Title
「アーカイブズ」をめぐる営み∼沖縄における「歴史資料」
と「歴史意識」の考察∼
Author(s)
豊見山, 和美
Citation
沖縄県公文書館研究紀要 = OKINAWA PREFECTURAL
ARCHIVES BULLETIN OF STUDY(7): 1-20
Issue Date
2005-03-31
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/8134
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2年 を起点 とする歴史意識1
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月1
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日の 日本復帰 は、沖縄 の集 団的 自意識 に新 たな時間軸 をもた らした。 復帰 を直前に控 えた同年 2月か ら3月 にかけて、県立博物館 で行 われた特別展 は「
『
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0年前の沖縄』 展一 写真でみ る失われた遣宝- 」と題 して1
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万6
千人の入場者 を集 めた。博物館 自身 は この よ うに 回顧 してい る。 「ち ょ うど復帰 を 目前 に して、県民が 自らの足元 をみつ め直そ うとしていた時期 で ある。県民がみずか らの伝統文化 を見直 し、 自信 と誇 りをもつためのまた とない機会 であった とい える34」 博物館 は復帰 10周年 にあた る1
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7) に 「特別展 沖縄 県 ・熊本県交流展 『沖縄 の 美一風土 と美術工芸-』」を開催 した。 これ は、太平洋戦争で熊本県が沖縄県民の疎 開先であった こ とか らできたネ ッ トワー クによって実現 した ものである。 復帰2
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周年記念特別展 「琉球王国」は、大交易時代 の琉球の気概 を象徴す る 「万国津梁の鐘」の 銘文を基調 に、琉球の 「偉大な歴 史を掘 り起 こ し、その成果 をわか りやす く紹介す ることによって、 あ らためて沖縄 の歴 史 と文化 をみつ めなお してい く」 35ことがね らい とされ た。 この年度 の最後 に は「復帰2
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周年 と首里城復元の一連の記念行事の最後 を飾 って」 36、「尚家継承琉球王朝文化遺産展」 が開かれ、 9万人が観覧 した。 国営の事業ではあるが、同 じ1
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年 (平成 4)に開始 された首里城 の一般公 開について もふれて お きたい。琉球政府文化財保護委員会が首里城及びその周辺戦災文化財 の復元計画 を策定 したのが1
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年 (昭和4
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、復帰前後 の陳情要請行動 の結果 こう7、第二次沖縄振興開発計 画に首里城 の整備 が 盛 り込まれ、国費 による整備復元が発表 され たのは1
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年 (昭和5
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であった。 こ うして首里城 は国営 口号公園 として開園に至 ったが、復元のための調査 自体が一大事業だった ことはい うまで も ない。復元の歴 史考証作業のために、沖縄 の担 当者 は資料収集 か ら始 めなけれ ばな らなかった。 こ れについて、復元に尽力 した高良倉吉は こ う書いてい る。 「窮すれ ば通ずで、予想以上の資料 が続 々 と集 ま りだ した。 た とえば昭和 の初期 に首里城正殿 の 解体修理 を行 った際の図面が文化庁の資料室にあった。 また、1
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世紀 中期 に正殿 の大規模 な修理が 行われた ことは知 っていたが、その ときの工事報告書 にあたる古文書が沖縄県立芸術大学の鎌倉 コ レクシ ョンか ら出てきたのである。 こ うした貴重な資料 が発見 されたために、正殿 に関 してはかな りの 自信 をもって復元できることになった」38 歴史資料 に基づ く実証性 は、復元物である首里城 にいっそ う高度 の リア リテ ィー を与 えた。王国 の大交易時代 とい う栄光の物語 は、それ を表象す るための、 これ以上は望むべ くもない実体 を得 た のだったこ与り。 首里城 の公開に先立つ1
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年 (平成元)、県教育委員会 は 「沖縄県歴代宝案編集委員会」 を設置 34沖縄県立博物館 前掲p.83 35 同上 p.99 36同上 p.89 37 日本政府側 、また県内か らの復元反対論 もあった。 首里城復元期成会会長 の呉屋秀信 は、「『一つの県に二つの国 営公園はまか りな らぬ』 との大蔵省 の見解 に、植木 (第 5代沖縄 開発庁長官一筆者注)先生は 『まず沖縄県に国営 沖縄記念公園があって、その下に祖 国復帰 の記念事業 として海洋博 覧会記念公 園があ り、復帰20周年記念事業 とし て首里城公園がある』との ウル トラ Cクラスの ご名案 を考案 され ま した」と述べてい る。呉屋秀信 「発刊の ことば」 『首里城復元期成会記念誌 建 った首里城』 (首里城復元期成会2003)p.9 38 高良倉吉 『琉球王国』 (岩波書店 1993)p.186 39 首里城 をシンボル とす る王国文化 の称揚 は、首里文化 中心主義 に陥 って沖縄文化 の地域的な多様性 をステ レオ タ イプ化す る危険 をも革みが ちである。 9し、翌年編集委員会は 「歴代宝案編集基本計画について」を教育委員会-答 申 した。歴代宝案は、 中 ・近世500年 にわたる中国 と琉球王府 の外交関係往復文書であ り、その校訂本お よび訳注本等の 編集刊行が編集事業の主眼 となった。 中国第一歴史梢案館 との交流 によって進 め られているこの事 業の実施は、関係す る分野の研究者が行 ってきた長年の働 きかけやネ ッ トワークを基礎 に したもの だが、具体化のタイ ミングか らす ると、琉球王国時代 を歴史的アイデ ンテ ィテ ィーの源泉 とす る意 識 の醸成 と連動 している とみ ることもできよ う。編集基本計画では、「沖縄の対外交通貿易史お よ び外交交渉史 を解明す る うえで第一級の同時代史料」であるこの歴代宝案の特色 として、「この間に おける東アジア世界の動向をも知 りうる貴重な史料であること
