佐藤達哉:勉強しながら質問できるような授業や学習会を
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︵︑勉強しながら質問できるような授業や学習会を
行政社会学部助教授
佐 藤 達 哉
福島を本拠とするある会が,福島にできる予定の女 性センターについての学習会を開いた。先行して設置 されている他の県の事例などを含めて説明があり,討 論もなされたという。
その後,会では会報を発行し,その会の様子を伝え ていた。掲載された参加者の声もおおむね好意的であ
り,有意義な会であったことがよく分かる。
しかし,ある参加者の声にはちょっとした不満が含 まれていた。以下で改変しつつ紹介すると,rわから ないことをそのまま質問したら,『不勉強で来るのは 失礼』と言われてしまい,尋ねた質問の答えも分から なかった。(中略) 一人ひとりの発言が非難されな いように,意見として尊重され討論される会であって ほしい。」というものである。
私自身は,当日の会に参加していないので,一方の 側の発言のみをとりあげるのはアンフェアだと思うが,
この発言には多々考えさせられた。そこで,会の内容 ではなく,質問することとはどういうことか,という ことについて以下で考えてみたい。
日本にはr聞くは一時の恥,聞かざるは一生の恥」
という格言?がある。内容については説明するまでも ないだろう。さて,このような格言が生きているとい うことは,実際にはそうじやないことが多い,という ことを示している。「ゴミを捨てるな!」という看板 は,ゴミが捨てられていなければ存在理由を失ってし まうのと同じ原理である。
大学教員として,授業中に質問が少ないと感じてい るのは私ひとりではない(かといって,自分が大学の 講義の時に質問をしたかといえば必ずしもそうではな
いのだが)。
そこで,今年の授業ではr質問タイム」というもの を設けてみた。授業の切れ目の時間に,とにかく質問 してもらうのである。ところがやはり質問はナカナカ 出ない。質問が出ないと全員欠席にする!と脅してし まったこともある。
質問が出ない理由には大きくわけて3つ考えられる だろう。まず,聞いているふりをしているが聞いてい ない場合。次に,聞いてはいるのだが,何を質問すれ
ばいいのかが分からない場合。もう1つが質問すると いう行為ができない場合である。
最初のは論外としても,何を質問すればいいのか分 からない場合も確かに多い。
私事であるが,先日出席したrヴィトゲンシュタイ ンの色彩論」という哲学者の講演を聞いた時には,何 を質問していいか全く分からなかった。
一方,質問したいことはあるのに,それを伝えられ ない場合だって多いものである。色々考えるのではあ るが,「こんなことを聞いたら流れを途絶えさせてし まって申し訳ない」とかr人の注目を浴びることにな るのがイヤ」というような理由で,質問行動=発問が できないのである。
いずれにしても,質問が出てこないと,一般に聴衆 の責任になることが多い。
聞いてない。
質問するほど理解できてない。
質問できるのにしない。
しかし,こういつた行動を聴衆がとるのには理由が ある。その理由は聴衆にとっての環境要因,つまり講 師の側にある場合だって考えられはしないだろうか?
まず,教師や講師が質問できるようにわかりやすく 説明できていない場合がある。これはとりあえずおい
ておく。
次に,質問できる雰囲気である。投書の主の例に戻 ろう。この人は,学習会で質問したのである。質問し たのに,それがr失礼である」と切り捨てられてしま ったという。
私見ではあるが,日本人が会議,勉強会,授業など で質問をしない理由の1つにはr質問者を褒めない」
ということがある。せっかく(?)質問してるのにr不 勉強」と言わるのであれば,黙っていた方が良いとい うことになっても仕方ない。また,こういつた情景を 見ている他の人も「生半可なことを言ってはいけない」
と思って益々自分の殻に閉じこもってしまうだろう。
そうではなく,r質問行動=発問すること」自体が,
人から評価されるような雰囲気作りをしていかなけれ ばならないのではないだろうか。
58 福島大学生涯学習教育研究センター年報 第4巻 1999年3月
分からないことは聞いてその場で理解する。授業に せよ勉強会にせよ,その方が有意義であることは間違
いない。
この点についてよく比較に出されるのはアメリカで ある。アメリカでは,とにかくたくさんの質問が出る
という。ここである人の体験談を紹介しよう。
一流大学(と言われる大学)の物理の授業でr三角 関数のタンジェントについて教えて」という物理学以 前の質問がでて,「いくら何でも,そんなことを大学 で質問していいのか?」とその人が驚いていると,教 師は「よい質問だ!」と言って説明を始めたのでさら にびっくりしたというのである。
rよい質問だ!」というのは一種の慣用句・常套句 のような意味しかないのだろうが,それにしても日本
とはやはり違うのではないだろうか?質問されること 自体に不快になる人もいるようだし,私自身のことを 考えても,あまりに初歩的な質問がでると,rよい質 問だ!」の前に失望感が顔に出てしまうことが無いと は言えない。
生涯学習の時代を迎えると,教師・講師の知的バヅ クグラウンドとは異なる背景を持った人達が,話を聞 くことになる。その際,分からない言葉や考え方があ れば,自分で調べるというのはもちろん大事である。
しかし,それにだって限度があるだろう。社会人の中 には,限られた時間をやりくりして授業や学習会に出 ている人だって少なくない。そういった人達が,限ら れた時間内で理解できるような仕組みを作っていかな ければいけない。かといって教師・講師が全て説明し ていたのでは話が進まない。分からないところを質問 できる,というシステム作りこそ,皆が学習する時代 にふさわしいのではないだろうか。
ちなみに,現行の単位数の決定は,講義2時間に対 して予習1時間,復習1時間するというタテマエにな っているので,通年1コマの授業が4単位なのである。
社会人学生を受け入れる際には,こうした単位計算法 のようなものも考え直して,生涯学習のシステム作り をしていかなければいけないのではないかとふと考え た次第である。