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イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その1)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

イタリアに於けるGoetheの「も

のの見方」について(その一)

瀧 川 事 目 次 1 はじめに(Goethe文学の特性とアブT2・一寸の方法) 2 若きGoetheの世界観と芸術観 3 若きGoetheの世界観と芸術観の根底にある問題性 4 前期ワイマNル時代の自然研究の始まりとGoetheのものの見方について 5 イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について (その−・は1から3まで。4と5ほそのこに入る。) 1. はL:めに(Goethe文学の特性とアプローチの方法) Goetheの「ものの見方」について語ろうとする時,様々な難しい問題にぶつ かる。例えば,Goetheはヨ1−ロッパ精神史の巨人中の巨人で対象が大きすぎる。 あるいは,思想の範囲が広範で深い。あるいは,Goetheについては,様々な人 が様々に論じ,二次文献がGoethe自身の著作の何百倍もある等。しかし私自身 にとって何よりも難しいと思われる(そして,それ故に最も魅惑的にも思える) のは,彼の詩人性である。Goetheがどんなものを対象としていようと,例えば 文学作品は無論のこと,植物観察に夢中になっていようと,様々な動物の骨を 集めで比較検討していようと,古代芸術作品の前に立ち鑑賞していようと,あ るいほ恋人に手紙を書いていようと,いかなる場合にもGoetheは,対象に対し

てひたむきに,真筆に迫っていて,まさにFaustの中で≪was die Weltim

(1)

Innersten zusammenhalt,世L界の奥底で牡界を統べているもの≫を認識したい と書いた詩人であるということである。Goetheは,ある所で自分の詩人性を,

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瀧 川 一 幸

「eingebornerDichter,der seiTleWorte,SeineAusdrtickeunmittelbar anden jedesmaユigenGegenstanden zubildentrachtet,umihneneinigermaBengenug− zutun一 自分の言葉,自分の表現を,直接そのつどそのつどの対象を見てつくり上げ, ほ) それによってそれらの対象にいくらかでも満足を与えようとするものだ。」 と述べているが,この意味でGoetheが書いたものほ,きわめて深く対象そのも のと合一・しており,Goetheと対象の間に隙間というものがまるでなく,Goethe と対象の分離ほ不可能である。よく完壁な詩をよむと,「詩人がこの詩を創った のでほない。ミュ・−・ズ女神自身がただ詩人のロを借りて歌ったのだ。」という思 いをすることがあるが,Goetheの作品はまさにこの例である。例えば,作品「若

きWertherの悩み」の中で,登場人物のWerther・とGoetheとほ恐らく分離で

きないであろう。また,この作の中のLotteと現実のモデルとしてのシヤル ロッテ・ブッフとの区別がつかず,この作品の発表後にスキャンダルになった (3) ことも,このことを証明していよう。 ところでこのく詩人の自我と対象との合冊・性〉は,詩人であれば誰にでも何 よりも要求されることで,詩人の条件ともいえるものである。しかし,Goethe の場合ほ,特に何よりも大切であるように思われる。と言うのほ,この小論の 主張を先取りしてしまうことになるが,Goetheにあってほ,対象のもつ根源へ の迫り方が特徴ある迫り方をしているからである。即ち,対象と言っても生き たものであるから,その生きている対象が生命として現象してくる神秘的な一・ 点への迫り方が,Goethe文学のすみからすみまでを貫いているように思えるか らである。ここにGoethe文学の鍵がある。 さてこのことは,Goethe自身が語っている。それは,ノ、インロートが,

「Goetheの思考(Denkverm6gen)ほ,対象的に働いている(gegenst畠ndlich

tatigsein)」と述べたことを受けて書いた,「BedeutendeF6rIdemisdur・Chein

einzigesgeistr−eichesWort適切な−・語による著しい促進」の中で,Goethe自 身,この「対象的gegenstandlich」な特性を認めている。この言葉は,Goethe がどんな時でも,どんな所でも真筆に−儲の僻怠もなく真剣に生きたことを証 明している。そしてさらに,この一・文の中で,Goetheほ自分の文学の特徴を説

(3)

イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その一) 3 明している。

「Aus Obrigem erklart sich auch meine Neigung zu Gelegenheitsgedichten,

WOZu jedes Besondereirgendeines Zustandesmich unwiderstehlich aufregte

Undsobemerktmandenn auch anmeinenLiedern,daB5edem etwasEigenes

ZumGrundeliegt,daBeingewisserKerneinermehr oderwenigerbedeutenden

Frucht einwohne;deswegen sie auch mehrereJahrenlcht gesungen wurden,

besondersdievonentschiedenemCharakter,WeilsieandenVortragendendie

Anforderung machen,er SOlle sich aus seinem allgemein gleichgtiltigen

Zustandein eine besondre,fremde Anschauung und Stimmung versetzen,die Worte deutlich artikulieren,damit man auch wisse,WOVOn die Rede sei

StrophensehnstichtigenInhaltsdagegenfandeneherGnade,undsiesindauch

mitanderndeutschenErzeugnissenihrerArtineinigenUmlaufgekommen上 述のことからまた放会詩というものに対する私の愛着が説明される。何かある状態 の特殊なものほすべてさからいがたく私の心を動かして傲会詩に向かわせたのであ る。そのようなわけで人々が私の小曲を読んですくu気がつくのほ,どの小曲の根底に も何か独自のものがあり,多かれ少なかれ意義深い果実の中にある核心が内包され ていることである。私の小曲,特に性格のはっきりしたものが何年間も歌われなかっ たのも,それらが歌い手に次のようなことを要求しているからである。すなわち歌い 手ほ,ほんらい彼自身のごく一・般的な状態から他人の特殊な通観の内容と気分に身 を移し替え,何が語られているのかわかるように/語句の抑揚を明確にしなければな (4) らないのである。」 これは,Goetheの詩にほ,その詩が生まれたある特殊な時と場所が,つまり Goetheのある特殊な実存が,その詩の核心として刻印されていること,これが

Goetheの詩の魅力を作っていることを述べている。作品「若きWertherの悩

み」とヴュツラーでのシヤルロッテ・ブッフを愛した若きGoethe,Liliに関す る詩群とフランクフルトやスイスでのGoetheのアンネ・エリーザべト・シュー ネマンに対する恋,また名作イフィゲ、−ニュと前期ワイマール時代のシュタイ ン夫人との恋等々,Goethe文学を少しでも知った人なら,このように彼の作品 と彼の実存とのきわめて深い結びつきをすく“に思い出すであろう。そして上で

引用した後半部の歌い手へのGoetheからの要請ほ,そのままGoethe文学を読

む人への最も適切な要請と言ってよい。即ちGoethe文学を読む者は,その作の

(4)

瀧 川 −・ 宰 核心にある彼自身の実存を理解し,その実存へ我が身を置いてみないと真の作 品理解に達しないのでほなかろうか? ところで実はこのことこそが,Goetheについて述べようとする者にとっては 難しいのである。なぜならGoetheの一作品に向かった者は,上述の理由によっ てGoethe自身の実存に導かれる。そしてGoethe自身の実存は,まことにもっ て彼の愛した植物のように有機的な関連を持った広大な一つの生の−・部である ことに気づかされるからである。18世辞己から19世紀に双葉を出し,ドイツとい う土壌に深く根を張り,すくすくと育った巨大な大樹といった一つの響喩が考 えられる。つまり,Goetheの作品について何か述べようとして(響喩的に述べ ると),その作品を引っ張り出そうとする。そうすると小枝を引っ張ったら,巨 大な大木がそれにくっついていたといった具合に,巨大なGoetheの精神発展 が作品と切り離せないものとして論述者の前に提出されてくるのである。そし てGoetheの生ほ,彼の愛した植物のように堅密に結び付き合って成長に成長 を続けた巨J木のように,どこか−・部を切り取ることを拒絶するような生なので ある。分かり易く言うと彼の−・作品は,いわばGoetheと言う巨大な大樹の−つ の枝に咲いた−・つの花なのである。一り体こうした大樹の一つの枝や一つの花を 切り取ってもそもそもどんな意味があろうか?否,Goethe自身,自然研究の中 で対象を現象から分離するのを極度に恐れたのと同じように,もし−・部分を切 り離せば,その一L部分を活かしている根元を切り離すこととなり,枯死させる ことになるのではなかろうか? 具体的に述べると,筆者は今ここで,「イタリアに於けるGoetheのものの見