」
「国際化時代における県勢発展の基 礎史料 として活用できること」 40が挙がっている。 「国際化」 とい う言葉が史料編集の方針 として登 場す るよ うになった初期の例である。 ところで、王国のシンボルである首里城 関係 の文化財保護 は琉球政府時代か ら引き続 く主要施策 だった。戦前の国宝であった崇元寺石 門の修復工事が竣功 したのが1952年 (昭和27)でもっとも 早いが 4(、1954年 6月 「文化財保護法」の制定公布以降、琉球政府文化財保護委員会によ り、次々 と文化財指定が行われた 42。 旧円覚寺周辺の復元事業は1960年代にいちお う終了 している。 また、 守礼門は守礼門復元期成会によって1958年 (昭和33)には復元 された 43。 1-3-3 「琉球」への回帰 :「琉球」王国と 「琉球」政府 首里城 の復元 と公 開 とい う画期 に よって もた らされ た琉球 ブー ム44は、新 しい形 のプライ ドを もった集団的 自意識 に働 きかけたが、1990年代後半にかけてみ られたのは、も うひ とつの 「琉球」 とい う時代の再構築作業だった。 も うひ とつの琉球 とは、敗戦に引き続 く 「琉球」政府の時代のこ とである。琉球王国期の ロマ ンの主要なイメージが大交易時代の躍動感だ とすれば、琉球政府時代 を回顧す るときのキー ワー ドは戦争 と平和 とい うことになろ うか。 ことに 「平和」は、現代の沖縄 か ら 「発信」すべきメ ッセージとして広 く受容 された。 1995年 (平成7)とい う年、沖縄県の 「太平洋戦争 ・沖縄戦終結50周年記念事業」 として県立 博物館 が 「廷 る沖縄 ・戦災文化財 と戦後生活資料展」を開催 した ことは前述 したが、50周年記念事 業の一環 として 「平和の礎」が建立 された ことも付け加 えなければな らない。平和の礎は 「沖縄の 歴 史 と風土の中で培われた 『平和のこころ』 を広 く内外 にのべ伝 え、世界の恒久平和を願い、国籍 や軍人、非軍人の区別な く、沖縄戦な どで亡 くな られたすべての人 々の氏名 を刻んだ記念碑」であ 40 (財)沖縄県文化振興会公文書管理部 『沖縄県教育委員会 中国第一歴史梢案館 歴代宝案に関す る交流10周年 記念誌』 (沖縄県教育委員会 2000)p.65本稿 の歴代宝案編集事業に関す る記述は、すべて同書による。 41園原謙 によると、この修復工事 を推進 したのは沖縄 史蹟保存会だった。沖縄史蹟保存会は、民間篤志家の寄付金 や軍民政府 の助成金で運営 された一種の任意団体である。園原謙 「沖縄の文化財保護史一昭和初期か ら琉球政府時 代までの活動 を中心に-」
『沖縄県立博物館紀要 第26号』 (沖縄県立博物館2000)p.131 42 この頃の文化財保護委員会の活動 については園原 の前掲論文が詳 しい。 同委員会 による文化財指定の特徴な ど も論 じられてい る。 また、同委員会は宗教法人による玉陵の敷地の使用 申請や、琉球大学による放生池の埋立申請 な どの問題 で も苦境に立った。 43歴 史的建造物の保護 とい う見地か らす ると、首里城 の手厚い保護 に比べて、武徳殿や 旧立法院議事堂 (とくに旧 立法院議事堂はそ の保存 を求 め る市民運動 が大 きな問題提起 を したに もかかわ らず)の解 体が進 んだ こととの ギャ ップは記 してお くべ きだろ う。 占領下の 自治の象徴だった旧立法院議事堂は1999年 (平成11)に取 り壊 され、 その正面玄関にあった柱の一部が、現在 は公文書館 玄関前に眠っている0 44NHK大河 ドラマ 「琉球の風」が放映 されたのは1993年 (平成5)だった。初 めて琉球王国の時代がテ レビ ドラ マ化 された ことは、沖縄 の歴史が沖縄以外の人々にも翻訳可能であるとい う事実 として受容 されたかもしれ ない。る45。沖縄戦跡 国定公 園広場 の断崖近 くに灯 され た 「平和の火 」か ら内陸部 に向かって扇状 の配置 で犀風の よ うに刻銘碑が並ぶ このモニュメン トは、同時に巨大な ドキュメン トで もある。 この年、沖縄 の歴史 と文化意識 の形成 に新 しい役割 を果 たすべ く沖縄県公文書館 が開館 した 46。 当時の館長宮城悦二郎 は 「開館 にあたって」 とい うメ ッセー ジに こ う書いてい る。 「沖縄 は特異な歴 史体験 を持っ県である。 アジア諸 国 との交易で栄 えた独 立王国時代、1609年 の 薩摩侵入、1879年の廃藩置県、1945年 の沖縄戦、その後 の27年 に及ぶ米 国統治時代、そ して1972 年の 日本復帰。 この よ うな県にこそ、公文書館 が必要であった。 しか し、戦前の貴重 な文書 ・資料 を今次大戦で失 った沖縄 にはその必要 もなかった。公文書館建設 の構想 は、米軍 占領 時代 の膨大な 量の琉球政府文書 を どう保管す るか とい う話のなかか ら生れたのである」 47 日本復帰 を 目前に した琉球政府 は、1972年 (昭和47) 1月の局長会議 において 「琉球政府公文書 類の引継要領」 を定め、琉球政府文書 を廃棄せず に保存す ることとした。琉球政府文書 は新 しく発 足 した沖縄県の総務部文書学事課の管理下におかれた後、1981年 (昭和56)
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月に教育委員会-移 管 されて、整理 ・保存業務 を沖縄史料編集所 が引き継 いだ。沖縄 史料編集所 は1986年 (昭和61) 年 に沖縄県立図書館史料編集室 となったが、引き続 き琉球政府文書 を管理 し、閲覧や調査研 究の照 会に対応す るな どしていた。 沖縄県公文書館 の設立に伴 い、15万簿冊 にのぼる琉球政府文書は、沖縄県公文書館 に移管 されて 終の棲家 を得た ことになった 48。 沖縄県公文書館 の打 ち出 した新 しい コンセプ トは、 「米軍 占領時代の歴史」、つま り 「琉球政府 の 時代JI19だった とい うことができよ う。米国による沖縄 占領史研究の第一人者 だった宮城館長 は 「琉 球政府文書の特異性 は琉球列 島が長期 にわたって米 国の支配下にあって、琉球政府 が他県 とは明 ら かに異なった制度 の もとで運営 されていた こと、琉球政府 がその上位 にあった米 国民政府 の命令 ・ 要請 によ り多 くの文書 を作成 した ことによる50」 としてい る。