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擦文文化成立に関する一考察

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(1)

論 説

擦文文化成立に関する一考察

本州鍵からのアプローチ一

大 槻 巌

第一章 序  説

第一節 醗究の§的と方漬

 擦文文化とは、擦文式土器穫を標式として名{寧ナられた文化である。

 擦文文化成立に関しては、種々の醗究者によるさまざまな論考がなされてき たが、後跳式土器蛇・土懸器・髭大式±器窃を含めて成立に関して未だ定鋭 がなく、残念ながら現時点では、擦文文化と土縣の文化績を分ける基準が北 部馨本において確立されてい旗・といった現状特である。

 このことについて筆者は、東毳毳部の土舗器の様権がよく分からなかったこ ともその・一馨であると考える。

 しかしながら、昨今、東北髭部まで大饗模な緊急発掘が進み、資料の蓄積が なされ、その遍程で銘方に関連する土器(詫海道系±器)も相次いで鍵認され る事になった。筆者は、これらの資料を中心として東北載部から北海道に亙っ

*1 騰縁に沈線が施されたものを亥彗文士器、鱗毛欝の顕著なものを擦文土器と筆  煮は認識している。

*2 牽稿では、一癒この名称を髄零したいと考える。

*3 北大式に関しては諸氏によむさまざまな論考がなされているが、筆者として  本譲の中で私見を述べたいと考えている。

*4 一穂、筆者は大穂政権に嚢接つながる文亀と考えている。

*5 「討論j(考古学講究28巻4号 欝82)にも表れている。

       一i鱒一

(2)

      待政鮭会論集第玉§■逢第3聳

て彫践されていった擦文文化というものを本州樹から探ってゆき、擦文文建の

……ユの定義付けをしたいと考える。

 本論では、本チ1繋こお1ずる土藻i器のセットの中での異種土器群のもつ意味を北 海道の古代土器(土懸器・擦文式土器を含む)との比較により探馨、儀せて続 縄文ま器の南下したことの意秣を考えてゆきたい。

 また、大嚢激権のとった政策が、北部謡餐体に存在した集闘(嚢験おに どのような影響を与え、またその結果、その集露がどのように変化したのかを 中心に無代1鑛に遮って痛きたいと考える。

 最後に、擦文文化は藤本古代史における鵜島文乾と蓋ぶもう一一っの髪・1本 史略と考えており、この解明こそが、アイヌ・エゾ・エミシの欝孫を解明す る事にもなると考えているゆ

第2章本  論

第垂簾 遺跡の紹介(第2籔)

 筆者は、以下の遺跡により講考を行おうとするものである。基本的には、発 羅講糞がなされた選嫌を中心とし、本州においては時期決定をするためにも住 最讐毅や官衙・城概獲1孫1こ絞った。

第2節資料分析及び考察

 筆者が藩籬で搬り髭げた遺鋳の出土選麹は竪穴{・1三緩竣錘の違い(伴鐵遺麹の 量及び器種の違い)や土器籟互の講整肢法の違い(猿分寺下緩難には通常鱗毛 欝の後ヘラミガキ・ヘラケズ1ナが使絹されるが、龍部に背くほどミガキ・ヘラ

*6 筆蓄としては藤■本氏の意冤に共臆するものである。

       一2巷○一

(3)

擦交交{と銭立に絶する一一考察(大機巌〉

ケズ1}が途中で生められたり、施されていないものがほとんどである。)があ

り、款、セ・,トで捉えるには臨時礪鰍後高鐸噸の減少が始諮・葬

常に苦しいと言わざるをえない息

 しかしながら郷は、甕が藥翻難から地域色を出し始め蟹分寺下屡難に入って

いっそ帰しくなるのに観て、懇簸動特礪期を駅て石嶽馳帯か

ら東龍にかけてほぼ講一歩調をとって変乾しているようであ毒気一応時簸淡定 のメルクマール纏として使えるように考える。

 また、、1二麟器編奪は氏家穣興氏の編奪*2を基本にし、棄髭経史資料館編

ギ3、購編㌣4、襟繰立博物館の編蛸触どを瞬恥ていきたいと考

えている。

 ところで、筆者1ま棄愛地方の乗懸難・蟹分寺下屡簗の土騒器の形態が葬常に バラエティーに富んでおむ、それ以前の南小泉難、住社難の土麟器の形態・器 種の統一樵が保たれている(豪龍北部と南藻とは数量的には大きな醗たむがあ るが)のと比較すると大きな差異を慰むるのである。

 そこで筆者は、そ栃騰騰鰍融腺鯨醗鋤1講勧めた轟器

の零種及び要素を取り出して分析を進めてゆきたいと考える。

 まず務めに鍛青り1二げなければならないのは片口の形態である。

畦顛灘紙の陳藁縫方趨および跳海道の薩聯一膏拭の土鱗雲1こついて」

 (考毒学雑誌綴巻4尋 欝聡)の方法に基づく

率2 氏家穣典r東跳上懇器の形式の分類とその縮奪」(鑓歪史ま雛 i鶉?)