方」を取り扱おうとしている。しかしGundolfやStaiger等たいていのGoethe

研究者も述べているように,Goetheの生は,生きた一つの生成発展である。大 雑把に通例Goethe学者が区分するように,「若きGoethe」,「前期ワイマール時 代」,「イタリア旅行」,「古典期Goethe」と区分して考えてみた時,確かにイタ リア旅行期ほきわめて明確にその前後の時期と違っている。それを「−・つの生 (5) (6) の危磯」(Gundolf)と捉えようと,「病気からの治癒期」(Staiger・)と捉えようと, 「ものの見方」から言えばやはり一山つ一・つの発展段階にすぎないのである。こ うした生成発展する精神の中で,−り体「イタリアに於ける」という限定がどの

(5)

イクリ7に於けるGoetheの「ものの見方」について(その一・) 5 ように可能になるのであろうか? これはGoethe自身がぶつかった問題と同じ性質をもった問題である。後で 詳述することになるが,特に若きGoetheにとっては最も大きな問題であった ことほ,Faustの冒頭近くにある次の句 「Wofa6ichdich,unendliche Natur?はてしのない自然よ,おまえ.はどこをと (7) らえたらよいのか?」 が象徴的に示している。つまり眼前に広がる広大な現象たる大自然の中からど うしてその一漕βを切り取れるのかという問題である。しかしこれこそこの小論 の主内容となるので,ここでほ簡単にその方法と例を一・つだけ挙げるだけにし たい。 その方法というのは,「同一・性を様々な現象の中で比較する」ということであ る。例えば「ウィルヘルム・マイスター・の修業時代」のなかで主人公ほシェイ

クスピア文学を研究する。特にHamletを研究する。このHamletの本性を理

解する方法がその一例として挙げられよう。即ち「修業時代」第4巻第3葦の

中で主人公はどうしてもHamletの役を矛盾なく演じられるようにHamlet

を理解することができなかった。しかし,Hamletの性格がどのように発展して 現れてきたのかを彼のすべての言説から考えた果,Hamletを解釈することに 成功する。つまり,Hamletの本性(同一L性)を戯曲の中に表白されたすべての Hamletの言説(同一・性の現れる現象)から比較してその本性を取り出すという やり方である。この例にもあるように,また後でも詳述するが,「同一・性によっ て様々な現象を比較検討してその本質に迫る」やり方は,Goetheの方法である と言える。私もここで,まずGoetheの最も基本的な「ものの見方」がどのよう に発展してきたのかを考察することによってGoetheの「ものの見方」の本質を 考えてみたい。従って「イタリアに於ける」は,一・つの発展段階と見られる。 しかし特に「イタリアに於ける」と主眼をイタリアに置いたのは,彼が若き Goetheから引き継いで釆た基本的な問題をイタリアに於て解決したと考える からである。通例Goetheはイタリア旅行を分水嶺として変貌すると言われて

(6)

瀧 川 一・ 宰

(8) いる。即ち「情熱的」,「主観的」,「内面的」等と形容される若きGoetheの特徴

(「若きWertherの悩み.」を想起せよ!)がここを境に消えて,「客観的」,「対

象的」,「主客のバランスがとれた様式」と言った古典主義的傾向が明瞭になっ

てくる。この原因が私は,若きGoetheの世界観・芸術観に内包されていた構造

的な問題の解決にあると考えるのである。そしてそのことによって,Goetheの

「ものの見方」がはば完全にこのイタリア旅行で成立すると考えるからである。

それ故に私はまず若きGoetheの世界観・芸術観を述べ,次にその中に包含され

ている問題性を説明し,そしてこの問題性を解くことを前期ワイマ・−ル時代と

イタリアに於けるGoetheとにおける最大の課題であったという考えに立って この期のGoetheの「ものの見方」を考えてみる。

2. 若きGoetheの世界観と芸術観

若きGoetheにどれはど明確な世界観と芸術観があったかは問題であるが,

ここでは一応詩と真実第3巻第15章にあるように,天才的芸術家として本能的

に直観していたが,まだ理論化されていなかったと解して話を進める。

さて若きGoethe(シュ.トラースブルグ時代からワイマーPル行きまで)が,〈自

然・NatuT〉と言う語によって総括していた世界が最も根本的な世界観と言え

る。現代このく自然・Natur〉という語ほともすれば現代の自然科学の知識と結

びついたりして,主恩を閉め出した冷たいく一つの大きな機械〉 と言うような

世\界像を想い浮べやすいが,Goetheの〈自然・Natur〉はこれと違う。むし

ろ自然哲学と自然科学の中間と言った性格を有し,生きた生成する力と力とが

ダイナミックに働き合う世界像である。ここでは,若きGoetheを最もよく代表

するUrfaustの地霊の場と「若きWertherの悩み」の5月10日の手紙を引用し

て彼の世界観の根底にあるものを見てみる。

Faustは長い学問研究の異に彼の心底より知りたいものは学問をとおしては

知り得ないと悟り,≪wasdieWeltimInnerstenzusammenhalt,世界の奥底

で世界を統べているもの≫を認識せんがため学問を捨てて魔法の世界に入る。

そして魔法の書を開き大宇宙の符を見る。

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イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その−L) 7

「WieallessichzumGanzenwebt, EinsindemandernWtirktundlebt! Wie HimmelskrAfteaufundnieder steigen UndsichdiegoldnenEimerreichen! MitsegenduftendenSchwingen Vom HimmeldurchdieErdedringen, Harmonisch alldasAlldurchklingen! あらゆるものが一個の全体を織りなしている。 −いつ一つがたがいに生きてはたらいている。 もろもろの天の力が上がっては下り,下ってほ上り, かたみに黄金のつるべをわたし合う。 祝福のかおりを送る羽ばたきとともに, それは天上から下界をとおり (9) くまなく宇宙万物のなかに美しい語調を鳴りひびかす。」 この大宇宙の符をみてFaustは一度は「たちまち何とも言えぬ歓喜があらゆ

る官能にみなぎってくる」思いがする。確かにここに表現されている世界も極

めて生気と活気に溢れる世界ではある。しかしFaustは, 「WelchSchauspiel!aber,aCh,einSchauspielnur! WofaL5ichdich,unendlicheNatur? EuchBruste,WO?IhrQuellenallesLebens,

Andenen HimmelundErdehangt,

DahindiewelkeBrustsichdr去ngt− Ihrquellt,ihrtrAnkt,undschmachtichsovergebens? 何という壮観だろう。しかし,惜しむらくは,ただ単なる一点観にすぎぬ。 はてしのない大自然よ,おまえはどこを捕えたらいいのか。 おまえの乳房はどこか。

ぁさなご 天も地も幼子のようにすがりつく−切の生のいずみよ,

枯れしぼんだおれの胸の思いこがれる乳房よ, おまえは湧いている◇万物に飲ませてい◇だのにおれはひとり (Ⅰ。, 渇いていなけれはならぬのか。」

と−・層激しく絶望する。Faustはたんなる理論(学問)やたんなる観照(魔法の

(8)

瀧 川 一・ 幸 大宇宙の符)でほ満足出来ない。彼は直接に大自然をその根底から動かしてい

るものを,即ち≪wasdieWeltimInnerstenzusammenh畠1t,世界の奥底で世

界を統べているもの≫を認識したいのである。こうしてFaustの激しい認識欲 に呼び出されて来るものが地霊である。そして地霊は自己の本性を 「InLebensfluten,im Tatensturm Wallichaufundab,

Webe hin und her! GeburtundGrab, EinewigesMeer, Ein wechselnd Leben!

