論 文 題 目 :古琵琶湖層地帯の人と水
-特殊重粘土上の農法と昭和初期農民生活の復元研究-
著 者 : 岡田 玲子 研究科、専攻名 : 人間文化学研究科地域文化学専攻 学位記番号 : 人文課第4号 博士号授与年月日 : 2005年3月23日 【論文の要旨】 本研究は、古琵琶湖層地帯に生きてきた昭和初期における農民たちの日常生活の復元を 試みたものである。本題中の「人と水」は、すべてが手作業であった時代に、庶民、とり わけ農民の生活の中から生み出された人々の知恵や工夫や村のしくみを、生活の水を切り 口として掘り起こし、これを文化としてとらえて研究したものである(1)。 このような研究は、大きくは農民文化史・民衆史に含まれるが、本研究の対象や方法は 独自のもので、とりわけ、文字情報として残されることのない、やってみなくては決して わからない特殊な農法の細部にある知恵を明らかにしたこと、そうして農民の日常生活す なわち「ケ」の世界を記述したところに大きな特長がある。 本研究の対象地域は、古琵琶湖の堆積層の一つである、特にきめのつまった重粘土の土 壌と水源がない地形に起因する干害に長年来悩まされてきた。このために田の保水や災害 復旧を目的とする、この地域特有の農法がいくつか生み出されている。すべてが手作業で あった時代には、こうした農法は、日常の農作業に加重された。したがって、高度経済成 長期の溜池造築と機械化によって通常の農法に変わるまで、この地域の人々の労働はそれ を体験したものでないと理解できないほどの過酷なものであった。しかしこの地域の人々 は、先人が生み出したこれらの農法を信じてやり続け、さらに数年に一度の大旱魃年に備 えての日々の備蓄を怠らなかった。これが明治末から昭和前期に“模範村”と評価される 成果となった。 このように日本でも有数の旱魃地帯であり、幾度となく被害が発生しているのに、この 地域の干害や農法に関する記録はほとんど残されていない。本研究の第一の意義は、わず かに残されている文字資料を参考にして、残りの大部分を聞き取りと実践によって収集し、 その科学的意義付けをおこなって、情報保存ができたことにある。 第二の意義は、本研究では昭和初期の農民の日々の暮らしを題材とし復元したことであ る。従来のこうしたことに関る研究は、農民研究や、民衆史に数多くあるにはあるが、そ のほとんどは村の管理を努めていたような大きな農家に残された文書を資料にしたもので あり、一般農民の姿は具体的には現われてきていない。 高橋敏はその著書の中で、「戦前の庶民の研究は近世史の中で、法制史や制度史の中で形 式で研究され、民衆の実像にアプローチできていなかった。-中略-これは、これまでの 資料の扱い方と方法論に問題があった。特に支配関係の文書を資料としていたことに問題 があった。また近代民衆史研究においても、新聞資料その他政府や地方公共団体の編さん になる刊本資料を使った民衆史に終始して、小作争議や労働争議にみられる闘う民衆しか描けていなかった。事件の歴史に登場しない、日々の日常のいわば民俗学でいう「ケ」の 世界の民衆に迫る必要がある。」と1985 年に指摘している(2)。 他方、私的な農民日誌を用いたり、農民の声を聞いたりしたようなもの(3,4)は少 なくないが、農民の生活の紹介や農民の代弁に終わっており、その生活実態を描いている とはいえない。最近では(5,6)のような江戸時代の農民生活や活動をアクティブに見 たものや、農民の視点に立って歴史を見直した研究がなされてきてはいるが、農民が自主 的に行動するのは一揆のときだけ、というような農民に対する偏見はいまだ解消されてい ない。 このことについては庶民の民俗を研究した柳田國男も、自身のそれまでの情報収集の対 象が「ハレ」に偏ったものであったことを認識し、1937年に、平常時の農民生活の実 態を明示した「分類農村語彙」(7)を刊行して、平常時の農民生活を中心に研究する重要 性を説いた(8)。