イ デ ア 旅 行 記
経済学部現代ビジネス学科2年手塚 航
私はその記事の内容が気になり、トピックのペー
ジを開く。
最初に目に入った文にはこのような事が書かれ
ていた。
『イデア共和国は世界にただ一つだけの知識を取
引する摩訶不思議な国! イデア共和国は大西洋
に浮かぶ小さな島島国で、日本では知名度が低い
ものの密かに注目を集めています。この国の一大
産業は知識で、人々の頭の中にある知識や経験に
よって培った技術などを『触れられる情報体』に
変換し、それを他者に移せるというもの。私も自
分の知識を売ったり、他の人の知識をもらったり
しました。知識を取り込んだ感想としては、お店
で買った知識がまるで元から自分の知識の様に
残っています。これは知識を得た人にしか分から
ないと思います! この記事を見た貴方もこの不
思議な感触を体感してみてはいかがでしょうか!』
記事には執筆者が現地で取った写真がいくつか
掲載されていたので一枚一枚見てみる。 執筆者は市場に売っている『固形化された知識』
という物を買い、今までに無い、新たな知識を得
たらしい。
一枚目の写真を見ると『固形化された知識』は
どれも七色に光る綺麗な正方形で、中ぐらいの大
きさの段ボール位の大きさのものから箱根の寄木
細工と同じぐらいの大きさの物までまとまりが無
く、テントのような市場の出店の中で所狭しと並
べられ、それがどういう知が固形化されているか
を表すのであろうラベルが貼られている。
下の方を見ていくと『固形化された技術』に関
しての記述も見つけた。
『この島で取引されているのは正方形の知識だけ
ではありません。人が経験によって得た体感的な
技術も『固形化された技術』として売られています。
こちらは七色に光っているのは『固形化された知
識』と同じですが、形は正方形ではなく綺麗な球
体なんです。こちらも大小様々で、大きいほど膨
大な技術が詰まっていて、小さいほど限定的な技 そこは世界でただ一つだけの国だった。
知識を正方形の『触れられる情報体』に変換し
て売ったり、肌で得た経験を脳から抽出して大き
な丸い球体に変質させてから買い取るといった活
動が、この国の一大産業となっている。
私はそんな不思議な国、イデア共和国を訪れた。
私は旅好きな、経済学を専攻するごく普通の学
生だ。
中国やオーストラリア、アメリカやロシアなど
の大国から、ニューカレドニアやパナマにマダガ
スカルなどの小さな国まで色々な国に訪れてきた。
基本的に一人旅が好きで、我が身一つで困難も
快楽も発見もしてきた。
それは今も、これからも役立つと信じている。
そんな私の目に留まったのはとあるネットブロ
グの記事だった。
『知識が取引される国、イデア共和国に行ってみ
た!』
術になるらしいです。こういった知識や技術は『複
製屋』という所で人の知識を複製し、固形化する
事で市場に流れるそうです』
こちらにも二枚目の写真があり、丸い『固形化
された技術』が大きさと種類で分けられ、販売す
るお店の大部分を埋めていた。
その次の三枚目の写真には、海岸線に多くのサー
ファーが大きな波に乗ってサーフィンをしている
様子が写されている。
イデア共和国の首都バイロンの市場からすぐ近
くの所に海岸があり、そこにはいわゆる大きな『乗
れる波』が多いという事もあり、知識の国の観光
も兼ねて国外から来るサーファーも多いのだそう。
この海岸、知識の国という事で他の国では見ら
れない、特有の文化があるらしい。
それは『一日サーファー』と呼ばれ、サーファー
から買い取ったサーフィンの技術を観光客に売り、
技術を取り込んだサーフィンに縁の無い観光客が、
新しく得た技術を試す為にサーフボード片手に海
に入って行くらしい。
元々ここにはサーファーが多く来るので、サー
フィンに関する技術の在庫には欠ける事が無いん
だとか。
その他にもいくつかの情報を参照し、旅費や宿
泊費などの費用をお財布と相談しながら決めて いった。私の旅行においての活動資金は主にアル
バイトだ。
家は特別裕福という訳では無いし、旅行したい
という欲望を充足させるにはせっせと働き、お金
