偲ぶ会の名称を椎名の小説のタイトル「邂逅」にちなんで「邂逅 忌」と呼称することにし,毎年命日には講演,椎名作品のミニドラマや 朗読劇の上演を行ってきた。2001 年 12 月 21 日には髙堂要が急逝し,
翌年から,現在の第 4 次たねの会が発足した。小林氏が邂逅忌には第 1 回目より出席をしていたこともあり,椎名文学の研究者としての橋本所 長の配慮により,椎名文学研究の核としての「邂逅忌」を明治学院大学 が引き受けて,開催することにした。明治学院キリスト教研究所とプロ テスタント文芸集団たねの会との共催で,第 28 回(2001 年 3 月 28 日)
から最終回の第 36 回(2009 年 3 月 27 日)までの 9 回を開催し,それ らの資料は現存するのである。
「キリスト教研究所報告」(2001 年 3 月 21 日)では次のように言う。
椎名麟三先生の命日(3 月 28 日)に行われてきた「第 28 回邂逅忌」が,邂逅 忌世話人主催,明治学院大学キリスト教研究所共催で,本学記念館で,約 60 名の 参加者によって開催されました。これは,私たちのキリスト教研究所の椎名麟三 研究の本格的な取り組みへの第一歩ともいうべき記念すべき集いでした。
世話人は,小林孝吉,津川泉,富岡幸一郎,橋本茂の諸氏であった。
講演は, 「椎名文学から受けたもの」で,講師は森禮子(昭和 5 年生,
第 82 回芥川賞受賞作家),ミニドラマは,『半端者の反抗』で,演出は 明石建,出演者は,德永街子(青年座)・ 岡崎充佐(劇団現代)の皆さ んであった。ミニドラマ終了後は, 「偲ぶ会」が行われて,参加者が挙っ て,埴谷雄高先生と椎名麟三先生に献杯を捧げたのであった。
「邂逅忌」とは別にキリスト教研究所が行った最初の公開研究会につ
いては,2002 年 7 月 19 日に「キリスト教と文化研究」プロジェクト主 催で行い,テーマは「椎名麟三『復活体験』以後作品研究」第 1 回「邂 逅」(群像,1952 年 4 月~ 10 月号)であり,講師は文芸評論家小林孝 吉協力研究員であった。
2003 年 10 月 25 日『キリスト新聞』では「椎名麟三作品について発 題 明治学院大学キリスト教研究所『復活体験』以後の作品を中心に」
として次のように述べている。
10 月 4 日午後 2 時から,明治学院大学白金校舎で同大キリスト教研究所(中山 弘正所長)「キリスト教文化研究」プロジェクト主催の「キリスト教文学の誕生 椎名麟三『復活体験』以後作品研究」が開催され,14 人が参加した。第 6 回目の 今回は,椎名麟三の中期の作品『断崖の上で』(「婦人公論」 1959 年 1 ~ 6 月号初 出)を中心に行われた。橋本茂氏(同大教授)が挨拶し,キリスト教主義大学が,
キリスト教文学の椎名麟三を大事にし,研究するべきではないか,と述べた。初 めに小林孝吉氏(文芸評論家)が椎名麟三の「復活体験」以後の作品について発 題した。小林氏は椎名麟三の作品について,「椎名は代表作『美しい女』で本当の 自由を具体的に表し,『運河』では罪の問題を見つめた。その後に書かれた『断崖 の上で』や『長い谷間』をどのように捉えるかが,今後の研究テーマである」と語っ た。続いて佐藤勝美氏(作家)が『断崖の上で』を不条理のリアリズム,文章表現,
エッセイの 3 つの視点で紹介した。最後に椎名麟三の人物像や『断崖の上で』に 対して参加者が各々の感想や意見を述べる語らいのひと時を持った。なお,次回 の研究会は椎名麟三の『長い谷間』(「群像」 1961 年 1 月~ 5 月号)を題材に丸山 義王氏(亜細亜大学講師)が 11 月 8 日に同研究所で発表を行う。
この公開研究会は後述のように 2014 年 3 月まで継続されるのであっ
た。なお「邂逅忌」については,以下のように 36 回まで,明治学院に
おいて開催されている。
第 29 回(2002 年 3 月 28 日)の「邂逅忌」については,講演「椎名 麟三の文学」川村湊(文芸評論家・法政大学教授),ミニドラマ『鞄』
は生前には未発表(1940 年に脱稿),没後,雑誌「文芸」(1974 年 5 月 号)に発表され,『椎名麟三初期作品集』(河出書房新社,1975 年刊)
に収録。この 29 回の「邂逅忌」については,2002 年 4 月 8 日の『朝 日新聞』夕刊において報道された。
