遺伝子の塩基配列は「遺伝コード」によってアミノ酸配列に 翻訳されてタンパク質が生合成される.人工のアミノ酸を組 み込んだタンパク質を合成する目的で,大腸菌の遺伝コード の改変が行われている.新規に作製された大腸菌株(RFzero 株など)を用いて,組換えタンパク質の複数個所に人工アミ ノ酸(1種類)を組込むことが既に可能になっている.現在,
2種類以上の人工アミノ酸を自由に組込む技術の開発が進め られている.
遺伝暗号とは何か?
本解説は「遺伝暗号(または遺伝コード)」を話題の 中心にして,人工アミノ酸を組み入れたタンパク質の最 新の生産技術について解説することを目的にしている.
遺伝暗号とはコンピュータのOS(オペレーション・シ ステム)のようなもので,生物の基本的な性格を決めて いる.OSが更新されれば,それに合わせてソフトウェ アも改良されて動作がスピード・アップしたり,従来で
きなかったことができるようになったりする.ここで解 説するタンパク質生産技術の新しい展開とは,まさにそ のようなことである.遺伝暗号をOSにたとえたもう一 つの理由は,そもそも遺伝子組換え技術の用語にはコン ピュータや情報処理を連想させるものが多いからだ.こ れは偶然ではない.20世紀の後半にはコンピュータが 登場しているが,同時にヒト・ゲノムの解読に到達する ほどに分子生物学が急速に発達した時代でもあった.
ここで遺伝暗号についておさらいしておいたほうがよ いだろう.それは,生き物の2つの マジック ナン バーにかかわっている.つまり,DNAは 4種類 の 塩基(A, G, C, T)を含んでいて,タンパク質は 20種 類 のアミノ酸からできている(図1).遺伝暗号中で3 つ並んだ塩基は「コドン(codon)」と呼ばれているが,
これは「コード(code)」に由来する用語である.遺伝 暗号という日本語訳は少し古めかしくて,むしろ「遺伝 コード」と呼ぶべきかもしれない.コドンという用語 は,陽子(プトロン)や電子(エレクトロン)と同じ語 尾(-on)をもっていて,陽子や電子が物質の基本単位 であるように,コドンが遺伝の基本単位であることを示 唆している.
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【解説】
Innovative Technology for Recombinant Protein Production Using Engineered Genetic Codes
Kensaku SAKAMOTO, 国立研究開発法人理化学研究所ライフサ イエンス技術基盤研究センター
大腸菌の遺伝暗号の改変がもたらす 組換えタンパク質生産技術の革新
坂本健作
4種類の塩基を3つ並べると,4×4×4=64通りのコド ンを作ることができる.アミノ酸の種類は20種類でし かないので,いくつかのコドンが同じアミノ酸に対応し ていることになる.コドンがアミノ酸を「コード化」し ていると表現しても良い.たとえば,TATやTACとい う塩基の並びはチロシンというアミノ酸を意味してい る.また,TAG, TAA, TGAの3つの「終止コドン」は 文章中のピリオドのようなもので,遺伝子中のアミノ酸 配列に対応した塩基配列の最後に登場する.なお,正確 には,コドンはmRNA上の3塩基のまとまり(トリプ レット)を指す用語であり,RNAを構成する塩基で示 されるが,ここでは便宜上,DNA中の塩基配列として 表示することにする.「コード化」の考え方は分子遺伝 学の最も基本的な考え方であり,まさにコンピュータの 世紀にふさわしく登場してきたものである.「コード化」
を「暗号化・符号化(encode)」と言い換えると情報処 理に関係した感じが出るだろうか.どんなタンパク質が 作られるかという情報はDNAの中に存在していて
(コ ー ド 化 さ れ て い て),こ の 情 報 を,転 写 さ れ た mRNAを介して「翻訳(translate)」することでタンパ ク質が生産される.コード化と翻訳はちょうど反対の働 きである.生物の体を形作っている実体のある分子(タ ンパク質)の情報がDNAの中にコード化されていて,
その情報が,転写,翻訳されることで次の世代の個体が
作られるという法則の中にこそ生命の本質がある.