を貯めるしかないのだ。
私は昔から両親が旅行が好きなのでよくくっつ
いていっていた。
見知らぬ国、見知らぬ風景、見知らぬ食事、見
知らぬ文化。
国が違うとありとあらゆる物が違ってくる。大
体一緒なのは空港とホテルぐらいだろう。
ホテルに関しては酷い所はとことん酷いという
違いはあるけど。
両親は最近、シンガポールや香港、韓国などの
アジア圏によく行っていて、ヨーロッパなどの遠
方は『お金が無いから行かない』らしい。
昔は親と行く事が多かった旅行も、今では一人
で行く事の方が多くなった。
寂しいかと言われれば少しはとは思うが、一人
で自らの足で歩く旅行という物もなかなかいい。
将来の為にあらゆる国に行き、産業や土地柄、
言語などの文化に触れ、語学と知識に秀でたグロー
バル社会を生きる人材として活躍する、なんて思っ
ていないけど私はいままでしてきた経験が自分だ
けではなく、多くの人にも知ってもらいたいなと 思い、エッセイを書いたりもしているけど、その
中でも今回のイデア共和国は一際特殊なものにな
るだろうと思っている。ああ、早く旅行に行きた
いな。
そして9月4日、私は成田からイギリス、グラ
スゴー空港に向かった。
イデア共和国は成田からの直行便が無い為、地
理的に近いイギリスから飛行機を乗り継がなけれ
ばいけない。
そんなイデア共和国はというと、非常に小さい
島国で国土面積は岡山県とそんなに変わらないほ
どの大きさしかなく、国と言うよりかはイデア島
と言った方が良さそうだ。
それでも国と言えるのは、一重にこの島国が独
自の自治権を持っている事、そして海外の官僚な
どに高価で貴重な知識を提供している事で、20
か国と不可侵条約を締結しているかららしい。
それほどにこの国の一大産業は特殊なのだ。飛
行機は成田の地を離れ、夜を強く照らす都会の明
かりがどんどん小さくなっていく。と言っても羽
田から見た景色ほどではないけど。羽田空港に国
際線ターミナルが出来た事で以前ベトナムのホー
チミン空港に向かう際に利用したことがある。私
が国外に行く時は何故か夜は多く、今回もその時
イデア旅行記
も夜だった。
羽田から離陸し、飛行機が5000メートルほど
の高さになった時に窓を見てみると、東京の大都会
がいかに光に満ちているかがよく分かる。
アメリカのラスベガスも負けてなかったけど、東
京がラスベガスと違うのはビルの多さだろう。
ぎっしりと隙間を埋めるかのように並ぶ都会の
ビル群は、まるで光るコンクリートの樹海のようだ。
それに比べると成田の地は控えめな光が点在してい
るなと感じる。
旅行の感想などをまとめたブログやエッセイな
どには決して語られないが、エコノミークラスの飛
行機には国際線特有の2つの罠がある。
第一の罠は機内食だ。
ビジネスクラスとかの高級席と違って、味が保障
されているとは限らない。
もちろん全てがそうであるとは言わないし、オー
ストラリアに行って来た時に出てきた機内食のデ
ザートは美味しかった。
しかし多くの場合は舌の肥えた日本人には合わ
ない物が多く、食べられるならいっかというぐらい
の美味しさしかない。
第二の罠は睡眠だ。
これは人にもよるけど、座ったまま寝るというの
は案外横になって寝ている私達にとってつらかった りする。
一応飛行機に乗る人の為に飛行機用枕なんての
も売っているけど、よりお金をかけて高い物を買う
事をお勧めする。
睡眠の質は枕の質に比例すると私は思う。
以前、ロシアのモスクワに行く時に安くて固い、
くの字型の枕を使った所、1時間しか寝れず、モス
クワの寒さと相まって地獄を見た。
私は多くの国で英語を使う事が多かったのでそ
の内英語でドリンクの注文も簡単にするように
なったが、最初はなかなか難しい。
とはいえ、一人旅だと税関で英語で話しかけてく
る為、慣れればどうという事も無い。
これら三つは海外旅行に行く上で気を付けるべ
きだと思っているが、初めはうまくいかないものば
かりのため、海外旅行に行くという友人にはいつも
忠告している。
備えあれば憂いなしということわざもある事だ
し。