琉球政府文書 は沖縄 の苦難 に満 ちた 現代史の比愉 とな り、 さらにも うひ とりの証人が要請 され るところ となった。 それが米 国国立公文 書館その他の在米機 関に収蔵 されてい る沖縄統治関係 資料である。 とくに施政権返還前の琉球の統 治機 関だった UscAR (琉球列 島米国民政府) の文書 は、国立国会図書館 との 5年 間にわた る共同 プロジェク トとして、米国国立公文書館 に保存 されてい るお よそ350万枚 の文書すべてをマイ クロ 45 沖縄県平和祈念資料館運営協議会委員監修 『沖縄県平和祈念資料館総合案 内一 平和 の心 を世界 に』 (沖縄 県平和 祈念資料館2001) p.10沖縄県 出身者 については、十五年戦争 の犠牲者 も刻銘 の対象 としてい る とい う。 46 開館 のセ レモニーは8月 1日、 この 目付 は戦前の県立図書館 の開館 日と同 じである。 47 沖縄県公文書館パ ンフ レッ トよ り 宮城悦二郎 「開館 にあたって一 開かれ た公文書館 を 目指 して」 (沖縄 県公 文 書館 1995年 ) 48 この経緯 について述べた ものに、金城功 「琉球政府文書の整理 ・保存 ・利用等 について」『沖縄 県公 文書館研 究 紀要第2号』(沖縄県公文書館 2000)、大湾 ゆか り 「復帰前 にお ける琉球政府文書の保存活動 について」『沖縄 県公 文書館研 究紀要第6号』(沖縄県公文書館 2004)な どがある。 また筆者 に よる 「沖縄 県にお ける公文書の管理 と公 文書館-4年間の実践 と今後 の展望」『沖縄県公文書館研 究紀要第2号』 (沖縄 県公文書館 2000)で も言及 した。 49 とはいえ、開館記念特別展 のテーマ に選 ばれたのは中国 ・琉球 関係相案史料だ った。 チ ラシのキャ ッチ コピー に は 「東 アジアにおける中継貿易の拠点 として栄 えた琉球王国を、梢案史料 か ら解 き明かす 、海洋王国琉球 を支 えた 進貢貿易の真実の姿」 とある。梢案史料 とは明清時代 に遡 る中国 と琉球王国の間 を行 き交 った外交文書だが、現代 とい う新 しい時代 を扱 う後発 の機 関 としての公文書館 が、歴 史資料 の保管者 としての権威 の源泉 を中国に求 めた と い うことか もしれ ない。その代償行為 の よ うに、開館記念 1周年特別展 のテーマ はま さに 「琉球政府 の時代」その もの となった。 50宮城悦 二郎 「琉球政府文書 について- その歴 史的背景 と意義-」『沖縄 県公文書館研究紀要創刊号』 (沖縄県公文 書館 1998)フイル ム化す る方法 で収集 が進 め られ た。 沖縄 県公 文書館 は、琉球政府 文書 と UscAR文書 とい う 戦後資料 をその主要 コ レクシ ョン とす る とい う、国内の公文書館 にはほ とん ど例 を見ないユニー ク な存在 として (沖縄 とい う地 と同 じくユニー クな存在 として)誕生 したのだった。 1-3-4 「自己回帰運動 としての過去 に向か う心」:鹿野政直の区分 による歴史意識の変遷 1995年 (平成 7)年 の沖縄 県公 文書館 開館記念講演 にお いて、鹿 野政直 は次の よ うに述べた。 「今 日はその文字 の文化 を対象 といた します が、そ こでの 『沖縄 とは何 か』 との問いは、みずか ら の原 点 を求 めて過去- 向か うのがつねです。つ ま り歴 史-の関心です。 自己回帰運動 としての過去 に向か う心が、 この沖縄 で、 これ まで どの よ うに発現 してきたか を考 えます と、粗 っぼ く申 し上げ て、第一段 階、第二段階 と二つ の段 階 を設 定す るこ とがで きるのではないか、そ して今 回の公文書 館 の開館 に よって第三の段 階 に入 りつつ あるのではないか、 と思 うよ うにな りま した」 51 それ に よる と、この段階 区分 は、第一段階の起点 が沖縄 県立図書館 開館 の1910年8月1日、第二 段階の起点が1945年 の敗戦 とそれ に引 き続 く占領 、そ して第三段 階の起点が1995年8月1日の公 文書館 開館 であ る。鹿 野 は、初代館長 に就任 した伊波普猷や それ に続 いた真境名安興、島袋全発 と い う 「沖縄 学」の列聖 たちが郷土史料 の収集 に力 を注いだ ことが 「沖縄社会 回復- の情熱」 52に貫か れ た ものだ とい う。 さらに戦後 に開始 され た 「琉球史料」や 「沖縄 県史」編纂事業が 「戦火 に踏み に じられ た あ と、異 国の軍事 占領 の も とに置 かれ 、名称 も琉球 あ るいは Ryukyulslandsと変更 され て、 自己 とは何 かのあ らたな危機感 に曝 され た ことが、過去 と現在 をた しかめ よ うとす る熱烈な希 求 を育んだに違 いない と思 います」 53といい、自己喪失 の危機 が、歴 史資料 の収集や編纂事業 の原動 力 となった と結論す る。 「公 文書館 は、沖縄 の未 来 をつ くる うえに大 きな力 にな るで あろ うと存 じます。 沖縄学 がヤマ ト 世に向かいあ うもの と してつ くられ 、第一次 『沖縄 県史』や 『琉球史料』 がアメ リカ世に向かいあ うもの として発刊 され た といた します と、 この公文書館 は、それ らを超 えての沖縄世 をつ くってい くた めの礎石 にな る」 54 この講演 は聴衆 を深 く感動 させ 、公文書館 を持 ちえた とい う事実 を沖縄 の人 々が誇 るに足 るだけ の真筆 な説得 力があった。鹿 野のテ キス トには、鹿 野 がい う 「文字の文化」 と しての歴 史資料 をめ ぐる営みが、人 々の歴 史意識や アイデ ンテ ィテ ィー形成 のあ りよ うと相似形 を描 く姿が端的 に表現 され てい るO そ こにお いて、沖縄 県公文書館 は、ヤマ トや ア メ リカに支配 され た時代か ら脱却 した 新 しい時代 の歴 史的結 節点 と して、新 しい 自己認識 -人 々を動員す る原動 力 と しての役割 を期待 さ れ たのだ った。 では、ヤマ トや ア メ リカ といった鏡 を必要 と しない新 しい時代 である沖縄世 にふ さわ しい公文書 館 とは何 か。 この こ とを考 える前 に、鹿 野 のテ キス トに差 し挟 まれ たひ とつの 「要望」 に耳 を傾 け よ うと思 う。 中国語や英語 ので きるアー キ ビス ト (公文書専門員) だけでな く、将来移 民関係 の史 料 が集積 されれ ばポル トガル語 ので きるアー キ ビス トまで必要 とされ るであろ う沖縄 県公 文書館 の 「国際性
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「世界性 」 につ いてふれ た あ と、鹿 野 は言 う。 51鹿 野政直 「沖縄世 と公文書館」