率3 粟跳歴史資料館『新幹線と遺跡選(宮城藥文化財像護櫨会 鯵82)

*4 嶺濠康二二二「婁季購部にお捗る古代土器欝の鑛年i試案」<参考資麟〉裏手繁文   龍離調蓋報答誇〜獲集 棄跳縦長霧勧車道縫孫埋蔵文乾難講蓋報告書(岩手県   教育委貴会 躾本連跳公毯 謄82)が基本となるが、遠藤勝博・梅療康二r轡   手藥酸蕩(跳翫!l韓雪流域)における辮譜第玉璽式の生籬器・前難土騒器の内容   について」揮考古学講叢雛芹沢長介先生還懸記念譲文集講付会 懲83)にお   いても変わってはいない。

*5 岩手錐立博麹館罫岩手の土器一粲内慈土資料の集銭一塵(i盤2〉

      一2艇一

(4)

行政社会論集 第葛巻 第3号

 この形態は、杯及び鉢にだけ鰻足して理れる。形慧的には第6騒一2・3と 比較してみると分かるように類撤しており、技法的にも講じであると言える。

なお、2は3の鉢の讐縁をよむすぼめて片灘を付けただけである。

 輝型の片聾も第6纒7と第6醒4の土器をみて分かるように形態的に類似し ておむ、鼓法的にも同ビで第6騒7の圷に片馨を付けたのが第6籔4の土器で

あると言える。

 次に、土舗雛というものは基本的には文様がないことが漂難であるが、筆者 がこれから取鯵、とげる土器はそれらの機念に反する±篶欝であると言える。

 それらはどのような土器群であるかと言えば、文様として錦嚢鍾状の沈線文を もつ土器欝である。

 土器群を分析すると第6纒欝と第6纒5の綱張りの甕を比較した場合、形慧 的にはほとんど岡むであり第6騒緯の欝縁に鋸醜状の洗練をもっことのみが違 いである。第6國簸と第6図6、第6籔鴛と第6図9もそれぞれ形態的には購 じであむ、蔚者は第6籔琵の、後者は第6泌鐙の目縁と瞬部の境馨に鋸醤状の 沈線が施されているのが違いである。第6懸8と第6纒捻も形態的には講じで あり、第6馨捻の底部付近に鋸歯状の沈線文があることが違いである。

 このように比較してみると、鋸歯状の沈線文士需騨は土簸器に文様を付ける ことによって特殊な意秣を持たぜようとしているように考えられる。

 岡むく片聾土器も土麟器の圷・鉢を片難にすることによって特殊な意殊を持 たせたと考えられる。

 ところで、この片羅土器と鋸愚状洗練文をもつ土器群は繕性遺錘C−3号住 居量一i・講C−6号住居量一2A、猫谷地遺跡J J24号住居量などで共伴串 圭が証明されており、共伸すると考えられる。また、同じく住居毅から共伸す る輝から栗霞難に比定できる。

 次に、この片糞土雛と鋸癒状の沈線文をもつ土器翼の分姦を籔にしたのが第 3馨である。

 ところで、この分布の範灘をみると後覚式土器(第4露i、第4図2)北大        一一2鑓一

(5)

擦文文化成立に関する一考察(大槻巌)