「いま,なぜか椎名麟三」というタイトルで記者菅原伸郎は「敗戦後 の混乱を背景に読まれた作品群がいま,なぜ取り上げられるのだろう。
『あの虚無と絶望は現代にも通じる』という分析もある」として次のよ うに紹介する。
命日に当たる 3 月 28 日には,東京の明治学院大で「邂逅忌」の催しがあった。
文芸集団「たねの会」会員ら約 50 人が参加,短編戯曲「鞄」 も上演した。文芸評 論家の川村湊さんは記念講演で,椎名作品の影が松浦寿輝「花腐し」 などの現代 小説にもあることを指摘して,こう論じた。「高度成長が真っ盛りのころ,椎名さ んはもう古いと思った。しかし,バブルがはじけて,失業と就職難といった状況 になってみると,敗戦直後と似た下降志向が現代の底流にもあるように思えてき ました」
以上のように「邂逅忌」は大きく報じられたのであった。以降の「邂 逅忌」は次のようであった。
第 30 回(2003 年)3 月 28 日(金)
講演「椎名麟三と私」加賀乙彦(作家)。ミニドラマ「少女と老音楽師」(1938 年 12 月 29 日脱稿の未発表小説,『椎名麟三全集』第 22 巻収録)出演橋本涼子(明 治学院法学部出身 橋本茂所長 次女 真咲子氏 明治学院法学部出身)。明石健 大森守立
第 31 回(2004 年)3 月 28 日(日)
講演「椎名麟三先生について」東恵美子(劇団「青年座」を創立したメンバーの 一人)。朗読「永遠なる序章」(1948 年作の長編小説)冒頭部分の朗読,加茂美穂 子(青年座)。
第 32 回(2005 年)3 月 28 日(月)
講演「復活について」小川国夫(作家)。オルガン演奏長谷川美保(東京芸術大卒 明治学院音楽主任,オルガニスト)。
第 33 回(2006 年)3 月 28 日(火)
朗読劇「天国への遠征」(『新劇』1961 年 1 月号)指導三谷昇(劇団円)。 出演橋 本涼子(声優)松本大輔 丹聡 印田彩希子(玉川大学パフォーミング学科)。
第 34 回(2007 年)3 月 28 日(水)
講演「戦後文学と椎名麟三」寺内博(河出書房新社 『文芸』編集長)。朗読エッ セイ「かぼちゃの花」(『新潮』1954 年 9 月号に発表)朗読者 石場義人(劇団「昂」
劇団員)。
第 35 回(2008 年)3 月 28 日(金)
講演「椎名麟三とカール・バルト」富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)。
朗読エッセイ「木賃宿」雑誌『指』に連載された「小説マタイ伝」の第 14 回目(1955 年 10 月号)に発表 朗読者 牛山茂(劇団「昂」に在籍 31 年の中堅)。
第 36 回 邂逅忌最終回 2009 年 3 月 27 日㈮ 14 時 30 分~ 20 時
第 1 部 シンポジウム「椎名文学を未来へ」パネリスト森禮子 橋本茂 富岡幸 一郎 司会小林孝吉。
第 2 部 朗読と朗読劇 「かぼちゃの花」朗読者 牛山茂(1977 年より「昴」に在籍)
「半端者の反抗」出演 明石健 丹羽たかね(「邂逅忌」の司会を 26 年間続ける。)
第 3 部 邂逅忌記念パーティ
以上のように「邂逅忌」は終わりを迎えるが,「邂逅忌」の趣旨につ いては,毎年のお知らせの冒頭には「『ほんとうの自由』とともに生き,
書いた作家,椎名麟三―その人と文学に出会う!」という言葉が記され ている。邂逅忌最終回のシンポジウムのテーマのように「椎名文学を未 来へ」と送るために,「椎名麟三の文学を未来へ ―36 回目最後の邂逅忌 を終えて」というタイトルで,記念誌を 2010 年 2 月 15 日にキリスト 教研究所が刊行した。収録された内容を次に述べる。
「歳月」 森禮子(作家)
「邂逅忌の歴史」 丸山義王(キリスト教研究所協力研究員)
「邂逅忌ミニドラマの結集力」 津川泉(劇作家)
「 人間はみんな…自分の頭の中へ飛び込んで死んでしまう―落語『頭山』と椎名 麟三」 橋本茂(明治学院大学名誉教授)
「徒然なるままに」 丹羽たかね(俳優)
「マイオテース(虚無)について」 成井透(作家)
「キリスト教文学との邂逅」 佐藤勝美(たねの会)
「邂逅忌でありがとう」 明石健(俳優)
「椎名文学を未来へ」 丸山義王(キリスト教研究所協力研究員)