しかし、(7)をみても、昔の農村の断片が見えるだけで、そこにいた はずの農民の姿や動きがみえてこない。また、その断片を埋めていたはずの農民の普段の 生活や作業が全くみえてこない。 しかし、当時では誰でもできた簡単そうにみえたことも、手作業の経験が全くない現在 の私たちには、昔の人々の身体の動きなど検討もつかなくなっている。同様に、昔はあた りまえの出来事であったはずの庶民の家事や、農作業の工程における手順や、環境すなわ ち水や、土、草木や生き物との関わりなども想像すらできなくなってしまった。 柳田などの先人の研究成果を活用するためにも、この空白になっている部分を埋め、さ らにやり残された、生き生きした庶民の生活の復元を目指さねばならない。 こうした目的のために本研究は、これまでの研究者がみてきた方法と方向とは違って、 小さな普通の僻村の平均的な農民に焦点を絞り、その人の毎日の生活を具体的に復元して みることによって、彼の周囲の人々の行動や村の風土やしくみ、さらにはその時代の背景 の研究にまで発展させようというものである。つまり庶民の私的な情報を中心に用い、今 までの研究者たちが重視してきた公の資料をその情報の実証、あるいは発展させる手段と して用いた。 第三の意義は、研究方法に関することで、単なるインタビューだけでは理解できない身 体の使い方までを確認するためにそれらを実際にやってみたことである。重粘土土壌での お茶づくり、田舟を使った稲刈り、現在進行中の「クマシプロジェクト」など、「参与観察」 を超える実践として、それが地元の人も意識していなかった作業の細かな技法をとり出す ことを可能にした。これらの体験を試みて次のような利点と発見があった。 1、手作業の技術が伝承された。2、ただインタビューしているだけでは聞き出せなか った情報が、自然に発掘された。3、昔の暮らしにおける身体の動きが復元できた。4、 実際にやってみることによってその事象の聞いただけではわからない、地域における位置 と重要性、またそれを通して人々の価値観までも理解できた。5、他地域の者たちが、そ の地域の伝統文化を再認識し、その重要性の確認ができて、地域の人々の「誇り」を取り 戻す機会となった。6、他地域の者たちが地元の人々と「響きあえた」7、昔と今の人々 の身体的、時間的な比較ができた。そして何よりも地域における私の立場を「いろいろ聞
きにやってくる人」から「ここらの若いもんよりよう知っとる。」となり、そして「私たち もわからんことを一緒に考えてくれる人」に変えた。 以上のようにして得られた情報をもとに、第 1 章では、本地域特有の農作業や年行事に ついて紹介して考察した。最後の干害から50年以上経った今では、ごく少数の年配の人 の体験の中にしか残っていない災害復旧の工法「アゼボリ」「トコハリ」と防水工程の多い 「アゼヌリ」を復元した。さらに少し前までは普通の年行事であったのに、今はその意味 と意義さえわからなくなってしまった「客土作業」の目的について検討した。客土する「ク マシ」(堆土)の材料として特に効果があるとされていた、古琵琶湖堆積層の一つで「アオ ズリン」と呼ばれる土壌に着目し、その特性について地元の人々と検討を重ねた。滞水田 ゆえの酸素供給のためであると結論したが、今なお解明のために実践を展開中である。 第2章は、ある小農民が昭和初期に書いた農業日誌をもとにして、この人の日々の農作 業及び年間の農業経営の実態を復元した。また毎日の生活スケジュールと勤労実績を検討 することによって、この村の行事と周囲の人たちとの交流がわかり、村のしくみや村人た ちの日常生活までも復元することができた。この地域の農民たちは、高い農業技術と専門 的な土木技術を身につけ、自分で判断と決断をして自家の農業を経営していた。その経営 品目も田畑作物や副業を合わせて普通の一家族で70にも上るものであった。