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― ― 「グローバル人材」に関する一考察

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「グローバル人材」に関する一考察

―元青年海外協力隊日本語教師の自己語りから―

中 川 康 弘

1 .はじめに

 2013年,文部科学省から「産学連携によるグ ローバル人材の育成のための戦略」最終報告が出 されて以来,「グローバル人材」育成が叫ばれて 久しい1 ).同報告で「グローバル人材」は「世界 的な競争と共生が進む現代社会において,日本人 としてのアイデンティティーを持ちながら,広い 視野に立って培われる教養と専門性,異なる言 語,文化,価値を乗り越えて関係を構築するため のコミュニケーション能力と協調性,新しい価値 を創造する能力,次世代までも視野に入れた社 会貢献の意識などを持った人間」(文部科学省 2013: 3 )と定義されるに至っている.英語圏の マーケティング戦略の影響を受けて英語偏重に 陥っているとされる点(苅谷2017)や,自国中心 ではなくすべての国が相対化されるのがグローバ ルだとする見方(フリードマン2006)に逆行する 点,さらに,学校現場に外国人児童生徒が増加し ている国内の状況にあって2 )「日本人としてのア

イデンティティー」を強調している点等,その捉 え方について議論を要する部分もある.だが,「異 なる言語,文化,価値を乗り越えて関係を構築す るためのコミュニケーション能力と協調性」とい う文言は,他者への想像力が不可欠な現代社会に おいて普遍妥当性を持つだろう.そしてそこに は,現地の人々との共生を謳う青年海外協力隊3 ) の経験が大きな意味を持つにちがいない.

 青年海外協力隊第 2 代事務局長で,『ボランティ ア・スピリット』を著した伴正一は,協力隊活動 の意義を途上国での民衆指向に見出した.伴は民 衆指向こそが「彼らの哀歓を味いママ,彼らの心情を 汲みとるのに一番いい方法だし,実際そうするこ とによってしか真に彼らと交わる術はないように 思われる」(伴1978:41)と述べる.また,長ら

1 ) 文部科学省(2013)「産学連携によるグローバル 人材育成推進会議」最終報告.

http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shitu/

sangaku/1301460.html(2019.8.3閲覧)

2 ) 文部科学省(2018)によれば,日本語指導が必 要な外国人児童生徒は40,485人と過去最多となっ ている.「日本語指導が必要な児童生徒の受入状 況等に関する調査(平成30年度)」参照.https://

www.mext.go.jp/b_menu/houdou/31/09/1421569.

htm(2020.8.2閲覧)

3 ) 青年海外協力隊事業は1965年に発足され,2020 年で55年を迎えた.コロナ禍以前の2019年12月31 日現在,派遣実績国は92か国で,累計派遣人数は 45,515名に及んでいる.https://www.jica.go.jp/

volunteer/outline/publication/results/index.html

(2020.6.5閲覧)

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く日本語教師隊員の技術顧問として関わっていた 佐久間勝彦は,協力隊の経験を「マイノリティー として暮らし,活動し,さまざまな条件を持つ他 者に関心を寄せ,彼らと喜怒哀楽を共にして “共 生” の難しさなどを実感しつつ,ときには挫折感 を味わったりすること」(佐久間2014:102)と意 味づけた.そのうえで佐久間は先の伴(1978)を 引用し,隊員の多くが活動を通して経験する「価 値の多元性」(伴1978:163)への開眼こそ,「グロー バル人材」の核になると結論づけている.

 一方,福島(2014)は,「グローバル人材」に はエリート的な意味合いが含まれるとして,協力 隊経験を「ことば」という観点から論を展開する.

福島は,帰国隊員の多くが,かつて滞在した場所 に関連する「ことば」―例えば,メキシコのコル ドバ,インドのシャンティニケタン,ベトナムの ダナン,トンガのヌクアロファ,スーダンのハル ツーム等―を耳にした際,「日本からすれば「辺境」

であっても,自己の「中心」に位置するのを知っ ている」(福島2014:162‐163)という感覚に着目 した.そして,隊員経験者は,現地と日本をつな ぐ「ことば」を媒体に,「「日本人/外国人」の区 別を超えた第三の個別的な視点」(福島2014:163)

を持った「内なる外国人」として,新しい価値観 や創造性を生む「グローバル市民」になることが 期待されるとしている.

 本稿では,福島のいう「日本人/外国人」の区 別を超えた第三の個別的な視点と,文部科学省が 示した異なる言語,文化,価値を乗り越えて関係 を構築するためのコミュニケーション能力と協調 性を備えた人間として,広く「グローバル人材」

を位置づけたい.

 かくいう筆者も,かつて,青年海外協力隊日本 語教師であった.任期満了から十数年を経た今 も,派遣先や日常生活で出会った現地の人々,現

地事務所のスタッフ,さらには,同時期に同地で 活動した隊員仲間に支えられていた20代当時を思 い出す.筆者にとって「マイノリティーと」では なく,佐久間のいう「マイノリティーとして」現 地で暮らした協力隊の原体験にこそ,日本語教育 や多文化教育に携わる大学教員としての原点があ るという思いは変わらない.では,そんな原体験 を持つ協力隊日本語教師も,「グローバル人材」

に席を連ねることができるのだろうか.

 協力隊日本語教師として同国,同地域で共に活 動した隊員経験者と,当時を振り返り,改めて自 分の文脈で「グローバル人材」というものを捉え なおしてみたい.そんな思いに駆られたのが,本 研究のきっかけとなっている.

2 .青年海外協力隊日本語教師の研究  ここで,本研究の背景となる,青年海外協力 隊,殊に日本語教師に係る先行研究について触れ ておきたい.概観すると,(1)異文化適応の観点 から論じたもの,(2)海外の現場で教える資質や 活動意識について論じたもの,(3)事例をもとに 活動の意義を論じたものの 3 点が挙げられる.