「断片二,三」 高橋正嗣(青柿堂社主・椎名麟三全集編集者)
「椎名論の発表と邂逅忌
―
『帰郷』をめぐって」 小林孝吉(キリスト教研究所協 力研究員)編集後記によると,「このエッセイ集は,椎名家のご家族の大坪真美
子さんのご寄付をもとに発行することができた」とあるが,このエッセ イ集は椎名家によって捧げられたのであった。
「椎名麟三の『たねの会』50 年記念礼拝で三枝禮三氏が説教」という タイトルで『キリスト新聞』 (2010 年 4 月 24 日)は次のように報じた。
1960 年に椎名麟三が設立して以来,今年で 50 周年を迎えたプロテスタント文 学集団「たねの会」は 4 月 11 日,記念礼拝と記念会を,椎名が 66 年に転会した 日基教団三鷹教会(東京都三鷹市)で開催した。礼拝では同会代表の三枝禮三氏(北 星学園女子短期大学名誉教授)が「十分である」と題して説教した。(略)たねの 会はプロテスタントのキリスト者による文学運動として 1960 年 4 月,椎名麟三 が佐古純一郎,高堂要らに呼びかけ,25 人で活動を始めた。プロのメンバーだけ で行われていた活動を一般にも広げるため,63 年に第 2 次たねの会を発足。文芸 雑誌『たね』の創刊や,演劇活動を開始するなど,活動の幅を広げていった。73 年 3 月 28 日椎名麟三が逝去。それを契機に髙堂要が代表となり第 3 次たねの会が 発足。翌年の椎名の命日に「椎名麟三を偲ぶ会」が催された。75 年から偲ぶ会の 名称を椎名の小説「邂逅」にちなんで「邂逅忌」と名付け,毎年命日に講演や椎 名作品のミニドラマ・朗読劇の上演を行ってきた。2001 年には髙堂要が逝去し,
翌年から現在の第 4 次たねの会が発足。09 年「邂逅忌」が 36 回目で最終回となっ た。同会は現在,会員 10 人と賛助会員で構成されている。
当時の月ごとの「たねの会」は,キリスト教研究所で行われていたが
「邂逅忌」の終了後は,銀座第一教会で行うことになった。現在は戸塚ルー テル教会を拠点として,たねの会の例会を続けている。
椎名麟三は 1911 年 10 月 1 日,姫路市書写において生まれ,2011 年 10 月には,生誕百年を迎えたので,「たねの会」の後援により,2011 年 10 月 1 日㈯ 13 時から 15 時に「椎名麟三生誕 100 年記念講演会」
を明治学院大学白金校舎第 92 会議室で開催した。講演会のテーマは「椎
名麟三と戯曲」(椎名麟三文学の戯曲の面白さ)でプログラムは,次の ようであった。挨拶は,三枝禮三(作家 たねの会代表),講師は橋本 茂(明治学院大学名誉教授),成井透(作家 たねの会),水谷内助義(青 年座演出家)の諸氏,司会は小林孝吉協力研究員であった。なお,この 時に「椎名麟三の文学集団を未来へ 第 2 集―椎名麟三生誕 100 周年 記念を迎えて ―」を発行している。その内容は次の通りである。
「椎名麟三生誕 100 年記念講演の挨拶」 三枝禮三(たねの会員)
「椎名麟三の戯曲について」 成井透(たねの会員)
「ある『懲役人』のつぶやき」 武谷宏三(たね会員)
「椎名麟三作『美しい女』について」 聖徒九(たねの会員)
「何から何へのこと」 高橋正嗣(椎名麟三全集編集者)
「椎名麟三生誕百年記念講演会『椎名麟三と戯曲』から―『第三の証言』につい て― 」 丸山義王(キリスト教研究所協力研究員)
「『第三の証言』と青年座」 水谷内助義(劇団青年座制作者)
「天国と浄土―何にたとえようか」 菅原伸郎(東京医療保険大学教授)
「『3・11』以後と『懲役人の告発』―<首のない犬>と時代風景」 小林孝吉(文 芸評論家)
「椎名麟三における信仰の形・私見」 木村閑子(たねの会員)
「身近に心地よい文化空間を」 田靡 新(作家)
「戦後六十六年
―
椎名麟三生の八月十五日―
」 斉藤末弘(椎名麟三を語る会代表)発行はプロテスタント文学集団たねの会が行ったが,編集には明治学 院からも橋本名誉教授,丸山研究員,小林研究員が参加した。
2011 年 10 月 26 日の『毎日新聞』では文芸評論家の富岡幸一郎が「椎 名麟三生誕百年によせて」と題した評論を掲載した。その掉尾において,
次のように述べる。