旅行は行きの飛行機から始まっているのだ。
フライトは長く退屈なので、私はよく電子書籍を
開いている。
空の上は電波が飛んでないので、スマホを使わな
い本やゲーム機などしか使えない。
しかしスマホにもオフラインで使える電子書籍 もあるので、荷物にならない事もあってよく利用し
ている。
最近は漫画のバリエーションも増え、好みのジャ
ンルをピンポイントで探せる他、芥川龍之介や夏目
漱石などの著作権が切れた作家の小説は無料で読め
る為、読み物にも困らないから時間つぶしにはちょ
うどいい。
日本時間で9時頃に仮眠を取り、離陸から10時
間、現地時間の夜7時に着陸した。
日本とイギリスには8時間の時差があり、イギリ
スの方が早い為、時間を遡るような感じになる。
ここからイデア共和国行きの飛行機に乗る為に
乗継便に乗るのだが、連絡通路は思ったよりも長く、
出発口に着くまでに結構疲れてしまった。
飛行機は行きの便よりも一回り小さい、コンパク
トなサイズの飛行機だった。
恐らく、距離もそこまで離れてないし旅行客が多
くないから小さくても十分なのだろう。
小さな機体は私の大きな期待を寄せながら、空港
から離陸した。
飛行機はバイロン空港に着陸し、私はイデアの地
に降り立った。
税関を抜け、どこの空港にも留まっているタク
シーの一台を捕まえてホテルに向かう。
バイロンのホテルはどこも予約不要な所ばかり
なので、そのまま通る事が出来た。
イデア共和国の公用語はボリテア語というもの
らしく、ホテルでは英語が通じたものの市場などで
は現地の言葉をほとんど使っている為、英語は使え
ないらしい。
英語は現地の言葉が分からなくても、何とかして
くれる便利ツールのようなものだ。
それが全く使えないとなると買い物とかは結構
大変になりそうだ。
せっかく知識と技術の国に来たのだから、役立つ
知識や経験したことの無い技術を得て帰りたい。
言語の壁をどう超えたらいいかを考えながらホ
テルマンに案内された部屋に行くと、そこにこの問
題を解決してくれる答えがあった。部屋は多くの国
で見られるベットにスタンドライト、大きな鏡の付
いた机があって、トイレとシャワーが付いてる標準
的なものだった。私は机に英語で書かれた紙が置か
れている事に気付き、目を通してみる。
『このイデア共和国の公用語はボリテア語という物
で、この国の住民はほとんどボリテア語しか話せま
せん。旅行者の方は大変不便かと思います。そこで
旅行者の皆さんにはボリテア語の知識を得てみる事
をお勧めします。イデアだけの技術、『固形化され
た知識』を体験してみてはいかがでしょうか? イ
デア第一言語商会より』 どうやらイデア第一言語商会という所に行けば
ボリテア語が話せるようになるらしい。
ご丁寧にこのホテルから最寄の店までの地図が
裏にプリントされていた。
私は言語を得た後の事を計画し、床に就いた。
朝目覚めてホテルのレストランに行くとまさか
の和食が出てきた。
内容はマグロ丼とお吸い物。タイヤの味がするグ
ミや蜂の子の丸焼きなど、珍味と言えるものをたく
さん食べてきたけど、海外で和食を食べるというの
はそれとはまた別の驚きがある。食べてみると普通
のマグロ丼とお吸い物だった。
日本の和食店で出てくるものとそんなに変わら
ないという事は、ここのシェフは日本人の料理人の
技術を得たのだろう。
このイデア共和国ならではというべきか。
シェフにこの和食の話をしたかったが、ボリテア
語が喋れないのでやめておこう。私は用意を済ませ、
地図に書いてあるイデア第一言語商会の店に向か
う。店にはよく分からない言葉の看板が立っている。
ボリテア語を習得すればあれが読めるようになるの
だろうか?店に入るとサイトで見た虹色に輝く正方
形の宝石みたいな『固形化された知識』がカウンター
の後ろで棚いっぱいに敷き詰められていた。 その中には中国語やキリル文字、韓国語やスペイ
ン語などのラベルが貼られているものがあり、その
中には『日本語』と書かれたラベルの物もあった。
私は英語で店員に話しかける。
「こんにちは、ボリテア語はここにありますか?」