茎式土器焔(第尋纒嚇の南下の範雛(第透緩)に限定されるように考えら

れる。

 この片口土器の申の鉢(第6籔i〜3)の形態は、後髪C2−D式土器(第 4泌i)の形態に類織しておむ、なおかっ龍大至式とされる片譲土器と講じで

ある。

 また、鋸歯状沈線文をもつ土器も覧大慶一麗式とされる土器(第7緩5、第 4図3)にあ鯵、同じ性格を有する文様と考えられる。

 これらのことを考え合わせると、片馨土器と鋸歯状の沈線文をもつ土器1ま龍 大嚢一蟹式土器と購ビ鍾賂を有する土器として鍵えて良いと考える・

 次に、羅縁部が大きく「く」字状に外反して段状沈線文をもつ、底がすぼま る甕を挙げてみると第7緩iがあるが、これらはみな無文の圭麟器と伴星して おり、これらを土縣器の甕の申の特殊なものとして縫えることができるように 考える。ところで、これらの暮縁部が大きく「く」字に外反し、段状沈線文を もち底部がすほ1まる甕はいつの時難1こ比定できるかというと、共{卒する圭不の形 態や後城遺跡の住居量がすべて飛び砂で埋没していることや、秋霧城遺跡から 多量に同じ土器が出土していることから考えて、蟹分寺下層難(8漫紀代〉に 比定できると考える。

 これと同じ甕は涯溺遺跡3号住居竣(第§醒鍵)をは馨め、石狩抵地帯を中

、愈・に詫海道の各地で串上しており、この段状沈線文は擦文式土器にもあ馨、こ の土器とのつながりを強く感じる.

 この嚢縁部が大きく「く」字に外反し、段状沈線文をもち眠薬がすぼまる甕 と、無文の土饒器の甕の申閣形態の髪形の土器として多段目縁の甕があげられ

る。

 この甕を挙げると第7醒2があげられる。

*6 後詫式土器と誇大式土暴の分類慧、上野秀一「龍海送続縄文文琵の諸問題」

 (ぎ第5園縄文文化験討シンポジウム 跳§本の続縄文文建の実像選縄文文乾検  討会 欝94)の分類によった

       一2総一

(6)

術数蛙会譲葉 第懇巻 第3弩

 この土器を一応串縫形態としたのは、粟翻簸にEl縁に段を奮する甕が存姦し ておむ(第5図2)、この段が複数となったものと考えられ、それが螺の底i駕 と胴部の境とにある駿:(第5懸垂)1こ通ビるものであると盤える。

 また、この多霞は土器凝縮過程、の技法であ垂)、あまり意陳をもたないように 考えられる。しかしながら、霞状沈線文はどうであるかといえば、これは文様 としては特殊な意鞍をもち、この薦縁が大きく「く」字に外覆し、段状洗練文 をもち綾部がすぼまる甕が土睡器の範購に存養iするということは、そこに共選1 した特殊な集毯意識を慰むるわけであり、中馨羅形態と考えられる多段13縁をも つ土器毒ま、 この羅縁が大きく 「く」字1こ夕も反し庭葦霧がすぼまる甕の形態1こ1吸殻 され、これが結講擦文式土器につながってゆくように考えられる。

 なお、これらの土器欝の分布を霞にしたのが第5緩であり、前に遽べた東北 地方の後覚式至難及ぴ北大亜式土器の分毒(第峨蟹〉の範露とも一致する。

 ところでこの段状流線文はメヒ海道で発生し、棄詫に逆輸入されたように考え る瞬究老朽が多いが、筆者はそのようには考えない。

 なぜかと言えば、時艱的にはまだ磯証はな》が、秦詫地方には続縄文■11器

(後跳C2式・D式、跳大至式)が薦下する時簸がある。この場合、跳海道、

特に道南の続縄文士爵の出土状態・鐵土量と東北継方の続縄文土難の議土状態・

串土量はほとんど同ごであると言える。

 これに対して瞬じ鋳難に存在すると患われる書式圭銃器(齋小泉式を中心と して)の鐵土量は、東龍駕離は東北購蒲に匙べて著しく少ないと言える.

 このことから考えて、東北地方髭部は7経紀醜率以要lllには狩猟・採集段隣に あ鯵、キャンプサイト的な生活を送っていた続縄文文化の集議が主流として定 着し、お式圭薩鋸の集縷とも友好的であったと考えられる。また、占式圭灘壽器 の繁縷も東北薦鋸の圭二縣器主捧の集蟹と交流しながら生活をしていたように考 えられる。

*7 跳海道の藩誓究餐の一般的な考え方である 一2襲一

(7)

擦文文紀成立に鰻する一考察(大槻巌)

 このように棄跳縫方には2っの異なった文化集縷が共存する斑点状態であっ たと考えられる。

 ところでこの異なった2っの文化集騒は、まったく交流がなかったのかと言 えばそうではなく、交流はあったものと考えられる。そして、その交蕊の伝統 が?・8嚢紀まで続く。しかし、続縄文文化が東北地方にあって、北講遵と溝

