これにより、「地域の歴史を伝えるもの」こそが保存すべき史料であることを国民に伝える必要性が意識されるようになった(7 郷土史批判―若森太郎『地域社会史』)。 」 そこで木村氏は、郷土史は郷土史批判から生まれた、だから「郷土史」と呼んだ、とも書いている。
研究者の普遍性を目指した郷土史研究が戦後の郷土史研究の主流になったと言われています。それは普遍性を目指した郷土史研究にも見られる。
地域住民による「記録誌」の編纂
写真付きで掲載。この記事は、本書の発行主体である大学同志会の歴史を記録したものです。当時の大学院生が書いたものです。私が受けた依頼は大学久保地区が所蔵する文書をもとにしたもので、くずし字で書かれた文書もあった。
④その他の資料としては、「大学久保諏訪神社資料」「故鎌田蔵資料」などがある。 ⑤写真で見る大ヶ窪には古いものもあるが、最近の出来事や本書出版の写真もある。当時の村の様子を写真に撮りました。このように、本書は大ヶ窪同志会の歴史と思い出に大きく分けられる。
久保村の住民や地域住民の活動や体験の記録と、現在の住民より前の世代に関わる大ヶ窪の歴史と関連資料の2部から構成されています。当初、村の過疎化と高齢化により、旧大学ヶ窪同志会青年会は消滅し、継承されてきた獅子舞も失われましたが、1976年(昭和51年)、やがて同志会と獅子舞の復活を目指す運動が生まれました。 、それが住民だけでなく、大学久保を離れた人たちを繋ぐ糸となったのは明らかだろう。これは大学同志会の総括的な話ではありません。 ②同志会に対する思いも個人的な記憶の断片であり、体系的に整理されたものではない。大学を故郷と呼ぶ人々にとってこれらのことが重要であることは明らかですが、部外者が大学同志会の歴史を整然と理解することは困難です。
しかし、大学ヶ窪同志会の活動に参加した人にとっては、役員や会員の名簿を見ればその人となりを思い出し、行事の一覧を見ると参加した当時のことを思い出します。それはおそらく本当です。思い出が詰まった記録を読むと、きっと当時のことが鮮明に思い出されるでしょう。 「ご挨拶」にもありますように、本書は大学ヶ窪地域の住民を対象として、「故郷への限りない愛着」を育むことを目的として作成されました。これは意図したものではありません。 「せっかく作るなら外部の人にもわかりやすいものを」とか、「大学に関係ない人でも興味を持ってもらえるものを作れば、それはそれでいい」という意見もあるかもしれない。これはかつて「国の誇り」と言われた郷土史と同レベルのものである。地域の歴史は、住民にとって重要であってこそ重要だということを忘れてはいけないと思います。私たちは自分たちの足跡を残したいという願いに加えて、先人たちの足跡を忘れてはなりません。したがって、環境としての地域が認識されやすい。
原発被災地での取り組み
それは、書ききれない何かがあるからだろう。記録簿作成の原動力は、私たちの記憶にある地域の姿をそのまま後世に伝えたいという思いです。さらに門馬さんは地元の資料を取材すると「史料イコール富岡町」と語る。 「歴史資料」活動における「郷土資料」という用語は、文化財的価値や金銭的価値を住民に認識されていない。
しかし、このような答えには異論もあるかもしれません。 「史料」を「地域資料」に変える 「史料」に分類されることはわかっていても、「史料」を「地域資料」に変えても問題ありません。 ”。資料』を保存・継承の対象にしないという選択肢はないのでしょう。現在使用されているかどうかに関係なく、地域にとって価値のあるもの。
さらに、第2章で見たように、住民の減少や災害による被害により地域の様相は変化した。現在住んでいる人のものであっても、その地域のイメージを持ったものは保存する価値があると思います。 「国家」や「民族」に関わらず、あらゆる資源にはそれぞれの大切な価値があることに気づいてほしいと願っています。歴史研究者が現地に赴きます。
5)国文学研究資料館編『社会変革と民間アーカイブ―地域の持続可能性を目指して』 地域史=自治体史と考えるのは間違いである。これは、領域の探索方向に機能したことを意味します。結局のところ、地域を単位として使用するのではなく。
(吉田伸行『「単位面積」について』『地域史の方法と実践』京倉書房、2013年)。