『化生す る歴 史学 一 自明性 の解 体 に向けて』 (校倉書房 1998年)pp.1231124 52同上p.125 5:う同上p.128 54同上p.134 55 同上p.131「ただ--一つだけ要望 を申 しあげれ ば、そ うした 「国際性」「世界性」 に吸引 され て、県政時代-の 取 り組みにい ささかの揺 らぎも起 きない よ うに と希望いた します」 55 県政時代 とは、戦前戦 中の第一次県政時代 と復帰後 の第二次県政時代 をい う。 この要望 を 「警告」 と受 け止 めるな らば、公文書館 の将来像 を考 える ときに重大な示唆 とな る。
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「公文書館」 とい う新たな語曇 ここまで、沖縄 にお ける歴史資料収集 ・保存す る機 関の成 り立 ち と、それが集 団的 自意識 の形成 に どの よ うなイ ンパ ク トを与 えたかをみてきた。その結果、沖縄戦以前す なわち 日本国家の一員 と しての集団意識 を強 く求 め られた時期 には、戦勝や新天皇即位 といった一種 の祝祭的時空に、多 く の図書館 の設立が見 られた ことがわか る。 しか しその よ うな流れ に抗 うかの よ うに、伊波普猷 らが 館長 を務 めた戦前の県立図書館 では、近代沖縄 が直面 した集 団的 自意識 の動揺 を救済す るべ く、郷 土資料 の収集 と保存 に力 を尽 くした56。 戦後 は、米軍の 占領政策 としての 「琉球文化」称揚 と、被 占領者 としての沖縄 が主体のプライ ドを保持 しよ うとした 「琉球文化」の主張が複雑 に絡み合 った。 博物館が文化 「財」の訴 えかける力を挺子 に して沖縄 の人々にアイデ ンテ ィテ ィー を提供 しよ うと し、修史事業側 はゼ ロか ら記録資料 の収集作業 に着手 しなけれ ばな らない とい う困難 と戦いつつ、 沖縄の 「正史」の構築 (歴史的主体の回復) に果敢 に取 り組 んだ。 日本復帰後は、本土 との格差 と米軍基地の存在 とい う一種 の 占領状態が継続す る中で、「自立 した 沖縄」を 目指 してアイデ ンテ ィテ ィーが動員 され るよ うにな る。 もっ とも成功 した物語 は、首里城 復元前後 にみ られ た よ うな 「琉球王国の大交易時代」の給持 だった 57。それ は さらに 「万国津梁の 鐘」の銘文に導かれて、やがて 「平和 を発信す る沖縄」- と変容 してい く。 「歴史」はアイデ ンテ ィ テ ィーの供給装置 として用い られてきたのであ り、「歴史資料」の管理 を司 る諸機 関は、その設 立根 拠な どに応 じて、一定の役割 を果た してきた。 前節で述べた とお り、そ こに参入 したのが沖縄県公文書館 だった。鹿野が開館記念講演 において 述べたよ うに、公文書館 は新 しい 「沖縄世」 を象徴す る場 として、新 しい歴史 を刻む場 としての役 割 を期待 された。鹿野 は 「『公文書館 (アーカイブズ)』 とい う言葉 が、 これ で正式 に県民の語嚢 と して加 わった馳」 と言 う。 では しか し、その よ うな場 として、なぜ 「公文書館」が選択 され たのだ ろ うか。 なぜ、沖縄学の先達 らが、県立図書館 を郷土研究の拠点、沖縄県民の主体性 回復の場 と位 置付 けた聾 に倣 って、図書館 の郷 土史料部 門の拡充 に よってその理想 を実現す るこ とにはな らな かったのだろ うか。 あるいは、戦後の博物館 が沖縄文化 の コンセ ンサス形成 に果 た してきた役割 を 思 えば、新 しい 「沖縄世」の構築 は、古い皮袋 に新 しい酒 を、とい う形で も成 しえた ことではなかっ たのか。 「公文書」館 とい う語感 か ら、琉球政府文書 とUscAR文書 とい う主要 コレクシ ョンの性質 を考 え 56 ちなみに、沖縄県公文書館 の正面玄関には、伊波 の琉歌 「深 く掘れ 己が胸 内の泉 余所 たゆて水や汲 まぬ ごとに」 を記 した石版 が掲 げ られている。 この フ レーズは歴 史の再確認 による主体性 の回復 を謳 うもの とされてお り、県公 文書館 に とって も館 の本質 を象徴す る言葉 として捉 え られてい るよ うである。 57近年、沖縄 の歴史 と文化 は、観光資源 としての価値 をます ます強 く意識 され るよ うになった。過去 の暗い歴 史を 乗 り越 えて明 るくのんび りと人 々が暮 らす沖縄 で外来者 は癒 され る とい うひ とつの構 図がある。今後県 に属す る歴 史資料の収集 ・保存機 関は、その よ うな観光客のニーズに応 えるべ く、展示や その他 の活動 を通 してプ レゼ ンテー シ ョンを提供す る役 目をかな りの程度 自覚的に背負 わ され るか も しれ ない。 しか し、 これ もまた歴史資料 をめ ぐる 「営みのあ りよ う」のひ とつではある。 58鹿野 前掲 p.133 一 13-るとそれが望 ま しく思 えたか らとい う答 えもあ りうるだろ う。 しか し図書館 も博物館 も、文書資料 も含 めて さま ざまな歴史資料 を収集す る機 関である。現実に琉球政府文書は長 く県立図書館 の管理 下にあったに もかかわ らず、なぜ 、公文書館 とい う 『新たな語嚢』が必要 とされたのか。その問い に対す る答 えを出す前 に、公文書館 (アーカイブズ) とはそ もそ もどこか ら生れ出た概念 なのかを 確認 しなければな らない。 2-1 近代 アーカイブズの発生 公文書館 は英語でい うところのアーカイブズ
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の訳語 とされている。 アーカイブズ とは 歴史資料 の保管所 を意味す るだけでな く、歴史資料その ものを言 うこともあるか ら、アーカイブズ とは歴史の発生時か ら存在 した とい うこともできる。 しか し近代的な意味での組織 としてのアーカ イブズの概念 は、近代 とい う時代 区分 と同様 、 きわめて新 しい ものである。 た とえば歴史の古い国 家で もそれが法制化 されたのは、フランスが 1794年 6月25日の法令59、イギ リスは 1838年の国立 公 文書館 法 に よる。遅れ て きた 国民 国家 で あ るア メ リカ ではナ シ ョナル アー カイ ブズの設置 が 1934年、カナ ダは 1966年 、オース トラ リアは 1983年 と、国家 レベル のアーカイブズが法的に承認 されたのは 20世紀 の中盤 以降の ことであ る。 日本 は公文書館法の施行 が 1988年 (昭和 63)、国立 公文書館法の施行 は 2000年 (平成 12) だ った。 もっ とも古い時代 に公文書館 を法制化 したのはフランスで、立川孝一は 「フランス革命 は国立文 書館 とその公 開の原則 とによって、近代的な文書行政-の道 を開いた」 とす る60。つま り、革命前、 いわゆるアンシャン ・レジーム期 において もフランスでは王室、諸官庁、裁判所、軍、教会、領主 はそれぞれ独 自に文書館 を所有 していたが、 フランス革命 はそ うい った文書館 の組織 を統合 し、文 書の国有 とい う観念 を継承 ・推進 し、公 開の原則 を採用 し、 「かつては特権的な人間 しか見 ることの できなかった公文書が、一般 の市民にまで開示 され ることとなったのである」