So scha庁ich am sausendenWebstuhlderZeit

Und wurkeder GottheitlebendigesKleid

うしお 生命の潮のなかを,行為のあらしのなかを,

大漁のうねりのように逆巻きながら, かなたへゆき,こなたへかえる。 誕生の床と死の墓場。 永遠の海原,

いのち 行きては帰る休止のない,生命。

はた かくておれは,「時」のざわめく機を織る,

(11) 神の生ける衣を織る。」

と表白する。この地霊の言葉に象徴される世界が若きGoetheの世∴界観の根底 である。魔法の大宇宙の符に表される観想的な調和的な静止的な世界ではない。 現代の生化学をも予感させる万物の中に生きて働く力と力の世界であり,ここ には−・瞬だに生命の生成と死がおこなわれないことのない,力と力がひしめき 殺し合いながら生命を求めてこの世へ殺到してくる場である。またこれは人間 の外だけに起こるのではなく,人間の胸に,人間の魂にも直接生きて働きかけ てくる。 こうした関係は「若きWertherの悩み」の5月10日の手紙に於ても表現のさ れ方や素材こそ違え,その本資的なものは同じである。

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イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その一) 9

「WenndasliebeTalummichdampft,unddiehoheSonneanderOberflache der undurchdringlichen Finsternis meines Waldes ruht,und nur einzelne

Strahlen sichin dasinnere Heiligtum stehlen,ich dannim hohen Grase am

fallendenBacheliege,undnaheranderErdetausendmannigfaltigeGr鼠SChen mir merkwtirdigwerden;Wennichdas Wimmeln der kleinen Welt zwischen

Halmen,dieunzahligen,unergriindlichenGestaltenderWtirmchen,derMtick− Chenn良heranmeinemHerzenftihle,undftihledieGegenwartdesA11m孟Chtigen, derunsnachseinemBildeschuf,dasWehendesAlliebenden,derunsinewiger

Wonneschwebendtragtunderh鼠1t;meinFreund!wenn’sdannummeineAugen

dammert,unddieWeltummichherundderHimmelganzinmeinerSeeleruhn

Wie die Gestalt einer Geliebten−dann sehneich mich oft und denke:Ach

k(〉nntestdudaswiederausdrticken,k6nntestdudemPapieredaseinhauchen, WaSSOVOll,SOWarmindirlebt,daB eswtirdeder Spiegeldeiner Seele,Wie deineSeeieistderSpiegeldesunendlichenGottesトMeinFreurld−Aberichgehe dartiberzugrunde,icherliegeunterderGewaltderHerrlichkeitdieserErschei− nungen 美しい谷間がまわりにけぶり,真昼の太陽が,昼なお暗いぼくの森の表面 にかかっている。内部の聖所には,ごくわずかの光線しかもれて釆ない。ばくはたぎ

たけふ り落ちる渓流のはとりの丈高い草の中に臥し,大地に身をよせて数多くの小さな草

たちのさまざまな恰好を見つめたり,立ちならぶ茎と茎とのあいだにはさまれた小 世界のうごめきや,小さな虫や蚊たちの数かぎりない,見きわめもつかぬ姿をひとし お胸の間近かに感じる。また,みずからの姿に似せてぼくたちを造ってくれた全能者 の現存,ぼくたちを永遠の歓喜のなかに漂よわせ生かしておいてくれる全愛着の息 吹き,ぼくほそれをひしひしと感じる。友よ,やがてあたりがたそがれてくる。そし て,まわりの世界も天空も,まるでいとしい恋人のすがたのように,ぼくのたましい のなかにすっかり安らう。そういうとき,ぼくはしばしば切ない思いにかられるの だ。『ああ,おまえの内部にこんなにもゆたかに,こんなにもあたたかく生きている ものを,なんとか表現し,画紙の上に息づかせることができないものであろうか。そ れができれば,おまえのたましいが無限なる造物主の鏡であるように,それはおまえ のたましいの鏡となるであろう』と。だが,友よ,はくは逆にこのために滅びてしま う。これらのさまざまな現象のあまりに壮大な力に圧されて,息がつまってしまいそ (】コ うだ。」 ここでは太陽の光がわずかにこぼれる深い森,その内部の樹や草や渓流,そ の草の下には小さな生物が轟いている。それらは静物画のように決してじっと 静止しているのではない。天空から微小な静物に至る自然が,生きたまま,人

(10)

瀧 川 一L 幸 10 間の最も深い魂の中で感じとられている。そしてそれらは一つの壮大な力と なって魂に働きかけないわ桝こはいかない。かくして主人公Werther’は思わず 創造者(神)の名を呼ばざるを得ない。ここに「神の衣を織る」力が神格化さ れている。 以上二つの例に象徴的に表現されているように,若きGoetheに於て,世界 ほ,Goethe自身の言葉では〈自然・Natur〉は,決して固定的な静止的な持続 性のある世界として捉えられているのでほない。全くその道に若きGoetheの 世界は,この世界を創造する力(神)が生命となって,形となって現象してく る場所なのである。この世界に−・切のものがひしめきあい,戦いあい,殺しあ いながら生命にならんと生成してくる様相を描いた,生と死が相剋する仏画の 地獄絵を想い起こさせるものがある。そして若きGoetheの全開心は,根本的に はこの生と死の現象それ自体ではなく,現象してくる力そのもの(神)に注が れている。この点こそ若きGoetheばかりでなく彼の−・生/を貫く中心であり, Goetheは生涯この人問の五感を通して神を啓示する力,即ちく神=自然・Gott (l勘 =Natur〉の前に頭を下げ続けたのである。後で詳述することになるが,イタ リアに於てもGoetheの目は常にここに.向けられていることを忘れてはならな い◇

さて若きGoetheの芸術観もこの基本的な世界観の上に打ち建てられてい

る。即ち芸術の根源を,人間の内部に持つ芸術衝動を若きGoetheは次のよう

に,上述した〈自然〉の中で位置づける。「Diesch6neKunstvonSulzerズル

ツアーの『美術』」の中で,

「Waswir von Natur sehn,ist Kraft,die Kraft ver−SChlingt;nichts gegen・ w盆rtig,alles vorItibergehend,tauSend Keime zertr−eten,jeden Augenblick

tausendgeboren,grIOBundbedeutend,mannigfaltiginsUnendliche;SCh8nund h畠Blich,gut und btis,alles mit gleichem Rechte nebeneinander existierend

UnddieKunstistgeradedasWiderspiel;SieentspringtausdenBemuhungen

desIndividuums,Sich gegen die zerst6rende Kr■aft des Ganzen zu erhalten Schon das Tier durch seine Kunsttriebe scheidet,VerWahrt sich;der

(11)

イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その−・) 11

MenschdurchalleZustandebefestigtsichgegendie Natur,ihretausendfache

UbelzuvermeidenundnurdasMaBvonGutemzugenieBen;bisesihmendlich

gelingt,dieZirkulationaller seinerwahr,undgemachten Bediirfnisseineinen Palast einzuschlieBen,SOfern es mそ)glichist,alle zerstreute Sch6nheit und GltickseligkeitinseinegほserneMauernzubannen,WOerdennimmerweicher undweicherwird,denFreudendesK8rpersFr・eudender・Seelesubstituiert,und SeineKrafte,VOnkeinerWiderwgrtigkeitzumNaturgebraucheaufgespannt,in Tugend,Wohltatigkeit,Emp丘ndsamkeit子erflieBen 私たちが自然から看取する ものは,力を呑みこむ力である。何ひとつとして現存するものほ.なく,すべては移ろ い,無数の芽が踏みにじられ,瞬間ごとに無数のものが生まれ,広大にして深遠であ