 まず,(1)異文化適応の観点から論じた先駆的 研究に,徳山(1998)がある.徳山は63名への質 問紙調査で得た事例を,①国際関係とステレオタ イプ,②学校組織と役割,葛藤,③教育制度や外 国語教育政策と日本語教育,④国際協力における 日本語教育に分けて,活動の分析を試みている.

その結果,活動を通じた葛藤は滞在国の文化や社 会制度のちがいからきているとし,日本語教育と は常に異文化間教育であると結論づけた.この指 摘は,言語文化の多様性の中に身を置くことが日 常の風景となっている日本語教師が,協力隊活動 を経験することの意義を明らかにしたと言える.

 次に,(2)海外の現場で教える資質や活動意識

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に迫ったものとしては,平畑(2014a,2014b)

が挙げられる.このうち平畑(2014a)は,日本 語教師に求められる資質について26か国・地域で 教える隊員を含む母語話者教師41名にインタ ビューを行い,「北米・大洋州・西欧」グループ では高等教育歴,現地語の運用力等を備えている ことが求められる一方で,「東アジア・東南アジア・

その他ユーラシア」グループでは現地の文化や仕 事の進め方を尊重し,対等関係を築く「人間性」

が求められるとした.そして,高い経済力と威信 の高い言語を持つ国か否かにより「日本/日本人

/日本語」の表象の価値が決まるとし,日本語教 師の葛藤もそれに左右されるとしている.また平 畑(2014b)では,応募者の減少傾向要因を経験 者26名へのインタビューから探っている.そこで 平畑は,海外志向や活動の魅力が損なわれている のではなく,隊員経験が日本社会からの承認を与 える機能を果たしておらず,応募者減少の要因が 帰国後のキャリア・成長につながる実感の希薄さ にあるとした.ただし,このことについては,体 験を帰国後のキャリアに生かすことを期待して参 加する動機そのものを疑問視する声もあり,協力 隊の意義をめぐって続いている古くて新しい議論 でもある4 )

 さらに,平畑(2019)においては,日本語教師 隊員としての参加意義と,JICAボランティア事 業の目的との間のずれも指摘している.前者につ いては,帰国しても日本社会から評価されず,将

来の進路や結婚等が不安材料になると考える隊員 の戸惑いがデータから示された.後者について は,スマートフォンに代表される国境を越えた IT技術の浸透,途上国の発展に反比例する日本 経済の低迷,エビデンスが重視される成果主義の 風潮等から,JICAボランティア事業の質が変容 せざるを得ないことに触れている.しかし,それ でも平畑は,多文化共生が叫ばれる今だからこ そ,現地語を学び苦楽を共にした協力隊日本語教 師にグローバル人材としての潜在力を見出してい る.

 そして,(3)事例をもとに協力隊日本語教師の 意義を論じたものには,佐久間(2006,2014)が ある.技術顧問に長く携わっていた佐久間に終始 一貫しているのは,①現場の文脈に沿った教育姿 勢の大切さ,②実益志向に偏重しない日本語教育 の意義を見出すことの 2 点である.佐久間(2006)

を例に挙げると,①については,海外の日本語教 育の現場で「日本における日本語教育をモデルと してそれに近づけようと “指導” したり “協力”

したりすることは単に有効でないだけでなく,と きには大切な物を壊すおそれさえある」(佐久間 2006:33)と述べ,現地の人々と共生する姿勢の 必要性を説いている.また②については,日本語 教育を,資格取得や就職などの実益にのみ結びつ けようとする考えを批判的に捉え,「 “実益” の ない日本語学習の時間や空間を味わいたいと強く 願う学習者の存在も十分に理解すること」(佐久 間2006:58)の重要性を強調した.

 このように,異文化適応の観点や海外現場での 資質,活動意識,さらに,事例から活動の意義を 示した先行研究は,青年海外協力隊日本語教師の 在り方を考えるうえで示唆に富む.しかし,帰国 後,一定期間を経て日本語教師のキャリアを築い ている隊員経験者が,当時の活動を遡及的に振り 4 ) 例えば,作家の曾野綾子は,『クロスロード』誌

上で隊員経験は日常に不可視化されて生きるもの だとし,日本での適応が困難な帰国隊員の「甘さ」

を指摘した(曾野2000).だが近年は,協力隊事業 の今後の方向性として経験者の社会貢献を挙げて いるとするJICA有識者懇談会報告を示した岡部・

三次(2018)や,理数科教師等の国内の教育現場へ の還元が期待されるとした丸山(2019)にあるよう に,社会的評価も変わりつつあると思われる.

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返った研究は管見の限り見当たらない.多くの協 力隊日本語教師にとって,派遣中は予期せぬ出来 事の連続であり,研究の視座を常に携えて活動し ているわけではないからである.ただし,そうし た条件下にあっても,現在の時点から過去を振り 返った内容を研究対象とする方法がある.それ が,「身近な他者」による「自己語り」の検討で ある.

3 .自己語りとは

 野口裕二は,「自己語り」から表される現実を 次の 4 点から述べている(野口2018). 1 つ目は,

「誰に向かって語るか」という点である.自己を 他者に向けて語るという営みである以上,野口は

「自己語り」の内容が公共に開かれたものでなけ ればならないとする. 2 つ目は,「どのような語 彙系列で語るか」という点である.個々人の体験 は,専門用語で完結することなく必然的に自分の 言葉で表現することを迫るものであり,それよっ てリアルな経験も浮き彫りになる.「自己語り」は,

そうした個人の実践にも重きが置かれている. 3 つ目は,「何のために語るのか」という点で,セ ルフヘルプグループでなされるような私的な語り ではなく「研究」として語られる以上,目的の明 示化が必要となるとされる.そして 4 つ目は,「ど のように語り直すか」という点である.ある時点 での「自己語り」は,時間が経ち,文脈が変われ ば,異なる形で語り直される.別の見方をすれ ば,語りとは,修正や更新を可能にする進行形に あるものだと解釈できるということでもある.こ こから「自己語り」は,語り手が固有の体験を動 的なものとして表すものであり,聞き手や読み手 に新たな気づきをもたらす可能性を意図した研究 方法であると言える.