遺伝コードはコード化と翻訳の両方にかかわってい て,それだけに生物にとって非常に重要であるので大腸 菌からヒトまで基本的に同じである.よって,ヒトの DNAの情報を大腸菌に翻訳させてもヒトと同じアミノ 酸配列をもつタンパク質が作られることになる.1970 年代に華々しく登場した遺伝子組換え技術は,このよう に遺伝コードが全生物で基本的に同じだという事実を利 用している.もし普通とは異なる遺伝コードをもった生 物を作ることができたら,どのようなタンパク質を作る ことができるだろうか?
コドン・ ハイジャック
遺伝コードが改変された大腸菌について述べる前に,
類似の技術について説明しておきたい.ここで筆者が
「コドン・ハイジャック」と呼ぶ技術は,人工のアミノ 酸をタンパク質に導入するために現在でも利用されてい る手法である.遺伝コードには20種類の天然アミノ酸 がコード化されているが,これら以外のアミノ酸を「人 工アミノ酸」と呼ぶことにする.英語文献では,syn- thetic, non-natural, unnatural, non-canonicalなどの形容 詞がつけられて登場する.デザインされたアミノ酸の意 味でdesigner amino acidsと表記することもある.図2 にいくつかの人工アミノ酸の構造式を示した.チロシン 誘導体である化合物1は光反応性を有し,2はタンパク 質の構造安定化に利用され,さらに,4は天然タンパク 質の翻訳後修飾の再現に使われている.5, 6はリジンの 誘導体だが,6は遺伝子発現制御などに関与する翻訳後 修飾アミノ酸であり,5は3とともにタンパク質の部位 特異的な修飾に役立っている(1).人工アミノ酸をタンパ ク質に導入する技術は,遺伝コードが改変されてしまっ た状態を想像するとわかりやすい.つまり,天然のアミ 図1■遺伝コード
64通りのコドンと20種類のアミノ酸およびタンパク質合成終止と の関係を表にまとめた.コドンはmRNA上の3塩基のまとまりを 指す用語なので,DNAを構成する塩基(A, G, C, T)ではなく RNAの構成塩基(A, G, C, U)で表示するのが正しいが,本解説 では,便宜上,コドンもすべてDNA中の塩基配列として表示し ている.
図2■人工アミノ酸の例
これまでに100種類以上の人工アミノ酸がタンパク質に導入され ているが,数例について構造式を示した. -ベンゾイルフェニル アラニン(1),3-ヨードチロシン(2),4-アジドフェニルアラニ ン(3),硫酸チロシン(4),アジド- -リジン(5),アセチルリジ ン(6).
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ノ酸と同じように専用のコドンをもち,遺伝コードの中 に位置づけられている状態である.このとき,人工アミ ノ酸といってもタンパク質に取り込まれるメカニズムは 天然のアミノ酸と全く同じである.詳しいことは生物学 の教科書を見てもらいたいが,簡単に説明すると次のよ うになる.アミノ酸はアミノアシル合成酵素(aminoac- yl-tRNA synthetase; aaRS)と呼ばれる酵素の働きで tRNAに結合する(図3).tRNAはアミノ酸を結合した ままリボソームまで移動してmRNA上のコドンと結合 し,そのアミノ酸を合成途上のタンパク質分子に組み込 む.20種類の天然のアミノ酸のそれぞれに専用のtRNA 分子,aaRS分子,コドンが存在していて,遺伝子の塩 基配列を,mRNAを通してタンパク質のアミノ酸配列 に翻訳するために働いている.
人工アミノ酸がタンパク質に組み込まれる仕組みもこ れと同じなので,人工アミノ酸にも専用のtRNA, aaRS,
コドンが必要になる.tRNAやaaRSについては専用の 分子を人為的に開発して大腸菌にもち込むことにする.
これまで人工アミノ酸と一口にまとめて呼んできたが,
すでに100種類以上の人工アミノ酸が利用できるように なっていて,それら一つひとつの人工アミノ酸について 専用のtRNAとaaRS分子が開発されている(1).そこで 問題になるのは人工アミノ酸に割り当てる専用のコドン である.遺伝コードの64通りのコドンは天然のアミノ 酸をコード化している61個のセンス・コドンと3つの終 止コドンから構成されていて,天然の遺伝コードの中に は人工のアミノ酸のためのスペースは残っていない.人 工アミノ酸にコドンを割り当てるために,天然のアミノ 酸の一つを大腸菌から除くことでセンス・コドンを人工 アミノ酸のために空ける方法が用いられることがある.