ビようにt器が変化しているということは、それだけこの文姥が強力であむ、

かつ均…な文免であったと考えられる。ところで、この靉靆で土器において後 北式一墨二器・北大夏式土器と繰搾する圭騒雛の雛種購成や文様などに南東髭以南

との叢翼まみられない。

 しかしながら、この張力で均一・広縫雛に存在した続縄文文化(後跳武文化)

も嬉らかの療饗で罎壊してくる肇この縷壊過程に生じたのが髭大式土器である と誘える。

 この駕大式土器は後覚式土器が消滅の遍程で、それまで周辺にあった土器文 建(北にあっては十穣懇式土器砲などのオネーック文化、南にあっては土懸 の文化嬉)の要素が急激に入ってきたと考えられる。

 次に覚大式の文様及ぴ形態について分析してみると・突籀文(第7纒駅第 4豪瀬4、第4醤ζ羅3、第71饗7) は十選藍馨式.匙器(第7纒3)に由来し、鋸歯彗実 の波線文(第4躍3)は、後此式土器の特殊縄文(第4騒2)が鐘象化したも のと考えられる。また器形は土麟器の影響を強く受けたと考えられ、警邏縄文

(第4緩3)は龍海道の土器によくみられる先復帰鯵的現象*欝として擬えるこ とができる。

 ところで、北大嘗一難式が棄跳においても根城露S至一驚3号住羅量(第7 騒6)から出土している。この至難を見ると汐泊遺跡鐵圭の跳大式土器、天内

ネ8 5・6瞬紀にサハリンから混海道の蔭本海鰯1こかけて存在した上露の型式名

*§ 吉麟昌一氏が主に縫う名称であるが、筆巻も俵梅として綾羅する

*旙 文織の縄文や麟突文が繰り返し使われることを指すが、誇大式の韓突文は舛  から行われているので違うものと考える

2

 {

(8)

行政社会譲葉 第欝拳 第3号

由遺跡鐵土の龍大式土器(第7図7)と形態的にそっく箸であると言える。

 ところで、この龍大式を鐵上した住居量は、土麟器(国分寺下灘簸)の住居 星群の中にあり、住顎堤形態はこの時難の土麟器の住居量形態と購ビである。

それらのことから考えると、この土器は土懸器の一種と考えなければならない。

 次に、続縄文文化が鱒壊するとほぼ同時難の頃、東髭の土懸器集懸にも大き な変建がみられるようになる。(佳麗縫の激増、土器繊土量の増撫痩など)こ の変化は、菓龍地方にいた続縄文文化の集毯(崩壊過程にあった〉を畷収して

しまったことにあったと考える。

 その結果として栗謹簸の土麟器の形態がバラエティーに富むものになったG  しかしながら、続縄文文化の伝統が畷叡されたとはいえまったく消滅したわ

けではなく、形を変え、片口土器や鋸歯状の沈線文となって土縣羅の申に存在 するようになったと考えられる。

 次の露分寺■下膳鱗には土麟器の形態はある程度まとまりをみせるが、讐縁部 が大きく「く」字に外反し段状院線文をもち、底藻がすぼまる甕などの特殊な 形態が載海道(石狩抵地帯以爾)から東載にかけて岡持に発生し、この形態の 土器が擦文式土器につながってゆくと考えられる。

 ところで、この段状沈線文はどこに系譜が遷れるかというと、まず第一に、

続縄文式土器の特殊文が麹象化され鋸愚状の沈線文に変化し、次に複数の波線 文となったグループと粟翻類・馨分寺下屡期の多段旧縁をもつ土器のグループ が…つになってできたグループの圭羅がこの土器群であると言える。

 以上のことをまとめてみると、北大式の文様や形態は周辺の土器文化の接触 の佳方の違いであり、どちらかと言えば地域差の現れであると言える。

 この北大式土器をもって時間の前後関係を決めたり、時艱決定の資料として 縫賭する事は不驚能であ鯵、東龍地方においては愛大式±器(跳大亙式)を陰

縫i 高橋信雄氏がr岩手の土器一粲内笛土資料の集成一』(岩手桑立縛鞠館 鯵麗)

 の古代編の中で捲擁

       一2蕊一

(9)

擦文文化成立に絶する一考察(大槻巌)