 また,倉石一郎は,調査協力者に「自己語り」

を求めるには,調査者自身の「自己語り」も不可 欠であると述べている(倉石2007).研究者によ る自己言及は,語り手の姿を映し出し,その「当 事者」像を浮かび上がらせることができるからで ある.よって,共通体験をもつ調査者の自己言及 により調査協力者の自己語りを引き出し,そこか ら青年海外協力隊活動で得られる知見を明らかに し,「グローバル人材」について検討をすること は,「公共的な再帰的自己」(野口2018:263)を 提示する研究としても妥当だと思われる.

4 .本研究の目的

 そこで本研究では,まず,協力隊日本語教師 だった筆者=「かつての自己」を,同じく協力隊 日本語教師として同じ国・地域で重なる時期に活 動していた,後述する調査協力者=「身近な他者」

に示す.次に,「身近な他者」から「自己語り」

を導き出すことを試みる.そして,その自己語り から当時の活動を振り返り,文部科学省(2013)

の定義にある異なる言語,文化,価値を乗り越え て関係を構築するためのコミュニケーション能力 と協調性を自らの隊員経験の文脈で解釈すること によって,協力隊日本語教師はどのように「グ ローバル人材」足りえるかの検討を行うことを目 的とする.

5 .調査概要

 本研究における筆者にとっての「身近な他者」

は,20代で協力隊日本語教師に参加したヒロ(仮 のニックネーム).1970年代生まれのヒロは,大 学を卒業してまもない1990年代後半から2000年代 にかけての 2 年間,ベトナムの首都ハノイにある 高等教育機関に新規派遣隊員として派遣された.

筆者もその 1 年後,配属先は異なるが同国,同地 域へ新規の日本語教師隊員として派遣されてい

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る.よって,ヒロとは現地で 1 年間の重なりがあ ることを記しておく.

 ヒロは大学で日本語教育を専攻していたが,ベ トナム派遣前に日本語教育の現場での経験は皆無 だったという.任期満了後は公的機関のプログラ ムで専門家として海外に派遣され,帰国後の一時 期には日本国内の日本語学校でも教えていた.そ の後も公的機関から専門家として主にアジア圏へ 定期的に派遣され,本稿執筆時の現在も国費留学 生の送り出しに関わる日本語教育に携わってい る.

 ところで,本研究を進めるにあたって必要なの が,「かつての自己」としての筆者をヒロに示す 方法である.今回,筆者はそれを「隊員活動報告 書(以下,報告書)」に求めた.協力隊員は任期中,

報告書を書くことが課せられている.青年海外協 力隊事務局から取り寄せ,久しぶりに目を通した 報告書は,赴任 3 か月目の 1 号( 4 頁), 6 か月 目の 2 号( 4 頁),12か月目の 3 号( 4 頁),18か 月目の 4 号( 6 頁),帰国直前の24か月目の 5 号

(10頁)の全28頁で構成されていた.よってこの 報告書を「かつての自己」として,「身近な他者」

の自己語りを導き出す素材とする.

 2017年 5 月に都内で行われた調査当日,まず,

筆者はヒロに,報告書一式に目を通し,興味深く 感じたエピソード部分を挙げるように依頼した.

次に,それらのエピソードについてどう感じ,ヒ ロ自身の場合はどうだったか,「自己語り」を促 すインタビューを実施した.そして,同年 9 月,

本研究で触れるトランスクリプト部分の内容確認 と使用許可等をメールを通じてヒロに依頼し,承 諾を得た.

 なお,2018年度海外日本語教育機関調査(国際 交流基金2019)によると,ベトナムの日本語学習 者数は174,461人で,世界の日本語学習者の中で

第 6 位に入っている5 ).だが,ヒロや筆者がいた 時期は,日本語能力試験がベトナムで実施されて まもない頃であり6 ),配属先は異なるものの,両 者ともに同国では新興大学での活動であった.ヒ ロと筆者は同性,同世代であり,現在も近況を報 告しながら切磋琢磨する同僚関係が続いている.

こうした関係も,青年海外協力隊員としての経験 を共有したことが紐帯となっていることを記して おく.

6 .調査結果

 以下,報告書の中でヒロが着目したエピソード に触れる.調査当日,全報告書の中でヒロの目を 特に引いたのは,配属先大学のカウンターパート

(同僚)との関係,青年海外協力隊員という社会 的立場について,そして,現地の学生たちとのや りとりの 3 点であった.よって本稿では,それら を6.1 カウンターパート(同僚)との関係,6.2  「青年海外協力隊員」という立場,6.3 学生と の関わりとして提示する.

 なお,報告書の抜粋部分は枠で囲み,誤植や呼 応表現の不備等を修正,補足が必要な箇所は括弧 で加えた.ヒロの自己語りも同様に表現修正を施 しているが,内容はそのまま活かすようにしてい る.語りの部分はゴシック体で記し,筆者が着目 した箇所に下線を引いた.

5 ) 2018年度海外日本語教育機関調査(国際交流基 金2019)参照.

https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/

result/ (2020.8.28閲覧)

6 ) ベトナムでは1996年にハノイ,2000年にホーチ ミン市で日本語能力試験が実施され,2002年にベト ナム日本人材協力センター(VJCC)が開設された.