「このよ うな文書館 の 存在 を近代 国家の指標 とす るのであるのな らば、革命後 のフランスはまさにその段階に入 った とい えるだ ろ う」 61とい う。 この記述 は、沖縄 にお ける近代以前の世界、「近世琉球王府 の政治的中心機構である評定所で作成 保管 され てきた文書」 62で ある評 定所文書の ことを想起 させ る。評 定所文書は、王府 の統治行為 に お ける前例 の蓄積 と参照のために保管 され ていた 63。 しか しこの文書の利用 は、当然 なが ら王府 内 の権力 中枢 にいる者 に限 られていただろ う。評定所 は歴史的文書の保管所 の機能 を持 っていて も、 文書の作成及 び保管者以外 の者 の 自由なアクセスを許す機 関ではなかった し、そ もそ も王国の歴史 を必要 とす る近代的国民 自体がまだ存在 しなかった。 59 1794年6月25日の政令 が文書館法 と呼ばれ る。 ただ し 「文書館 を設 立す るための委員会 が結成 され、そのプラ ンは1790年9月7日の法令 と して議会 を通過す る。 ここで初 めて 『国立文書館』とい う名称が フランスの歴史に登 場す る」立川孝一 「歴史意識の変容 と文書館 の制度 -フ ランスの場合」歴史人類学会編 『国民国家 とアーカイブズ』 (日本 図書セ ンター 1999年)p.76 60同上p.73 61同上pp.72-73 62梅 木哲人 「評定所 の機構 と評定所文 書」
『琉球 王国評 定所文書 第4巻』琉球王国評 定所文書編集委員会編 (浦 添市教育委員会1990)p.6 63文書の保管場所 は首里城 の北殿 で あった ろ うといわれ る。高良倉吉 「総論 :評 定所文書刊行 の意義」
『琉球王国 評定所 文書刊行事業完 了記念 シンポ ジ ウム∼百 田紙 に記 され た琉球の近世∼』浦添市立図書館沖縄学研究室編 (浦 添市教育委員会 2002年)p.32この評定所文書 の多 くの部分 は、廃藩置県後 日本政府 に よって接収 され、東京 で 内務省の保管す る ところ とな り、関東大震災で散逸 した。さらに、戦前の県立図書館第二代館長 だった真境名安興が
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年 2月現在 の沖縄 県立図書館 「琉球史料 目録」に寄せ た序文 を引いてみ よ う。 「古今 の琉球史料 は旧藩政の時代 に於 ては、之 を城 内評 定所等 に叢集 して政務 の参考 に資せ Lが 如きも、其書 目及冊数 を詳録す る能 は ざるを遺憾 とす。然 るに廃藩置県の ときに際 し、比等の一部 分は県に引継せ られ、旧慣書類 目録 に登録せ られた るもの大部数 に達すれ ども、 中には当時県 に引 継 ぐことを避回 して、之を旧時の権 門勢家 の邸宅 に分蔵せ し為 に、時代 の推移 と共 に多 くは散逸 し 若は義害に逢ひ しもの も亦鮮 Lとせ ざるな り。而 して県 に於ては置県草創 の時 よ り旧慣取調係 を設 置 して政務の一端 に資す る為 に、此等 の残簡零墨 を蒐集 して之が編纂及び保存 に努 め、殊 に丸岡知 事の時代 に至 りては琉球史料六十冊余 を分類編成せ り。此前後 よ りして他府 県の篤学者 に して琉球 史調査の為渡来す者漸 く多 く、且県内にて も此種研究者 の漸次括頭す るに至 りLも、亦比等史料 に 負ふ所多大 な りしな るべ し。要す るに此時代 に於 ける琉球 に関す る書籍 は、県 の文書課 と尚家 の 書庫 に死蔵せ られ しのみ にて、一般人 の観 覧 には最 も不便 な りしこ とを推知す るに難 か らざるな り」 64 真境名 は、一般人が史料 を観覧できる場所 としての開かれ た図書館 の理想 を述べ るのだが、特 に 旧藩 (琉球王府)の文書 について力点 を置 くこのテキス トは、近代的アーカイブズ意識 の萌芽 とし て読む こともできる。 しか し、行政機 関の文書 を市民に開示す る仕組みは、沖縄 の場合 、情報公 開 条例が施行 された1
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年 (平成 4)年、そ して各課 での保存期間が満 了 した文書 を歴史資料 として 閲覧 させ る沖縄県公文書館 が設置 された1
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年 (平成7)
まで、70余年 を待 たなけれ ばな らなかっ た。 立川 はまた、近代 フランスにお ける (公)文書館制度の進展 にお ける政治的要因について論及 し ている。 「『国家』は文書館 を必要 としていた。 フランスや 中国の よ うに、『革命』か ら生れた国家 は歴史の 中にその正 当性 を求めたのである。 しか し、「民衆」もまた文書館 を必要 としていた ことを忘れ るべ きではないだろ う。 ただ し、 この概念 について思い違いを しない よ うに注意 しなけれ ばな らない。 ミシュ レが この言葉 を使 った とき、それ は生産手段 を持 たないプ ロレタ リアー トではな く、革命 に よって独立をかち とった農民や手工業者 、あるいは小ブル ジ ョワジー を意味 していた。彼 らは革命 政府 とその文書館 の中に、彼 らの個人財産の保証 を見出 していたのである。一 国家 と民衆の 『共犯 関係』。つま り、過去- と後戻 りす ることを恐れた共和国 と国民は、現在 を守 るために歴 史を必要 と したのである。」65 革命政府 は、国有財産や没収 した亡命者 の領地 を売却 して財政赤字 を補填 しよ うとしたため、多 くの市民が新 しく土地の所有者 となった。 この所有権 を担保す るのが文書館 で保管 され る証書類で ある。 この公文書 を保存 し公 開す ることで市民の権利 を擁護す ること。それ が、市民が文書館 に求 めた役割 だった。 これ をみ ると、公文書保存 と公 開のシステム 自体が、共同体の歴 史意識 を大 き く 反映す ることがわか る。革命 を生 きたフランスの市民は、まず近代的な所有権 の証明 としての文書 館 を必要 としたのだった。 64 外間守善 「まえがき一沖縄県立図書館 と郷土資料 目録の刊行」『沖縄研究資料2沖縄県立図書館郷土史料 目録』 (法政大学沖縄文化研究所 1982)p.iii掲載 の翻刻 よ り また序文 に続 く 「凡例」に、 「兎 に角、琉球史料 の永久的 保存方法を講ず るのは、首里城の永久的保管方法を講ず るの と同 しく、-大事業でなけれ ばな らぬ。