たとえば,チロシン・コドンを人工アミノ酸のコドンと
して使用することを考えてみよう.大腸菌はチロシン専 用のtRNAとaaRS分子をもっているので,まずは,こ れらの分子が働かないようにする必要がある.たとえ ば,チロシンの生合成ができない大腸菌の変異株を富栄 養培地で培養したのち,チロシンを含まない培地に移 し,しばらくインキュベートする.これで,大腸菌の内 にはチロシンは全く存在しなくなるので,チロシン専用 のtRNAもaaRSも働けなくなる.そこで,チロシン・
コドンを目的の人工アミノ酸に翻訳するためのtRNAと aaRSの遺伝子を大腸菌に導入することで,これらの分 子を発現させれば,大腸菌はチロシン・コドンをチロシ ンに翻訳しないで代わりに人工アミノ酸に翻訳すること になるだろう.これで,人工アミノ酸によるチロシン・
コドンのハイジャックが完成する(図4).
ハイジャックによって突然コドンの意味が変わってし まった大腸菌は当然のことながら生き続けることはでき ない.しかし,組換えタンパク質を大量生産するときに よく行われることは,大腸菌の増殖が限界に達してから 目的の組換えタンパク質の生産を始めることである.こ の場合,大腸菌を長期に生き続けさせることはあまり必 要がなく,コドン・ハイジャックはタンパク質生産の観 点からはそれほど不利ではない.この方法には何といっ ても,コドン・ハイジャックに使われるコドンに相当す る天然アミノ酸の一つを含まないタンパク質にしか適用 できないという不都合があるが,人工アミノ酸をタンパ ク質の分子中の何カ所にでも導入できるし,タンパク質 の生産量もある程度確保できるので実用的な技術だと見 なされている(2).
図3■アミノ酸がタンパク質に取り込まれるメカニズム
アミノ酸は専用のtRNA分子の末端に,やはり専用のアミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)の働きによって結合し,そのままリボソームま で移動する.ここに示したtRNAはmRNA中のUAGコドンを読み取って,目的の人工アミノ酸を合成中のタンパク質に付け加え.UAG コドンは本来タンパク質合成の終わりを意味するコドンなので,UAGコドンを認識してタンパク質合成を止める分子(RF-1)が細胞内に 存在している.したがって,UAGコドンが人工アミノ酸を付加したtRNAによって読み取られるか,RF-1によって読み取られ翻訳が終了 してしまうかは確率的に決められる.
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コドン再定義
コドン・ハイジャックが実用的な人工アミノ酸の組み 込み技術であると言われても,何か釈然としない気持ち の読者も多いだろう.新しいアミノ酸を利用するために 使えなくなるアミノ酸が生じるのは困ったことである.
ちっとも使えるアミノ酸のレパートリーが増えていない ではないか,という不満も出てくるだろう.コドン・ハ イジャック法の問題点は,コドンの意味が変わってしま うことに対する対策がされていない点に尽きる.大腸菌 のすべてのタンパク質分子の中でチロシンが人工アミノ 酸に置き換わってしまえば,機能不全に陥るタンパク質 分子も多数生じるはずである.コドンの意味が変わって しまうと遺伝情報が正しく翻訳されなくなるので,生物 の中で遺伝コードを改変することは無理だと明確に主張 したのがF. H. C.クリック博士(DNA二重らせん構造 の発見者の一人)である.しかし,筆者らはクリック博 士のこのテーゼ(主張)をひっくり返すことができるだ ろうと考えた.