国際交流基金HP参照.

https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/

area/country/2017/vietnam.html(2020.2.19閲覧)

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6.1 カウンターパート(同僚)との関係  まず,ヒロが着目したのは,筆者がカウンター パートとのやりとりについて記していた部分であ る.赴任直後の 1 号報告書と最終報告書となる 5 号の該当箇所を示す.

事例 1 < 1 号 3 か月報告書より>

 「計画性」というものをあまり持たないベト ナム人の仕事のやり方に,はじめは戸惑った.

(カウンターパートから)土曜日(の授業)はずっ と「休日」になることを前の日に知らされたり,

順調に授業がすすんでいると思ったら,突然

「来週試験をしてください」と言われたりする し….現状を冷静に受け止め,問題の本質をさ ぐることが大切なのに,教えはじめたばかりで 気負いすぎ,つい怒ってしまうことがしばしば あった.そしてそれは結局相手のプライドを傷 つけ,(日本語学科専用の)「部屋の交渉」どこ ろではなくなってしまうことに気づいた.今後 の活動では,単に日本語教授の技術を伸ばすだ けでなく,「交渉術」も身につけたいと思う.

 事例 1 は,日本語学科用の部屋設置の交渉を念 頭に置いていた赴任まもない頃,当時60代のカウ ンターパートである学科長から,突然,授業予定 の変更の知らせを受け,憤慨した気持ちを綴った ものである.「ベトナム人の仕事のやり方」と問 題を断定する筆者の単純化思考がうかがえる.反 省しているようにも見えるが,「「交渉術」も身に つけたい」という記述から,現地ではベテランの 日本語教師であるカウンターパートとの信頼関係 より,自身の信じる教育効果や利害のために戦略 的に関係を構築していこうとする姿勢が,「かつ ての自己」にうかがえる.その後,部屋の設置に ついては解決したのだが,帰国直前に記した最終

報告書において,そうした葛藤をどう受け止める に至ったのだろうか.

事例 2 < 5 号24か月最終報告書より>

 昨年のスピーチコンテスト期間のことであ る.主任が,パフォーマンス部門に出場する学 生のために道具や衣装を買いたいと言い出し た.学校にお金を申請する,できればJICAに もお願いできないかと言われた.私は手作りで 準備し,知恵を絞ってあればいいのではないか と提案したが,主任は「それは空想でしかあり ません」と声を荒げた.

 卒業論文発表会の時も似たようなことがあっ た.学生数名が論文を書くのだが,誰もが口を そろえて「資料がない」「資料が欲しい」とし きりに言ってくる.しかも,疑問点は何で,具 体的にどんな資料が欲しいのかなどと言わず に,ただ資料があるかどうかだけ聞いてくるの である.いい論文が書けないのは資料がないか らだ,と言わんばかりである.きっと一部丸写 しでもするのだろう.なぜなら,具体的かつ個 性的な意見を出す思考を試みないのは,国民性 だと思うからである.私は「じゃあ,今あるも ので,できることをすればいいのでは?」と言 うのだが,言ったが最後,もう私のところに相 談に来なくなってしまった.日本語教師とし て,こうした発想の違いはもっと指摘してもい いと思うのだが,うまく指摘するだけの人間的 器量と経験を私はまだ備えていない.

 ここでは,スピーチコンテストや論文資料をめ ぐるやりとりに触れているが,「具体的かつ個性 的な意見を出す思考を試みないのは,国民性だと 思う」と,帰国直前まで単純化思考から抜け出せ ない筆者の心情が垣間見える.それでも,「人間

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的器量と経験」のなさという自らの問題に帰して いる点で,最終報告書には,赴任直後の 1 号報告 書からの変化が読み取れる.

 この事例 1 , 2 にあるエピソードに着目したヒ ロからは,次の語りがなされた.

<事例 1 , 2 を通したヒロの自己語り>

「国民性だと思う」という部分は今の自分にもあ るし,よくわかる.でも,単純化して人や物事を 見る自分に疑問を持つでしょう? 例外だと思っ たり,その人がそう言うには何か理由があると 思ったり.いったん思考を停止する習慣は協力隊 活動で鍛えられたものだと思う.

カウンターパートとの関係も興味深い.「交渉術」

とか「人間的器量」とか,僕もはじめベトナム人 の先生の仕事のやり方を直接指摘することもあっ たから,その必要性は確かに感じた.でも,こち らがベトナム語できない分,ベトナム人の先生は 日本語できるし,彼らのやり方もある.さっきの 思考をストップするマインドと同じで,理不尽さ を許容してみることも必要.それは今も活きてい ると思う.海外で仕事したり,外国人と何かする 時,柔軟性を持ったり臨機応変に対応したりでき るのは隊員経験が大きいと思う.

 ヒロは,人や物事に対する見方を単純化する傾 向を認めつつ,その思考に疑問を持つことを「協 力隊活動で鍛えられたもの」だと語る.また,「柔 軟性を持ったり臨機応変に対応したりできる」こ とは現在も「活きている」と評価し,そこに隊員 経験の意義を見出していた.

6.2 「青年海外協力隊員」という立場

 次にヒロが着目したのは,派遣中,筆者が青年 海外協力隊員という立場について振り返った箇所

である.日本人との会食時に感じたそれは,筆者 の 4 号報告書に記されていた.