「貴方は日本人ですね、もちろんありますよ」
まさかの流暢な日本語で返事が返って来た。
店員が金髪碧眼だっただけに不思議な気持ちに
なる。
「日本語、上手ですね」
「我が社の『固形化された知識』の『日本語の知識』
のお陰です。お客様も『ボリテア語の知識』を購入
して頂ければ流暢に喋れるようになりますよ」
「それじゃあ一つ買います。どれがお勧めですか?」
「観光客の方でしたら『イデア常用ボリテア語』を
お勧めします。これがあれば市場で普通に会話でき
ますよ」
「じゃあそれで」
「では料金の方が48ガペアになります」
私は店員に48ガペア払い、一辺15センチほど
の大きさの正方形を受け取る。
1ガペア=80円くらいなので3840円ぐら
い。
語学を学ぶ時間も手間も考えてみると破格の安
さだと思う。
イデア旅行記
『固形化された知識』は体積に対して重みを一切感
じない。
「これ、どうやって使えばいいんですか?」
「正方形のどこかを頭にくっつければ次第に吸収さ
れますよ」
店員の言う通り、正方形を頭に当てると、今まで
感じた事も無い、痛みとも快感ともいえない、形容
しがたい不思議な感覚が脳全体を駆け巡る。
まるで脳というコップに、新しい知識という滴が
注がれて広く染みて行くような感覚だ。
気が付くと正方形は跡形もなく消えている。
「どうでしたか、『固形化された知識』は」
今度はボリテア語で店員が話しかけてきた。
私にはたった今得たはずのボリテア語が、母国語
の様に自然と理解できる。
「凄いですね、まるで昔からこの国に暮らしてきた
みたいに普通に話せます」「『イデア常用ボリテア語』に満足して頂けたよう
で何よりです。もし良ければ他の常用言語もいかが
でしょうか?」
そう店員から勧められた『定住者向け常用&ビジ
ネス英語』という一辺25センチほどの英語の知識
は150ガペアもした。
日本円にして12000円だ。
ボリテア語と金額が全然違うのは使える国が多 く、幅広く喋れるからだと納得した。
こちらも凄く欲しかったけど、これを買ったらお
財布の中身が無くなってしまう。
「お金無いんでいいです」
「当店はクレジットカードも使えますよ」
店員の男がにっこりと笑い、カードリーダーを取
り出す。
……私は『定住者向け常用&ビジネス英語』を購
入した。
「ありがとうございました」
私は店を出て振り返り、看板を見ると『言語のお
店ワーズ』と読めた。
喋れるだけでなく文字もちゃんと読めるなんて、
本当にこの国の技術は謎に満ちている。
次に向かったのはこの国を知るきっかけにも
なった市場だ。
市場には現地の人向けの野菜や魚、肉などの生鮮
や食器などの日用品まで幅広く売られている。
変わっている所と言えば地球の裏側の民芸品が
普通に売られている所だろうか。
インディアンのお守りのドリームキャッチャー
と一緒にアフリカの民族が儀式用に使うお面が吊る
されていたり、ロシアのマトリョーシカの横に日本
の達磨があったりと、本当になんでもある。 特にアクセサリーに関しては目玉の形に彫られ
た水晶のネックレスや、ヘラクレスオオカブトの形
をしたロケットなどの見た事も無いアクセサリーが
沢山あった。
この国は知識の国である故に、工芸品の技術を得
た商人が様々な国のアクセサリーを作る事も出来る
のだろう。
そちらも気になったが、『固形化された技術』も
得て見たかったので、知識や技術が売られている、
旅行客向け市場に向かった。
なぜ知識や技術の市場が旅行者向けかと言うと、
現地の人は日用品のような感覚で購入するらしく、
目新しい物が入荷しないと買いに来ないらしい。旅
行者向け市場は虹色の玉と正方形で溢れていた。私
はスポーツの技術を売っている出店に寄ってみた。
「いらっしゃい。あんた観光客かい?」
「はい、日本から来ました」
「それはまた遠くから来たね~。そんな君にはこれ
なんてお勧めだよ」
彼が取り出したのは、『大人気! サーファー初
級』と書かれたラベルの貼られた『固形化された技
術』だった。
「バイロンからすぐのハーカク海岸はサーファーの
言う『ビックウェーブ』が来るんだ。サーフィンし