り,限りなく多様である。美と醜,善と悪であり,いっさいが等しい権利のもとに併

そん

存している。ところで芸術とはまさしくこれに対抗する力であり,それは,全体の破

壊力にたいして自己を保存しようとする個体の努力に発している。すでに動物にし

ても,その芸術的本能によって自己を引き離し,自己を守る。人間はいかなる状況に

あっても自然にたいしてみずからを防御し,それによって数知れぬ災いを避け,節度 ある幸福のみを睾受する。こうして最後に人間は,自己のあらゆる真実でしかも人為 的な要求の循環を可能なかぎり一つの宮殿の中に閉じこめること,すべての散在す る美と幸福を彼の透明な壁の内部に封じこめることに成功する。この壁のなかで彼 はますます微細になり,身体の満足の代わりに魂の満足を置く。そして彼のさまざま な能力は,自然を利用するための煩わしさに極度に悩まされることもなく,美徳,慈 D‥Ⅸ 善,感傷のうちに溶け去るのである。」 と述べているが,このように芸術衝動の根源を自然の持つ破壊的な力に対抗す る個体の生命を保有する本能の中に見ている。ここでは,この芸術衝動の性質 にほ言及されていない。また後半部に言及されている人間内部に形成される一 つの宮殿も詳しくは述べられていない。しかし,次にのべるように,若きGoethe は形(Biid)を造る造形力であることを直観している。また後半部の人間内部に 形成される芸術世界の考え方ほ,イタリア旅行中に予感ではなく,確証として 人間内部の芸術世界の生成に関する考え方として展開されている。即ちGoethe は第二次ローマ滞在期間中にモーリッツ(KいF.Mor・itz)とこのことを議論し, この二㌧人の議論から成立した,「第三次ロ・−マ滞在」の中に挿入された「実の造 形的模倣について」の中で展開されていることが,正しく上述した引用文の内 容と一・致する。つまりこの中では,人間内部にどのように造形的衝動が生まれ,

(12)

瀧 川 一・ 幸 12 発展し,一つの独立した世界として,一山つのOrganisationとして,外部世界の 完全な模造(Abbild)としての世界を形成し,ここからどのように美が生じるか を述べている。ただ若きGoetheではまだ直観的に捉えられていて様々な観察 を通した確実な考え方には成熟していないだけである。 ところで先述した「この芸術衝動が形(Bild)を造る造形力である」という点

についてほ,「VondeutscherBapkunst1772,ドイツ建築について1772」のな

かで,

「Die Kunstistlange bildend,eh’sie sch(inist,und doch so wahre,grOBe Kunst,jaoftwahrer・undgr6Beralsdiesch8neselbstDennindemMenschen ist eine bildende Natur・,diegleich sich tatig beweist,Wann Seine Existenz

gesichertistSobald er nichts zu sorgen und zu ftirchten hat,greift der

Halbgott,wirksaminseinerRuhe,umher nachSto仔,ihmseinen Geist einzu−

hauchenUnd so modelt der Wildemit abenteuerlichen Ziigen,graBlichen

Gestalten,hohen Farben seine Kokos,Seine Federnund seinen KorperUnd

laBt diese Bildnereiaus den willkiir・1ichsten Formen bestehen,Sie wird ohne

Gestaltsver旭1tnis zusammenstimmen;denn eine Emp負ndung schuf sie zum

CharakteristischenGanzen芸術とは美であるよりもはるか以前に造形であり,し かも美術に劣らず,いな往々にしてそれ以上に真実であり,偉大である。なぜなら人 間のうちには造形的な本性が宿され,それは人間の存在が確保されるや,すく“さま活 動を始めるからである。心配や恐怖がなくなるやいなや,安らぎつつも活動するこの 半神は,周囲の素材に手をのばし,そこに自己の精神を吹きこもうとする。それゆえ

やし 未開人は怪奇な輪郭,恐ろしい形姿,強烈な色彩によって椰子の実や自分の身体に模

はうし 様を描く。このような造形は,きわめて放悉な形態から成り立っていようとも,形の

均衡なしに調和するであろう。一つの感情がそれを特性的な全体へと形成している

(15) からである。」 ここにも人間内部の芸術衝動の本性が造形的なものであるということ以外 に,この発展が直観されている。即ち人間内部に形成されるこの芸術衝動は, 自分の周囲の素材に手をのばし,そこに自己の精神を吹き込もうとする。それ は特性的な全体へと形成される−・つの感情である。だから均衡なしに調和する と。これはきわめて若きGoetheの特徴を持つ考え方であるといえる。というの

(13)

イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その−) 13 は,後でも述べるが特性的な自我を問題にする点や外部世界と均衡を持たず, 人間の内面から発生した−つの感情であると芸術を考える点は若きGoetheの 文学の特性であるからである。けれども芸術衝動の本性が造形的なものである と若きGoetheが述べている点は記憶しておいてよい。若きGoetheの世界観で も述べたようにGoetheの主要関心がこの芸術観に於てもやほりそれが生成し てくる点に向けられているからである。 さて若きGoetheの芸術観を見てみる為に.引用した二つの文章に表現されて いるように,彼の世界観と同じように若きGoetheの芸術観も根源的にほ,自然 の一・部として考えられている。即ち人間の外部と内部という違いほある。しか しこの芸術衝動も人間の外の自然の生成と同じ根を持っている(ドイツ語の Naturほ,自然という意味とものの内部の自然を表現する本性という意味があ る)。ただ生命を保持する個体の本性として発展するという点が,外部の自然と

違うのである。そしてこの本性を造形的なものと見抜いている点ほ,今後の

Goetheの「ものの見方」の発展を考える上で非常に大切である。というのは,

ここにはまだ1807年の「ZurMorphologie,1807,dieAbsichteingeleitet」の

中で, 「,SObegegnetunsabermalseinwichtigerGrundsatzderOrganisation: daBkeinLebenaufeinerOberfはchewir−kenunddaselbstseinehervorbringende Kraft畠uBernk6nne;SOnderndieganzeLebenstatigkeitver−1angteineHii11e,die gegendasauBereroheElement,eSSeiWasseroderLuftoderLicht,Sieschtitze, ihr zartesWesenbewahre,damitsiedas,WaSihremInnernspezifischobliegt, VOllbringe DieseHtillemagnunalsRinde,HautoderSchaleerscheinen,a11es WaSZum Leben hervortreten,alles waslebendigwirken soll,muB eingehtillt SeinUnd so geh6r・t auCh alles,WaS naCh au6engekehrtist,naCh und nach fruhzeitigdemTode,der・VerWeSunganDieRindenderBaume,dieHauteder Insekten,die Haare und Federn der Tiere,Selbst die Oberhaut des Menschen

Sind ewig sich absondernde,abgestoBene,dem Unleben hingegebene Hii11en, hinterdenenimmer・neue Hiillensichbilden,unterWelchen sodann,Ober鮎ch・ 1icherodertiefer,dasLebenseinschaffendesGewebehervOrbringt再び我々に

は有機体の重要な原理に出会う。すなわち,生命は表面に露出したままでは活動する ことも,その生産力を発現させることもできない。どのような生命活動も,自らの内

(14)

4 瀧 川 一・ 宰 に課せられた固有の仕事を遂行するために,水であろうと,空気であろうと,光であ ろうと,外的な自然要素から生命活動を守り,傷つきやすい本性を保蒸するための外 被を要求する,という法則である。この外被が樹皮,皮膚,あるいは殻といった形を とるにせよ,ともかく生命となって現われ,生きて活動すべく定められたものは,す べて外被でおおわれていなければならない。一・方,外側にむかったものほいずれもた いして時間のたたないうちに相次いで死滅し,腐敗してしまう。木の樹皮,昆虫の皮 膚,動物の毛や羽,あるいは人間の皮膚にしても,それほ,とどまることなく排出さ れ,剥離しつづけ,生命なきものへ化してゆく外被なのである。だが,この外被のす く“内側ではたえず新しい外被が形成され,さらにその内側では,表面に近いところで ヨ‖E あろうと,もっと内側であろうと,生命は,その生産的組織を産出しつづけている。」 1 と述べられたような,古典期Goetheのきわめて明確な考え方にはまだ成熟し ていない。まだほとんど天才的直観によってとらえられた予感といった方がよ い程漠然としている。しかしここにはもう早くも個体の持つ形というものを内 に生命を秘めながら,また内なる生命を保持する機能を持ちながら,生命が現 象してくる際に必然的に.取らざるをえないものというGoetheの基本的な考え 方が予感として充分に認められるのである。 さてここで若きGoetheの世界観・芸術観をまとめてみると,「Goetheは,こ の世界を固定的な,静止的な,持続性のある世界として見ていない。その道に この世界の一切のものを創造したり,破壊したりする力(神)が現象してくる 場であると見ている。またものの形は,まだ予感としてしか現れていないが, 生命を内部に保持し,現象して来る時に必然的に取らざるを得ないものと直観 されている。それ故に若きGoetheの世界は生と死が−腐も止むことのない,生 命体としての形として力と力とがきわめてダイナミックに働く世∴界である(世 界観)。こうした中で人間内部の本性(Natur)の中で生成して来る芸術衝動は, ヽヽヽヽヽヽヽヽ 元来生命を保持せんとする個体の生命本能に基づいており,この力は周囲のも ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ のに自己の精神を吹き込もうと,周囲の世界を素材にしながら,特性的な全体 (人間内部に形成される∼・つの独立した小世界,引用文では〈宮殿〉 と表現さ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ れていた)へと形成される一山つの感情として現れてくるので,均衡なしに調和 する。」と言ってよかろうか。