事例 3 < 4 号18か月報告書より>

 東京のJICA本部の方がハノイに来て,会食 をする機会があった.出席者は専門家数人と協 力隊.協力隊出席者は私だけであった.その 際,JICA本部の方に質問されて,少し気にと めたことがある.それは,その方は専門家には

「仕事はどうですか」と聞くのだが,私には「生 活はどうですか」という質問をされたことであ る.仕事に関しては特に質問は受けず,専ら現 地での食事,コミュニケーションのことを聞か れた.この時,仕事の成果云々は問題ではな く,自分が何を経験し,考えたかが大切なのだ という協力隊の立場を改めて思った.よく「協 力隊員は責任がないから」と言われる.確かに,

給料に響かないし,退職を迫られることもな い.だが,家族を養う為に仕事をしている配属 先のカウンターパートに対して責任のない行動 は取れないし,私としても何とかいい方向に 持っていこうと日々頑張っているのだから,責 任がないなどと思われるのは寂しい気がするの が正直なところである.

 派遣中の筆者は,「協力隊員という立場」に対 して,日本人からどう見られるかということを意 識していた.この事例では,日本からの訪問者に 仕事ではなく生活についてどうかと聞かれ,戸 惑った様子が記されている.戸惑いがあるのは,

青年海外協力隊員という立場に誇りを持ちつつ も,専門職としての評価が十分にされていないこ とを自らもどこかで認めていたからである.この エピソードに着目したヒロの語りを記す.

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<事例 3 を通したヒロの自己語り>

周りの評価はそういうことなんだよね.すごくよ くわかる.こっちは責任がないなどという意識は 全然ない.だから,立場が不安定だいう気持ちは よくわかる.でも,僕の場合は帰国してからのほ うが大きかった.任期が終わって国内の日本語学 校で働こうと思って就活したんだけど,協力隊は 日本語教師経験にカウントしないと,ある日本語 学校で言われたから.結局ほかの日本語学校で採 用されたけど,一から出直しかなとか,養成講座 を出た人のほうがすごいかなとか感じて.協力隊 の 2 年間は何だったんだって思うこともあった.

 「青年海外協力隊員という立場」の不安定さを 感じていたという筆者に共感する一方,そうした 思いは,日本語学校に就職しようとした際,「日 本語教師経験にカウントしない」と言われた出来 事から,任期中よりも帰国後に強くなったことが 語られていた.

6.3 学生との関わり

  3 つ目に示す,隊員活動で出会った学生とのや りとりに関するトピックは,職種内容に関わるゆ え,ヒロも語りの節々に自らの思い出を語ってい た.ここでは,ヒロが最も着目した 3 号報告書,

および帰国直前の最終報告書となる 5 号の該当部 分を,事例 4 , 5 として示す.

事例 4 < 3 号12か月報告書>

 赴任後半年間は,全体の(日本語)レベルを 上げようと考えていたが,最近はやる気のある 学生のみを伸ばそうと考えるようになった.そ ういうと,「それは怠惰だ」「教師として良くな い」と言われるかもしれないが,できて間もな い新興大学が実績を作るためにも,一部エリー

トを作るのはおかしいことではないと思ったか らである.まず実績を作ってから,全体に広げ るというのが,現在の自分の活動方針である.

 もちろん,努力しても上手にならない学生に はきちんとケアはする.ただ,欠席や遅刻が多 い学生にはシビアにどんどん落としていこうと 思っている.

 改めて事例 4 を読み返すと,学生に対する筆者 の態度は,教師主導のいわゆる「上から目線」で あり,また活動の成果をスピーチコンテストや日 本語能力試験,日本企業への就職等の実用面に求 めている部分も目立つ.また「一部エリートを作 る」ことと,欠席や遅刻が多い学生は「シビアに どんどん落としていこう」という方針を,報告書 を通じて心情を吐露しながら自分に無理矢理言い 聞かせようとしている様子もうかがえる.無理矢 理,と述べたのは,先取りするが,結局「シビア に」落とすことなどできず,そうした方針は実行 されなかったからである.そのことに触れた最終 報告書を,事例 5 として示す.

事例 5 < 5 号24か月最終報告書>

 帰国の 3 か月前,日本語学科80名で “Tam Đảo” という避暑地へキャンプに行った.皆で テントを張り,ご飯を作り,キャンプファイ アーをした.とても楽しいひとときだったが,

このような機会でこそ,普段の授業で目立たな い学生のいろいろな面に触れられることに気づ いた.いつも発言せず,試験も合格点前後をさ まよっている学生が,故郷からくる苦労を語っ てくれたり,ある「できない」学生が,皆のた めに率先してテントを張ってくれたり,ご飯の 準備をしたりしてくれるのである.また主任か ら見放され,落第を 2 回繰り返している別の

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「できない」男子学生は,帰りのバスで皆が車 酔いに苦しんでいるとき,ベトナム語ではある が,私に向かって楽しそうにこう言った.

 「先生,俺,馬鹿だけど元気だけがとりえな んだ!」

 私はそれを聞き,無条件で「こいつはいい奴 だなあ」と思った.日本語教師は,日本語を外 国語としてとらえ,体系的に教えられる知識と 技術が必要なのは言うに及ばない,しかしそれ だけを求められるなら,無味乾燥な職業に思え てならない. 2 年間の活動で,私は学生と信頼 関係を築き,「人間」に接することができて心 底,日本語教師をやりがいのある職業だと考え るようになった.

 学習者一人ひとりの良さを引き出してこそい い教師なのだ.

 そして私は,それができる教師になりたい,

と思う.

 学生の日本語学習に対する筆者の態度や,学生 との関わりを通じた意識の変化について興味を抱 いたヒロからは,次のような語りがなされた.