筆者らは,大腸菌の増殖に必要なタンパク質について だけは,コドンの意味が変わることによる機能不全から 救い出したいと考えた.あるコドンの意味がかわって も,同じ意味をもつ別のコドンがあるので,タンパク質 遺伝子の中であらかじめ別のコドンに変えておけば問題 は避けられるはずだ.そこで,必須タンパク質の遺伝子 中にできるだけ登場しないコドンを探して,それが TAG終止コドンであることがわかった.国立遺伝学研 究所のホームページで,大腸菌のどのタンパク質が増殖 に必要であるかを徹底的に調べた結果が公開されている が(PEC, http://www.shigen.nig.ac.jp/ecoli/pec/),こ
の情報が非常に役立った。大腸菌で使用頻度が一番少な いコドンがTAGであり、わずか7つの必須タンパク質 の遺伝子に登場するだけである。終止コドンにはほかに TAAとTGAの2つがあるので,筆者らはこれらの7つ の遺伝子についてTAGからTAAに変えるという操作 を行った.このことで,TAGコドンが人工アミノ酸を コード化するように意味が変わってしまっても,これら の必須タンパク質は正常に翻訳を終了し,生合成される ことになる.終止コドンはセンス・コドンと違って,
tRNAやaaRS分子の働きとは関係がない.翻訳終結因 子(RF)と呼ばれる分子がリボソーム上のmRNA中に 終止コドンを見つけたら,その時点でタンパク質合成を 終わらせるように働く(図3).つまり,終止コドンに タンパク質合成終止の意味を与えているのがRF分子で あ る.細 菌 に は2種 類 のRF(RF-1とRF-2) が あ り,
TAGコドンを読み取っているRF-1を大腸菌から取り除 いてもほかの2つの終止コドンの働きには影響がない.
そこで筆者らは,人工アミノ酸専用のtRNAとaaRS をコードする遺伝子を大腸菌に導入した.このtRNAは TAGコドンを読み取る性質をもっている.さらに,7つ の必須遺伝子のTAGをほかの終止コドンに変えたとこ ろで,RFの遺伝子を大腸菌から取り除くことに成功し た.この結果,TAGコドンは終止コドンとしての意味 を失い,人工アミノ酸をコード化するセンス・コドンと してのみ働くようになった.つまり,クリック博士の一 見強固と見えたテーゼは意外と簡単に覆されて,生物の 中でコドンの意味を変更できることが証明されたわけで ある(3).このようなコドンの意味の変更を,筆者らは
「コ ド ン 再 定 義(codon reassignment, codon redefini- tion)と呼んでいる.コドン・ハイジャックとの違い 図4■人工アミノ酸のタンパク質への組み込み技術の比較
アミノ酸を円で表示し,アミノ酸のつながったものとしてタンパク質を表示した.ある天然アミノ酸(たとえばチロシン)を白抜きの円 で,人工アミノ酸を赤い円で示した.コドン・ハイジャック法では人工アミノ酸を何か所にでも組み込むことができるが,タンパク質分子 中のすべてのチロシンが人工アミノ酸に置き換わる.部位特異的導入法では,チロシンに加えて人工アミノ酸を好きな位置に組み込むこと ができるが,何カ所も組み込むことはできないし,目的の人工アミノ酸が組み込まれずにタンパク質合成が終了する場合もある.一方,コ ドン再定義法では,それらの欠点を克服するように考案した.
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は,第一に,大腸菌はこの状態で増殖を続けられるの で,コドン再定義は新しい大腸菌株の正常な状態だと言 える.筆者らはこの大腸菌を “RFzero” と呼ぶことに した.天然のアミノ酸のレパートリーはすべて利用可能 であり,人工アミノ酸は遺伝コードの中にしっかりと位 置づけられている.TAGコドンは通常のアミノ酸のコ ドンと同じように一つの遺伝子の中に何度でも登場する ことができて,タンパク質中の対応する位置に人工アミ ノ酸が組み込まれることになる.筆者が大腸菌RFzero 株について特に面白いと感じる点は,この大腸菌は人工 のアミノ酸がないと増殖できないことである.通常のア ミノ酸要求性は,アミノ酸を栄養源として必要とする性 質である.これに対して,RFzero株のアミノ酸要求性 は,TAGコドンがアミノ酸に翻訳されることが,この 株の増殖に必須であることからきている.この株のゲノ ムにはTAGコドンがそのまま残っていてmRNAにも転 写されているので,RFが存在せず終止コドンとして働 けない以上,何らかのアミノ酸に翻訳されることが RFzero株の増殖には必要になっている.
コドン再定義と従来技術との比較
RFを大腸菌から除去しないまま,人工アミノ酸専用 のtRNAとaaRS分子を大腸菌に導入するとどうなるだ ろうか? 実は,この方法は人工アミノ酸をタンパク質 に導入する方法として10年以上にわたってスタンダー ドな方法(1)であった(ここでは,「従来技術」と呼ぶ). RFが残っているのでTAGは終止コドンとしての働きを 続ける一方で,導入されたtRNA, aaRSはTAGコドン を人工アミノ酸に翻訳しようとするので,この2つの働 きがタンパク質合成の場で競合してしまうことになる.