き、片鱗土器・鋸歯状の沈線文をもつ土器を含む〉は土舗聡の範馨隷こ入れられ る。しかしながら、つぎの平安時代鱗難に訪れる大きな綬(畿・高坏が消滅し、

圷・甕などの鰻られた形態になむ、鼓法が東龍一霧に均一一になる)1こよむ、こ れらの北大式土器は消滅すること1こなる。

 ところでその結果、東載一円が中央政府の文化…色になるかと言うとそうで はないG

 古館遺跡出土の土器を見て分かるように擦文式土器(第7籔8)が存在する のである。この擦文式土器は霞縁に段状沈線をもち、表面は鱗毛懇が多灘され、

底部に肉かって尖頭形を呈しずん綱である。

 これに難して講じ佳麗堤皇土の土懸器(第7纒9〉は羅縁部が非常に矯く、

なおかつ表面は、ナタでぶった切ったようなヘラケズ蓼がなされ、騒転具を使 用して麟作されたことが一欝で分かる。

 この二つの土器群の違いは誰の目1こもう李かるものである。

 これらの擦文式土器の平安時代以降の分窃は東載地方龍認のみである。

 この分奮を見ると近毯以降のアイヌの住居地*至2に鰻定されるように患える。

 また擦文式土器を鐵土する遺跡が館跡(古館、樗本館など)であることを考 え合わせると、擦文式土器を使照していた集毯は、中央政府の支翫を文化も含 めて受けていた人々と交流してはいたが、住羅地はそれらの人々とは霧の場斬 であり、これらの人々に隷属するような形であったと考えられる。

 しかしながら、この擦文武土器を使賭する集団は、集毯内(跳海道を含めて〉

においては強い購胞意識の下に結束していたと考えられ、それが擦文文化を馨 り出すことになったと考えられる。

 その中にあっても、東跳と髭海道、北海遜と千農などの地域差があり、これ が平安時代以降霧著になってゆくと考えられる。

*鴛 由毯秀三「アイヌ語族の居建籠雛」(新野直吉・由籔秀三纏『銘方の古代文イ縫  所載 翌§萄

       一2解一

(10)

行政鍛金講集第墾巻 第3晋

 このようなことは返嚢雛鋒のアイヌ幾族が人種的には複雑であ参、秘人とほ とんど区騨できないのであるが、地域的な生活環圭童の違いがあるのにも罷わら ずウタl/(疑胞〉という意識で結ばれて疑ることよって形成されている嚇こ

とからも充分類推できる。

 最後に、石羅氏を中心として、土雛の表面に鱗毛霧をもち、それが嚢著であ る土器舞をもって擦文式土器と呼んでいる絹4が、鱗毛艶1は跳海道にだけ存在 するのではなく、東北地方の粟翻難・露分寺下馨鰯の上編羅の中1こも鱗毛繋だ けで講整されている土器が存在してお13、それだけの要素では擦文式土器を綬 定できないと考える。

 筆者は平安時代以降、上鎌器と形態・調整技法が明確に熱欝できる時点蟻蜂 の土器を擦文式土器と辱びたい。

第3章結  語

第季節 ま と め

 以上のように擦文文苑の絞立を考える場合、棄載地方が重要であることが理 解していただけたと患う。

 続縄文文建を受容する集毯が7世紀醜業以糞鍛こ東跳地方に講下し、定着して 土嚢の集露と共存闘孫にあったが、縁らかの簾講で鱗壊し、詫からのオホーツ

ク文化、薦からの大難朝莚が支凝する勢力の2っの勢力に蓬遭されることによっ て、文化彬慧そのものが変化することになる。その変化の邊程で混大式土器と いう中鷺的土器を生み讃しっっも、住居形態・生活形態藁に上鎌免の現象減

*舞 埴灘秘露地割シンポジウムアイヌーその莚源と文化影威一』(龍海道大学遜書  巽付会 鯵稔)

*錘 石購欝三男氏の「擦文式土器の初現麟形態に関する覇究」(耗綻大学紀要i  欝総)や難の一連の論文の中で遽べられている

       一2絡一

(11)

擦文文化成立に関する一考察(大槻巌)

を8世紀末までに成し遂げる。しかし一方9墜紀以降、中央政瞬の支配(文化 を含めて)に入らない独自の至難文化を形成するようになる。

 筆者はこの独嚢の土器文化が彫絞された時鱗裁縫の文建を擦文文建と響び、

その独§の隻霞が作った土器を擦文式、t雛と辱ぶ。この土器は、中央政府の支 醗{とにある隻慈が舞ったt二器(上鎌器)とは明確に違いをもっと考える。

 最後に、以.1二述べたことをまとめたものが編年表及び土器凝念緩(第岩瀬)