<事例 4 , 5 を通したヒロの自己語り>

僕が活動していた大学の場合,落ちこぼれをどう 救うかということはあまり考えなくてもよかっ た.だけど,授業に関しては自分もこだわりがあ るから,経験不足からきている部分もあるけど,

できない学生に怒ったり,誤用を皮肉っぽく指摘 したりしていたことはあったように思う.でも,

それも日本語を上達させたいっていう気持ちから だし,嫌な思いしたとしても,授業終わってから 学生とカフェに行ったり,遊びに行ったりしてい たから,関係が悪くなることはなかった.常に 24時間ボランティアの気持ちでいたと思う.で

も,それは幸せなことだったと思う.今でもそう いう経験をどこかで求めている自分がいる.

ただ,最終報告書にある「信頼関係」とか「一人 ひとりの良さを引き出す」とかっていうのは,確 かにその通りだけど,やり方が20代の頃と今と は違うということ.お父さんが子供に教えるぐら いの年齢になっている今,経験も知識もあるわけ だから.学生とカフェに行ったり遊びに行くのは 良しとしても,協力隊の後に行った派遣専門家の 時の仕事を考えたら,日本に国費で学生を送り出 す業務でもあったから,あなたこれから留学する なら自分でもっと努力しなきゃってプレッシャー かけなければならない部分もあった.だから.

20代だったら友達感覚で関係をつくれるし,学 生もお兄さんっていう感じで見てくれるけど,今 は業務や立場からそういうわけにはいかないと思 うこともある.いつまでもお兄さんじゃないって いうか.学生との接し方は,年齢や経験に応じて 変わると思う.

 授業へのこだわりもあり,ヒロも授業を通じて 学生に怒る,誤用を皮肉っぽく指摘する等のやり とりがあったと述べている.だが,それは学生に 対する熱意から来ているとし,授業外に「学生と カフェに行ったり,遊びに行ったりしていた」

「24時間ボランティアの気持ち」を今も「どこか で求めている自分がいる」と振り返っていた.そ してそんな当時を,インタビュー時には「幸せな ことだった」と語っている.一方,ヒロは「信頼 関係」,「一人ひとりの良さを引き出す」等,報告 書にある私の記述に共感しつつも,現在の立場か ら,「学生との接し方は,年齢や経験に応じて変 わる」と語っていた.

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7 .考 察 7.1 協力隊日本語教師から得たもの

  1 で触れた伴(1978)は,技術の移転という概 念で協力隊活動を捉える弊害を「自分の技術を発 揮したいという潜在的な願望が先にたって,“現 地に根づきそうなものを” というもっともたいせ つな “思考展開の基準” がどこへやらいってしま う」(伴1978: 9 )ことだと述べている.このこ とは全職種隊員に通じるものだと思われるが,日 本という「先進国」から,「母語話者」として日 本語を「教える」,またはカウンターパートに日 本語教育の方法を「指導・助言する」という特権 的な立場にある協力隊日本語教師は,伴の言葉を 常に意識しておく必要がある.それにもかかわら ず,カウンターパートとの関係について触れた事 例 1 ,2 からは,困難に遭遇した際に「仕事のや り方」や「国民性」をステレオタイプ的に捉え,

単純化してしまう「かつての自己」が確認された.

これについてヒロは,そうした思考を単純に終わ らせず,どこかに疑問を持つことが「協力隊活動 で鍛えられたもの」だと語っていた.

 年月が経た今も,ステレオタイプ的思考に駆ら れる自分と,それに抗う自分がいる.後者を後押 しするのは判断留保や臨機応変さ,柔軟性であ り,その感覚は文部科学省(2013)が示した異な る言語,文化,価値を乗り越えて関係を構築する ためのコミュニケーション能力と協調性と重なる ものだろう.その感覚はまた,現地の人々の理解 に努めようとした20代の協力隊の原体験で涵養さ れた部分が大きいことに,ヒロの語りから気づか される.

 なお,ここでヒロの語りにあった,「ベトナム の先生は日本語できる」という語りに着目したい.

平畑(2014b)は高い経済力と威信の高い言語を

持つ国か否かにより,「日本/日本人/日本語」

の表象の価値が決まるとし,日本語教師の葛藤も それに左右されるとした.そのことは,カウン ターパートとは日本語でのやりとりが自明で現地 語の能力は問われなかったベトナムや他のアジア 諸国と,英語使用がほぼ自明となっていた英語圏 での筆者の経験からもわかる.だが,教育現場に おける日本語の位置づけについては,個人差はあ るものの,文化,政治経済の影響力のみならず,

アジア圏の現地教師が有する日本語能力の高さと いう側面も関係しているように思われる.

 事例 3 は,協力隊員という社会的立場に不安を 抱く「かつての自己」と,そこから導き出された 日本での就職活動を振り返ったヒロの語りであ る. 4 号報告書には,日本から来た「JICA本部 の方」にどう見られているかを意識する「かつて の自己」がいた.一方,ヒロからは,派遣中より も帰国後にキャリアを活かせずに葛藤を抱いてい たことが語られている.大学で日本語教育を専攻 していたヒロのキャリアは決して「傍流」ではな い.しかし,就職活動の際,面接した日本語学校 で「協力隊は日本語教育の経験にカウントしない」

と言われたことから,一部の日本語学校が海外の 隊員経験よりも国内の教師経験や養成講座修了を 求めていることがわかる.それは日本語教育とい う分野が一枚岩ではないということを表すと同時 に,協力隊日本語教師で得た経験が国内の日本語 学校が求めるものとは性質が異なるということも 示していると言える.無論,予備教育機関として の学校の方針や,海外と日本国内の学習者のニー ズの違いが要因となっている面もあるだろう.だ が,見方を変えれば,国内の日本語教育が佐久間

(2006)のいう「“実益” のない日本語学習の時間 や空間」(佐久間2006:58)を生み出す余地のな い状況にあることを表しており,ヒロの語りは,

(11)

日本語教育は何のためにあるのかという問いを日 本語教育関係者に投げかけるものになったと考え る.