たこと無いなら買ってみたらどうだい?」
彼の言う通り、私はサーフィンをした事が無いし、
購入した技術をすぐに入荷出来るという点ではこれ
ほど良い物は無いだろう。
「じゃあ買います」
「35ガペアだよ」
私は店主にお金を渡し、『固形化された技術』を
受け取って触ってみる。
直径20センチぐらいの球体の表面は磨かれた
真珠の様にツルツルでうっかり落としてしまいそう
だ。
『固形化された知識』と同じく重みは全く感じない。
使い方は『固形化された知識』と一緒らしいので、
球体を頭に当ててみる。
こちらは知識と違って五体に形容しがたい衝撃
が広がっていくような感じだ。
こちらの方は知識と比べて吸収されやすいと感
じる。
「その効果を試したいなら海に行くといい。サーフ
ボードは15ガペアで借りれるよ」
「ありがとうございます」
「礼なんかいいさ。それよりも効果が実感出来たな
らまた明日ここに来てくれよ」
店主の言うように他の商品も気になるが、生憎手
持ちのお金に余裕が無い。
「すいませんお金があまり……」 「それは残念だ……さては第一商会の店でボリテア
語以外にも何か買わされたな?」
図星だった。とはいえ、このようなやり取りは以
前ニューカレドニアのナイトマーケットで似たよう
な事があったような……
「その顔見るにその通りのようだな。お客さんも災
難だなぁ~。あそこはボリテア語以外は市場の金額
のだいたい2倍くらいで売られてるんだぜ」
店主が少し憐れむような顔をしている所を察す
るに本当の事なのだろう。
私は以前、ニューカレドニアでもぼったくられた
事がある。その時は出店だったが。
確かにホテルの案内は真っ先にあのお店に向か
うように思わせるような事が書いてあった為、市場
でいくらで売られているかなんて知らない観光客は
ついつい他の商品も買ってしまう。そうやってあの
店はうまく儲けているんだろな……
それに気づいたところで、買ってしまってからで
はもうどうにも出来ない。
あと『固形化された知識』はクーリングオフが出
来ないという点でも商品として優秀だ。
今後は旅行者を狙った高額販売に気を付けよう
と心に誓った。
「……お客さん、ここはクレジット払いでもいいぜ」
そう言って店主はクレジットのカードリーダー を取り出す。
こういった市場でもクレジットカードを使える
出店はオーストラリアにもあった。
ここでも使える店は多いのかもしれない。
「……大丈夫です。また明日来ます」
ここで気を許してしまったら出費がどんどん増
えてしまう。私は逃げる様にして店から去ろうとす
る。
「そうかい、毎度あり~」
店主は嫌な顔をせずに、笑顔で手を振ってくれた。
私も手を振ってそのまま海岸に向かった。
海岸には多くのサーファーがいた。
遠くで大波の上に乗っている人もいれば、砂浜か
らあまり離れていない中くらいの波に乗る人など、
それぞれの出来る範囲で波に乗っている。
私も更衣室で持ってきた水着に着替えて、更衣室
近くのサーフボード貸出店で15ガペア払い、ボー
ドを借りた。誰に教えられた訳でもないのに、自然
と足に紐でボードと繋がったバンドを巻きつけてい
る。
まるで今まで普通にサーフィンをして来たかの
ように自然と何をどうすればいいかがはっきりと分
かる。知識を得た時とは似て非なるものだった。
私はボードを片手に海に入る。海に入ったらボー
イデア旅行記
ドを海に浮かし、ボードを持ってない手でクロール
の様にゆっくりと先に行く。
そしてボードを海岸の向け、向こう側に人が居な
い事を確認してから後ろの方を見て乗れる波が来る
のを待つ。
私には乗れる波がどんなものなのかも、乗った後
にどうすればいいかも経験していない。
ただそれがどんな波なのか、乗った後にどうすれ
ばいいのかは体が覚えている。
とても不思議な気分だ。まるで自分の体に誰かが
こうすればいいと指示しているかのような、自分だ
けの体では無いような錯覚すら感じる。そんな誰か
の感覚が『乗れる波が来たぞ』と体中に告げる。私
は無意識にボードに乗り、背筋を上向きに伸ばし、