この多様さ 自体は他地域の農村にも共通するが、重粘土地帯での重労働と併せて考えると、作業の計 画性や手ぎわなど一層の能力を必要としたと考えられる。こうした農民の高い知識と技術 力は、伝統的にこの地域の人々に、体から体へと伝えられたものである。先人が生み出し た「知」と「しくみ」を信じて伝えながら、この地域の人々は幾度となく起こってきた大 災害を乗り越えてきた。 第3章は、古琵琶湖層上の村々がその特有の土壌と共存し、災害を乗り越えて明治末か ら昭和前期の模範村の地位を保ち続けた背景と要因を検討した。特に宮村では、村民一致 団結して災害を乗り越える村の伝統としくみが、明治期の政府が推進した模範村の評価と 一致したために、その後も模範村の道を歩み続けた。明治期模範村の思想的背景の一つに 報徳思想がある。江戸末期に二宮尊徳が始めた報徳思想は、農民生活中に伝承されてきた 生き方や、古来からの日本人が持つ道徳を採り上げて教義としたものである。これは農民 が持つ能力を十分に引き出して、さらに時間や金銭的な計画性を農民に認識させて、より 一層活動成果を上げることを目標としていた。ところが明治期以降から誤った解釈をされ、 特に敗戦後は“模範村”と共に大きく誤解を受けた。しかし今一度、報徳思想をその原点 に戻って見直し、明治期の“模範村”を偏見なく再認識することによって現代の私たちが 学ぶものが多いことを示した。 第4章では、干害の災害復旧に励む年と平年度での年間の農業経営の実態と労働実績を 比較することによって、人々の助け合いのしくみである講や「ユイ」、村の行事や祭事の意 味と意義を考察した。数年に一度は必ずやってくる災害に備えて、農民が知恵と能力を最 大限に発揮して備えをしなければならなかった、この地域の日々の暮らしと村のしくみは おのずから“模範村”そのものであった。
高度経済成長後は、この地域も大規模な溜池築造により、水の心配はなくなったことを 背景に、特殊重粘土の土質も改良され、通常の水田耕作が可能になった。こうして、最近 のわずかな期間で、この地域の人々の長年の悩みの種はまったく無くなったはずなのに、 年配の人々は「昔はよかった」という。この「昔」とは何を指すのであり、何がよかった のだろうか。この「昔」をきっちりと見直してみない限り、いくら「物」を取り戻したと ころでこの地域の人々が真に開放されることはない。 また最近、地域に根ざした暮らしの危機が叫ばれているが、これはただ単に今の問題点 ばかりを指摘するだけでは解決しない。私たちの将来の生き方の方針を見付けるためにも、 昔の普通の人々が何を感じ、どのような日々を送ってきたかを知ることが必要である。特 に、日本でも有数の困難な環境と共存してきたこの地域に住む人々の昔の生活を知ること は、さらに意義が大きい。 本研究をとおして、昔の庶民たちが日常の暮らしの中で、自らの体と五感を使って得た 情報を信じ、一人ひとりが個性豊かにその能力を精一杯使って、知恵と伝統を生み出しな がら生きてきた姿を復元した。昔の庶民の普通の日々の暮らしを復元することによって、 今はその意味や意義がわからなくなっている講、祭事や農事の意義や位置づけを示すこと ができた。 参考文献 (1)岡田玲子 『蒲生町の人と水』 (株)環境総合研究所 (1993) (2)高橋敏 『民衆と豪農-幕末明治期の村落社会-』 未来社 (1985)(1998 年復刊) (3)中村靖彦 『日記が語る日本の農村』 中央公論社 (1996) (4)大牟羅良 『ものいわぬ農民』 岩波新書 (1958) (5)佐藤常雄+大石慎二郎 『貧農史観を見直す』 講談社 (2000) (6)田中圭一 『百姓の江戸時代』 筑摩書房 (2000) (7)柳田國男 『分類農村語彙』 (株)信濃毎日新聞 発売所岩波書店 (1937) (8)福田アジオ・小松和彦 本巻編集 『講座日本の民俗学 第1巻 民俗学の方法』 雄山閣出版 (1998)