(15)

イタリアに於けるGoetheの「ものの見方)について(その−L) 15 ところで一・般的に言って芸術家の究極的な意図は,元来生きているものを固 定的な,その意味では死んでいる素材を使って〈生きているように表現する〉 ところにあると考えられる。例えば,画家が眼前の生きた対象(本来三次元の もの)を一・枚の画布(本来二次元的なもの)の上に静止した形で定着させる。 しかし彼の究極的なねらいは,あくまでも生きているように見せることにある。 しかしこれは物理的には不可能である。この不可能を可能にするところに,即 ち図式的に言えば,存在(Sein)を仮象(Schein)によって真実たらしめんとする ところにあらゆる芸術家の本来の意図がある。この意味でもう何度も言ってい ることだが,Goetheの全開心が,すでに.若きGoetheにおいても,生命が発生 しようとしてくる神秘的な「点に,つまりものが形を造らんとするその一点に 注がれていることをここで繰り返しても言い過ぎるということはなかろう。た だ上のまとめで付点をつけた点は若きGoetheの限界であると同時に今後前期 ワイマ・−ル時代,イタリア旅行,古典期Goetheへと発展してゆくなかで,解決 されてゆく課題としてこのような表現を取っているのである。

3. 若きGoetheの世界観・芸術観の根底にある問題性について

2.で引用したFaustとWerther’に今一度もどって考えてみる。Faustほ全

身全霊をこめて≪wasdieWeltimInnerstenzusammenhalt,世界の奥底で世

界を統べているもの≫を認識したいと欲した。この弓凱、意欲に呼び出されて地 霊が姿を現した。2いではここで詔を中断した。この3.ではその次の場面が問 題になる。即ちFaustほ地霊の存在に耐えられなくなりそうになりながら, 「DerdudieweiteWeltumschweifst, Geschaft’gerGeist,Wienahftihl’ichmichdir! 広い世界を東奔し西走して暮らす, (用 多忙な霊よ,おれはおまえをよほど身近いものに感じている。」 と叫・びかえす。しかし地霊は,

(16)

瀧 川 一・ 幸 16 「DugleichstdemGeist,dendubegIeifst, Nichtmir! おまえはおまえの考えた霊に似ているだけだ。 (Ⅰ紛 おれにはすこしも似ていない。」 とFaustを否定して姿を消す。こうしてFaustほ.深い絶望に陥り,自殺せんと 毒の入ったビンに手をのばす。Wertherも引用文にあったように,まわりの美 しい自然の形象によって心をよろこびで一・杯にさせながら,万象として彼の心 に.姿を現す創造者の息吹こそ画布の上に描きたいと切に願う。この瞬間, Wertherほ自分が今までのうちで最も偉大な画家になったと感じる。しかし同 時にWertherほこの現象の壮大な力に.圧迫され窒息する。そして叫・筆も措けな いと絶望する。その後,この現象の力は美しい生きた女性Lotteの姿となって Wertherの前に現れる。彼は激しくLotteを愛する。しかし世界の代表者Lotte ほWerther・を拒否する。Faustの地霊のように。こうしてWerther・も世界の拒 否にあって絶望し自殺への道を歩む。 このように表れ方は異なっているが,FaustもWertherも外なる自然の根底 にある力(神)に激しく迫り,それと−・体にならんとするまさにその高揚した 瞬間に,共に外なる自然に拒否される。そして絶望を通って自殺への道を歩む。 ここに自我と世界との間にばっくりと大きな深淵が胸を開ける。ここに若き Goetheの世界観・芸術観の根底にある問題性が顔をのぞかせるのである。とこ ろでこの〈自我と世界〉との関係に関して言えば,若きGoetheは元来,調和あ る合一せ欲しており,そこに生命の最大の至福を見ている。多くのGoethe学者 (19) が指摘しているように,この〈自我と世界〉の至福の合一・ほ,詩ガニュメート の中の,

ま ま (袖 「Umfangendumfangen!抱きつつ,抱かれつつ」

と言う表現の中に記念碑的な表現を見出している。ここでは,愛する者と愛さ れる暑が相均衡し合いながら,Goetheによって後年生命現象の二大動輪という

(17)

イクリ7に於けるGoetheの「ものの見方」について(その山) 17 ごll 法則で呼ばれた,その−・方の方の〈昂進性Steiger・ung〉を最も原初的な形とし て見せながら,天空への上昇運動の中で生の至福を享受する。この他,詩 MailiedやWillkommenundAbschied等にもこの〈自我と世界〉の合一・の表 現は見られる。このように若きGoetheの世界では,〈自親〉とく世界〉は合一 すべきものと考えられているのである。 しかし上述したように〈自我と世界〉の合一・体験は,きわめて僅かな個所に しか表現されていない。そしてたとえ表現されていても,この合一・体験は,瞬 間的なものとして,瞬間の恩寵としてのみ成立している。いくらかでも自我の 時間的持続を前提としたく自我と世界との関係〉をテ、・・・・・マにする戯曲や小説に 於てほ,前述したFaustとWertherに見られたのと同じ構造を見せている。つ まりG8tz,Egmont,そしてFragmentとしてのみ残り完成されなかった, Mahomet,Pr・Ometheus,Sokrates等の構造の中に。 ところでこの問題性ほ,若きGoetheが自分の文学の師と考えていたシェイ クスピアの戯曲の中に見た構造でもあった。

「…SeineStiicke drehen sich alleum den geheimen Punkt(dennoch kein

Philosophgesehenundbestimmthat),indemdasEigentiimlicheunsresIchs,die

prAtendierte Freiheit unsresWollens,mit dem notwendigen GangdesGanzen

ZuSammenSt6Bt彼の作品はいずれも,われわれの自我の独自性,われわれの意志 の求める自由が世界全体の必然的な歩みと衝突する神秘な一点を中心にまわってお ります(それは,これまでいかなる哲学者も見たことも規定したこともない一㌧点 亡○ です)。」

と若きGoetheは「ZumShakespear・eS−Tag シェイクスピア記念日によせて」

の中でこのように述べている。ここでもGoetheの詩人性が生かされているの であろう。即ちシェイクスピアの世界を体験するなかで,自分との同一・性を明

確に直観しているからである。後年Goetheはこの構造をシェイクスピアの

Hamletの中に典型的に.表現されているのを見,そのシェイクスピ7体験の経 緯を「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」の中で描いている。またさらに

後年になって「ShakespeareundkeinEnde 限りにないシェイクスピア」に

(18)

瀧 川 −・ 幸 18 ㈹ 於ては,この「自我の意志の求める自由と世界の必然的な歩みとの衝突」を近 位3) 代人の持つ本質的問題性だと考えている。 さて先に見たように,本来このく自我〉 と 〈世界〉は,調和・合一すべきも のと考えられていながら,どうして若きGoetheの上述した作品の中でほ,〈自 我〉 と 〈世界〉の間に衝突が起こらねばならないような構造がとられねばなら なかったのだろうか。 ここには本来きわめて難しい菅学的な問題が潜んでいる。その−・つの問題は 新しい文化創造の可能性である。−・般的に言うと,人ほ普通大きな発見や発明 が人間に大きな新しい生活意識や生活様式をもたらすことをよく知っている。 例えばコロンブスの新大陸発見やワットの蒸気機関の発明がどれだけ人類に新 しい生活意識や生活様式をもたらし,それによってどれはどおおきな自由を待 たのか考え.れはよい。しかし詩人や芸術家が大きな質的な相違があるとはいえ, やはり同じように人類に新しい生活意識と自由をもたらすかはあまり意識され ないのでほなかろうか。例えば夏目漱石や志賀直哉の文学や文体が(もちろん Goetheはど大きな影響を与えたとほ思われないが),私達の生活意識を司る言 語にどれほど新しい生活意識を盛る広がりや思考方法の可能性を与えたことで あろうか。若きGoetheの天才によってまさに一つの新しい文化創造が始めら れた。それによる新しい生活意識や自由が生まれ得るのか生まれないのか,こ のような問題性をほらんでいるのである。またもう一つ例を挙げると,「自我の 意志の求める自由と世界の必然的な歩みとの衝突」ほ,Goethe自身が後年「限 りないシェイクスピア」の中で書いているように彼個人だけの問題ではない。