つまり,タンパク質合成中にTAGコドンが現れると,
人工アミノ酸に翻訳されるか,タンパク質合成を止める かのどちらかの現象が確率的に起きる.1カ所につき 30%の確率でTAGコドンが人工アミノ酸に翻訳される とすると,TAGコドンが4カ所登場する遺伝子が最後 まで翻訳される確率は1%未満まで落ちてしまう.
このように,従来技術と違い,きちんと遺伝コードが 改変された大腸菌RFzero株では遺伝子中にTAGコド ンが何度登場しても最後まで翻訳されて目的のタンパク 質が生産される.人工アミノ酸を1カ所だけ組み込んだ タンパク質を生産する場合でも,TAGコドンは100%の 確率で人工アミノ酸に翻訳されるので,このことからも
「コドン再定義」技術の利点は明らかだろう.従来技術 を用いて30%の効率でTAGコドンを人工アミノ酸に翻
訳すると生産量がそれだけ低下するだけではなく,残り の70%の生産物はTAGコドンの位置で合成がストップ したタンパク質になる.よって,完全長のタンパク質を これらの不要なタンパク質から分離して精製する手間が 生じてしまう.特にTAGコドンがタンパク質のC末端 付近にある場合には,完全長と不完全長のタンパク質の 構造的な差異は小さいので分離・精製が難しくなるだろ う.一方,RFzero株では完全長タンパク質しか生じな いので,このような手間も心配も生じない.
ここで,コドン再定義が,ゲノムから発現しているタ ンパク質に与える影響について少し説明したい.RFze- ro株では,必ずしも増殖に必須でない遺伝子の末端に はTAGコドンが残っているため,TAGコドンが人工ア ミノ酸に翻訳されることによって長さが延びた異常なタ ンパク質が発現している.これらのタンパク質は必須タ ンパク質ではないとしても,大腸菌の増殖にはさまざま な形で関与しているので,このような異常タンパク質が 菌の増殖に影響を与えている可能性がある.実際には,
C末端の延長はタンパク質の活性には大きな影響は与え ないが,発現量の低下を招くことがあり,その結果とし てさまざまな表現型が現れている.たとえば,低温に対 する適応力の低下や,増殖曲線の変化などである.関連 するタンパク質遺伝子の末端のTAGコドンをほかの終 止コドンに変えることで,RFzero株の増殖を改善する ことができる.どれくらいの数の非必須遺伝子について TAGコドンの置換を行うと良いかについては後述する.
ここで,本解説に登場した3つの技術を整理しておき たい(図4).このセクションで「従来技術」と呼んで いる方法は,文献では人工アミノ酸の「部位特異的導入 法(Site-specific incorporation method)」と呼ばれてい ることが多い.対比的に,コドン・ハイジャック法は
「残 基 特 異 的 導 入 法(Residue-specific incorporation method)」と呼ばれる.ただ,これらのネーミングは,
人工アミノ酸の組み込み技術としてこの2つの技術しか 存在しなかった時代のものなので現在では適当とは思え ない.図4のイラストからも明らかなように,従来の2 つの技術が抱えていた問題点はコドン再定義によって解 決されている.コドン再定義法の欠点は,今のところ適 用範囲が大腸菌にとどまることで,動物細胞や酵母など では利用できない.
では,タンパク質分子中に何カ所も人工アミノ酸を組 み込むことにどんなメリットがあるだろうか? 従来の 部位特異的導入法では,タンパク質の1, 2カ所にしか人 工アミノ酸を組み込むことができなかったので,そのよ うな制約の中で人工アミノ酸の利用法が考えられてき
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た.たとえば,アジド基をもった人工アミノ酸をタンパ ク質に導入してクリック・ケミストリーなどの特異的な 化学反応を行うことで,タンパク質の部位選択的な化学 修飾が可能になる.また,光反応性の人工アミノ酸(た とえば, -ベンゾイルフェニルアラニンなど)を導入す ることで相互作用しているタンパク質どうしを共有結合 で結ぶような応用も行われている(4).これらの利用法で は,人工アミノ酸をタンパク質分子中の多数箇所に導入 することにはあまり意味がない.RFzero株の開発を契 機に筆者らは人工アミノ酸の新しい応用を模索して,ハ ロゲン化チロシンをタンパク質分子中の数カ所に組み込 む実験を行った.その結果,タンパク質の立体構造が安 定化されることを見いだし,ハロゲン化チロシンの導入 がタンパク質の簡便な安定化技術になりうることを報告 した(5).今後さらにコドン再定義を活用したユニークな タンパク質改変技術が登場するものと期待している.