他 日県の財政 に余裕が出来た ら、震災に耐え得 るよ うな郷土史料室を建てて貫はなければな らぬ」 とい う記述がある。 65立川 前掲 p.85 - 15-また、石 田信一は、 「ヨー ロッパ諸 国のアーカイブズ、少な くともナ シ ョナル ・アーカイブズ (国 立文書館) は近代的国民国家形成 の過程 で制度化 された諸機 関の一部であ り、国家 ・国民の統合装 置 として機 能 してきた」66と言 う.石 田はその一つの例 として、16世紀以降オース トリア、ハ ンガ リーの二重支配 を受 けた クロアチアにお けるアーカイブズの起源 について述べ る。両属的な立場に あった小 国た るクロアチアが、その 「国家性」を主張 した根拠 は、(ハブスブル グ帝国)国王の代理 人 と してクロアチア総督 (バ ン) とい う官職が設 け られ ていた こと、また独 自の身分制議会 (サボ ル)の開催 が認 め られていた ことな どだ った とい う67. 石 田は、 「17世紀 に入 る と、 こ うした 『国家性』 を証 明 しうる記録文書の収集 ・保存が、クロア チアで よ うや く始 まった」 といい、1643年、クロアチア議会は、ク ロアチアにおける各種法律文書 を-箇所 に収集 ・保存す ることを決議す ることとなった 68。その後、19世紀前半に起 こった民族独立 の嵐 を経て、アーカイブズの法制化や、国立博物館 、国立図書館や科学アカデ ミー、大学その他の 組織が設立 され る。石 田によれ ば 「これ らの多 くはクロアチアの 『国家性』や 『民族性』 に関す る 主張 と密接 に結びつ きなが ら発展 してい くが、その意味では、そ うした関連づけが もっ とも明確 に あ らわれ ていたのがアーカイブズであった ともい える」 69とい う。 国民国家形成期の クロアチアに あって、その国家性 、民族性 とい う集 団的アイデ ンテ ィテ ィー を証明 しうる記録史料は、ま さに 「民 族 の遺産」 7Oに位置付 け られたのだった. 東 ヨー ロッパの小国であるクロアチアにお けるナ シ ョナル ・アイデ ンテ ィテ ィーの形成 とアーカ イブズの発展 の歴 史は、東 アジアの同 じく小 国 としてその 「国家性」(あるいは 「民族性」といって もよい。 どれ も
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とい う英語 に置 き換 えることがで きるのだが) を絶 えず 自己確認 してき た、 日支両属的 な′J、国 とい う過去 を持 った沖縄 のいず まいを連想 させ る。 もっ とも沖縄の場合、ク ロアチアでアーカイブズが負 った役割 については、伊波 らの図書館 が 自覚的であったのだが。 また川 島浩平によれ ば、20世紀 中葉 に米国国立公文書館 を誕生せ しめた原動力は、アメ リカ建国 の主体だった ワスプ(
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勢力の意識 と行動 にあった とい う71。す なわち移 民の急増 とい う事態が もた らした1920年代以降の文化的多元化 の中で、古き良きアメ リカ を支 えた ワスプの存在 がメイ ンス トリームか ら遠 ざかってい くとき、「この運動 (公文書館設立運動 -筆者注)が彼 ら (ワスプ-筆者注)の過去の記録 と記憶 、そ して世界 とを保持 し、多元化す る現 在 と将来にむ けて彼 らの歴史的役割 を明示 し、『聖域』に保存す るとい う、その意味で守勢 に立った 旧権力者 の防衛的意識 と行動か らなるものであった といえるのではないか」 72とい うのである. 2-2 アーカイブズの政治性 ここまで、特定の共 同体 の存在証 明 と してアー カイブズ とい う碑 が建 立 され て きた例 をみて き た。近代アーカイブズの発生 と、その設置主体が孝 んでいた政治性 ・権力性 、そ してそれ を支 える 66石 田信一 「ク ロアチアにお ける国民形成 とアーカイブズ」歴 史人類 学会編 『国民国家 とアーカイブズ』 (日本図 書セ ンター1999年)p.235 67 同上p.238 68同上 69同上p.243 70 同上p.242 71川 島浩平 「国民国家の形成 と国立公文書館 」歴史人類学会編 『国民国家 とアーカイブズ』 (日本図書セ ンター 1999年)p.168 72 同上共同体の心性 は密接 にか らみついている。 文書の保管庫 としてのアーカイブズは、 もちろん歴 史の 発生 とともにあった。ただ、前近代 のアーカイブズにおいて、文書は権力者 だけがアクセス しうる キャビネ ッ トに仕舞 い込まれていたのに対 して、近代的アーカイブズは市民-の公 開を前提 とす る 点に大きな特徴がある。 なぜ な らば、アーカイブズは新 しい国家の国民に権利 を保障す る手段 であ るか、またはその構成員た る成員 に民族 国家の存在 を実証す るものであ るか、民族 の末南た る国民 に起源の姿を呈示す るものか、いずれ にせ よその よ うな形で近代化 を遂げて きてお り、アーカイブ ズは新 しく定義 された共 同体の成員 自らが文書-接近す ることを許容 し、それ によって、集団的 自 意識 を覚醒す る場 として機能すべ き要請 に応 えなけれ ばな らなかったか らである。 アーカイブズは、支配階級のための記憶 (いかに して統治すれ ば よいかの経験が記録化 された も の)の集積場所か ら、「歴 史資料」を基 に国民の物語 と枠組み を供給す る装置 に変貌 してい く。 しか しそれは、単にアーカイブズの鍵 を持つ者 が交代 した とい うことだったのか も しれ ない。封建的な 支配者か ら文書保管庫 の鍵 を奪い取った者 、それ は新 たな国民の物語 を生産 し流通 させ よ うとした 歴史家だったのである。川 島は、 このよ うなアーカイブズの政治性 を注視 したアメ リカにおける研 究の動向を踏 まえて次の よ うに言 う。 「それ によると文書館 の実務上主要な意志決定の場所である収集 、カタログ化 、分類 、閲覧、予算 、 保存な どの作業はすべて特定の政治的意 図 と切 り離せ ない関係 にあ り、 これ ら全体が文書館 のマ ク ロ的機能 として、国民の集合的記憶、集合的ナ シ ョナル ・アイデ ンテ ィテ ィを構築す るとい うので ある。それ ゆえ、文書館 は記憶の保存所 とい うよ りは、製造所 であ り、その意味で政治的であるこ とになる」 7 -この ことを沖縄 にあてはめてみ よ う。琉球政府 文書の公 開 とuscAR (琉球列 島米国民政府)文 書収集 プ ロジェク トが、発足時の沖縄県公文書館 の大 きな柱だった ことは前述 した とお りだが、そ の事 自体がある種 の社会性 ・政治性 を帯びてい る。 