Hamletの中に近代人が自己の自画像を見るように,この「自我の意志の求める

自由と世界の必然的な歩みとの衝突」は現代の我々の身近にも,個人レベルで も社会・国家レベルに於ても様々な形をとって現れている問題ではなかろう か? 舌代のギリシア人やローマ人は運命の力を,即ち当時ほ全く人間知に及 びがたいとされた〈世界の必然的な歩み〉を恐れ敬ったかは,たとえばエディ プス王のギリシャ悲劇が表現しているところである。また中世ヨー・ロッパ人が どれはど〈自然〉を恐れ,神中心の世界の中で自然の脅威を避けるため神に助 けを請わなければならなかったかは,西欧精神史や黒死病の流行時の人々の恐

(19)

イダリ7に於けるGoetheの「ものの見方」について(その−’) 19 れを考え.ればよい。しかし現代人は元来己の意志の自由を要求する。そしてこ の自由の制限がどれほど難しいかは,今日的な様々な問題,例えば核利用と核 戦争の脅威,資源利用と自然破壊等,こうした問題の根底に潜んでいる問題で はなかろうか? さてこのように若きGoetheの世界観・芸術観の根底にある問題は,本来きわ めて難しい哲学的な問題をいろいろ含んでいるものである。しかしここでは, 若きGoethe文学成立・展開や「ものの見方」の発展を追っているのであるから, その範囲に問題を絞ることにしたい。 それ故に当然このような〈自我と世界の対立〉を若きGoetheの文学作品が構 造的に持っている第∼・の理由がGoethe自身がこのことをきわめて深く自分の 生活の中で感じていたことにある。この証明は彼の書いた自伝的なもののいた るところに見られよう。例えば,詩と真実のリスボンの地震の引き起こした大 災害によって神を疑ったとかいう少年時の記憶から「若きWertherの悩み」の

5月22日の手紙にいたるまで。しかし今若きGoetheの文学創造を念頭に置い

て考えてみると,彼自身の制作方法そのものにも大きな原因があったと考えら れる。制作方法というものほ,そもそも〈ものの表象方法Vorstellungsweise〉 である。それ故に,ずっと根本的でありこの小論のテーマにとっては前述の理 由に比べておおきな意味を持っていると思われるのである。 さてその若きGoetheの制作方法というのはどのようなものであったのか。 それは次の詩と真実のニカ所の文章が一・番よく表している。

「Ich war dazu gelangt,das mirinwohnende dichterische Talent ganz als Natur zu betrachten,um SO mehr,alsich darauf gewiesen war,die au6ere

NaturalsdenGegenstanddesselbenanzusehenDieAustibungdieserDichter−

gabekonntezwar’durchVeranlassungerTegtundbestimmtwerden;aberam freudigstenundreichlichstentratsieunwillkurlich,jawider・Willenhervor

DurchFeldundWaldzuschweifen,

MeinLiedchenwegzupfeifen,

Soging’sdenganzenTag

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0 瀧 川 一・ 宰

Auchbeimn宜ChtlichenErwachentratderselbeFa11ein,undichhatteoftLust, wie einer meiner・Vorganger,mir einledernes Wams machen zulassen,und mich zu gewそihnen,im Finstern,durchs Geftihl,das,WaS unVermutet hervor・ brach,Zu丘xierenIchwarsogewohnt,mireinLiedchenvorzusagen,Ohnees wiederzusammen丘ndenzuk6nnen,daBicheinigemalandenPultrannteund mirnichtdieZeitnahm,einenquerliegendenBogenzurechtzuriicken,SOndern dasGedichtvonAnfangbiszuEnde,OhnemichvonderStellezuruhren,inder Diagonaleherunterschrieb私は私のうちに.ある詩的天分を,しだいにまったく自 然として考えるようになっていた。私は外的な自然を私の詩的天分の対象として眺 めるように生まれついていただけに,なおさらそうであったのである。このような詩 的天分の発現ほ,もちろんなんらかの誘因によって呼び起こされ規定されることも あったが,もっとも喜ばしくもっとも豊かにそれが現われるのは,無意識のうちに, むしろ意志に反して現われてくる場合であった。 野ゆけど,森ゆけど, わが歌は,ひねもす わくがごと,唇にいず 夜,目を覚ますときにも同じようなことが起こった。しばしば私は,先人の一人の 例にならって草の胴着を作らせ,思いもかけず胸に浮かんできたものを,暗闇のなか でも手さく“りで書きとめる習慣をつけたいと思った。歌がおのずと口をついて出て きて,あとになってそれを書きとめておこうとしても,うまくいかないことがよく あった。そのため私は,立ち机にかけよって,ゆがんでいる紙を直す暇も惜しんで, 身じろぎもせずに,その詩を始めから終わりまで,ほすかいに古きおろすというよう 伽 なことがなんどかあった。」(詩と真実第四部第16章)

「Es(mein produktives Talent)verlieB mich seit einigenJahren keinen

Augenblick;WaSichwachendamTagegewahrwurde,bildetesichsogar6fters nachtsin regelm去Bige Triiume,und wieich die Augen auftat,erSChien mir entweder’einwunderlichesneuesGanze,OderderTeileinesschonVorhandenen Gew6hnlichschriebichalleszurfriihstenTageszeit;aber・auChabends,jatiefin

dieNacht,WennWeinundGeselligkeitdieLebensgeistererh6hten,konnteman VOn mir■fordern,WaS man WOllte;eS kam nur auf eine Gelegenheit an,die

einigenChar・akterhatte,SOWar・ichbereitundfertigWieichnunuberdiese Naturgabenachdachte und fand,daB siemirganzeigen angeh6r・eunddurch nichtsFr・emdeswederbegtinstigtnochgehindertwerdenk6nne,SOmOChteich gern hierauf mein ganzes Daseinin Gedanken gr・unden..(一、部省略)..Ich ftihlterechtgut,daBsichetwasBedeutendesnurpr・Oduzierenlasse,Wennman

(21)

イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その−) 21 Sichisoliere MeinSachen,diesovielBeifallgefundenhatten,WarenKinder derEinsamkeit,undseitdemichzuderWeltineinembreiternVerhaltnisstand, fehlteesnichtanKr’aftundLustderErfindung,aberdieAusftihrungstockte,

WeilichwederinProsanochinVeISeneigentlicheinenStilhatte,undbeieiner

jedenneuenArbeit,ラenachdemderGegenstandwar,immer vonvornetasten undversuchenmuBteこの才能ほ(自分の創造的才能)ここ数年というもの,−・ 瞬たりとも私を離れたことはなかった。私が日中めざめているときに目にしたもの が,夜にはきまった形の夢となっていることがしばしばであった。そして目をあけて みると,不可思議な新Lいものの全体か,さもなければすでに存在しているものの一・ 部分が,私の前に現れているのだった。たいてい私は,すべてのものを早朝に.書いた。 しかし夜にも,いや夜が更けても,酒と社交が生気を高めてくれれば,私はなんでも 望み次第のものを書くことができた。要はなにか特徴のある機会がありさえすれば よかったのであり,そうすれば私はいつでも書くことができたのである。さてこの天 賦の才についていろいろ考えてみて,これがまったく私に固有のものであり,他のも のによって助長されたり,妨げられたりするものでないことに気づいたので,私ほ自 分の全存在をこのうえに築きあげてみようと頭のなかで考えたのである。−(叫・部省 略)一畳要なものが創造されるのは,孤独な境地に身をおくときなのだということを 私はまさに感じていた。ひとびとにあれほど称讃された私の作品ほ,孤独の生み出し たものだった。そして世間とより幅広い関係をもつようになってからは,創作しよう という力も気持ちも欠けていなかったのに,いざ雷き出そうという段になると,筆が とどこおってしまった。それというのは,もともと私ほ散文においても韻文において も,様式というものをもっていなかったし,いつでも新しい仕事にかかるときは,そ 鍋 の対象ごとに手さぐりで前進し試してゆかなくてはならなかったからである。」(詩 と真実第三部第15章)