RFzero株の最初の報告は5年前になる.筆者らは改 良を続けて,今年になってB-95. ΔA株の開発を報告す ることができた(6).B-95.ΔA株では,非必須タンパク質 遺伝子についてもTAGコドンをほかの終止コドンに置 換することで,合成培地や低温における増殖能について 大幅な改善が達成されており,タンパク質生産に適した 大腸菌株になっている.これに対して,ハーバード大学 の研究グループはC321.ΔA株の開発を2013年に報告し ている(7).いずれの大腸菌株でもRFの除去によって TAGコドンの再定義を実現しているが,違っている点 は,コドン再定義の悪影響を抑えるためにTAGコドン をほかの終止コドンに置換した遺伝子の数である.
C321.ΔA株ではゲノム中の約300カ所のTAGコドンを すべて置換しているが,B-95.ΔA株では95個の遺伝子を 選んでTAGコドンの置換を行った.C321.ΔA株には TAGコドンで終止する遺伝子は存在しないのでコドン 再定義による悪影響はないが,TAGコドンの置換自体 が菌の増殖に悪影響を与えている部位が少なからず存在 し,その結果,増殖速度が遅くなっている.B-95.ΔA株 は,このような悪影響を避けるように改変を行っている ので,高い増殖能力を維持している.しかし,TAGコ ドンをさまざまな人工アミノ酸に再定義にしたときに,
悪影響が全くないとは言い切れない面がある.このよう に,筆者らのRFzero株やB-95.ΔA株と比較してC321.
ΔA株の使いやすさは一長一短である.なお,RFzero株 とB-95.ΔA株は筆者の研究室から配布しているので,一 定の手続きを経てから研究に使っていただくことができ る.
2種類の人工アミノ酸をタンパク質に組み込む ここまで,一度に1種類の人工アミノ酸をタンパク質 に組み込む技術について述べてきた.せっかく利用でき る人工アミノ酸が何十種類もあるのだから,複数種類の 人工アミノ酸を1つのタンパク質分子に一度に組み込み たいと誰でも思うだろう.いろいろと技術的な制約はあ るが,基本的な考え方は既に説明したとおりであって本 質的な違いはない.人工アミノ酸Aに専用のtRNA, aaRS,コドンを用意し,人工アミノ酸Bにも同じよう にtRNA, aaRS,コドンを用意すれば良い.これまでに さまざまな提案と予備的な成果が報告されているが,そ れぞれの技術についてはタンパク質の生産方法として実 用性をどこまで高められるかという競争になっている.
ここでは2つのアプローチを取り上げて解説したい.
一つは,コドン再定義の応用である.TAGコドンを 人工アミノ酸に再定義したうえで,さらにほかのコドン を別の人工アミノ酸に再定義すれば2種類の人工アミノ 酸が組み込めることになる.大腸菌では,6つあるアル ギニン・コドンのうちAGGの使用頻度がTAGコドンに 次いで低い.といっても1,000個の遺伝子中に1,500回登 場するので,すべてのAGGコドンをほかのアルギニ ン・コドンに置換するアプローチは現実的ではない.筆 者らはTAGコドンの再定義の際に,必須遺伝子のTAG コドンだけほかの終止コドンに置き換えれば良いことを 示しているので,AGGコドンについても同じアプロー チを試してみた.32個の必須遺伝子中に38個のAGGコ ドンが登場するので,これらすべてをほかのアルギニ ン・コドンに置換した.さらに,AGGコドンをホモア ルギニンに翻訳するtRNA, aaRSを大腸菌B-95.ΔA株で 発現できるようにした.ここでAGGをアルギニンに翻 訳するtRNAを大腸菌から除去してもこの大腸菌は増殖 を続けることができたので,AGGコドンがホモアルギ ニンのコドンに変わってしまっても大腸菌にとって致死 的ではないことが示された(8).生化学的なデータから も,この大腸菌ではAGGコドンは,アルギニンではな くホモアルギニンをコード化していることが確かめられ ている.ホモアルギニンは,アルギニンの側鎖が1炭素 原子(メチレン基)分だけ長いアミノ酸である.AGG コドンをホモアルギニン以外のアミノ酸に再定義するこ とには未だ成功していないので,2種類目の人工アミノ 酸をタンパク質に自由に組み込むところまで到達できて いないが,コドン再定義のわれわれのアプローチが TAG終止コドン以外でも有効であることを示した結果 である.