『神の道化師』(昭和 30 年)という作品があるが,作家はこの題名は「小説の内 容によってではなく,その小説に立向っている自分のあり方の実感からであった」
といっている。つまり椎名は決して護教的な文学ではなく,神と人間の狭間に立 ちつくし,ときに信仰と無神論とのあいだに詭計をめぐらす言語の道化師として 書き続けていった。それは初期作品の重い文体から,独特のユーモアを孕む文体 を生み,超越性を内包した自在な作品空間を結晶させた。昭和 48 年,椎名は 61 歳で亡くなるが,遺作『懲役人の告白』は現代世界とそこに生きる人間の悲喜劇 の寓話的作品として,近代文明のデッドロックに直面している 21 世紀の今こそ読 まれるべきものであろう。
椎名をして「神と人間の狭間に立つ道化師 生の力と神秘 自在に超 越」として讃えるのであり,明治学院で開催した椎名麟三生誕 100 年 記念は当時の文学界に大きな反響を呼んだのであった。
Ⅳ.椎名麟三研究
なお,『椎名麟三対談集―信仰編―』(MICS オケイジョナル・ペー パー 4)が 2002 年 3 月 28 日に,明治学院大学キリスト教研究所とし て編集,発行がなされた。椎名麟三の対談・座談は,文学論,映画及び 演劇,キリスト教関係等の多岐にわたるジャンルにおいて,1947 年頃 から 1973 年の死去の年までの 26 年間にわたってその文学的業績に沿っ て行われており,その総数は 120 篇余にのぼるとされている。橋本茂 所長はこの時には,明治学院大学図書館を通して,その 70%にあたる 83 編の対談,座談を全国の図書館から収集された。キリスト教関係で は全 26 篇中 16 編を収録し,その中から 11 編が本対談集に掲載されて いる。
この号の編集に携わった筆者は編集後記において次のように述べた。
ここで,収録した対談では,生と死の問題,ほんとうの自由についての意味,
復活のイエスについての想いなどが,作者の肉声をもって自在に語られており,
それらの逸話や挿話を通して,作品を読み解く,新しい発見や新しい角度からの 知見を得る可能性があります。今日,椎名麟三の持つキリストへの想いは,この 対談集において,さらに輝きを増して甦るものと思われます。1955 年発行の『毎 日新聞』の「宗教について」椎名麟三・武田泰淳の座談を初めとして,当時のキ リスト教関係の新聞,雑誌に掲載された対談等は,初出のものが多く,それらの 収録を快くお許しくださった関係諸団体各位に,深く感謝いたします。(丸山義王 編集後記より抜粋)
通常においては,新聞に掲載された対談や記事については,転載は許 されないが,キリスト教関係の明治学院の「信仰の出版」として特別の 配慮をいただいたのであった。
さらに『椎名麟三原作作品の脚色集―邂逅忌上演ドラマ・シナリオ 資料集』 (MICS オケイジョナル・ペーパー 5)が 2003 年 3 月 28 日に,
明治学院大学キリスト教研究所編として発行された。
第一部に掲載された 14 篇のシナリオは,邂逅忌を支えてきた方々が 椎名麟三の小説をシナリオ化したもので,これらは邂逅忌において一回 限り上演されたもので,貴重な記録集になっている。
第二部は「椎名麟三の戯曲と演劇」について新しく書き下ろされた評 論,エッセイであり,執筆は,作家,評論家,脚本家,俳優と多彩であ り,その方々の尽力により全くオリジナルな脚本集ができあがり,椎名 麟三研究をさらに深めるものとなった。
なお,2003 年には中山弘正所長が再任され,主任には遠藤興一教授 が就任された。2005(平成 17)年には,橋本所長が再任された。しかし,
2009 年 3 月には定年退職を迎えられたのであった。その後も椎名麟三
研究は続けられたが,公開研究会の最終回は 2014 年 3 月 22 日㈯ 13
時 30 分から 16 時迄キリスト教研究所において,「キリスト教と文学」
というテーマで行われた。
発表 1「文学における神とは―芥川龍之介と椎名麟三の文学を通して
―
」 発表者 丸山義王(明治学院大学キリスト教研究所協力研究員)発表 2「椎名麟三と内村鑑三―復活から再臨信仰へ―」
発表者小林孝吉 (明治学院大学キリスト教研究所協力研究員)
発表 3「椎名麟三『私の聖書物語』を読んで―十字架と復活―」
発表者橋本 茂 (明治学院大学名誉教授)