この詩と真実の二つの引用文は,先に引用した彼の芸術観とあわせれば,は

ば完全に若きGoetheの制作方法を我々の眼前に描いてくれるであろう。即ち

端的に言えば,若きGoetheの制作方法とほ・,完全な孤独の中で想像力(Einbil−

dungskraft)の遊び(Spiel)もしくは高まり(SteigerIung)なのである0孤独の中

で想像力は,せっせと自己の過去の体験や未来の可能性を素材にしながら,そ

れらに自己の精神を吹き込みながら,高揚する一つの感情として独自の世界を

紡ぎ出す。この世界が言語で構築されると文学作品になるというのである○

ところでこの〈完全な孤独の中での想像力の遊びもしくは高まり〉そのもの は別に何か特別の問題性を持っているというわけでほない。否むしろ−・般的に 言えば,あらゆる芸術はこのく完全な孤独の中での想像力の遊びもしくは高ま

(22)

22 瀧 川 一 幸

り〉の中から生まれてくるとすら言えよう。若きGoetheの場合に,この〈完全

な孤独の中での想像力の遊びもしくは高まり〉が問題となるのは,前述したと

おり彼の文学作品の中で彼の実存が核となるから,即ち現実のく自我と世界と

の関係〉がこの中に置かれるからである。なぜなら現実のく自我と世界との関

係〉ほ,〈完全な孤独の中での想像力の遊びもしくは高まり〉の中へ置かれると,

一・方でほきわめて高く純化され高揚される。と同時に他方では現実性を捨象さ

れることで歪められ,非現実的なものになる,よく言えば,くこの世のものと思 えぬはど美しいもの〉に,悪く言えばくもはや現実には存在し得ないもの〉に

なるからである。したがってこのことは,現実の生にとってほきわめて危険な

ことである。このことについてほ「若きWertherの悩み」第=L部の冒頭の手紙 の中で, 「daistnichtsge路hrlicheralsdieEinsamkeitUnsereEinbildungskraft,

durchihreNaturgedrungensichzuerheben,durchdiephantastischenBilderder

Dichtkunstgenahrt,bildetsicheine ReiheWesenhinauf,WOWirdasunterste Sind und alles auBer uns herrlicher erscheint,ieder andere vollkommenerist

UnddasgehtganznatiirlichzuWirftihlensooft,daL3unsmanchesmangelt,

undebenwasunsfehlt,SCheintunsofteinanderer zubesitzen,demwir denn aucha11esdazugeben,WaSWirhaben,undnocheinegewisseidealischeBehag・ 1ichkeit dazu Und soist der Gltickliche vollkommen fertig,das Gesch8pf

unserer■Selbst だから,孤独ほど危険なものはない。ばくらの想象カというやつは, 自己を高めようとする本性に強いられたり,文学上の空想的なイメージにやしなわ れたりして,いろんな影像を勝手にでっち上げる。そしてそのなかでは,自分がいち はん劣った存在であり,自分以外のものはなんでも自分より立派に見え,それぞれが 完全な存在なのだ。これは,自然の成行きというものだ。ほくたちは,自分にいくつ かのものが欠けているような気がすることがある。すると,自分に.欠けているもの を,しばしば他人がもっているようにおもう。おまけに,自分がもっているものまで それに加えて,さらに,ある種の理想的な魅力までつけ足す。こうして幸福な他人が 完全に出来上るわけだが,なんのことはない,ぼくたち自身が作りだしたものにすぎ ¢の ないのだ。」 と述べられている通りである。

今ここでWertherを例にとって孤独と現実との関係をLotte像を通して考

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イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その一) 23 察してみよう。 まず第一・部のLotte像であるが,これほきわめて活動的な〈眼前の生〉をよ ろこぶ魅惑的な女性像であり,我やにほこの像ほきわめて現実的に映る。しか しここでもすでに割り引かねばならない。と言うのは,孜々にはLotte像はた えずWertherの手紙を通してしか伝えられないからである。そして:手紙という ものが,そもそも 〈完全な孤独の中での想像力の遊びもしくほ高まり〉にどれ ほど好都合なものであろうか。なぜなら人ほ手紙では自分の心に気に入ったこ とや自分の心を動かしたものだけを書桝£よいからである。従ってこの第一・部 のLotte像そのものがもうすでにWertherの心によって,彼の想像力によって 精神を吹き込まれて純化・高揚されている。しかしそれでもなおこの像はまだ 現実的である。 しかし第二部に入ると我々はすく、、Wertherが仕官した社会からスキャソ ルによって閉め出されるのを知る。これが孤独が深まる第一・歩である。という のは孤独とは,心の中から〈眼前の生〉を閉め出し,自分の心の中へ閉じ寵る ことなのである。従って現実世界が狭まることほそれだけ孤独になってゆくこ となのだ。こうしてWerther・の周囲に広がっていた現実世界はだんだんと狭め られてゆく。そしてそのぶんだけ彼ほますます自分の心の世界へ閉じ寵ってゆ く。つまりそれだけ孤独になってゆく。まるで蚕が自分の糸で紡ぐ繭の中に閉 じ寵ってゆくように。ところで孤独になれはなるはど,その中で造られた像は 純化され高められる。今Lotte像に注目してみよう。現実のLotteは,実際は母 に早く死に別れ,その死に際に残された六人の弟妹の養育を任され,健気にも この任務に励むきわめて聡明で現実的な活動的な女性である。また母が死ぬ際 に母の眼鏡にかなった,冷静で現実的で経済能力もあるアルベルトという男性 と結婚した一L^の妻である。こうした現実のLotte像は,Wertherの手紙の中 で捨象されてゆく。そしてWertherの心にのみかなうく恋人〉としての女性像 がますます優勢になってくる。こうした関係は,ちょうど暗幕のある一つの部 屋の中の光とものの像の関係を想定すればよく理解できよう。即ち始めは光の よく入る窓は完全に開いている。そのため部屋の中のものはよく見えるし,現 実的な姿をしている。しかし少しずつ少しずつ暗幕が閉じられはじめる。部屋

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瀧 川 一・ 幸 24 の中はそのたびごとに暗くなる。光が乏しくなればなるほど,その光に照射さ れたものの姿は,明るく見える(実際ほ暗くなっている)。こうして終に暗幕か らわずか−・粂の光のみが部屋の中へ射し込むだけとなると,その光に輝くもの の姿はこの世のものでない程に明るく,美しく輝く。これが「若きWerther’の 悩み」の第二部の基本的構造であり,Lotte像である。最後には,Wertherの心 に.写るLotteの姿はどれはど現実のLotteと薙離していることであろうか。

Wertherの求愛を拒むLotteの次の言葉,

「FtihlenSienicht,daBSiesichbetriegen,SichmitWillenzugrunderichten! Warumdennmich,Werther?iustmich,dasEigentumeinesandern?justdasl? Ichftirchte,ich ftirchte,eSist nur die Unm8glichkeit,mich zu besizen,die IhnendiesenWunschsoreizendmachtあなたは,ご自身をあざむいて,わざと 破滅しようとしていらっしゃるのです。それがご自分でおわかりにならないので しょうか。ウェルテル,なぜまたわたくしのようなものを,他人の所有物であるわた くしのような女を,おえらびになったのでしょう? なぜそんなことになってし まったのでしょう? 思いすごしかもしれませんが,わたくしをご自分のものにな さることは到底できない相談だとわかっていらしゃるからこそ,かえってこの望み 椚 をすばらしいものだとおもいこんでいらしゃるのではないでしょうか。」 ほ,想像力の造り出した,この世ならぬほど美しい世界に向かって叫んだ現実 からの痛烈な否定の言葉であり,ここでもFaustの地霊の 「DugleichstdemGeist,dendubegreifst, Nicht mir! おまえはおまえの考えた霊に似ているだけだ。 おれにはすこしも似ていない。」 という言葉と本質的に全く同じ言葉なのである。孤独の中でどれはど生を純化 しようと高揚しようと,現実の生は現実の中にだけしか存在し得ないからであ る。つまり若きGoetheがどれほど文学作品の中で彼の実存を純化しようと高 揚しようと文学作品はなるほど創造されよう。しかし彼の実存は,彼の生は, けっして〈完全な孤独の中での想像力の遊びもしくは高まり〉の中で生きるこ とはできない。やほり自分の力によって眼前の現実の中でしか生きていけない