 ちなみに,文化庁文化審議会国語分科会によっ て2018年に示された「日本語教育人材の養成・研 修の在り方について(報告)」には,学習者の言 語・文化の尊重や,異なる文化や価値観に対する 興味関心と広い受容力・柔軟性を持つ「態度」も 同等に示されている7 ).この報告を踏まえれば,

隊員経験も,日本語教師に求められる資質・能力 として今後より評価されていくものとなることが 望まれる.

 最後に示した事例 4 , 5 は,学生との関わりを 記したものである.事例 4 に示した 3 号報告書に は,新規派遣隊員として日本語レベルを向上させ ようと躍起になっていた当時,エリートを育成さ せ,できない学生は切り捨てるという筆者の心情 が記されていた.だが,事例 5 の最終報告書で は,「学習者一人ひとりの良さを引き出してこそ いい教師」,「「人間」に接することができて心底,

日本語教師をやりがいのある職業だと考えるよう になった」という姿勢に変わっている.ここに着 目したヒロも,「日本語を上達させたいっていう 気持ち」を持って「学生と信頼関係を築き,「24

時間ボランティア」だったと,当時を振り返って いた.

 24時間ボランティアの気持ちでいたのは,日本 語を上達させたいがためであり,学生をその先に ある “実益” につなげるためだったと読めなくも ない.だが,決してそれだけではないことが,直 後の「幸せなことだった」という語りからわかる.

なぜ幸せだったのか.教育学者ビースタに倣え ば,それは学生に対して「世界の中に成長した仕 方で存在したいという欲望を引き起こすこと」

(ビースタ2018: 7 )に意識を向けた教師の行動 だからであり,その行動に,単に教室で日本語を 教えるだけではない,「青年海外協力隊」の日本 語教師であることへの使命,矜持を見出したから ではないだろうか.「今でもそういう経験をどこ かで求めている」とするヒロの感覚は,事例 3 を 通した自己語りで見られた挫折感とは別次元にあ るものだ.それはまた,「人間」に接して日本語 教師にやりがいを感じた筆者の心境とも共振す る.ここから,ヒロは「喜怒哀楽を共にして “共 生” の難しさ」(佐久間2014:102)を実感し,「異 なる言語,文化,価値を乗り越えて関係を構築す るためのコミュニケーション能力と協調性」(文 部科学省2013: 3 )を育んでいたことがわかると 同時に,筆者自身も,そうした使命感や矜持を現 在もどこかで求めていることに気づかされる結果 になっていた.

 さらにヒロからは,学生への接し方が年齢や立 場に応じて変わっていくのではないかという問い も発せられている.教師は学生への振る舞いを年 齢や立場に応じて変えるものか.この問いは,こ こ数年,隊員時代と変わらない接し方で学生に向 き合うことに不安と戸惑いを覚えるようになって いた現在の筆者に,その接し方への再考を迫るも のになっていた.

7 ) 文化庁(2018)「日本語教育人材の養成・研修の 在り方について(報告)」では,日本語教育人材に 求められる資質・能力として,次の 3 点を挙げてい る.

  ① 日本語を正確に理解し的確に運用できる能力を 持っていること.

  ② 多様な言語・文化・社会的背景を持つ学習者と 接する上で,文化的多様性を理解し尊重する態 度を持っていること.

  ③ コミュニケーションを通じてコミュニケーショ ンを学ぶという日本語教育の特性を理解してい ること.

https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/

hodohappyo/1401908.html(2020.2.1閲覧)

(12)

 本研究を通じて,語り手であるヒロには,人や 物事の評価に対する判断留保や臨機応変さ,柔軟 性,そして24時間ボランティアであろうとする協 力隊日本語教師の使命,矜持等が現在も脈づいて いることが確認された.さらに,その語りは,

翻って筆者も同様の思いであることを呼び起こす ものにもなっていた.ここから,「かつての自己」

に導かれた「身近な他者」の自己語りは,「公共 的な再帰的自己」(野口2018:263)となって開か れたと言える.

7.2 協力隊日本語教師の活動を通じて見た「グ ローバル人材」

 日本語母語話者と非母語話者が関係を構築して いくためのコミュニケーションツールに,「共生 日本語」という考え方がある.日本人と外国人双 方がコミュニケーションの当事者として,多様な 言語・文化背景を持つ人々の共生を促進する対話 に基づく言語的手段と定義されるものである(岡 崎2007).その研究の流れを汲む野々口(2010)は,

会話データの分析から,共生日本語の実践内容 を,①他者の枠組みを否定しない姿勢,②他者の 発言を支える姿勢,③当事者性を持って率直に述 べ,これを率先して行うことの 3 点とした.ただ し,協力隊日本語教師にとって共生日本語のそう した内容は,個人差はあるものの,活動を通じて 自然と身につけられるものの一つであるように思 われる.むしろ強調したいのは,協力隊日本語教 師の活動から得られるものには,効率性や有用性 を度外視した,時に遠回りで非効率的である他者 に配慮した感情のような内容も多く含まれるとい う点である.

 それは6.2においてヒロが語っていたように,

就職活動にすぐに活かせるようなものではないか もしれない.そもそも「グローバル人材」の「人

材」も,効率性や有用性といった意味が含意され ている語である.効率性や有用性は一般に知識・

技能を付与し,そうでないものとの差別化をは かって価値あることへの達成に向かうものでもあ り,それらの強調は,市場社会化の文脈では世界 にある事物や自然,または社会そのものを,市場 に適合させるように合理的に「つくりかえてい く」力を持つことにもなる.しかし,それは 2 年 という歳月のなかで現地の人々と共にあろうとす る,青年海外協力隊の活動とは対極に位置するも のだ.