であるσ

第2雛反省と課題

 本論を講き終えるに轟たって覆省しなければいけないことは、時縫が足りな かったため充分な一1二器の形態・調整技法・セット霞1係の分婿・考察ができなかっ たことが第…に挙げられる。

 また、課題としては擦文式土器を論ずるためには、擦文武±器の母胎となっ たま:縣器の凝念を東載・窟海道において早急に確立しなければならないという ことである。

 雛濯器は文様がないというだけでは甚だ不十分だと考える。このような機念 の欠舅1は圭懸器醗究全体に誘えることであろう。

 また、北海道において羅綾学的方法に基づいた圭器分析が殆どなされていな いことは大きな開題であると考える。

あとがき

本論を講くに当たって、多くの方の協力を続いたことに深く感謝致します。

最後に、大学醗入学以来、鱗捲導・霧教授覆いた工藤雅縷先生に改めて無礼

*玉 結縁、靴大式i1器は土懸器ξこ暇暇さ牽等、濤緘する

       一2鎗一

(12)

       行政社会譲葉 第蔦巻 第3号

申し上げます。そして、本譜を先生の退官記念譲文集1こ献呈致します。

時代離紀

吉墳蒔銭A七難紀を含む∀  奈良時代 平安鋳銭 5  §     7      8        9 ・

東詫地方〜詫晦遷/道実以南〉

 土 器 墾 式     ヨ

講小泉  1  後詫。2−P     ;

    {

柱縫  1 漉大1

    し顯異褻』、駄琶 塗

   種

   [圭ユ

   離1    欝1 毯分寺、

落籍

表彰人 擦文式土器 購難

続纏文期一 .フ レ 擦 文 驚  一 擦 文 難

第奪回編年表及び土器機念國

      一2i暮一

(13)

擦文文化成立に臠する一考察(大槻巌)

L之象4乱&λ絃歌毒重234567890書234567          モ嘩玉澤毒草弄11−22222ZZ2

28.

29.

30.

3モ.

32.

33、

34、

35.

36、

37.

38.

39、

藁遺跡 部出遺跡 御駒堂遺鋳 観鷺沢遺鋳 名鑑露選鋏 籍牲遺跡 今泉選鋳 石鐙逮鋳 獲谷地選曇 霞鋸雛遺跡

徳.舞簸跡

議竈選欝 欝髭坊遺霧 晴毒嚢遺銃 轟擁遺跡 長瀬。選跳 上銀面遺跡 中欝振菱選蹄 難野選錘 水糞Vl遺鋳 巻舘出遺跡 出羅敷遺蹄 藤の本選蹄 藩§選鋳 窟綺遺跡 後絨遺跡

秘露竣建遺蹄簗嘩4・孝5 尊王・52・54・s s・

罎嫉懸案籏地落 懸悪木平選蹄 蚤颪本選露 悪養平遺鋳 李単確選蹄 中罫遠路

†三申婁選瀞 石ま二神鮭選跳 返野選跡 鯵ヶ沢晦墨土 礒iケ麗鯵古舘遺贈 謙プラ藍本棄地麩選鋳

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56略4

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窮主出遣鋳 発足岩盤遺蹟 ウサクマイ農・C遺贈 涯懸選鋳

汐治遠蹄 叉糞壷遜蹄

八鑑懸ワッカオイ選欝 捧穫餐塚

策応遺跡 紺35遺跡

雄依榊

第2蟹 本論で取》上げる遺跡の一覧

一2ii一

(14)

行政縫合論集 第驚巻 第3弩

LZ翫胤張愈λ畿隻○葉23 召土擁縫

返野 穣壊 堀聾 擁谷地 繕縫 合裏 鐸輪堂 墨廼水 密露繋 購戯1

徳、丹簸

℃誉︸

 ︶︶

o片潰エ器を巌止する選蹄

☆鋸籍妖艶蘇文をもつ烹器を出正する圭盗跡   /

★糞雀を毒血する遜勘

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第3麟 片欝土器および鋸歯状流線文をもつ±器を出土する遺跡の分布麟

一2捻一

(15)

擦文文紀銭立に駕する一考察(大機巌〉

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(16)

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擦文文化蕨立に関する一考察(大機巌)

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参照

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