波に乗る為の準備をする。そして乗れる波は勢いよ
く私に迫ってきた。
波がサーフボードを押し上げる刹那、私は力一杯
波の上で手を回転する。
私の上半身は宙に浮いているような気持ちにな
る。
体は知っていても、経験したことの無いような感
覚だった。
私は勢いで海岸近くまで漕ぐと、誰かの経験から
自分の経験になったのを自覚した。
もう一回波に乗った時にはもう不思議な感覚は 無く、技術は私の中に自然と受け入れられていた。
サーフィンをしていると当然お腹も減ってくる。
という事で一回サーフボードを返し、近場のレス
トランに入った。
ここもホテルと同じでシェフが色んな国の料理
の知識を吸収しているようで、世界各国の料理がメ
ニューにずらりと並んでいた。
その中からベトナムに行ったときに食べた揚げ
ネムと頼んだ。
揚げネムとは、簡単に言えばベトナム風の春巻き
で、日本の春巻きと違うのは具を包んでいるのが春
巻きの皮ではなく、ライスペーパーだという事だ。
生地がぱりぱりして食べやすく、ボリュームもあ
る所はベトナムで食べた物と同じだ。
もう二度と食べないかもと思っていただけに懐
かしさすら感じる。
揚げネムを食べ、店を出た私は再びサーフボード
を片手に海へと入り、日暮れまでサーフィンを楽し
んだ。
夕飯はホテルに戻り、昨日と同じサーモン丼セッ
トを頼んだ。
旅行先で祖国の味を楽しむというのはもったい
ないかも知れないが、このイデアだからこそ祖国の
味の良さを改めて知る事が出来たとも言える。
明日にはイデアから日本に戻らないといけない。 帰国に備えて私はいつもより早く寝た。
翌朝、荷物を整えてホテルにチェックアウトした
後に最初に向かったのは国営の複製屋という、この
島の要とも言える施設だ。
ここは旅行客から技術や知識を固形化して買い、
市場に流す固形化産業の中心だ。
早速私も頭に何やらチューブの付いたヘルメッ
トを被る。
この機械は脳の中の情報を解析し、それを固形化
してから商品として加工する為、脳に対するダメー
ジの後遺症も一切ないらしい。
すると頭の中をよく分からないものが這いずり
回るような不快感に包まれた。
それは2分で終わり、ヘルメットの先から虹色の
金平糖のような、ごつごつした物体が出てきた。きっ
とそれを加工して正方形や球体になるのだろう。
店員はそれを金属の何かの部品らしき箱に入れ、
PCを操作する。
すると、箱に繋がったチューブから30センチく
らいの正方形が出てきた。
結局私の知識は50ガペアで売れた。内容は『日
本の風習、和の心』らしい。
複製屋を出た後、私は昨日来た出店を尋ねてみる。
「こんにちは、今日も来ました」
「やあ、君は昨日の日本人の観光客か。律儀に来て
くれた君に入荷したばかりの技術を売ってあげよ
う。もし君が旅行に良くいくならおすすめだよ」
彼が奥から取り出してきたのは『小説・エッセイ
の嗜み 日本語版』と真新しいラベルの貼られた、
30センチはある『固形化された技術』だった。し
かしなぜ店主は私を日本人と知っていたのだろう
か? 店主に私が日本人と言った覚えはない。
彼にはチャイニーズやコリアンに間違えられや
すい日本人を日本人だと分かるポイントを知ってい
るのかも知れない。
「これいいですね。私は旅行に良くいくので買って
みようと思います」
「毎度あり。60ガペアだよ」
私の知識を売って稼いだお金が一瞬で吹き飛ん
でしまった。
私は購入した『小説・エッセイの嗜み 日本語版』
を頭に当て、サーフィンの時よりも多くの衝撃が脳
と両手を駆ける。
今なら万年筆でもキーボードでもなんでもうま
く使いこなせそうな気がしてくきた。
それから私はぶらぶらとアクセサリーなどの民
芸品の出店で、行った事の無い国のお土産と、知識
や技術を加工した時に出る虹色の粗を更に加工し
て、七色宝石にしたアクセサリーも家族へのお土産 として買った。
その後は来た空路を戻り、無事我が家に付いた。
そして私は早速60ガペアで買った技術を使ってみ
ようと、今まであまり使わなかったテキストツール
を立ち上げる。
タイトルは『イデア旅行記』にしよう。
イデア旅行記