  2 において,応募者減少の要因が帰国後のキャ リア・成長につながる実感の希薄さにあるとした 平畑(2014b)に触れた.帰国後を見据えて進路 を確実に保証するために,派遣中から技術や資格 を身につけたいとする思いは,多くが現職参加で はない隊員の身分上,確かに理解できる.しか し,利害や損得の感情に囚われることなく,市場 価値に基づく能力からこぼれ落ちて数値化できな い経験知,例えば,異質な他者を歓待する能力や 些細な誤用を受容する寛容さ等もまた,「青年海 外協力隊の日本語教師」という立場だからこそ,

より強く磨かれるものだと考える.

 分断と排外主義の広がりが世界規模で懸念され る「コロナの時代」,異なる言語,文化,価値を 乗り越えて関係を構築するためのコミュニケー ション能力と協調性は一層必要になってくる.そ うしたなか,海外で得た「価値の多元性」(伴 1978:163)を日常に還元していこうとする使命 感や矜持を持った協力隊日本語教師経験者は,当 然「グローバル人材」足りえるのであり,またこ れからの社会においても希求される存在なのだと いう結論に至る.

(13)

8 .おわりに

 調査から 3 年が過ぎ,ヒロはコロナ禍にある現 在も海外の日本語教育現場に関わっている.石川

(2015)は「インタビューは〈対話〉の起点であ り一局面と捉えられる」(石川2015:221)と述べ,

むしろインタビューを終えてから相手の語りに示 唆を得ることが多いとした.それはまさに,ヒロ の語りを綴った本研究にもあてはまる.ヒロとの 対話に終わりはない.今後は,本研究で得られた 知見を教育実践で活かし,再びヒロと共有するこ とで,引き続き「グローバル人材」について検討 していくことを課題としたい.

[文 献]

石川良子(2015)「〈対話〉への挑戦―ライフストー リー研究の個性」『ライフストーリー研究に何が できるか 対話的構築主義の批判的継承』桜井 厚・石川良子編,新曜社:217‐248.

岡崎敏雄・岡崎眸(1997)「日本語教育実習の理論 的枠組み」『日本語教育の実習―理論と実践―』

アルク: 8 ‐36.

岡崎眸(2007)『共生日本語教育学 多言語多文化 共生社会のために』岡崎眸(監修)・野々口ちとせ・

岩田夏穂・張瑜珊・半原芳子編:雄松堂書店.

岡部恭宜・三次啓都(2018)「国際ボランティアと しての青年海外協力隊―成果,提言,展望」『青 年海外協力隊は何をもたらしたか―開発協力と グローバル人材育成50年の成果』岡部恭宜編著,

ミネルヴァ書房:303‐322.

苅谷剛彦(2017)『オックスフォードからの警鐘  グローバル化時代の大学論』中央公論新社.

倉石一郎(2007)『差別と日常の経験社会学:解読 する〈私〉の研究誌』生活書院.

佐久間勝彦(2006)「海外に学ぶ日本語教育―日本 語学習の多様性―」『日本語教育の新たな文脈―

学習環境,接触場面,コミュニケーションの多 様性』国立国語研究所編,アルク:33‐65.

佐久間勝彦(2014)「グローバル人材」の育成はオー ルジャパンで―青年海外協力隊事業をめぐる杞 憂と夢想」『「グローバル人材」再考』西山教行・

平畑奈美編著,くろしお出版:100‐137.

曾野綾子(2000)「巻頭インタビュー「でも・しか」

ボランティアは願い下げ」『クロスロード』2000 年 6 月号, 青年海外協力隊事務局: 6 ‐10.

徳山道子(1998)「日本人教師の異文化適応と社会・

文化的要因―青年海外協力隊派遣の日本語教師 の調査から―」『異文化間教育』12,異文化間教 育学会:128‐143.

野口裕二(2018)「当事者研究が生み出す自己」『自 己語りの社会学 ライフストーリー・問題経験・

当事者研究』小林多寿子・浅野智彦編,新曜社:

249‐267.

野々口ちとせ(2010)「共生を目指す対話をどう築 くか―他者と問題を共有し「自分たちの問題」と して捉える過程」『日本語教育』144号, 日本語教 育学会:169‐180.

伴正一(1978)『ボランティア・スピリット』講談社.

ビースタ,Gert J.J.(2018)『教えることの再発見』

上野正道監訳,東京大学出版会.(Biesta, Gert J. J.

(2017) The Recovery of Teaching, Routledge)

平畑奈美(2014a)『「ネイティブ」とよばれる日本 語教師―海外で教える母語話者日本語教師の資 質を問う』春風社.

平畑奈美(2014b)「「グローバル人材」と「地グローバルな球的 人材」との距離―「国際ボランティア」日本語教 師のキャリア意識をめぐる考察」『グローバル人 材」再考』西山教行・平畑奈美編著,くろしお出 版:169‐200.

平畑奈美(2019)『移動する女性たち 海外の日本語 教育と国際ボランティアの周辺』春風社.

福島青史(2014)「「グローバル市民」の「ことば」

の教育とは―接続可能な社会と媒体としての個

(14)

人」『グローバル人材」再考』西山教行・平畑奈 美編著,くろしお出版:138‐168.

フリードマン,Thomas L.(2006)『フラット化す る世界 上・下』伏見威蕃訳,日本経済新聞出版 社. (Friedman, Thomas L.(2005) The World Is

Flat: A Brief History of the Twenty-first Century, Farrar, Straus and Giroux)

丸山英樹(2019)「青年海外協力隊による国際教育 協力」『日本の国際教育協力 歴史と展望』萱島 信子・黒田一雄編,東京大学出版会:365‐387.

(経済学部准教授 日本語教育・多文化教育)

参照

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