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2種類の人工アミノ酸を組み込むための技術として
「オーソゴナル・リボソーム(orthogonal ribosome)」(9) が知られている.オーソゴナルは直交するとか,異質 な,と訳すことができるが,意訳すると「第二のリボ ソーム・システム」と表現できるだろう(図5).大腸 菌の増殖に必要なリボソームには手を触れず,特定の mRNAだけを翻訳するリボソームを同じ大腸菌の中に 用意する技術である.第二リボソームによって翻訳され るmRNAをここでは「第二種mRNA」と呼ぶことにす る.リボソームはmRNAの塩基配列の中の「シャイ ン・ダルガノ配列」と呼ばれる塩基配列を認識して結合 する.第二リボソームは,これとは異なる配列を認識し て結合するように改変されたリボソームであり,特異的 な配列をもつ第二種mRNAのみと結合してタンパク質 合成を行う.大腸菌の生育は通常のリボソーム・システ ムが支えているので,人工アミノ酸の導入を効率化する ために第二リボソームをどれだけ改変しても大腸菌の増 殖には影響がない.つまり,第二種mRNAの塩基配列 を翻訳するルールは自由に改変することができる.実際 にこの方法によって2種類の人工アミノ酸をタンパク質 に組み込むことに成功している.この技術はタンパク質 の生産性がまだ低いが,人工アミノ酸をタンパク質に組 み込むためのスタンダードな技術の一つに育っていくと 期待されている.
本解説で紹介しなかった技術
本解説は大腸菌を使った組換えタンパク質の生産につ いて述べているので,いろいろ取りこぼしたトピックが ある.できるだけ文献を引用することにして,それぞれ 一言ずつ触れておきたい.コドン・ハイジャック法は動
物細胞(10)や動物個体(11)においても人工アミノ酸をタン パク質に組み込む目的に利用されているが,実用的なタ ンパク質生産方法としては今後改良が必要である.部位 特異的導入法も動物個体(12)で人工アミノ酸を組み込む ために応用されたが,タンパク質生産を目指したもので はない.タンパク質生産の目的には動物細胞(13)で部位 特異的導入法が使われている.また,無細胞タンパク質 合成システムも人工アミノ酸を組み込む目的には十分に 役立っている.4つの塩基から構成される「4塩基コド ン」(14)や,人工塩基対を利用して人工のコドンを作り出 す研究の進展にも気をつけておきたい(15, 16).
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図5■オーソゴナル・リボソームによる人工アミノ酸の組み込み
第二リボソーム・システムでは2種類の人工アミノ酸をタンパク質に組み込むために,第二種mRNAという特別な塩基配列をもつmRNA も同時に使用する.たとえば,アルギニンの本来のコドンAGGに一つだけAを足して,AGGAという4塩基コドンを,その人工アミノ酸
(図中,人工アミノ酸Bに相当)のために使用している.このような人工的なコドンを効率良く人工アミノ酸に翻訳するためにリボソーム には手が加えられている(9).
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プロフィール
坂本 健作(Kensaku SAKAMOTO)
<略 歴>1987年 東 京 大 学 理 学 部 卒 業/
1989年同大学大学院理学系研究科修士課 程修了/1994年博士(理学)(同大学)取 得/同年同大学大学院理学系研究科助手/
2008年理化学研究所チームリーダー,現 在に至る<研究テーマと抱負>生物システ ムの可変性,タンパク質の進化可能性<趣 味>読書,音楽鑑賞<所属研究室ホーム ページ>http://www.clst.riken.jp/
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.343
日本農芸化学会