当時、反基地運動が施政権返還後 としては例 の ない高揚 をみせ 、戦後 日本の沖縄政策 と米国の 占領政策 (なお米軍基地が沖縄 に返還 され ない こと によって一種の 占領状態が継続 してい るとい う認識 も含 めて) に異議 を申 し立て る機運が高まって いたO復帰前の沖縄 がいわゆる 「異民族統治下」で どの よ うに 自治 を獲得す る闘いを行 ったかを象 徴す る琉球政府文書 と、米 国の 占領政策 の形成 と遂行 の過程 を証拠立て る USCAR文書が、沖縄県 公文書館 の中心 を成す収集資料 としてア ピール され るのは当然 の ことだった。 もともと沖縄県にお ける公文書館設置構想の契機 は、施政権返還 を 目前 に した琉球政府 が将来 にお ける歴 史的重要性 を 考慮 して廃棄せず に沖縄県に引き継 いだ政府文書 を、県民の利用 に供す るための施設 が必要だ とい うことにあった。沖縄 の歴史研 究者 はそのための運動 を営 々 と続 けてお り、戦後 50年 、す なわ ち 「米国 とい う異民族統治」が始 まって半世紀 とい う区切 りが、なみなみ と注がれた コップの水 を溢れ させ る最後の一滴 となったのだった。 最後の一滴 を注いだ者は、当時の沖縄県知事であ りまた歴史研 究者 であった大 田昌秀だった。大 田は戦前の沖縄 の民衆意識や沖縄戦、戦後の 日米琉関係 とい う分野で多 くの実績 をもつ、戦後沖縄 を代表す る研 究者である。大 田は戦後 50年 とい う歴史意識 の高ま りの前後で、沖縄 県民が新 たな物 請 (「平和 を発信す る自立 した沖縄」) を共有す るための事業 を精力的にデザイ ン した。 それは、皇 73同上p.169 現在沖縄県公文書館 の資料収集整理事業 において大 きな比重 を占めるものは在米 の沖縄統治 関係 資 料である。資料 による 「占領」は未 だ続 いてい るのではないか とい う幻覚 に も襲われ る。 - 17
-民化教育 を受 けた 「鉄血勤皇隊」の一員 と して参加 した凄惨 な沖縄戦 に傷つ いた 自らの魂 の経験が 要請す るものであ り、また戦後 のアメ リカ統治 が もた らした沖縄 の現実 に激 しく異議 を唱 えて きた 理論的 な帰結 と して、 当然 の営為 だった。 さらに沖縄県公文書館 は、大 田のかつての同僚であ り占 領 史研 究の第一人者 で もあった宮城 を館長 に持つ ことで、大 田のデザイ ンを具体化す る体制が整 っ た。 宮城 は開館 に際 して、次の よ うなメ ッセー ジを残 してい る。 「目下収集 中の、 も しくは収集 予定の文書 には、琉球王国時代 の古文書 (主に中国か ら)、戦前の 県政文書 、戦後 の米 国統治時代 の英文資料 (GH(〕文書 のなかに10万件 、米 国公 文書館 に375万件) 等 がある。個人や組織 の コ レクシ ョンも収集 中である。 これ らの資料 が県 内外 の学者や研 究者 は も ちろんの こ と、広 く一般 県民 に も利用 され るよ う歴 史の証言者 ・社会的記憶装置 としての公文書館 の存在 をア ピール してい きたい」 74 ここにおいて、社会的記憶装置 としての公 文書館 が、沖縄 で俗 に言 われ る 「唐 の世」 (冊封体制 ・ 朝貢 システ ムの琉球)を表象す る琉球王国時代 の古文書 と 「ヤマ ト世」(戦前の 日本統治下)を表象 す る戦前 の県政文書 、 「ア メ リカ世」 (米国統治時代) を表象す る英 文資料 、そ して公文書 に とどま らず私文書 も配慮す るこ とが表明 され た (琉球政府文書はすでに収集 済み なので この段落ではあえ て例 示 され ていない)。 この宣言 には宮城 の歴 史研 究者 と しての誠 実 が溢れ てお り、鹿 野が表現 し た よ うな 「自己回帰運動 と しての過去 に向か う心」 を、公文書館 が収集 とい う営為 を通 して ど う確 保す るか とい うこ と-の回答 ともなってい る。 だが、 この メ ッセー ジには、現代 のアーカイブズを アーカイブズた らしめるはず の資料群 -の言及 が欠落 してい るこ とを指摘 しなけれ ばな らない。 こ の欠落 あ るいは空 白に、アーカイ ブズをめ ぐる新 たな政治性 を読み とるこ とも可能 だ ろ う。
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「政治性」 を超 えて∼
「沖縄世」 の公文書館 とは何 か 3-1 沖縄県公文書館 と公文書館法 現代 のアーカイ ブズ をアーカイブズた らしめるはず の資料群 とは、沖縄 県の組織文書、つ ま り戦 前 ・戦 中の沖縄県お よび 日本復帰後 の沖縄県 に帰属 し保管 され た文書 の ことである。琉球政府文書 の ことを略 して琉政文書 とい うの と対語 的 に、これ らの文書 を 「県政文書」と呼ぶ ことが多かった。 戦前 ・戦 中の組織文書 は も とよ りほ とん ど残 っていない。現在 沖縄 県公文書館 に収蔵 されてい るの は、歴代県令や知事 な どの当時の県職員 が本 土-持 ち出 した文書 が、関係者 に よって沖縄県-の寄 贈 とい う形 で戻 って くる経緯 を辿 った ものがほ とん どである。 戦前 ・戦 中の県政文書の収集 は、研 究者が資料調査 の過程 で入 手 した情報や 、偶然 に頼 って行 われ ることが多い。 したが って県政文書つ ま り沖縄 県の組織文書 (以降、沖縄 県文書 とい うことにす る) は、 もっぱ ら日本復帰以降の沖縄 県の ものが 中心 とな る。 だが、宮城 のメ ッセー ジにお いて公 文書館 の収集予 定文書 リス トに明示 され なか ったのは、 この復帰以降の沖縄 県文書だった。 しか し沖縄県文書 とい う資料群 は、公文書館 の本来的な収集対象 資料 である。 沖縄 県が公文書館 を設置す るにあたって根拠 と したのは 「公文書館 法」 (昭和 62年 法律第 115号)だった。 その第 1 条 において 「この法律 は、公 文書等 を歴 史資料 として保 存 し、利用 に供す るこ との重要性 にかんが み 、公 文書館 に関 し必要 な事項 を定 めるこ とを 目的 とす る」 と法 は言 う。第3条 において 「国及び 74沖縄 県公文書館 パ ンフ レッ トよ り 宮城悦 二郎 「開館 にあたって- 開かれ た公文書館 を 目指 して」 (沖縄県公文 書館 1995年)地方公共団体は、歴史資料 として重要な公文書等 の保存及び利用 に関 し、適切 な措置 を講ず る責務 を有す る。」 とされ てお り、国及び地方公共 団体 が責務 を負 う 「公文書等」 とは、第