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イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その一−) 25 のである。否それどころでほない。現実の実存を〈完全な孤独の中での想像力 の遊びもしくは高まり〉の中に置桝ぎ,どれはど現実の自己と現実の生を見誤っ てしまうことであろう。そして現実の生を危険の中に置いてしまうことになる であろう。このことのために若きGoetheの作品の中でほ,Goetheの分身であ る主人公は己の意志の自由を要求し,純化・高揚されるが,最終的には現実の 代表者である周囲の世界の力のもとに没落せざるを得なかったのである。〈自我 と世界〉の間に深い断絶が顔を覗かせざるを得なかったのである。 ところで孤独が〈眼前の生〉を,即ち現在を自己の内部から閉め出し,自分 の内部に閉じ籠ることによって初めて成立する点についてもう−・歩踏み込んだ 考察を付け加えておきたい。つまりこの心の在り方(広い意味で精神と呼んで よい)が,眼前の生を嫌悪する傾向といかに簡単に結びつきよいかという点で ある。上述したごとく,孤独はもともと〈眼前の生を自己の内部から閉め出し, 自己の内部に閉じ籠る〉 ということであるから,この〈眼前の生〉を嫌うまで ははんのわずかの距離しかない。つまり 〈眼前の生〉よりもこの心は,自己の 内部に自分で紡いだ美しい想像力の世界の方を愛し易いのである。事実若き Goetheをして「若きWer・therの悩み」を制作せしめた最大の原因は,この現実 の生を嫌う心の傾向にあったことは,詩と真実がことこまかに説明していると ころである。詩と真実第三部第13章に,

rAllesBehagenamLebenistaufeineregelmaBigeWiederkehrderauBer・en

Dinge gegrtindetDer Wechselvon Tag und Nacht,derJahreszeiten,der

BltitenundFriichte,undwasunssonstvonEpochezuEpocheentgegentritt,

damitwiresgenieBenk8nnenundsollen,diesesinddieeigentlichenTriebfedern

desirdischenLebensJeoffenerwirftirdieseGen也SSeSind,destoglticklicher fiihlenwiruns;W去Iztsich aberdieVerschiedenheitdieserErscheinungenvor uns aufund nieder・,OhnedaBwir daranteilnehmen,Sind wirgegenso holde

Anerbietungen unempfanglich:dann tritt das gr86te Ubel,die schwer・Ste

Krankheitein,manbetrachtetdasLebenalseineekelhafteLast人生のあらゆ る快適さは,外界の事物が規則的に回帰することにもとづいている。昼と夜の交替,

季節の移り変り,開花と結実の循環,そのほか私たちが楽しむことができるようにと 時節ごとに私たちの前に立ち現れてくるもの,こうしたものが,地上の生活を動かし

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瀧 川 一・ 辛 ればあるほど,私たちほよりいっそう幸福であると感じる。ところが,こうしたさま ざまな現象が私たちの目の前で転々と起伏しているのに,私たちがそれに関心を示 さず,これほど素晴らしい贈り物にたいしてかたくなになってしまうと,ここに最大 の悪事,もっとも重い病が現われてくる。つまり,人生がいとわしい重荷と思われて 、:ぎ くるのである。」 26 とある。そして「若きWertherの悩み」制作当時(1774),若きGoetheばかり でなく,全ヨーロッパの若者の間にこの人生嫌悪の風潮がゆき渡、つていたこと を述べたうえで,「若きWerther・の悩み」のあの爆発的な成功の原因をこの風潮 に帰しているのである。このような意味で,孤独は文学制作にとって絶対に必 要不可欠のものであるが,他方このような心の人生嫌悪への傾向と深く結びつ く可能性をもっているのである。

さてこうした心の在り方を最も端的に表現するなら,Staigerが彼の

くGoethe〉の中のイタリア旅行の項の冒頭近くで述べている次の言葉ほど端的 なものほないであろう。

「Denn 《kimmerisch≫,nOrdischistgerade derKultdeseigenen Her・ZenS,

dieInnerlichleitdesLebens,dasimmeranKtinftigemoderVergangenemh去ngt, gedenkendoderhoffend,dasTr去umeundChimarenersinntundsichderGegen−

Wartnichtzu freuenVermag,keineswegsnuraus Hypochondrie oderDtinkel,

SOndern vor allem deshalb,Weilselten eine wurdige Gegenwart dem Blick

entgegenkommt実際≪常闇のkimmerisch≫とか北方的とかいうのは他でもない, おのが心を礼讃すること,生の内面性のことであり,それが上の詩句に歌われている のである。こうした内面的生は常に未来あるいは過去に執着し,追憶しあるいほ期待 し,夢想と妖怪(Chim翫■−en)をあみ出し,現在を楽しむことができない。それも決し て憂鬱症ないしは自負のためというわけでない。むしろとりわけ何らかの価値ある ㈹ 現在が,眼前に現れてくることがまれなためにそうなるのである とStaiger・が述べているが,Werther・の心の在り方は,このようなアルプス以 北の国々の人々の一・般的な心の在り方と連なっている。恐らくこれは,長い厳 しい冬と短い束の間の夏という北の風土が長年作用し続け,その中で形成され た北方人の心の在り方といえよう。Goetheのイタリア旅行の中で何度もこの

(27)

イタリアに於けるGoetheの「ものの見方」について(その一・) 27 〈北と南の違い〉に言及している。常に眼前の生を享受するのでほなく,現在 を嫌い,夢の中へ,自己の内部に築き上げた,想像力の描く生を享受する心な のである。 しかし先述したように,眼前の生ほ眼前にしか在りえないのである。人は想 像力の描く世界に.よって生きてゆくことはできない。自分の力によって眼前の 生を生きなけれはならない。このことほ老Goetheが「若い詩人たちのため」の 中で, 「Jtingling,merkedirinZeiten, Wo sichGeistund Sinn erh6ht: DaB dieMusezubegleiten, Doch zuleitennichtversteht 若者よ,心高まる若いうらに・, しかとおばえておくがよい,

ムーサヽヽヽ 詩神はともに人生をあゆむとも, 伽〉

きみを導いてはくれぬことを。」 と歌った警告に他ならない。詩神(ミューズ)は人生の同伴者たりえても,人 生を導く力ほないのである。かくして若きGoetheに・とってこうした心の在り

方そのものが,一・方で素晴らしい文学作品を創造しながら,他方で一つの限界

として,また新しい克服すべき課題として残ったのである。 Anmerkungen (1)GoethesWerke,(HamburgerAusgabe),Band3,S367なお以下/\ンブルグ版ゲーテ 全集は,HAと記す。Faustからの引用は若きゲーテ作ということでUrfaustから引用す るが,完成稿Faustとほとんど同文のところはかりなので訳ほ人文書院ゲーテ全集大山定 一氏訳を使用させていただいた(一部変更を含む)。 (2)HABand13,S160DerVerfasserteiltdieGeschichteseinerbotanischenStudien mitの一風この文はあとで(そのニ)再度引用する。潮出版ゲーテ全集野村一・郎氏訳使札 (3)ゲーテの自伝「詩と真実」第三部13章に詳しい。 (4)H A Band13,S39木村直司氏訳。 (5)FriedrichGundolf:Goethe(Wissennschaftliche Buchgesellschaft1963)のS251

参照

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