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条 にお いて 「国又は地方公共団体が保管す る公文書その他 の記録 (現用の ものを除 く) をい う」 と定義 され た。 国又は地方公共団体が この法 において責務 を負 うのは、 1でみた よ うな多様 で広範 な 「歴 史資料」 (広義のアーカイブズ)のなかで も、領域 限定的である 75。 3.2で、諸外国の近代国家形成 の過程 にお けるアーカイブズの発生 と法制化 の例 をい くつか見た が、近代的なアーカイブズに関す る法制 を持たなかった 日本 に とって、 この法律 がその最初の もの である。 この法律 の解釈や運用 をめ ぐる問題 は関係者 によって さまざまな立場か ら指摘 され てい る に して も76、それ まで現用期 間が過 ぎれ ば廃棄 され て きたか、永久 に市民のア クセ スの届 かない所 に置 き去 りに されてきた公文書について、法 に示 された権力意志 として、国及び地方公共団体が適 切な措置 を講ず る責務が定め られた ことの意義 は大 きい。 「国及び地方公共団体」を 「権力機 関」と 言い換 えてみれ ば、 この法律 の持 つ意味は よ りくっき りした輪郭 を得 るよ うに思 う。民主主義社会 においては、公権力の行使 は、市民の付託 にその根拠 を持つ。 したがって市民は、公権力のな した 意志決定や遂行 の過程等 について知 る権利 がある。情報の共有 と公 開の可能性が不 当な権 力行使 の 自己規制 をも促す。権力行為 の検証 を、文書へのアクセ スを可能 にす ることによって制度的に担保 す ることが、アーカイブズの機能 として定義 され る。 沖縄 県はこの法律 を設置根拠 に、 「歴史資料 として重要な公文書その他 の記録 (以下 『公文書等』 とい う。)を収集 し、整理 し、及 び保存す る とともに、これ らの利用 を図 り、もって学術及 び文化の 振興に寄与す ることを 目的 として、沖縄 県公文書館 を設置す る」 77として公文書館 を開館 した。公 文書館 の設置に伴 って、沖縄県 は文書管理 に関す る諸規程 の改正 を行 い、結果 と して文書管理体制 に大 きな変化 があった こ とは、あま り知 られ ていない。歴 史的 に重要 な公文 書等 を公 文書館 で保 存 ・公開す るために、沖縄県の作成 ・収受 した文書は、最終的 には公文書館 -引き渡 され ることに なった。規定上は、沖縄県の文書は最長 で も21年 しか所管課 の手元 には置 けない。 その後 は公文書 館での 自由な閲覧の対象 とな り、ま さに共有 の財産 として開かれた ものになる。 この よ うな例規 の 整備 とそのための施設 がある以上、沖縄県 とい う組織 の営みが続いてい く限 り、沖縄県の文書は絶 えることな く公文書館-送 られ続 け、市民によって読み解かれてい くことにな る。 これが、公文書 館法の趣 旨を全 うす るために、沖縄 県 とい う行政機構 が 自ら行 った 「改革」だった。公文書館 の設 立は、新たな歴史資料館 の開館 とい う以上に、市民社会 において大 きな意義 を持つ ものであった。 沖縄県の前身機 関の文書 として総務部文書学事課所管か ら教育委員会- と移管 されていた琉球政 府文書は、もはや 「現用」でな く、かつ 「地方公共団体が保管す る公文書その他 の記録」に該 当す るがゆえに、沖縄県文書の一角 として、公文書館法にい う責務 のオブジェク トとな りえた。 それ も 戦後沖縄 の 占領 の歴史に刻印 された、ほ とん ど特権的 とい うべ き巨大なオブジェク トとして。 75 この責務を負 う公文書以外の ものを収集す るのは、公文書館の義務ではな く市民サー ビスのオプシ ョンと言 うべ きだろ う.国又は地方公共団体の保管す るところでない歴史資料 を公文書館が収集す ることについて、富永一也は 「外部の記録の収集 について、それ を禁 じる法律があるわけではないか ら、必要な らば公文書館 で手 を染めてもよい が、あくまでもそれは個 々の公文書館の、個別の方針 によるべ きものであ り、公文書館法に表現 され るところの公 文書館の理念 とは無関係である」 とい う。富永一也 「公文書館論」『沖縄県公文書館研 究紀要第 3号』 (沖縄県公文 書館 2000)p.7 76 法の解釈運用か ら公文書館の理念的位置付 けにまで及ぶ 日本国内の議論 については、富永の前掲論文が新 しいア プローチで整理 している。 77 沖縄県公文書館 の設置及び管理に関す る条例 (平成 7年3月 31日 条例第 6号)第 1条 ー 19-しか し、 占領期 が一 琉球政府 の時代 が一 終わって も、それ は歴史の終わ りを意味す るものではな い。過去の再構築 を業 とす る歴史研究者 に とっては、あるいは終わ りなのか も しれ ないけれ ども。 しか し人 々は相変わ らず現在 とい う対象化 され に くい歴史 を生 きているのであ り、集 団的 自意識の 拠 り所 を求め続 ける。 「われ われ」の物語 は、生産 あるいは再生産 され続 ける。現在の沖縄 の置かれ た位相 は、今 もなお沖縄 の人々を してそのアイデ ンテ ィテ ィー をよ り強 く自問せ しめているのだか ら。 3-2 「民主主義」の礎石 としての公文書館∼アーカイブズ の鍵を市民へ∼ 鹿 野が述べた よ うな、向かいあ う他者 なき 「沖縄世」の礎石 となるために、公文書館 は何 をす る べ きなのか。公文書館 は、おそ らく過去の歴史 を再構築す る場所 としてだけのアーカイブズではも はや あ りえない。近代 においてその よ うな場所 として発展 してきた欧米のアーカイブズは、既 に現 代的なシステム- と変貌 を遂 げている。今 、アーカイブズをめ ぐる議論においては、現代の政府機 構 とい う巨大化 した権力 システムにお けるアーカイブズの 「現在 を記憶す る装置」 としての役割が 問われている。それ は権力 システムの網 の 目において、何 がその権 限 とな り、誰がその権限をもち、 何 を決定 したかの証拠 を保存 し公 開す ること、 日常の行政行為 に隠 された権力機構 と主権者た る市 民の相 互作用 の証拠 を保存 し公 開す ること、市民 の付託 に よって成 り立つ行政 とい う権力 の営み を、文書化 され た証拠 の共有 によって開いてい くとい う要請 なのである。 アーカイブズは、政府機 構 が 日々刻 々 と蓄積す る情報 を捕捉 し、公開す る。 アーカイブズはその鍵 を権力者か ら、そ して歴 史研 究者 か ら、市民- と受 け渡 さねばな らない。 この 自己決定権 の回復 こそは、他者の鏡 に映 る自 己像 と自意識 の間で長 い葛藤 に耐 えてきた沖縄 が欲 してや まなかった もので もある。鹿野の 「県政 時代-の取 り組みにい ささかの揺 らぎも起 きない よ うに」 とい う希望に、公文書館は このよ うな形 で応 えることもできるはず である。 しか し、 この新 しいアーカイブズ像の呈示 は、アーカイブズに 「開かれ た社会